公爵令息サルヴィアのサバイバル男の娘生活 ―2―


 僕は三歳になるまで、お母様と会うことはなかった。僕だけ家族と別れて、領地の屋敷に住んでいたんだ。他のみんなは、王都にある屋敷に住んでいるんだって。僕だけのびのびとスローライフだ。おかげで、静かな環境でこっそりやる魔力操作の鍛錬が捗った。それ以外は、毎日転がるように屋敷の中や庭を走り回って、美味しいご飯をお腹いっぱい食べて、昼も夜も眠くなったら即爆睡。実に健康的。幼児にとっては、体力づくりも立派な鍛錬だ。
 この屋敷があるのは、パッファリアという地方都市だ。領地運営をするための領主館は、ペローザという別の町にあるけれど、パッファリアの屋敷と同様、今はあまり使われていないらしい。
 パッファリアは大きな街道が交わる重要な場所らしいのだが、まだ屋敷から出たことがないので、どのくらいの規模の都市なのかわからない。屋敷は見晴らしのよい高台に建っているはずなんだけど、なにしろ僕が小さいので、窓の外もよく見えないのだ。
 命の危険があったから、お母様には会わなくていいし、ナニーや使用人たちが構ってくれるので、この屋敷での生活は寂しくなかった。それに、たまにだけれど、お父様とお兄様たちが領地にきて遊んでくれた。
 フリフリの女の子服を着せられた僕を見て、お父様は複雑そうな顔をされていたけど、僕が人見知りせずに懐いたら表情が柔らかくなった。お父様は公爵家の次期当主なので忙しいし、お母様があのぶっ壊れ具合なのでお疲れなのだろう。僕は病弱だから領地の外に出られない、という設定らしい。
 お兄様たちの名前は、上からロディアス、ダニエル、フィラルド、マーティン。どいつもまだガキンチョだけど、ロディアスは中学生くらいなのでだいぶ落ち着いている。長男で跡継ぎだから、プレッシャーもあるんだろうな。ゲームには年の近いマーティンだけが攻略対象として登場していたので、全員と仲良くなるのは結構楽しかった。前世の僕には、男兄弟がいなかったからさ。
 サルヴィアは「可愛い」「賢い」「お転婆」「生意気」「魔力馬鹿」と、それぞれに評価をいただいたけど、どれも正解だ!齢三歳にしてお嬢様の高笑いができるようになったんだぞ、すごいだろう!
(はぁ・・・・・・それにしても憂鬱だ)
 ついにお母様との面会がセッティングされて、僕は胃が痛い。初めての王都への旅行だけど、わくわくする気持ちは半分以下だ。相変わらずフリフリのドレスを着て、ストレートの黒髪はダサくないように毛先だけコテで巻いて、レースのリボンでハーフアップにされている。うん、可愛いぞ、僕。
 地方のちょっと古めかしい屋敷とは比べものにならない、白亜の大豪邸の前で降ろされた僕は、お父様の執事に抱っこされてリビングにむかった。お供で付いてきた二人のナニーは、僕たちの荷物を部屋に運んでいる。
「奥様、サルヴィアお嬢様が到着されました」
 僕の緊張は最高潮で、心臓がばっくんばっくん鳴っていた。執事の服を握りしめた手に汗をかいている。正直、こんなにトラウマになっているとは思わなかった。
「大丈夫です。サルヴィア様は、とてもとても愛らしくていらっしゃいます」
 ひそひそと耳元で囁かれた低い声に、僕の震えがすっとおさまっていった。もう一度、大丈夫です、と囁かれて背中を撫でられ、この執事は僕を見捨てないだろうと安心した。
(毎日一生懸命練習した。僕ならできる)
 僕は背の高い執事の腕から降り、ふかふかした絨毯の上をよちよちと進んだ。
「おかあさま、ごきげんうるわしゅう。サルヴィアがまいりました」
 カーテシーは幼児体系のせいで重心が安定しなくて難しいが、スカートをつまんで深々とお辞儀をした。椅子から流れ落ちる、薄青いシルクのドレスの裾が見える。
「あぁ、そう」
(・・・・・・それだけ?)
 久しぶりに聞いたお母様の声だったけど、はじめに聞いた金切り声とは違って、ずいぶんあっさりとしている。
 僕は礼からなおって、椅子に座った貴婦人を見上げた。
「・・・・・・・・・・・・」
 綺麗な人だと思った。でも、僕の事は一応視界には入っているけど、興味はないみたいだ。
(心ここにあらずって感じ。まあ、変に絡まれても嫌だし、よかった)
「し、しつれいします」
 用は済んだとばかりに、僕はとてとてと執事に駆け寄った。
「サルヴィア」
「へ?ぁ、はひっ!」
 かんじゃった。
「・・・・・・明日、母と買い物に行きましょう」
「え、ぁ・・・・・・は、はい!ありがとうございます!」
 こっちを見た灰色の目に射すくめられて、僕は執事に抱きかかえられるまで動けなかった。肝が縮みあがるって、ああいう時の事を言うんだなって実感したよ。股間がヒュッてなったんだ・・・・・・。

 夕食の席で、僕は初めておじい様と対面した。おじい様は当代のブランヴェリ公爵で、先々代の国王様のお妃さまの末の弟なんだって。つまり、いまの王様の大叔父にあたる。サルヴィアの実家って、思ってたよりすごかったんだな・・・・・・。
 初めて知ったんだけど、お父様は下級貴族からの婿養子で、爵位の継承順位は、お父様じゃなくて一番上のお兄様のロディアスが一位だった。ダディ、そんなに立場弱かったのか。
 でも、おじい様はお父様の事をすごく頼りにしているみたいだ。たぶん、身分よりも優秀さを取ったんだろうな。仕事の話も社交の話もぽんぽん受け答えしているし、仲良さそう。
 初めての一家団欒で、僕はお兄様たちに構われながら、美味しく食事を済ませた。・・・・・・でも、お母様の空気が冷え切っていて怖い。
 そりゃそうだよねー。まわり見事に男ばっかりだもん。女の子ほしかったって言われても、これはちょっと納得しちゃうよ。僕も前世で、父さんを除けば女の人に囲まれていたからなぁ・・・・・・。
 だから、夕食後におじい様の書斎でお話を聞いていて、おじい様やお父様が僕に全部背負わせちゃって気に病んでいるのを、お膝の上に座らせてもらったまま、大丈夫ですよって言ってあげるしかなかった。
「サルヴィアは、なにもつらくありません。サルヴィアのおやしきは、みんなやさしくて、だいすきです。でも、おじいさまやおとうさまたちにあえないのは、ちょっとさみしいです。もっとおおきくなったら、サルヴィアもおうとにきていいですか?」
 おじい様とお父様、ノックアウト。だって僕、めちゃくちゃ可愛いんだもん。領地のお屋敷も、人を増やして、僕用の本を王都からたくさん送ってくれるって!ラッキー!これでレベルアップがまた捗ってしまうよ。わっはっ・・・・・・んんっ、おほほほほ。

 翌日、僕は約束通りにお母様と買い物に出かけた。馬車でやってきたのは、たぶん高級店が並んでいるような所だと思う。
(ここからここまで全部、とか言うのかな?)
 普段はお店の人が屋敷に来るから、僕らのようにお金を持っている貴族は、あまり店舗には行かないんだ。既製品なんて買わずに、オーダーメイドや一点物ばっかりだからね。
 ちょっとユニセックスな雰囲気の宝飾店に入って、揉み手をする勢いの店員と慣れた様子のお母様を、僕はぽけーっと眺めていた。高級店には違いないんだろうけど、あんまりお母様の雰囲気に合うお店じゃないんだよ。
「おや、サーシャ様ではありませんか。お久しぶりです」
 僕の後ろ、店の入り口の方から聞こえた若い男の声に、僕はぞっと背筋が震えるのを感じた。柔らかくて甘いのに、なんとなくねっとりした冷たさがある声だ。聞いたことあるぞ、この声は・・・・・・!
「ホープ。久しぶりね」
(マジかよぉっ!・・・・・・勘弁してくれ!!)
 暗い青色の髪をした糸目の青年が、お母様の手を取って甲にキスをしている。僕は絶望に、思わず顔を覆ってしまった。あいつは『フラ君』シリーズの定番キャラ、ランダム発生のイベントに引っかかると必ず悪いことが起こる、謎の行商人ホープだ。