第二幕・第六話 若村長とひきこもり過激派


 ホープに案内されて、俺とサルヴィアは『大地の遺跡』の魔法陣から、『風の遺跡』の内部にワープした。
「たしかに、『風の遺跡』ですわ」
 サルヴィアに倣って辺りを見回すと、用いられている色や意匠が『大地の遺跡』とは違うようだ。
「こちらです」
 外に出て、俺は空を見上げて、思わず息を漏らした。
「すごい……」
 そこは、谷底だった。両側に迫る崖は、鮮やかな彩の地層が剥き出しになっていて、しかも吹き抜ける風に撫でられ続けたせいか、その表面は滑らかな曲線を描いている。
 しかし、そう綺麗に見えるのは、この遺跡にくっついている部分だけで、少し離れれば、暗くくすんだ空気に霞んでしまう。
「ずいぶん瘴気が濃いですわね。リヒター、お願いしますわ」
「わかった」
 森の中の行軍で学習した俺は、安全な遺跡内で魔力を練ってから、一歩外に出て浄化を始めた。
「カタルシス!」
 みるみるうちに視界がクリアになっていくが、森の中よりも安定感がない。
「風が強いせいかな」
「範囲指定の魔法とはいえ、瘴気が押し流されてくる力も強いのでしょう」
 俺たちは簡易女神像を、ほとんど地面に埋めるように固定して、足早に先に進むことにした。
 土色の模様のせいで見逃してしまいそうな抜け道を通って谷の外に出ると、すぐそこに小洒落た屋敷があり、丘の下には大きな町が広がっているようだ。ホープは迷わず屋敷の敷地内に入っていき、扉を開けた。
「うわっ、建物の中までは無理だったか。カタルシス!」
「これはひどいわね。本当に人がいるの?」
 俺とサルヴィアはエントランスで立ち止まったが、ホープはどんどん奥へ進んでいく。
「マスター、どちらにいます!? 二郎が戻りました! 一郎、どこだ!?」
「二郎?」
「一郎?」
 ホープの見た目からは全くイメージできない名前が飛び出して、俺たちは思わず顔を見合わせてしまった。
 たぶん、ホープが自分たちを二番目だの三番目だの言っていたことと関係あるのだろうが、それにしてもなんというセンスか。
「ファーストとかセカンドとかにしなかったのかしら」
 ぼそりとこぼれたサルヴィアの呟きは、俺も全く同意するところだ。アイン、ツヴァイ、とか、他にもあるだろうに。
 その時、主人を見つけたらしいホープの声が聞こえたので、俺たちはそちらへと駆け付けた。二階の、奥の方だ。
「ホープ!」
「大丈夫か?」
 俺たちと来たホープと、廊下の壁にもたれかかるように倒れていた男は、まったく同じ顔をしていた。服装が違うので、こっちが一郎だろう。
「しっかりしろ」
「浄化ポーションよ。飲めるかしら?」
 口に含まされたポーションの、あまりの不味さが気付けになったのか、一郎ホープは咽ながら身動ぎした。
「ぅ……、ま、ますたー……」
「大丈夫そうね」
「そのマスターはどこだ」
 俺は二郎ホープとマスターを探すべく、ごそごそと物音がする廊下の曲がり角の向こうへまわった。
「は……?」
 そこに見たのは、なにか巨大な物体を動かそうとしている二郎ホープだった。
「……これは、なんだ?」
「はぁっ、はぁっ、こちらが、手前どもの、主人で、ございますっ」
「いやぁ、どう見てもトド……」
 衣類のつもりらしい切れ端が巻き付いているし、白っぽい毛髪が見えるので、もしかしたらトドではないのかもしれないが、体積的はトドだ。ぶごっ、ぶごっ、とくぐもった呼吸音が聞こえるので生きているのだろうが……なんだ、この、ぱっつんぱっつんな肉塊は。
「リヒター? ……なに、これ?」
 俺を追いかけてきたサルヴィアにも、この物体が人間には見えないようだ。
「よいっしょぉっ!」
 二郎ホープが頑張って、うつ伏せになっていたものを、なんとか横向きにさせた。……うん、やっぱりトドだなぁ。
「閣下、浄化ポーションをお願いします」
「わ、わかったわ」
 恐る恐る近付いたサルヴィアが、毛髪をかき分けて顔らしきものを見つけると、その分厚い唇にポーション瓶を突っ込んだ。
「ごふぉっ!?」
「ひやぁっ!?」
 飛び跳ねるように後退ったサルヴィアが可愛い。男だが。
「ごきゅ……ぶごごごご、すぴぃ〜〜〜……ぶごごごご、すぴぃ〜〜〜」
「ね、寝た?」
「ありがとうございます! おかげさまで、助かりました!」
「え、ええ。どういたしまして……。一本で足りたかしら?」
「大丈夫じゃないか? 寝息もなんとなく落ち着いているし」
 とりあえず、ミッション達成のようだ。
 一郎ホープと主人を復帰させるから、しばらくくつろいでいてくれと、俺たちは二郎ホープにそれぞれ客間へ案内された。
「おいおい、風呂があるぞ。使っていいのか?」
「すごいわ。ちゃんとお湯がシャワーでも出るタイプじゃない。うちの国でも、やっと貴族の屋敷に普及してきた設備なのよ」
 自由に使ってくれていいと二郎ホープが言っているので、俺たちは遠慮なく風呂に入った。欧風の猫脚バスタブは、転生後の俺の記憶にある限り、初めての、風呂らしい風呂だ。
「はぁぁぁ〜〜〜、沁みるぅぅ〜〜〜〜」
 たっぷり湯を使う風呂も、いい香りの石鹸も、庶民には贅沢品だ。俺はごしごしと体中を洗いまくり、鏡の前で伸びた髭を剃り落とした。
 風呂から上がると、新品と思われる服が下着から一式用意されていて、さらに冷やされた果実水まで置いてあった。
(行き届いているなぁ。行商人というより、お屋敷の家令とか、ホテルマンみたいだ)
 サルヴィアから聞いていた、「会うと必ず不運が起きる」というジンクスからは、程遠いように感じられる。
(本当に俺の【幸運】アビリティのおかげだったりしてな。ははっ)
 そう思っていた時期が、俺にもありました。
 体裁が整ったらしく、小ざっぱりとなった俺とサルヴィアが応接室に案内され、二人のホープと向き合うように、クッションの利いたソファに腰かけた。
「まずは、主人と手前どもを助けていただき、ありがとうございました」
「お約束の報酬である、各遺跡へは、帰り道にご案内させていただきます」
 深々とお辞儀をする、一郎ホープと二郎ホープ。
「ギリギリだったみたいだけど、間に合ってよかった」
「本当に。こちらはお風呂まで使わせてもらって、かえってありがたかったわ」
 俺もサルヴィアも、風呂のおかげで気力は充填満タン。やっぱり日本人には風呂だ。
「こちらが、主人からのメッセージです。本来なら、直接お礼を申し上げるべきなのでしょうが……」
「それは仕方のないこともありますわ」
 風呂のおかげで寛容な気分になっているらしいサルヴィアに、俺もうんうんと頷きながら、開かれた手紙を覗き込んだ。


― To サルヴィア&リヒター

  リザd
  フレ申ヨロ

― From メロディ


「……」
「すまん、何語だ?」
 サルヴィアは便箋を開いたままプルプル肩を震わせているが、俺にはこの数文字が理解できない。
「ホープに一郎・二郎と名付けたこともありますし……こいつ、転生者ですわ」
「えっ」
 がたっと音がして出入り口を見ると、薄く開いたドアから、なにかの目がこちらを覗いている。
「ひっ!?」
「出ていらっしゃいな!」
 バンッ、とドアが閉じられ、どたどたどたどた、と地響きが遠のいていく。
「す、すごいな。近付くのは気配消してできるのか」
「変なところで感心している場合ではありませんわ。一瞬とはいえ、【鑑定】阻害されるなんて……」
「なっ……アビリティにレジストって出来るのか!?」
 信じられないと首を振る俺とサルヴィアに、一郎ホープが種明かしをしてくれた。
「おそらく、主人がアビリティ【アノニマス】を持っているからかと」
「……なるほどね」
 一瞬舌打ちでもしそうな顔になったサルヴィアだが、扇を持っていないことに気付いたのか、表情を消してソファに座り直した。
「おおかた、オンラインゲームのプレイヤーだったのでしょう」
「はぁ。まあ、混ざっているのが、ふたつだけとは限らないよなぁ」
 いったいこの世界はどうなっているのか。まあ、俺が考えたところで、埒もないけど。
「情報はたくさん持っていそうですし、お友達になるのはやぶさかではありませんわ」
「会話するだけでも一苦労しそうだけどな」
「何をおっしゃっているの。仮にも乙女ゲーの攻略キャラの顔をしているのですから、女の子の一人も篭絡なさって?」
「都合のいい時だけ攻略キャラ扱いしないで……って、女の子?」
 どこに女の子がいる、と思ったが、サルヴィアはさっきの便箋を広げ、一番下の一行を指差してみせた。
「ふ、ふろむ、めろでぃ……? 待て。え? 女?」
 あの陸に打ち上げられたトドが? 巨大な肉塊が? 嘘だろ?
「ねえ、ホープ。貴方たちのご主人って、女性よね? 貴方たちを使っているという事は、商会を持っていらっしゃるのかしら?」
 サルヴィアの輝くようないい笑顔に寒気を覚える俺をよそに、一郎と二郎はこの世の理不尽を詰め込んだ爆弾を投下した。
「はい。手前どもの主人メロディは、身も心も女性です」
「種族がハーフダークエルフですので、人間社会では表立った商業活動はされておりません。ただ、給湯設備や活版印刷などを世に出した、発明家でございます」
「「……」」
 おい、サルヴィア。仕掛けたのはそっちだろ。俺と一緒に固まるんじゃない。