小鳥遊先生の作戦勝ち


 どうぞ、と渡されたので受け取ってしまったが、黒光りするその物体は、どうみてもバラ鞭だ。言い換えてみても、ちょっと特殊な大人の玩具に相違ない。
「・・・・・・え?」
「持っているだけで十分らしいですよ。さあ、私にそれを近付けないでください」
 それ、と示されたのは、目を輝かせて鼻息荒くご褒美を待つドM。
「え?久しぶりに来たら、いきなりコレ?」
「ダンテさんに他の需要があるとでも?」
「うわ、なんかすごく酷い事を言われたのはわかる。友達に言っていいセリフじゃないと思うぞ、レパルス」
 手に持った鞭を担ぐようにとんとんと肩を叩けば、束になった鞭先がばらばらと揺れる。それをガン見している視線に気付かないふりをして、ダンテは手首を回してひゅんひゅんと鞭に空を切らせた。
「持っているだけでいいって、罵倒しなくてもいいの?俺の今までの苦労は何だったんだ・・・・・・」
「そういうことらしいので、私はこれで」
「おーい、たまには俺とも遊べよ、レパルス」
「お断りします」
 レパルスはきっぱりと拒絶の空気を醸し出し、くるりと背を向けて歩き去っていく。大和はそれを名残惜しそうに見送っていたが、ダンテがエノコログサでも振るように手首をひるがえせば、ふらふらと寄ってくる。
「なるほど」
「納得しないでください。僕は猫じゃ・・・・・・あっ、あっ」
「ネコなのは間違いないでしょ」
「時と、場合に、よりますっ」
「はいはい」
「あぁっ、あの、僕、ダンテさんに、お願いがっ・・・・・・」
「うん?」
 ダンテがぱたっと鞭を振るのをやめると、大和はその場に崩れるようにうずくまった。むしろ、土下座である。
「落ち着いて話したいので、ひとまずおかけください」
 かける椅子は見当たらず、ダンテは大和の背に腰を落ち着けた。
「あっ、ありがとうございます!!こうしてすんなり座っていただけるのは、ダンテさんだけなんですよ!本当にありがとうございます!!」
「こういうやり取りも、なんだか久しぶりだなぁ」
「さらに、お手持ちの鞭で殴っていただいても結構ですよ。マゾのサマーバーゲン中です。さあ、ご遠慮なく」
「・・・・・・それで、話っているのは、なぁに?」
 落ち着いて話したいと言い出したのは大和だが、ダンテの尻の下で気持ちよさそうに悶えているので、なかなか話が始まらない。ダンテはひょいと手首をひるがえして、パシンと大和の尻を鞭で打った。
「ひゃんっ!」
「はい、用件を言って」
「えぇっと、ご相談したいことがあります。風が吹けば桶屋が儲かる的な、まわりまわる事情があるのですが、最終的なダンテさんへの報酬として、僕のおごりで豪華ディナーと僕を一晩お付けします」
「ふむ」
 あらためてよい報酬が付くということは、それなりの苦労を覚悟しろということか。その前提を踏まえて、ダンテは鞭を振るって大和に話の続きを促した。


 ご都合主義な謎空間のある所に、猿轡をかまされたうえ手足を縛られたダンテが、大きなウォーターベッドに転がされている。
「おやぁ、珍しいものが転がっていますよぉ☆」
 それを見つけたルイスは、面白そうなおもちゃで遊ぼうと近付いた。
「あれ?」
 ところがこのダンテには、『サマンサさんのお薬が効くまで待機中。お触り厳禁です! 大和』という看板が掛けられている。
「う〜ん、困りましたねえ☆」
 困ったどころか、むしろ楽しそうな様子のルイスは、じたばたともがいている獲物を、どうやって文句を言われないように確保しようかと思案した。
「うー、うぅー!」
「あは☆いい眺めですね〜。とりあえず、なにを囀っているのか聞いてみましょう」
 ルイスが猿轡を取ってあげると、ダンテは大きく息をついて、ルイスに警告した。
「罠だ、逃げろ!」
「はい?」
 意外な人から意外なセリフを聞いて、ルイスは柔らかなプラチナブロンドを揺らしながら小首をかしげる。
「僕を遠ざけようと考えるにしても、もうちょっとマシな文句を考えてください。名坂支部には、僕を捕まえようなんて考える人はいませんよ。僕が捕まえようとする人は、時々発生しますけど」
 それとも、もう頭までお薬がまわっているんですかぁ?と、ルイスは愛用の鞭でダンテの頬をつつく。ダンテの目元から、いつもの穏やかな緩さが、すぅっと消えていくと、ルイスは嗜虐に満ちたクスクス笑いを抑えることができなかった。
「いいですねえ☆そういう顔をしていただかないと、面白くありませ・・・・・・」

ばさっ

「ん?」
 頭上から降ってきた網は大きく、ルイスは自分にまとわりつく目の粗い網を手繰ろうともがいた。そうしているうちに、広がっていた網の端が、逃げられないように足元でぎゅっと縮まってしまった。
「えっ、えっ・・・・・・!?」
「ありがとう、従兄さん」
「どういたしまして。小鳥遊の納涼会、僕の代わりに上手くやってくださいね」
「もちろんだ。任せてもらおう」
「そのあとは、ルイスさんのお仕事ですから!」
 頑張ってくださいね、と満面の笑顔で言い切る小鳥遊大和を問い詰めるまでもなく、ルイスは自分の背後にいるのが小鳥遊霞だと理解した。
「・・・・・・・・・・・・」
 ダンテは、自分は関係ないとでも言いたげに寝返りを打ち、縛られたままで、ウォーターベッドの上をぼよんぼよんと転がって逃げていく。
「まさか、本当に引っ掛かっていただけるとは。馬鹿馬鹿しいほど単純な罠ならワンチャンあるかも、というダンテさんの目論見は大当たりでしたね!」
「・・・・・・説明していただけますかぁ☆」
 作戦大成功トラトラトラと喜んでいる大和だが、ルイスはにっこり笑顔にぶちぶちと血管を浮き出させている。
「警告はした。俺は大和さんに、『ダンテならMr.ヴァリアントをどう引っ掛けるか』って聞かれたから答えただけだし。あと、俺が提案したのは、落とし穴だ」
「実行されたのが違う作戦だからって、関係ないわけないと思いますよぉ☆」
 絡まった網の目の間からズビシィッと鞭を振り抜いて、ルイスは引きつった笑顔でダンテを睨むが、逃げなかったルイスの責任だとダンテはそっぽを向く。
「やれやれ、僕は落とし穴に落ちるほど間抜けだと思われているんですかぁ?心外ですぅ☆」
「見事に引っ掛かっている分際で、負け犬の遠吠えだぞ、Mr.ヴァリアント」
「そういうダンテさんは、干し大根か荒巻鮭のようになっていますけど、そういうご趣味をおもちなんですかぁ?腕が鳴りますねぇ☆」
「あ゛?やるか?網にかかって動けなくなってる、間抜けなヴァリアントさんよ。ケツを地面から遠ざけたくてハイヒールを履いているって本当か?ブーブークッションか画鋲の上にでも座らされたのか。気の毒になぁ、酷いトラウマだ」
「どこからそんなデマが流れているんでしょう?質の悪いジョークを真に受けるなんて、そちらの諜報力もたかが知れていますね〜。品のないお口は石を詰め込んで縫い合わせるに限ります。時代遅れの牙ごと、砕いて差し上げますよぉ」
 バチバチと散る火花に被弾しないよう、大和と霞は慎重に距離を測っている。
「さすがは複雑な地中海を舞台に殴り合う人たちです。絡め手もさることながら、至近からの口撃力もハンパないですね」
「犬猿というより、まるでコブラとマングースだな」
 荒巻コブラと網入りマングースだが。
 たとえ「そこに霞がいる」などと本当のことを言ったところで、発言者がダンテでは、先ほどのようにルイスは信じないだろう。逆に、「大和さん助けて」などと言ったら、わざとらしすぎて怪しまれる可能性が高い。逃げろという警告は上手いやり方だ。餌を霞や大和自身にしたら、それはそれで嬉しいが、おそらく放置プレイをされるだけになってしまう。その間に、長門あたりに乱入されたりバラされたりしては困る。お互いに嫌っているものの、趣味に拷問を数えるルイスが、隠し事の多いダンテを放っておくかどうか・・・・・・。五分の賭けではあったが、我ながらいい釣り餌の人選だったと、大和は胸を張る思いだ。
「では従兄さん、また」
「はい。よろしくお願いします」
「えー☆困りますぅ。・・・・・・ちょっと、いつ僕に触っていいといいました〜?僕に尋問されたいなら、もっと丁寧に運んでください。そもそも、誘い方にだって、礼儀や、スマートな駆け引きというものがあるんです。ご存じないのですかぁ?だから童貞なんですよぉ。あなたごときが僕の手を取ろうなんて、三顧の礼でも足りません。わきまえてくださいね、童貞くん☆」
「はい、ご指導ありがとうございます」
 ルイスは四つん這いになって這いずっていく霞の背中に優雅に腰かけて運ばれていくが、網が絡まったままなのがやたらとシュールである。たぶん、絡まりすぎて自分で抜けるのが面倒くさくなったのと、網の重さも霞が喜んでいるせいだろう。
「・・・・・・小鳥遊家って、コードファクターじゃなくて、自分ちの遺伝子を調べた方がいいんじゃないか?」
「素のテンションで言わないでください。自分の父祖に対して印象が変わってしまいます」
 ルイスを釣る餌にされたダンテの首から看板を外し、大和は機嫌よくウォーターベッドに腰かけた。
「さあ、そろそろお薬効いてきましたね?」
「・・・・・・」
 手袋越しに機械の手で頬を撫でられたダンテが、びくりと体を震わせる。『サマンサさんのお薬』はハッタリではなく、本物だ。
「うふふふ。逃げないでくださいね」
「これは、報酬とは別だからね」
「望むところです」
 普段は大和自身を縛っている荒縄で縛られたダンテを転がし、大和は高らかに宣言した。
「小鳥遊大和、今作戦大勝利です!!」
「はいはい」
 たぶん、めでたし、めでたし。

―完―