公爵令息サルヴィアのサバイバル男の娘生活 ―3―


 謎の行商人ホープに遭遇してから、思い出すだけで僕のつるんとしたお腹はしくしくした。いつ悪いことが起こるか気が気じゃないんだもん。
 あの日、ホープは挨拶だけして、お母様はホープから何も買わなかった。僕も話しかけてみたけど、もう少し大きくなってからね、みたいなことを言われて終了。
 なんでわざわざ取引できないか話しかけたかと言うと、ゲームではホープに遭遇すると必ず悪いことが起こるが、ホープだけが持っているレアアイテムやお役立ちアイテムを、時価で販売してくれるのだ。
(レアアイテムを安く買えればラッキーだけど、そうじゃなければ完全にお邪魔キャラだ)
 いますぐ欲しいレアアイテムの時価がバリクソ高かったとか、試験の答案用紙に名前を書き忘れたことになって評価が落ちたとか、せっかく買った消耗品を「どこかに落としてきた」扱いになってロストしたとか、デートの日なのに寝坊して攻略対象の好感度が落ちたとか、そういう、ちまちましているけど猛烈に腹が立つ悪いことが起こる仕様なので、コアなファンでもなければたいていホープの事は「あいつか・・・・・・」というテンションでの話になるキャラだ。
(そういえば、ホープって何歳なんだろうな?)
 『フラ君』シリーズは、実は内部でストーリーが繋がっている。マルチエンディングだけど、そのうちのひとつが史実として、次の作品に受け継がれているんだ。だから、僕がいる三作目の時間軸は、一作目からはそれなりに時間が経過しているはずなんだけど・・・・・・。
(ゲームでも全然ビジュアルが変わってなかったからな。あいつたぶん人間じゃない)
 ホープを人外だと勝手に決めつけておいて、僕はお父様たちに惜しまれながら、王都からブランヴェリ領パッファリアに帰った。幸い、心配していた悪いことは起きなかった。
(まだゲーム開始時期じゃなかったからかな・・・・・・よかった)
 ・・・・・・なんて思っていた時期が、僕にもありました。あの頃、僕には見えない場所で悪いことが進行していたなんて、わかるはずがない。

 なんかおかしいなと僕が気付いたのは、それから五年以上たってから。実際に厄災の渦に巻き込まれたのは、十年も後だった。
 この国と周辺の歴史を学んでいた僕は、開いた口が塞がらなくなった。
(歴史が変わってる!?)
 『フラ君』シリーズは、マルチエンディングの内のひとつが史実となって、次回作に繋がっている。だけど、この世界ではその史実が、ゲームとは違っていたんだ。
 僕は慌てて『フラ君』の一作目と二作目の舞台になった、隣国ディアネストの近代史を確認した。ゲームの史実では、一作目の主人公が第二王子と結ばれて子供をもうけたが、先代の大公・・・・・・つまり、ゲームの攻略対象である第二王子は、主人公とは別の女性を妃にむかえていた。
(デフォルト名じゃないのか?)
 しかし、お妃様は身元のしっかりした貴婦人で、ゲームの主人公である少女ではないし、ライバルキャラの一人でもなかった。
(これ大丈夫か?いや、ヤバいだろ)
 一作目のエンディングが変わっているという事は、二作目で登場する人物が変わってしまうという事だ。生まれているはずの人がいなくて、ストーリーに齟齬や詰まりができてしまう。
 僕は家庭教師のシュルツ先生や、ディアネスト王国に留学している三番目のお兄様フィラルドに頼んで、『フラ君』登場人物がどうなったのか調べてもらった。貴族とか名のある一部しかわからなかったけど、それでも重要なことがいくつも浮かび上がってきた。
 特に、二作目の主人公になるはずの女児が、一作目主人公による聖女の祝福がなくて病死してしまっていたのが衝撃だった。それから、一作目に登場するライバルキャラのマチルダと結婚するはずの、攻略対象王国騎士ゼファーが破滅エンドで死んでしまっているらしく、雷光の騎士リンジェルが生まれていない。さらに、伯爵令嬢イーリスが婚約破棄を受けて、婚約者の後ろ盾だった王家と不仲になり、実家が取り潰されてしまっている。これでは聖者リヒターが世に出てこられない。
(不味いぞ。リンジェルとリヒターがいないと、スタンピードが抑えられない)
 二作目の山場である魔物の氾濫は、主人公がダンジョンにいる魔王との絆を深めきれないと大規模に起こる。このスタンピードをリンジェルとリヒターが命懸けで食い止めるのだが、ストーリーモードの破滅エンドが確定するとリヒターが死んでしまうのだ。
(その犠牲すらも贖えないんじゃ、ディアネストは滅びかねないぞ。最低でも国土の半分は氾濫に呑まれるはずだって、ゲームでは言っていた。スタンピードが起こるまで、たぶんもう時間がない。フィラルド兄様には出来るだけ早く戻るように言っておかないと!)
 幼過ぎる自分がもどかしい。
 この世界が『フラ君』とそっくりで、だけど歴史が変わってしまっているなんて、誰も信じてくれないだろう。僕がスタンピードを予見したって、子供の妄想だって片付けられるに違いない。悪い夢でも見たんだろうって。
(・・・・・・変に騒いだら、病気扱いされて成長しても幽閉されるかもしれない。いま僕にできることは少ないけど、できるだけ力を蓄えよう)
 僕は相変わらずブランヴェリ公爵領で過ごしていたけれど、屋敷の図書室はたくさんの本で埋まり、家庭教師からは貴族学院でも魔法学園でも、もちろん王立高等学院でも入学できると太鼓判を押された。マナーやダンスを教えてくれている貴婦人は、デビュタントはまだかとやきもきしているようだ。
「みなさま、ごきげんよう」
 艶やかで真っ直ぐな長い黒髪、濃い睫毛に縁どられた緑色の目は、愛嬌よりも叡智を感じさせる。角ばっていない鼻梁やすっきりとした眉目はほどよく影が出て、白い肌はみずみずしく張りがある。女性にしてはやや低いかすれ気味の声は、自信をもってしゃべることでとてもセクシーに聞こえた。
 十四歳を迎える僕は、おじい様やお父様からのプレゼントであるドレスや宝飾品を身に着けて、優雅に微笑んでみせた。鏡に向かって、だが。
「あーーー!!もうっ、入学式まだぁ???」
 残念ながら、まだだ。ゲームの舞台である王立高等学院に入学するのは、来年の春だ。
(くっそぅ、早く王都で情報収集したいけど、王都に行ったら修行も冒険者も自分のペースでできなくなる)
 そう、冒険者。ロマンあふれる職業だが、実はゲーム内でもギルドに登録される。冒険者として通貨を稼いだり、学内イベント以外でも名声を上げたりできるシステムだった。
 僕はパッファリアにある冒険者ギルドを訪れた際に説明を受けて、ゲーム時には気付かなかった穴を見つけた。冒険者に登録する時は、簡単な書類と魔力登録が必要だ。この魔力登録で個人を識別できるようになっているのだが、なんとダブって登録ができた。
 そんなまさかな、と僕も思ったけれど、魔力登録の時に流す属性を変えただけで出来てしまったんだ。普通はそんなこと考えないでやるし、ゲームの中では勝手に登録されて属性も固定表示されていたから気付かなかったんだ。この世界には、ほとんど魔力を持たない人もいる。そんな人がどうやって登録しているのかと思ったら、書類上で魔力なし申告をして、全部無属性とされていたんだ。
(システムとしてガバガバすぎだろ!!)
 ガバガバでも、今の僕には都合がいい。サルヴィアの名義ではゲームと同じ火属性。もうひとつ、無属性で、セージという名前の男性で登録してある。自分の魔力が外に出ないようにできるだけ締め上げておいて、身体強化魔法を使う時の呼吸をしたら、微弱な魔力を拾ったのか、あっさりと無属性で通った。赤ちゃんの時からがんばって魔力操作を鍛えていた僕、さすが。
 そういうわけで、僕は公爵令嬢と新人冒険者の二足草鞋を履くことにした。サルヴィアは学院に入ってからランクを上げないと怪しまれるから、もっぱらセージとして地味に活動していた。サルヴィアとしての生活もあるから、週に三日も活動できればいいだろう。
 僕がこの世界は『フラ君』とは違う歴史を歩み始めていると気が付いて一年後、いまから三年前になるけれど、ディアネスト王国でついにスタンピードが観測された。ランクの高い冒険者がディアネストに集められたけど、全然歯止めが利かないまま、被害だけが大きくなっているらしい。そのせいで、エルフィンターク王国内にいる、戦える冒険者の数も激減していた。
(人手不足だからな。パッファリアの町には世話になっているし、もっと冒険者活動を増やしたいなぁ)
 だけど、僕ももう来年には王都に行かなければならない。
 僕も死んだときは若いと言えたけど、それにしても子供の頭と体ってすごいね。たぶん、サルヴィアのポテンシャルがそもそも高いんだとも思うけど。まだ入学もしていない学院を卒業出来るくらいの知識を詰め込んで、令嬢の義務として貴族名鑑まで覚えた。王都へ行ってからの準備は万端だ。
 じりじりとした気持ちを抱えて、領地の屋敷にいる最後の年を過ごしていた僕だったが、凶報を受けて急遽王都に上がることになった。

 ―― ブランヴェリ公一族暗殺事件

 僕は、ゲーム期間開始直前に、最大の後ろ盾を失ってしまった。