月夜への招待状


 忙しい兄から「時間が取れるだろうか」と連絡を受けて、春休み直前の羽黒は一も二もなく了承した。
 会いに行ってみれば誕生日祝いだともてなされ、ケーキやプレゼントに埋もれさせられたが、一番嬉しかったのは優しい兄に抱きついて頭を撫でてもらったことだろうか。
「しかし、ダンテくんに会えなかったのは残念だ」
 体調不良だとかで、すまなそうな顔をした大和に、ダンテから預かっていたという薄い箱とメッセージカードを受け取っただけだ。学生寮に戻ってきた羽黒は、もらったプレゼントの箱を開けて目を丸くした。
「わぁ・・・・・・」
 ダンテからのプレゼントは、細工物の栞だった。リーフ柄の透かしの入った、折れてしまいそうなほど薄い金属の栞には、色付きガラスで作られたどんぐりのチャームがぶら下がっていた。
「綺麗だな!しかし、本に挟んで大丈夫だろうか・・・・・・壊してしまいそうだ」
 自分が乱暴で注意力のない粗忽者だとは思わないが、小学生の物の扱いでは少々不安になる。しばらくは箱に入れたまま飾っておこうと、勉強机のよく使う引き出しにそっとしまった。


 コンコンコン・・・・・・コンコンコン・・・・・・

「んむ・・・・・・?」
 物音にぼんやりと目を開けた羽黒は、枕を頬に感じたまま、自分を呼ぶぼそぼそとした声を聞いた。
「羽黒くん、羽黒くん」
「・・・・・・なに?」
 目を擦ってベッドから起き上がると、室内は消灯時間の暗いまま。物音と声がするのは、窓の方だ。
「・・・・・・え?」
 カーテンを引き開いて、そこに映る影に驚きつつも窓を開けた。
「こんばんは」
「ダンテくん!」
 まだ寝ぼけ眼の羽黒の声はかすれて小さかったが、窓枠のわずかな縁に腰かけた青年の顔は、古い常夜灯のおかげではっきりと見えた。欧州人らしい彫りの深い顔立ちに、優しそうな微笑みを浮かべたいつもの彼だが、半分闇に溶け込んだような薄蒼いコート姿は、昼間に見る兄の友人とはずいぶん印象が違って見える。
「なんで、ここに?」
 羽黒がいる学生寮は、ダンテが住んでいる場所からはずいぶん遠いし、そもそも窓の外は地面からもだいぶ離れているはずで・・・・・・さまざまな疑問が喉でつかえてしまって、羽黒はぱくぱくと唇を動かす。
「羽黒くんに会いに来たんだよ」
「そんな所にいたら危ないではないか!とにかく、入りたまえ!」
 窓からダイナミックこんばんは、をするような大人に対し、自分は極めて常識的なことを言っているはずだと羽黒は思ったが、ダンテは笑みの形に歪めた柔らかそうな唇に、そっと人差し指を立ててみせた。
「しーっ!お招きありがとう。さぁ、上着を着ておいで」
「む・・・・・・わかった」
 低く穏やかなダンテの言葉に、なんとなく逆らい難い心地よさを感じ、羽黒は言われたとおりにカーディガンを着て、ボタンを留めた。
「よし、行こう」
「どこへ?」
「空中散歩だよ」
 こんな時間にヘリコプターに乗るのかと羽黒は首を傾げたが、窓から身を乗り出したダンテの両腕にひょいと抱えられ、あっという間に夜の空気の中へと連れ出されてしまった。
「ぅわわあぁぁぁぁ!?」
「あはははは」
 学生寮の外壁をひと蹴りしたダンテは宙を飛び、羽黒を片腕に抱えたまま、電柱の天辺やマンションの屋上を踏み台に、さらに高く高く跳び上がっていく。
 ダンテの首に腕を回して、しっかりとしがみついた羽黒は、自分が上下するたびに内臓が浮くような感覚と、頬にびゅうびゅうと当たる生の風に慄いたが、「月が明るくてきれいだよ」という声に、すっかり覚めた目を開いた。
 春霞もない少し冷たい夜風が、真ん丸な月から薄い雲を噴き流していた。
「すごい・・・・・・」
「ほら、反対側に、大和さんたちがいる港が見えるよ」
 栗色の癖毛と、それに半ば隠れた耳を間近に見ながら首を回すと、真っ黒な海と山林に挟まれた、キラキラと光る夜景が広がっていた。
「わぁ・・・・・・!」
 小さくとも色とりどりな街の灯りと、港湾のひとつひとつが力強いライトが、空と陸と海から押し寄せる夜闇を、眩さで必死に押し返そうとしているように見える。
 ひゅうぅひゅうぅと風が耳を聾するが、その風に乗って飛んでいるダンテと羽黒は、さらに空高く舞い上がっているようだ。
「すごい、すごい!」
 結っていない髪がばさばさと空気をはらんだが、羽黒は思いきり歓声を上げた。ゆっくりと旋回をしながら夜景見物を楽しんでいると、羽黒をしがみつかせたままのダンテが、風の音に負けないよう声を出した。
「高いところが苦手でなくてよかった」
「飛行機やヘリにも乗れるのだ。怖くないぞ」
「それは心強い」
 風に潮の香りが強く混じるとぐっと高度が下がったが、ダンテはすぐに方向転換をして、おかの上昇気流を捕まえた。
「・・・・・・ダンテくん、体調が悪いと聞いたが、大丈夫なのか?」
「ああ、大丈夫。心配してくれてありがとう。ちょっと色々あって、ほぼ完全なナイトウォーカーになっちゃったんだよ。一時的なものだったら、そのうち治るかもしれないけどね」
 デイウォークできたのが、成りそこないレッサー扱いだったからなのか、真祖トゥルーのユニークだったのか、まだよくわからないんだよねぇ。そんな呟きが風に紛れて聞こえたが、羽黒には意味がわからず、そのうち治るかもしれないという言葉で納得することにした。
「そうか・・・・・・早く良くなるといいな」
「うん、ありがとう」
「そうだ、素敵なプレゼントをありがとう。ダンテくんは、実は森の精霊なのか?」
「へ?」
 月のように真ん丸になった青い目に見詰め返され、羽黒は恥ずかしさに頬が熱くなるのを感じながら、風に逆らって声を出した。
「どんぐりをもらったら、空を飛べるようになったのだ!」
「・・・・・・ああ!」
 猫は車に化けるという認知を広めた物語の、ふかふかもっふりした登場人物を指した羽黒の例えに、ダンテは大きく口を開けて笑った。
「あははははは!あぁ、たしかに、森の中で昔から住んでいるね。そうか、俺は精霊だったのか。ふ、ふははは!あはははは!」
「もう!ダンテくん、笑いすぎだぞ!!」
「あぁ、ごめん、ごめんねScusa。あいたたた」
 羽黒が恥ずかしさに癖毛頭をぽこぽこと叩くと、ダンテは笑いを収めて、羽黒をしっかりと抱え直した。
「どちらかと言えば、オバケの方なんだけどな。笑ったお詫びに、アクロバットしよう」
「えっ・・・・・・ぅきゃぁああああぁぁ!?」
 天と地がひっくり返り、キラキラした光が地上のものなのか空のものなのかわからなくなる。地上を歩く人影と目が合ったような気がしてドキッとしたが、ブランコに乗ったような軌跡で通り過ぎて、また月が迎えてくれる。波の音よりも風の音の方が強くて、人間が出す臭いよりも宇宙の色をした空気が胸に収まる。
 連続宙返りやきりもみ下降やらをして、存分に楽しい悲鳴を上げた羽黒が喉の渇きを訴えると、ダンテはひと気のない自動販売機の上に降りて、ジュースを買ってくれた。羽黒はすっかり腰が抜けてしまっていたので、降ろされても座ることもままならなかっただろうが、ダンテは羽黒が汚れないように、ずっと抱っこをしてくれていた。
「さぁ、そろそろ帰ろうか」
「うむ」
 羽黒は再び心地よい柔らかさのパイロットシートにしがみつき、しっかりとした温もりに抱えられて、学生寮の自分の部屋の窓辺に戻った。
「ありがとう、ダンテくん。とっても楽しかったぞ!」
「それはよかった。約束通り、ちゃんとお祝いできてよかったよ。お誕生日おめでとう」
「ありがとう!」
 ぎゅっと頬をくっつけたハグを別れのあいさつにして、羽黒は人影のなくなった窓を閉めて、上着を脱いだ。夜風になぶられた髪が冷たくなっていたが、ベッドの中に入ると、疲れのせいかすぐに眠ってしまった。

 普段は穏やかな目覚めを促してくれるはずの起床音楽が、まだ眠い頭蓋骨にヒステリックに響いてくる。羽黒は温かなベッドの中で、子猫のように伸びをしてから起き上がった。
(不思議な夢を見たな)
 カーテンを引き開いて窓を開ければ、そこには転落防止用の柵があり、羽黒ぐらい華奢な子供でも抜け出そうとするのは難しく、まして成人男性が身を乗り出すことも、窓枠に腰かけることもできない。
「・・・・・・・・・・・・」
 空は良く晴れて風も少なく、お花見日和と言ったところだ。夜行性ナイトウォーカーと言っていたダンテには、このうららかな天気を楽しむことはできないかもしれない。
(でも、夜の空も楽しかったな)
 会えなくて残念だと思っていた羽黒に、ダンテが夢の中でも会いに来てくれたのだと思うと、ちょっとくすぐったい気持ちになる。
 着替えて食堂に降りる前に、もう一度もらった栞を見ようと引き出しを開けた羽黒だったが、そこには空の箱しかなかった。
「え・・・・・・」
 さぁっと血の気が退く音がして、羽黒は慌てて整頓されていた引き出しの中をかき回し、ベッドから布団を引っ張り剥がし、カーディガンのポケットに手を突っ込んだ。
「ぁ・・・・・・あった!!」
 指先に当たった硬い感触をつまみ、まわりに引っ掛けて壊さないように、そっと引っ張り出す。透かしの入った金色の薄い栞には、ころんとしたガラスのどんぐりが連なっている。
「・・・・・・夢じゃなかった、のか?」
 昨日確かに引き出しにしまった栞が、まるで切符か通行証のようにポケットに入っているなんて。折れ曲がったりしないように、大切にしまっておきたい羽黒がすることではない。
「わかったよ、ダンテくん。しまっておかないで、ちゃんと使うよ」
 にっこりと頬を緩めた羽黒がそっと手のひらに載せると、金色の栞にぶら下がったガラスのどんぐりが、朝日を受けてとろりと輝いた。


 休憩中に大和から聞いた羽黒の近況に、武蔵は思わず胡乱気な目で見返してしまった。
「オカリナ?」
「そうなんです。急に習いたいと言い出したらしくて・・・・・・。ダンテさんに関係があるような事を言っていたんですが、いまいちなんのことだか。ダンテさんに聞いても笑うばかりで」
「デビルサマナーにでもなるつもりか?風呂敷マントを用意してやるんだな」
「武蔵さん、ネタが古すぎて今の子供たちには通じませんよ」
 悪魔も吸血鬼も似たようなものでしょうけどね、という大和の呟きが湯気の中に消えていく。
「その呪文知っているわ!たしか、エコエコアザらむぐっ」
「サミィ!!それはダメです、禁呪です!!」
「むーっ!!」
 レパルスの大きな手で口をふさがれたサマンサはじたばたともがいたが、呪文の代わりにレパルスが焼いたマフィンを食むことで沈黙した。
「魔女がその呪文唱えたらヤベェだろ。エロイムエッサイムの方だ」
「そう、ヒュウガ!それね!」
「サマンサさんなら、パラリルパラリルとかでは?」
「古すぎだろ。サマンサのコンセプトなら、ピリカピリララの方じゃね?」
「あなた方はサミィを何だと思っているんです?」
 大和と日向を相手に拳を握りしめたレパルスをよそに、武蔵も仕事に戻るために湯呑のお茶を飲み干した。