第三幕・第一話 若村長と小さな避難者
体全体に圧し掛かってくるような、ねばつく重苦しさは、声や言葉にこそなっていないものの、明らかに助けを必要としている者の呻きだと感じられた。それはすでに体の端々から侵蝕され続け、力尽きるまでいくばくもない。
(こっちへ……!) 腕を伸ばした俺の指先に、小さな温もりが、ちょこんと当たった。 「っは……!」 びくんと体を震わせて目を覚ました俺は、自分が長杖を抱え込むように座って寝ていたことに気が付いた。誰かがかけてくれていた薄い毛布を引き上げて、バキバキに固まった背筋をほぐすように身じろぐ。 辺りは薄明るく、夜明けまでもうしばらくといった時間か。 押し寄せるアンデッドたちを片っ端から撃破し、一晩中瘴気を浄化してまわったせいで、さすがに疲れ果てていた。見張り達の焚火のそばで座り込んだ瞬間に、気を失うように寝入っていたようだ。 「よう、起きたか」 「……ジェン。みんなは……遺跡の外はどうなった?」 「あれからは静かなもんだ」 冒険者パーティー『鋼色の月』のリーダーは、見慣れてきた髭面を指先でかきながら、焚火を挟んで俺の向かいに座った。 「まぁ、なんだ。お疲れさん」 「ありがとう」 差し出されたコップに入っていたのはほとんど白湯だが、わずかに葡萄酒とはちみつの香りがした。ありがたい。 「リヒターのおかげで、助かった。あの数じゃ逃げるしかないし、逃げるにしても川にはデカい化物がいて、船も流されちまっていた」 「俺はただ、無我夢中だったというか、必死なだけで……」 メロディにもらった悟りの聖杖のおかげで、対不死者用攻撃魔法までバンバン撃てていた。グールやスケルトンのような、実体のある不死者なら、サルヴィアの攻撃が通るが、ゴーストやレイスのような、ほとんど実体のない不死者には、俺の攻撃でないとろくなダメージが入らない。 ( 仮眠で少し回復しただけで、まだ俺の頭はぼうっとしている。温かな飲み物が体に染み渡っていくが、胃が食べ物を受け付けるには、もう少し休息が欲しい。 「もう、アンデッドは湧かないかな?」 「どうだろうな。ただ、少なくとも、この遺跡周辺には、しばらく湧かないだろう。森の外にある、町や村の住人だった奴まで、混じっていたそうだ」 「……」 瘴気は静かに人を殺し、人でないものに変えてしまう。 (まるで、殺人ウイルスでゾンビになる映画みたいだな) すでに命が尽きた死体まで化物にしてしまうのが、瘴気がウイルスではないところなのだろうが、それを取り除く方法が限られているという点では、どちらも厄介なことに変わりはない。 俺がコップの中身を飲み干したタイミングを見計らうかのように、遺跡の奥の方でコッケの鳴き声がした。夜が明ける。 「おい、あれはリヒターのコッケじゃないか?」 「ん?」 ジェンが指差した方を振り仰ぐと、朝日の光が差し走る水色の空を、青紫色のきらめきを纏ったこげ茶色の影が、真っ直ぐこちらへ飛んできた。 「どうした、サンダーバード?」 俺が寄りかかっていた壁の上に降り立った大型コッケは、よちよちと方向転換すると、また力強く羽ばたいて、空に戻っていった。 「呼んでいるみたいだな」 「そうらしい。ごちそうさま、美味しかったよ」 「おう」 俺はジェンにコップを返すと、重い体を引きずり上げて、サンダーバードの後を追った。 杖をつきつつ、えっちらおっちらと遺跡の奥に向かうと、そこには早朝の顔となりつつあるフィラルド様と護衛の騎士がいた。 「あっ、リヒターくん!」 「おはようございます。どうしたんです?」 そこは転移の魔法陣がある建物の前で、サンダーバードとシームルグが屋根の上に止まっている。 「鶏舎に行ったら、この二羽しかいなかったんだ。私が来たら、二羽とも飛び立っていってしまって……」 「シームルグの方を追いかけていたら、ここにたどり着いたと」 「さっきから、コッケの鳴き声がこの奥でするんだけど、扉が開かないんだ」 「え……」 言われてみれば、昨日の夕方には開いていた扉が、閉まっている。 (『フラ君』の主要人物じゃないと開かないとか、そんなことは……) 俺が石の扉に手を当てると、ずずっと自動で横にスライドした。 「開いた……ちょっと見てきます。フィラルド様たちは、サルヴィア様に知らせてもらえますか?」 「わかったよ」 俺は一人で転移魔方陣の建物に入り、反響するコッケの鳴き声を頼りに奥へ進んだ。 「ライト。……金鶏、ここにいるのか?」 「コッコッ……」 『フラ君』上級者のサルヴィアと一緒なら不安はないが、何が起こるかわからない状況は、俺の寝ぼけた頭を無理やり覚醒させてくる。 「金鶏?」 広間に描かれた転移魔方陣の上で、大きなコッケがバサバサと翼を羽ばたかせながら歩き回っていた。 「どうしてこんなとこ、ろ……?」 「コッケコッケコォーー!」 なにやら丸っこいものが転移魔方陣の中心に転がっており、それが何なのか視認した俺は、慌てて抱き上げた。 「なんで、こんな所に子供が……!」 体を丸めるように倒れていた子供は、まだ一歳か二歳程度の体つきで、しかも裸だった。 「この子を教えてくれたのか。ありがとう、金鶏。さあ、外に戻るぞ」 「コッコッ……」 俺は子供と長杖を抱え、意外とたったか走る金鶏と一緒に、転移魔方陣の建物から出た。 「と、いうわけなんだ」 俺は幼児にしがみつかれたまま、額を押さえたサルヴィアに説明する。 転移魔方陣で見つけた幼児は男で、サルヴィアの侍女であるエルマさんによって小さめサイズのシャツを着せられている。いま、急ピッチで幼児服を作成中らしい。腹は空いてそうなのだが、疲れているのか怯えているのか、カップに入れられたスープにも、あまり口をつけない。 しっかりとコシのある赤い髪は少し癖があり、ぷくぷくした柔らかい頬を指先で突くと、金色の目がこちらを見上げてくる。 「お前はどうしてあんな所にいたんだ? 親はどうした? それに、名前もわからないとなぁ」 「名前はわたくしの【鑑定】でわかっているのですけれど、その前に心当たりはありませんの、リヒター?」 「俺の子じゃないぞ。全然似てないじゃないか」 「そうではなくて!」 はぁぁぁ、と特大のため息をついたサルヴィアは、紅茶を飲んで心を落ち着かせると、おかわりを持ってこさせるついでに人払いをした。そして、サルヴィアの顔から、セージの声に切り替わった。 「いいか、その子の名前はゼガルノア。スタンピードの原因になった『永冥のダンジョン』の最奥にいるはずの、『魔王ゼガルノア』だ」 ダンジョンの奥にいる魔王って、『フラワーロードを君とU』で主人公と交流を深めることでスタンピードを未然に防ぐキーパーソンだな? ふむ、こんなにちっちゃいはずがないと思うんだが? 「……なんで?」 「こっちが聞きたいよ!」 彼も疲れのせいか、怒りっぽくなっているようだ。ここは休息を提案しよう。 「まあ、正体が分かっただけいいか。フィラルド様にはなんて言う?」 「お兄様にもエルマにも、正直に言うよ。誤魔化すと、かえって女性陣の反感を買う。ただし、正直に言うのは、僕の身のまわりの、ごく狭い範囲に限る」 「そうだな、それがいい。さて、朝飯をもらったら、俺はまだ少し休ませてもらうよ」 「そうして。明日はメロディの所に行かなきゃいけないし……ああ、これを差し上げますわ」 セージからサルヴィアに戻って手渡されたのは、サルヴィア特製の高級マナポーションだった。 「ありがとう、助かるよ」 「昨夜はご苦労様でした」 「お互いに、え? おい?」 小さな手が、俺の持っていたマナポーションをひょいと取り上げると、簡単に栓を外して、ぐびぐびと飲み干した。 「ぷはっ」 「こ……これ、子供が飲んで大丈夫なのか?」 「味は青林檎に近いから大丈夫かと」 「そういうんじゃなく……」 一応、薬品ではないのかと俺は首を傾げたが、同じように首を傾げていたサルヴィアは、ぽんと手を叩いた。 「もしかしたら、マナの濃いものがお好きなのかもしれないわ。魔王ですし」 「魔王だから……」 空の小瓶を俺に返してくるゼガルノアに、苦笑いを返すしかない。魔王かもしれないが、行動はまるきり幼児だ。 「そうか、美味しかったか」 こくんと頷く赤毛頭を、俺はいい子いい子と撫でた。 「こんなに可愛らしいのに、ゼガルノアなんて、ごつい名前だな。魔王と同じ名前じゃ、変な目で見る奴もいるかもしれないし……よし、ノアと呼ぼう」 「きゃぅ!」 嬉しそうにじたばたと手足を動かすノアを抱え直した俺は、自分用のマナポーションをサルヴィアから貰って飲み干した。確かに、青林檎っぽい味がする。 「よーし、ノア。俺と朝飯に行こうな。ノアが食べられる、マナが濃い食べ物があるかなぁ?」 「……リヒター、貴方、まるきりパパですわ」 「転生前は子持ちだったみたいだからな」 魔王の父ちゃんになった覚えはないが、懐かれているのだから、悪い事じゃないだろう。 食事をした後は、すぐにゆっくり休むつもりだったが、ノアを抱っこして移動するだけで驚かれるので、その度に遺跡で見つけた迷子だと説明してまわったら、魔法を連発した時よりもしゃべり疲れた。幼児はどこに行っても、だいたい人気だな。 「しかし、なんで俺に懐いているんだ?」 ようやくベッドの上に寝転がった俺の腹の上に、ノアがぺったりとくっついて寝ている。瘴気の浄化要員ということで、平民にもかかわらず公爵家の居住区画の側に一人部屋をもらっているため、ノアがいても誰かに遠慮することはない。夏という季節と、子供体温で暑く感じそうなものなのに、どちらかというとひんやりして快適だ。 (魔王だから……うん、まわりからマナを吸い取る力が強いんだな) 俺のマナも吸い取られているような気がするが、不足して困るほどではない。 「ふわ、ぁ……」 眠い。二度寝しよう。 |