その手を取るのは ―7―
深夜、自分の研究室に立った寿村は、顔を包帯で覆って、松葉杖をついて逃げ帰ってきたことを認めたがらなかった。
「くそっ、くそっ! なにがTEARSだ!」 寿村はあくまで、年下で派閥に属さない小鳥遊大和を、仲間に入れてあげるつもりだったのだ。大和がいくら小鳥遊財閥の御曹司でも、小鳥遊製薬の薬剤師や幹部ではないし、研修医の時点で病院を抜けてTEARSに移籍してしまったので、民間の医療組織には『友人』が少ないはずだ。だから、わざわざ寿村が声をかけてやったというのに、親切に対して酷い仕打ちをされた。 (ふん。だが所詮、EA機関の下部組織にすぎない。こっちがネタをちらつかせただけで、あの外人、顔をこわばらせやがった。ざまぁみろ) ずいぶん綺麗な顔をした華奢な男だったが、あれでも軍人が務まるらしい。 「ああっ、腹が立つ!!」 痛み止めは効いているはずだが、関節が外れてじん帯が切れた右膝と、酷い擦り傷になっている顔が、ジンジンと熱を持って痛かった。寿村に暴行を働いた癖毛の男の方は、なんとか懲らしめてやりたいところだが、法的には敷地に入り込んだ寿村の方が分が悪いらしい。 なにかいい方法はないかと、いつものようにすっきりと片付けられた研究室の中を歩き回りながら考えたいが、松葉杖を突きながらでは思うように歩けなかった。激情に突き動かされてここまでも歩いてきたが、扉付き棚が整然と並んだ奥まった通路からは、キャスターが付いた自分の椅子までも遠い。 「くそったれ!!」 「本当にな。いつまで待たせるんだよ、クソボケが」 ひんやりとした肉厚な感触が首の半ばまでめり込み、寿村は声の代わりに血飛沫を棚にふりまきながら、どさりと床に尻餅をついた。からからんと転がった松葉杖を、ブーツの先が蹴飛ばした。 一瞬で命を刈り取られた寿村を、天城が鼻梁にしわを寄せて冷ややかに見下していた。自分と入れ違いに名坂に行ってしまった寿村を待って、ずいぶん退屈な時間をつぶしたのだ。 「やっと終わった! これで帰れる・・・・・・」 自宅にいるよりも研究室にいる時間の方が長いという情報を信じて、ずっと張っていた甲斐があった。まさか満身創痍で戻ってくるとは思わなかったが。 「それはおめでとうございます。・・・・・・入ってもよろしいですか?」 後ろの出入り口から声をかけられて、天城は「いいよー」と気軽に答えた。 「・・・・・・そちらに、黒いビジネスバッグはありませんか?」 「いや、ないなぁ」 出入り口に鍵をかけた女は、長い黒髪を背で束ねた、山里という研究員だ。彼女は天城にひとつ頷くと、机が並んでいる方へ歩いていく。 悲鳴ひとつあげず、侵入者を咎めるでもない。そんな淡々とした山里に、天城の方が首を傾げた。 「人を呼ばないの? コイツ殺しちゃったけど」 「ええ。・・・・・・EA機関の方でしょう? 寿村が何をやらかしたのかは知りませんが、普段からなにかと鼻持ちならない態度で機関を馬鹿にしていたので、そのうちお仕置きされるのではと思っていました。・・・・・・もし寿村の研究が欲しいなら、大学のパソコンではなく、私物のノートパソコンを持っていくべきですよ」 そう言う山里は、手袋をはめて、寿村の黒いビジネスバッグから薄いノートパソコンを引っ張り出してきた。そして、天城の足元に転がっている寿村の手を取って、生体認証を突破する。 「よかった。死体だと解除できないかもしれないって、ちょっと焦った。これをそのまま持っていくのはリスクが高いから・・・・・・なかなか隙が無くて困っていたんです。 山里は外部ストレージと自前のマウスを差し込み、思いつめたような目でディスプレイを追っていく。天城の目は山里の手が震えているのをとらえたが、濃密な血の臭いが立ち上る中でもヒステリーを起こさない彼女に少し感心した。 「あった。・・・・・・このデータだけもらいます。あとは、私には関係ありませんので」 「ふーん?」 天城が後に立って画面を覗き込んでも、山里は全く気にならないようで、ファイルの選別に集中しているようだ。 「ああ、気になりますか? これはコードファクターを使った、生体復元の研究です。特に、凍傷や壊疽による欠損を補うことを目的にしています。それから、こちらは緑内障などで失われた視神経を再生させる研究ですね」 どちらも「まっとう」な研究であり、EA機関が欲しがるものではない。 「それ、君が研究していたの?」 「いいえ。・・・・・・私の父と、友人です。寿村は、死んだ彼らの研究を掠め取っていったんです」 「お父さん?」 「婿入りした父は旧姓で仕事をしていたので、寿村は私が娘だとは気づかなかったようです」 「なるほど」 作業が終わってデバイスを引き抜いた山里は、一瞬だけ侮蔑を込めた眼差しを寿村の死体に向けたが、すぐに平静な表情にもどって天城を見上げた。 「それで、私はこの後どうすればいいでしょう? 何分後に悲鳴をあげればいいですか? それとも、私も殺しますか?」 山里を見下ろす天城の笑みをたたえた目が、うっすらと開いた。 寿村康隆医師が大学の研究室で殺害されていたニュースは、大和のもとにも届いた。寿村に致命傷以外の怪我があったので、その前に侵入事件を起こされていた名坂支部にも確認が来たのだ。ただ、彼の私物が一部見当たらない事から、私怨か強盗の線が強いとみられている。 「もしもし。ああ、お疲れ様です。この度は、大変でしたね」 大和が自分のデスクに繋がれてきた外線を取ると、若い女性の落ち着いた声が流れてきた。 『お騒がせしております。こちら一区切りつきましたので、取り急ぎのご報告です』 寿村殺害の第一発見者である山里は、ようやく警察の事情聴取から解放されたようだ。 犯人を誰も見ていないことから山里が疑われたが、山里の華奢で小柄な体格では、立っている寿村の首をほぼ水平に深く斬りつけることが困難であり、わずかに残った研究員以外の足跡が男物のブーツと見られることから、捜査対象から外されたらしい。 『実は、大学を辞めて地元に戻ることになりまして、コードファクターに関する研究のいくつかを、小鳥遊先生にお譲りしたいのです。もちろん、小鳥遊先生のお知り合いに譲渡されても構いません』 「えっ、どういうことでしょう」 地元に戻った山里は、完全に別の事を始めることになっているらしく、所有している論文や研究データのうち、すでに亡くなっている人から譲り受けたものを、必要な人にさらに譲渡したいそうだ。 『大学で研究していた分は、同じチームの人に受け継いでもらいましたが、こちらは私物になりますので・・・・・・』 「本当にいいんですか?」 『はい。私一人ではこれ以上の成果が望めませんし。きっと、似たようなことを研究されている人がいると思うのですが、私には伝手が無くて・・・・・・。先日お会いしただけの小鳥遊先生に、厚かましいお願いですが、なんとか必要な人に渡らないかと』 「わかりました。僕が責任をもって管理させてもらいます」 『すみません、ありがとうございます』 すぐに一式送ると山里は告げ、通話を終了した。 「・・・・・・ルイスさんの言ったとおりになりましたね」 「機関に手を出した時点で、お察しなんですよぉ。頭の出来も、人生の結末も☆」 手に持った馬上鞭をぱしぱしと扱きながら、ルイスは砂糖菓子のように甘い笑顔をほころばせる。 寿村がEA機関のデータをちらつかせた為、ルイスは早々に尋問を切り上げて寿村を解放しなければならなかった。誰が好き好んでレーザーサイトが当たっている爆発物を懐に入れておきたいものか。 「その点、山里という研究員は慎重で、頭も切れるようですね。おそらくですが、彼女は寿村を始末した人物と接触しています」 「それでも殺されなかった、と?」 「大和さんが受けた第一印象から、そんな気がしただけですよぉ☆」 さあ、お仕事に戻ってください、とルイスが鞭を振り上げたので、大和はしゃきしゃきと次の書類を手に取った。 その日以降、大和は山里の声を聞くことはなく、連絡先もわからなくなったが、厳重に梱包されたファイルや外部ストレージを受け取り、それが数年前に散逸したと思われていた、貴重なデータであることを確認した。 兵器としてではなく、人を救う夢を追ったそれらを、大和は山里の信頼に応えて、適切な施設と人間に渡していくのだった。 「ずいぶん時間がかかったな」 寿村のノートパソコンを渡して返された第一声がこれで、天城はギリギリと顔を歪めてレイモンドを睨みつけた。 「好きで時間かかったんじゃない」 「なんだ。てっきりむこうでも暴れているのかと思ったぜ」 「フザケンナよ。報酬もなしに、 「違うのか」 「ブッ殺すぞ」 カラカラと笑うレイモンドをさらに睨みつけると、天城は疲れた体を引きずって帰路についた。今夜こそは、人肌を抱きしめて眠りにつきたかった。 その左腕には、もうギプスはなく、傷痕ひとつなかった。 |