第一幕・第三話 若村長と旅の空


 俺の開拓団入りを、義妹のマートルと妹婿のランディはもちろん反対した。
 フーバー侯爵家が成果だけを気にして、開拓団自体にはろくな配慮をしないのは目に見えていたし、それでなくとも元異国の領土への入植は、困難なことが多いだろう。だが、勅命であることは確かだし、誰かがやらなければならないことでもある。
 フーバー侯爵領の各地から寄せ集められた農民は僅かだが、それでも十人ほどがこの地方から出ていくことになった。後詰が来るかどうかも怪しいが、とにかく最初はこの十人で頑張らねばならない。
 新領地への道のりは、途中の王都ロイデムまでは、フーバー家の引っ越しに合わせて大移動する荷馬車に便乗させてもらえたが、そこから先は徒歩になる。フーバー家の皆々様とその大荷物は、王都の屋敷が終着点だからだ。
 ……非常に残念なことだが、侯爵領から徴兵された村民のほとんどが戦死しており、生き残った者はすでに帰郷済みだという事を、俺は道中で知った。
「おい、聞いたか?」
「ああ」
 俺たちがキャンプを張っている王都の外れにある広場は、城壁の外、簡易な柵の内側でしかない。ただ、有事には避難場所や駐屯所になるために、見張り台や井戸がある。俺は故郷の清流を恋しく思いながら井戸で水を汲み上げ、同行者たちに配っていた。メンバーの中じゃ、俺が一番若いからな。
「俺たちが行く新領地は、魔境だって話だろ?」
「それよ。戦争には勝ったけど、瘴気が溢れていて人が住めないって。魔獣がうじゃうじゃいるらしい」
「そんな所に行かされるのか!?」
 痩せた農夫たちの話に耳を傾けながら、俺は天を仰いだ。おお、女神アスヴァトルドよ、これは何の試練だ。これでは、むざむざ死に行くようなものだ。
(せめて、王都の教会に入れたら、天賦や神聖魔法に関して、なにかヒントが得られたかもしれないのに)
 俺たちは、城壁の内側へは入れなかった。物資の補給は、一応侯爵家の兵士たちがやってくれたが、俺たちはここで野宿だ。王都に連れてこられてまで野犬や盗賊の心配をしないといけないなんて業腹だが、フーバー家は農民を城壁内に入れてやろうなんて気を利かせてくれる奴らではない。
 汲み上げた水桶の中に視線を落すと、けっこうなイケメンが眉間にしわを寄せていた。細い鼻筋や薄い唇のせいで神経質そうに見えるが、ぱっちりとした濃い青色の目が雰囲気を和らげている。無精髭が伸びてきてはいるが、元々体毛が銀色なおかげで、そんなに目立たない。その銀髪は無造作にくくられて、野良仕事で鍛えられた背中に垂れている。
 優男には違いないが、前世の記憶と合わせても、雰囲気イケメンどころか、かなりの美形だ。田舎の農村では場違いにもほどがあるが、俺が赤ん坊の時に引き取られた養子だと知ると、たいていは訳ありなんだとそれ以上突っ込まれることはなかった。
(それにしても、風呂に入りたいなぁ。頭も洗いたいし、ひげも剃って、さっぱりしたい)
 記憶が戻って以来、どうも熱い風呂が恋しくてたまらない。衛生観念が前世に引きずられているんだろう。できるだけ水で拭ってはいるが、自分が臭っているなんて、最悪だ。
 俺は同行者たちを眺めまわして、小さく嘆息した。みんな不潔というより、痩せすぎている。まだまだ働き盛りの年齢なのに、栄養失調寸前を疑う者が、二、三人ほどいる。
(うちの村が他と比べて豊かなのは、本当だったか)
 彼等の村の経済事情が厳しいのは、土地が痩せているだけでなく、税の取り立てが過酷なせいもあるだろう。若い者を犠牲にするよりはと、この開拓団に入ったに違いない。
(なんとかしてあげたいけど、それには命懸けで魔境を耕して、何年もかけて豊かにしないといけないのか)
 まったくもって手詰まりだ。まず、そんなサバイバル環境で自分が生き残れるか、はなはだ自信がない。
(それに……)
 俺はヒョータの実を乾燥させて作られた水筒に水を満たした。細長い瓜に似たヒョータ水筒はかさばるが、丈夫で安価だし、中身が腐りにくいうえに匂い移りも少ない。
 餞別にもらった魔道具の水筒や銀貨が詰まった財布は、開拓団に合流する前に【空間収納】にしまい込んで、同行する誰にも知られないようにしている。高価な物はそれだけで、善良であるはずの人を誘惑してしまう。
(こんなことまで心配しないといけないなんて、辛いなぁ……)
 村のみんなが俺だけは無事でいてくれと願ってくれたし、自衛だと割り切っているつもりだが、平和ボケした前世の感覚が哀しみを訴えてくる。
 俺は早めの夕食の準備を始めることで、仲間すら警戒しなければならない虚しさや、どうにもならない将来の不安から目を逸らすことにした。

 王都から旧ディアネスト王国領に出立する日、俺たちは五倍くらいの同行集団に組み込まれることになった。
「フーバー侯爵は何を考えていらっしゃるの!? やる気があるとは思えないわ!」
 俺たちの一応まとめ役である兵隊長に向かって厳しい声を上げたのは、飾り気は少ないものの、ひとめで上等な品質だとわかるワンピースを着た娘だった。
「女の子?」
「貴族だろうな」
「なんだって貴族のお嬢さんが、こんなところに?」
「知るかよ」
 人垣からこっそりと覗いていた俺たちに、その人垣の一部が呆れたようにこちらを振り向いた。
「おいおい。あのお方が、ブランヴェリ公爵代行閣下だよ」
「公爵!? あのお嬢さんが!?」
「戦争に反対していたせいで、魔境送りにされたんだってさ」
「ひどい話さ。他の貴族どもが戦争にうつつを抜かしている間、誰がこの国の魔獣討伐や野盗討伐をしていたと思う? あのお嬢さんと御学友たちだって、冒険者ギルドの連中はみんな知っている」
「いまでも難民を救助しているのは、ブランヴェリ公の一族しかいないんだぜ。慈悲深いお方だよ」
「だけど、領地も財産も没収されたって聞いたぜ。いつまでもつか……」
 貧相な農民丸出しの俺たちとは違って、同行する集団はしっかりした装備と十分な食料などを馬車に積んでいる。彼等のほとんどが経験豊富な冒険者や傭兵で、みんなブランヴェリ公に雇われたそうだ。しかしそれも、資金が尽きれは解散しなくてはならないだろう。
「ほぉおん。あんなに若いのに、しっかりしたお嬢さんなんだな」
「ブランヴェリ公爵家って、何代か前の王様のお妃様のご実家じゃなかったか?」
「そんなに偉い家系なのに、国王様も容赦ないな」
 イマイチ現実感の薄い田舎の農民たちの反応に、俺もぐるりと首をまわした。
(宮廷闘争に負けたのか。だからって、普通、公爵本人が危険地帯に行くか? あの子、どうみてもまだ十代だろう。せいぜい高校生くらいかな)
 大人びた雰囲気のご令嬢だが、長い黒髪に囲まれたクールな美貌には、まだわずかに甘さが残っている。それでも、魔境に赴任するにあたり、できる限り戦力を集めているので、有能だという噂に間違いはないようだ。このまま成長すれば、女傑と称えられるかもしれない。
 ……王都の豪邸にひきこもっているフーバー侯爵に、爪の垢でも煎じて飲ませたい。
(将来有望な若者を、しかも女の子を死地に送るなんて、この国の上層部の嫌らしい質がうかがい知れるな)
 腐臭を嗅いだ気分になった俺は、杖代わりに寄りかかっていた鋤を担ぎ直して隊列に戻った。
 その時、馬車の御者台から、緑色の双眸がこちらを凝視していたことにも気づかずに。

 王都を出発してからは、意外と快適な旅だった。
 というのも、あのうら若きブランヴェリ公爵代行閣下が非常にできたお人で、俺たちフーバー侯爵家の郎党にも気を配ってくださっているからだ。
「なんとも、お優しい方だなぁ」
「こういう人こそ、領主になっていていただきたいもんだが」
 わずかばかりの携帯食で過ごそうとしていた俺たちにも、肉や野菜がたっぷり入ったスープを毎日のように振る舞ってくれる。そりゃあ人気も出るってもんだ。
「サルヴィア様ご自身も、冒険者の経験があるからな。軍務経験がなくても、士気を落とさせない方法を、よくわかってらっしゃる」
「俺たちだって、野営でこんなに豪華な飯にありつけることはないよ」
 旅慣れた冒険者たちと車座になり、しっかりと塩味が付いた滋味深いスープをガツガツとかき込む。さいわい、天候には恵まれているが、夏の日差しの下での行軍は体力を消耗する。
(うまー。サルヴィア様って、優しくて、いい子だなぁ)
 サルヴィア・アレネース・ブランヴェリは、まだ十六歳の末子ではあるものの、兄たちの推薦を受けて公爵位を継いだらしい。それだけ優秀なのだろう。
(あれ? この国って、女に爵位の継承権あったんだ?)
 田舎暮らしなので、貴族の法律には疎い。王位の継承は男だけだったはずなので、貴族もそうなのかと思っていたが、意外と柔軟なのかもしれない。
 食べ終わった俺は食器を片付けながら、野営集団の端から、中央に陣取る特製の天幕をながめた。まわりには馬車が停められていて、冒険者らしい見張りが立っている。
「お抱えの衛士とかじゃないんだな」
 公爵家のお嬢さんの護衛なのに、ずいぶんと違和感がある。
「ブランヴェリ家の兵士は、ほとんど国境にいるって話だ。三男のフィラルド様が、難民キャンプを管理していらっしゃるから、その護衛だな。王家の命令でやってるわけじゃないから、助けもほとんどないし、大変なんだよ」
「えっ、自主的に?」
「おう。先代様ご夫婦もたいそう慈悲深い方々だったから、血筋か、そうでないなら家訓なのかもな。それに、サルヴィア様もああ見えて、俺たちよりも強いぜ。舐めた奴が、何人ぶっ飛ばされたことか」
「へぇ〜」
 ベテラン冒険者らしい髭面のおっさんに教えてもらい、俺は素直に感心した。ブランヴェリ家の実直さや公共に奉仕する精神は称賛に値する。それが貴族社会においてどんな感情を引き起こすのかは別として、金を出し、人を出し、弱者を救済しようと行動する姿は、まさしくノブレス・オブリージュと言ったところか。
「ん? ……悪い、もう少し聞いていいか? もしかして、王家は、この戦争で出た難民に対して、なんにもしてないってことか?」
「当たり前だろ」
「はぁ!? 自分たちの領土にしたのに!?」
「だから、ブランヴェリ公爵家の領地にしたんだろうよ。全部押し付けたんだ」
「……」
 絶句した俺の肩を、おっさんはぽんぽんと叩いた。
「フーバー侯爵家がダメダメだってのは、お前さんも知っているだろう? 王家はあの細っこい両肩に、面倒事をぜぇんぶ乗せやがったんだよ」
「ふ、ふざけやがって……ッ!」
 目元や頬までカッと熱くなるほどの義憤にかられた俺を、おっさんがもう一度宥めるように叩いた。
「俺たちに、貴族のあれこれをどうにかできるわけもない。ただ、この先は生き残れ。そうでないと、サルヴィア様が責任を感じちまう」
「……わかった。肝に銘じておく」
 やりきれない憤懣を腹の底に押し込んで、俺は頷いた。
 ここに集まった冒険者や傭兵たちは、報酬目当てではあるのだろうけれど、きっとサルヴィア嬢の人徳が大きいのだろう。助けてあげたい、支えてあげたいと集まってきた猛者たちの邪魔にならないよう、俺たち非力な農民は、なるべくかたまって大人しくしていることにした。