幕間 ある侍女頭の日常


 私の名前はエルマ・リンザーと申します。元子爵家の出身で、若い頃は、現国王グレアム陛下の側室、アデリア様の侍女を務めてさせていただいたこともございます。
 現在は、私の従弟アーダルベルトの子である、サルヴィア様のお世話をさせていただいております。いえ、呼び慣れてきた『お館様』と言うべきでしょう。
 可哀そうなことに、お館様は父親に数えるほどしか会ったことがなく、赤ん坊のころから女として扱われて参りましたが、いまは立派に公爵代行としてブランヴェリ公爵家を牽引されておいでです。
「今日のお茶会では、ルシウス様もいらっしゃるわ。お願いね、エルマ」
「お任せくださいませ」
 お館様は女装に慣れ過ぎて、どうせなら劇的な場面で男装に切り替えたいと欲を出す悪戯っ子です。ならばその時まで、私の技術の粋をかけて、美しく盛り立てていくべきでしょう。
 慣れない魔境暮らしで少々日に焼けてしまいましたが、一時的とはいえ王都に戻ってからは、柔らかなベッドでよく眠られているおかげか、お肌の調子は悪くありません。やはり、上質な寝具の手配をするべきでしょう。疲れが良く取れますからね。
 ドレスや装飾品も厳選して手元に残してありましたので、大店との商談や、お茶会くらいは問題ありません。ですがこの先、社交界という戦場に出るためには、いささか心もとないと言わざるを得ません。流行ばかりを追うことはありませんが、侮られることなく道を開くためにも、着飾ることは必要でございます。
「リヒターには助けられたけど、いつまでも頼ってはいられないわ。わたくしの戦備は、わたくしが用意しなくては」
 桟橋を壊した長大な魔獣から取れた素材や、金銀の卵のおかげで、当面の資金は潤ったとお館様は安堵されています。リヒター様が従えていらっしゃるコッケたちは神獣で、本来ならば我々人間がお仕えせねばならないというのに……やはり、女神の加護が厚い聖者様であるという噂は、本当なのでしょう。
「リヒター様は、お優しいですし、穏やかなお人柄で……とても徳の高い方でいらっしゃいますね」
「……そ、そうね」
 なぜか間がありましたが、お館様は大きく頷かれます。
「優しいのは間違いない。だいぶ俗っぽいけど……」
 などという心の声の発露は、聞こえなかったことにいたします。
「さあ、出来ました」
「ありがとう、エルマ。とても素敵よ」
 本日の装いは、夏らしい白いドレスでございます。要所に淡いグリーンのレエスを用いた、たいへん涼し気なもので、新領地へ赴く直前に仕立て上がった一着でございます。かかとの高すぎない靴ですので、久しぶりに踏む建物の床や絨毯でも転ぶことはないでしょう。御髪は暑苦しくないよう、されど軽やかに見えるように、編み込みとハーフアップにいたしまして、髪飾りも結葉をモチーフにした銀の台座に緑柱石をあしらった、小さくとも爽やかな印象のものでございます。
「では、お気をつけて」
「エルマのおかげで女子力盛れているわたくしが、有象無象の雑事に手間取るはずがありませんわ。吉報を期待していて」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ」
 ピンと背筋を伸ばした後姿が、颯爽とエントランスへ向かっていきます。化粧と装いは、女の戦衣でございます。お館様の為にご用意できる腕が自分にあることを、これほど誇りに思うことはございません。

 領地のキャンプにはフィラルド様がおいでですが、王都には他二人、お館様の兄君がおいでです。一人は次兄のダニエル様、もう一人は四男のマーティン様でございます。
 マーティン様はお館様の一つ年上で、まだ王立高等学院に在学中でございますが、お館様の御学友であるリンドロンド商会の御息女とお付き合いされているとか。情の熱い腕白な方ですので、儀礼や細かなマナーの多い貴族社会を窮屈に感じて、平民の方との愛情をはぐくまれても不思議はありません。
 ダニエル様は、すでにブランヴェリ公爵家から出ておいでで、次期ルトー公爵となることが決まっております。お館様が半ば追放された形の王都で活動できるのは、ダニエル様のおかげといって差し支えありません。
「素敵なお屋敷を用意していただいて、本当に助かりました。ありがとうございます、お兄様」
「なに、買ったはいいが、当面不要になった屋敷だ。好きに使ってくれ」
 お館様主催の、御学友とその御父兄を招いたお茶会とはいえ、第一王子のルシウス様までいらっしゃるとなると、それなりの格が要求されます。ルシウス様は王太子ではないので、かなり気軽に王子宮を留守にされますが、だからといって、どこにでも行っていいという事はありません。その為、ダニエル様ご所有の屋敷を、お館様の滞在中に使わせていただいたのでございます。
「魔境に追放されたはずの小娘が、しれっと戻ってきたうえに、方々で商談を始めたと。王城では、この屋敷が悪党の拠点か何かのように噂されているぞ」
「まぁっ、当たらずとも遠からずですわ。わたくしたちを邪険にするような方にとって、わたくしは忌々しい悪の頭領でしょう」
 ソファに深く腰掛けて、クスクスと笑い合うこのご兄弟は、性格の面がよく似ていらっしゃると思います。
「殿下とも、無事に話せたようだな」
「ええ。アデリア様とルシウス様に、不義理はできません」
 私が陛下の側室であるアデリア様の侍女だった御縁で、お館様をアデリア様にお引き合わせすることがありました。その時以来、アデリア様のお子であるルシウス様も、お館様をたいそう気にかけてくださっておいでなのです。
「ルシウス様からアデリア様にお話がまわれば、わたくしが新領地で成功していることが、社交界の女性にはあっという間に広まります。今後、領地で得た高価な商品を流す上でも、下地があれば購買へ引き込みやすくなるでしょう」
「たしかにな。ヴィアの成功を認めたくない当主たちが渋っても、奥方や娘にせがまれたら、財布のひもを緩めざるを得まい」
「そのためには、魅力的な商品開発が必要ですわ。とりあえずそれは置いておいて、まずは人手を戻さないといけませんの」
「実際、浄化は進んでいるのだな」
「ええ。それは問題ありません。いま拠点にしている北の森とは別に、西海岸の港町をひとつ解放してありますので、ブランヴェリ家に投資してくれる利に敏い者がいれば、そちらに案内していただければ。ただ、瘴気の浄化をできるのが実質一人で、彼を護りながら魔獣が跋扈する中を進むために、十分な戦力が必要なのです」
 お館様は王都の冒険者組合ギルド本部に足しげく通われ、トップクラスの冒険者の勧誘と、冒険者組合そのものの誘致に熱心でいらっしゃいます。
「お金になる魔獣はたくさんいますが、それを倒せる者は限られます。我が家が買い取って市場に流しても良いのですが、いまのところ我が家の現金が心もとない状態です。正直、いま一緒にいる冒険者たちが狩ってくる素材の買取りだけで、いっぱいいっぱいなのです。ならば、ギルドそのものを誘致してしまえば、ギルドに儲けさせた恩を売れますし、我が家の手間が減りますし、人口が増えれば税収も増えますし、一石三鳥ではございませんこと?」
「その通りだ。……ただ、そう簡単にいけばいいけどな」
 紅茶でのどを潤した後、ダニエル様は眉間のシワを揉まれます。
「まず、リグラーダ辺境伯が顔を真っ赤にしているらしい。封鎖された検問所から、瘴気が漏れているそうだ」
「あら、ご自分の所に立派な礼拝堂と大勢の神官がいらっしゃるのだから、ご自由に浄化されればいいのに。わたくしたちには、一人も神官を融通してくださらなかったのですから、きっと人手は充分かと。我が領地には、神官は一人もおりませんのよ」
 扇で隠していても、鼻で笑っているのが丸わかりでございますよ、お館様。ダニエル様も、苦笑いされているではありませんか。
「それだ。その、神官が一人もいないのに浄化が進んでいることを、信じない者もいるし、信じてほしくない連中もいる。奴らが圧力をかけたり、良くない噂を広めたりする可能性は、大いにある」
「それは?」
「大神殿だ」
 お館様、舌打ちが聞こえますよ。
「自分で得る努力もしていない権威が、とっても大事なのですわねぇ」
「神聖魔法を使える人間が神官をやっていないのは、神殿の権威を軽んじていると考えるからな。それと……」
 妙な話がある、とダニエル様は続けられます。
「セントリオン王国で、聖女が称号を剥奪されたそうだ」
「剥奪?」
「ああ。偽物だとか、自分にかかる呪いを他人に擦り付けたとか、理由は噂の域を出ないんだが、そういう事件があったのは確からしい」
 東隣のセントリオン王国には、アスヴァトルド教の総本山、聖地がございます。そのお膝元でそのような不祥事があったのでは、我が国でも神経をとがらせることでしょう。
「……そうでしたの。不味いですわね」
「ああ。ヴィアに協力してくれているという神聖魔法使いを、無理やり探し出して、強引に連れて行こうとするかもしれない」
 お館様は扇を額に当て、唇を噛まれます。
(お館様……)
 なぜいつもお館様ばかりが、このように困難なことにみまわれるのでしょう。この方は公爵令息として受け取るべきしあわせよりも、生まれてからずっと乗り越えてきた困難の方が多いのではありませんか。
(女神アスヴァトルドよ、どうか、お館様にお力を……!)
 その日のご兄弟は、夜遅くまで語り合っておいででした。

 王都でのお仕事もほぼ片付き、そろそろ物資を補給して領地に戻る算段を始めた日のことでございます。
 王都中を探し回って、習得に挫折した貴族から流れてきた、回復魔法と神聖魔法の教本を手に入れたお館様が、ホクホク顔で古物商から出てきたところ、見るからに冒険者といういでたちの青年が駆け寄ってきました。
「あのっ、ブランヴェリ公爵家の方でしょうか!?」
 私が青年との間に体を割り込ませましたが、まったく見えていないのか、ぐいぐい来ます。剣を下げた人間を、そんなに近付けるわけにはいきません。
「お下がりなさい、無礼者!」
「お願いです! 冒険者ギルドで聞いたんです! 瘴気を浄化できるという人に会わせてください! あいつが呪いで死にそうなんです!」
「お下がりなさい!!」
 その時、私の肩が後から叩かれました。
「お館様……」
「呪いの解除なんて、神殿に頼みなさいな。お布施ができないからと、貴族が無料でしてくれるはずがないでしょう。そもそもまず……どちら様かしら?」
 お館様が睨むと同時に魔力を出されたのか、冒険者はびくりと止まりました。そこまでしないと止まれないなんて、聞き分けのない子供のようです。
「あ……俺は、セントリオン王国の冒険者で、ライナスといいます。聖女を殺す呪いを代わりに受けたジェリドを、助けてほしいんです! 聖地の神官たちにもできないって言われて……お願いします!!」
 さきほどまで睨んでいたお館様の目が、真ん丸になっていらっしゃいます。つい先日、ダニエル様から聞いた噂の証人が、神殿が隠しておきたいことを大声で話しながら、目の前にいるのですから。
「……ああ、もしかして……冒険者ギルドでしつこくわたくしを探しているというのは、貴方でしたの?」
「はい!」
「その、聖地の神官にも解呪が無理だと言われた、呪われてしまった方のお名前、もう一度聞いても?」
「ジェリドです。ジェリド・タスク・フライゼル……若いけど賢者と言われている、フライゼル侯爵家の嫡男です」
 お館様の扇が、ぱちりと閉じられ、また優雅に広がって口元を隠します。
「くわしく、お話を聞きましょう。エルマ、この方もご案内して」
「かしこまりました」
 私はお館様の侍女頭として、臨時のお客様を迎える準備に取り掛かりました。

 私は、アーダルベルトが裏切られた・・・・・と知った時から、何事があろうとも、お館様のおそばに仕えると決めております。そこが陰謀渦巻く宮廷であろうと、瘴気に満ちた魔境であろうとも。
 従弟が遺した子供たちを、私は絶対に手放すことはございません。