第一幕・第四話 若村長と神聖魔法
王都から南下して、旧ディアネスト王国との国境を目指して五日目。この道程で最も大きな町であるラベラに到着した。リグラーダ辺境伯のお膝元で、ここを抜けると、あとは国境まで一日半だ。
ラベラの町は城壁に囲まれた巨大な砦の中にあって、俺たちも入れてもらえた。つい先日までエルフィンターク軍が駐留していた、簡易宿泊所まで使っていいというお達しだ。 「悪い、ちょっと抜ける」 「どこに行くんだ?」 「教会だよ。村を出てから、お祈りに行っていない」 「ほぉ、熱心なことだ」 俺は同行者たちに断って、一人でラベラの街中へ歩き出した。背の高い鐘楼を目指して歩き、赤い屋根の立派な教会を見つけると、分厚い木の扉をくぐり抜けて入った。 (ふわぁ、広いなぁ) お上りさん丸出しであちこち眺めながら、回廊を抜けて礼拝堂へ。ずらりと並ぶ長椅子の向こうに、輝くように美しい女神アスヴァトルドの白い石像が鎮座している。村の木像とは大違いで、美術品としての価値も高そうだ。 (天井たっか) 王都の大神殿よりは小さいのだろうけれど、それでも見上げた天井は二階分以上あり、柱から伸びるアーチ状の梁で支えられている。よく見ると、神話モチーフらしい優美な絵が描かれているようだ。 (ああいうの、フレスコ画って言うんだっけ? フレスコって何か知らないけど) 前世であったフレスコ画と同じ物なのかはわからないが、鮮やかな発色の天井画は、少ない自然光しかない屋内でも見ることができた。 俺は信徒や神官たちの間を縫って空いているところを探したが、タイミングが悪かったのか信徒席はごった返し、神官たちも忙しそうにしている。 (困ったな) ここから出て、もう少し小さい教会を探そうかと踵を返した。 「よかった、やっと見つけた」 「え?」 冗談のように人波が割れる中を、つかつかと歩いてくる影が、俺の目の前でぴたりと止まった。 「ここは人が多いわ。むこうに貴賓用の礼拝室があるから、行きましょう」 緑色の双眸が真っ直ぐに俺を見ているのだから、これは俺に向けて言われたことなのだろう。 ぽかんとしたままの俺を促して、ブランヴェリ公爵代行サルヴィア嬢は良い姿勢のまま、また勝手に割れる人波の中を歩きだした。 「時間が惜しいの。お急ぎくださる?」 「え、あ……ぁ、はい」 俺は慌てて、その細い背中を追いかけた。いまさらなことだが、汗や埃だらけな体を拭ってから来ればよかったと後悔した。 サルヴィア嬢に案内されて来た貴賓用の礼拝室には、小ぢんまりとは言い難い、立派な祭壇が設えてあった。 「お茶も出せずに申し訳ないわ。ああ、わたくしと二人きりだからといって、心配なさらなくて結構よ」 侍女らしき中年の女性を扉の側に待機させると、サルヴィア嬢は手ずから椅子を引っ張ってきて、俺にも座るよう示した。 「し、失礼します……」 まるで面接だな、と頭の隅で前世を思い出しながら、俺は緊張の汗がにじんだ手を握りしめて、彫刻入りの高そうな椅子に腰かけた。 「ご存じかもしれないけれど、わたくしがサルヴィア・アレネース・ブランヴェリです。公爵代行という肩書がありますけれど、ただの若輩ですわ。この度、旧ディアネスト王国領の大部分を領地として賜ったので、貴方も同行している開拓団を率いております。……貴方のお名前は、リヒターで間違いないかしら?」 「は、はいっ」 俺は緊張で乾いた喉を我慢しながらコクコクと頷き、日ごろ言えていなかった礼を伝えた。 「俺たちにも毎日スープを振る舞ってくださって、感謝しています。おかげさまで、栄養不足の者も脱落しないでついていけています」 「あら、それはよかったわ」 少し照れたように、嬉しそうに目元をほころばせた笑顔は、本当に可愛らしくて、俺は緊張とは別の動悸をおこした胸に慌てた。落ち着け。いくらすごく可愛くて、女子高生くらいの年齢とはいえ、相手は貴族の中で一番偉い公爵様だ。下手なことを言えば、物理的に首が飛ぶ。 「それで、単刀直入で申し訳ないのですけれど、わたくしに力を貸していただけないかしら。具体的に言うと、貴方が使える神聖魔法で」 「えっ……」 俺は思わず、目の前の令嬢を凝視してしまった。 (なんで知っている!? 誰にも言ったことないし、村を出てからは回復魔法すら使っていなかったぞ!) 呼吸すら忘れて固まってしまった俺の前で、サルヴィア嬢はレエス編みの扇を広げて表情を隠した。 「できれば他言していただきたくないのですけれど、わたくし、【鑑定】を持っておりますの」 「ああ、 納得だ。それなら俺のステータスも丸わかりだろう。 きゅっと微妙な角度に眉を上げたサルヴィア嬢に、俺は頷いて素直に話した。 「神聖魔法は持っているけれど、使い方がわかりません。育った村から、ほとんど出たことがなくて……」 「そうだと思いましたわ。レベルが低すぎますもの。読み書きは出来て?」 「それは大丈夫です」 養父から、読み書きと簡単な計算は習っていた。前世の記憶が戻ってからは、もっと複雑な筆記や計算ができるようになったけどな。 「ここに、神聖魔法の初歩教材があります。魔境に行くにあたって、わたくしにもできるか試してみたのですけれど、さすがに適性が無くて 差し出されたのは、本……というより冊子に近い薄さの教本。小学校低学年で渡される教科書みたいだ。 (……あれ、これ教科書じゃなくてノートだ) ぱらぱらとめくって現れたのは、手書きの文章。それも、宗教家が話すような神話や概念や教訓などではなく、実践的な魔法の効果をまとめたものだ。 「これは、閣下が書いたのですか?」 「ええ。あまり字が綺麗な方ではないから、ちょっと恥ずかしいんですけど」 「そんなことないですよ。とても読みやすいし、わかりやすいです」 これはおそらく、サルヴィア嬢が元の教本から必要なところだけを抜き出したレジュメだ。綺麗な字じゃないなんて謙遜するが、普通に読みやすい字だ。手紙の宛名でもあるまいし、自分用のノートの字なんてこんなもんだろう。養父の癖字に比べたら、雲泥の差だ。 (ふむふむ、基本的に浄化作用のある魔法なんだな) 悪霊や邪妖精を近寄らせない光を灯す魔法、汚染された水をきれいな飲み水にする魔法、鼓舞や防衛の魔法、そして、瘴気を除去する魔法……。 (これを適性のない自分でも覚えようとしたのか。すごい努力家だな) だが、自分よりも向いている人材に、素直に仕事を渡せるのも、また良いところだ。 「閣下、これらの魔法に、発動させるための決まった文言はないのですね?」 「ええ。他系統の魔法と同じで、自分がイメージしやすければそれでいいし、無詠唱でも出来る人はいるわ」 「わかりました」 俺は教本を片手に開いたまま、もう片方の手で人差し指を立てた。 「ライト」 ふわっとした握りこぶし大の光が指先に灯り、やがて俺たちのまわりをすいすいと飛び始めた。 「これで、いいんだろうか……?」 「すごいですわ。一回でできるなんて、さすが……」 その先は扇に遮られて聞こえなかったが、サルヴィア嬢の期待には応えられそうだ。 「水はここにないから……この、バフならわかるかな?」 頑張り屋な公爵代行に女神の加護があらんことを、という思いを言葉に載せる。 「ブレス」 「!?」 びくん、と緑色の目が真ん丸に見開かれたので、これも成功したようだ。 「どうでしょうか?」 「う、ぁ……あの、びっ……お、驚きましたわ!」 いま、びっくりしたって言いかけたな。 「そんなに変わりましたか?」 「ええ、ええ!」 すごい勢いで頷かれたので、試しに無詠唱で自分にもかけてみると……なるほど。 (なんとなーく気分が上がるな。これも浄化系統ってことは、デバフを打ち消すことができるのかもな) ぐっと前向きな気分になるというか、力が湧いてくるような気がする。実際にどのくらい力が上がっているのかなんてわからないけど。 まあ、初めてならこんなもんだろうし、無詠唱でも出来るのはわかった。 「わかりました。このまま修練を積んで、瘴気を浄化できるようになればいいんですね?」 「お願いできるかしら」 向けられる強い眼差しに、俺はしっかりと頷いた。 「もちろんです」 これは俺の生存確率を上げるという点でも、断るなんて選択肢はない。 「ただ、ひとつお願いがあります。魔法を扱う基礎を教えてくれる人をつけてもらえませんか? 俺はいままで、魔法の訓練をした事がありません。加減がわからないというか……MP切れ、じゃない。えーっと、限界がわからないと言いますか……」 俺のまどろっこしい説明でも伝わったのか、サルヴィア嬢は扇を畳んでぽんと手を打った。 「ええ、構いませんわ。貴方に倒れられて困るのは、わたくしたちですもの。教師の第一候補はわたくしですが……」 「ちょっ、それは……! どうか、ご容赦を」 いくらなんでも、それはまわりの目が怖い。アンタは一応、王族に次ぐ身分の持ち主で、この開拓団の団長、司令官だろうが。 それなのに、サルヴィア嬢は「わたくしが一番魔法が上手で強いのですけれどねえ」などと言って頬に手を当てている。勘弁してくれ。 「まあ、わたくしは『限界は超えるもの』というスタンスで鍛えてまいりましたので、人に教えるのは向いていないかもしれませんわ。わかりました、冒険者や傭兵の方々の中で、教導が上手な方をおつけします」 「あ、ありがとうございます……」 限界は超えるもの? なにこのマッチョ思考なお嬢様。怖い。 「では、追ってご連絡を差し上げます。わたくしはこれから、リグラーダ辺境伯に会わねばなりませんので」 やっぱり忙しい人だ、公爵代行って。 「はい。ご期待に沿えるよう、頑張ります」 失礼します、と立ち上がった俺に、サルヴィア嬢もすっと立ち上がった。動作ひとつとっても綺麗な人だ。 「あ、一番大切なことを言っていませんでした」 「なんでしょう?」 俺が見返した先で、サルヴィア嬢は苦し気に目の下にしわを刻んでいた。 「リヒター、貴方のアビリティのひとつである【身代わりの奇跡】。これだけは、使ってはなりません」 「え……」 「よろしいですね。絶対に、使わないでくださいませ」 「は、はぁ……」 ぐっと力の込められた低い声での懇願に、俺はわけもわからず、頷くことしかできなかった。 |