深夜の遭遇


 プラチナブロンドを梳いて青いリボンでハーフアップにして、ルイスは鏡の中の自分がきちんと微笑んでいることを確認する。手が冷えているのに、なんとなく熱っぽく感じるのは、いつも以上に無茶な体の合わせ方をしたからだろう。痕は隠れているが、体中がヒリヒリギシギシと文句を言っている。
「お待たせしましたぁ」
 寄り添ってにっこりと微笑めば、無遠慮な腕に腰を抱き寄せられる。その粗暴さにふらつきたがる足を御し、ルイスはされるがまま、滑らかに歩調を合わせる。
 上背があって体格はいいものの、それ以上にふくよかな印象を受けるこの男は、小鳥遊財閥に複数の窓口を持つ流通企業の役付きだが、ルイスの職務的なお眼鏡には期待外れだった。もう少しまともな情報を持っているかと思ったのだが、いくつかの人脈の他には、有用なところがなかった。
(このルートでないとすると、まさかの現場単位ではないでしょうねぇ・・・・・・)
 いくつかの重要な物資や薬品が取引材料にされているかのように思われての調査だったが、どうもアテが外れたらしい。不明瞭な物と金の動きは確かにあるので、次の手を考えねばならない。
「・・・・・・?」
 考え事をしながら歩いていたせいで、その気配に気づくのが遅れた。日常的に戦場に身を置く前線部隊の人間たちならば、自動ドアを抜けたところで気が付くに違いない。
 白々とした電灯に照らされた、灰色のコンクリート。柱の間にまばらに並ぶ自動車たち。カツカツと足跡が響く先にある、何の変哲もないスポーツタイプの車。その周辺が監視カメラの死角であると、ルイスの視界が判断した。
 カツ、と緩やかに歩みを止めたルイスだったが、隣を歩く男の勢いは止まらず、たたらを踏む。
「もう少しスマートなエスコートをされたいのですが・・・・・・」
 口答えをしながらもルイスが引きずられざるをえないのは、ナイフの刃が目の前にあり、周囲の車から用心棒と思われる黒服の男たちがぞろぞろと降りてきたからだ。
「ラブホテルにしては、性別が偏り過ぎではありませんかぁ?」
 いくらルイスが中性的な美貌を持っているからといって、全員が相手をしたいとは思わないだろう。そういうことではなく・・・・・・。
(四、五、六人・・・・・・ちょぉっと多いですねぇ)
 ルイスが大人しく車に乗っていたら、見張りだけで出てはこなかっただろう。包囲を狭めるように、じりじりと近付いてくる。
「どこのスパイだ?」
「なんのことですかぁ?そういうセリフは僕の役に立ってから言ってくださいね〜☆」
 前半と後半で違うことを言われたら、誰だっておちょくられているとわかるだろう。
「こ、のォ・・・・・・」
「そんな鍔のない刃物では、あなたが手を怪我しちゃいますよぉ?ご存じないんですかぁ?こういうことは初めてで、慣れていらっしゃらないようですねぇ☆」
「黙れ!!」
 突き飛ばされるように体を離されたと思ったら、胸倉を掴まれて首が絞まる。ルイスは薄笑いを続けたが、車のボンネットに叩きつけられて、無茶を耐えた体がギシリときしんだ。
(顔には傷を付けられたくないんですけどねぇ・・・・・・ッ)
 男の脚が邪魔で、ブーツの内側に隠し持っている愛用の馬上鞭に、どうしても手が届かない。頬に押し当てられた刃と、圧し掛かられる重さに、いい加減息が苦しくなってきたその時、ぼこぉんと冗談みたいな音と共に男の顔が吹っ飛んでいき、ルイスはぱちくりと目を瞬いた。
「え?」
「チャオ、ルイルイ!」
「!?」
 陽気な声と共に腕をひかれ、踊るようにくるりと立たせられた。誰がルイルイか、と言いかけて、ルイスが偽名を使っている可能性を考慮したのだと気付く。栗色の癖毛頭を載せたこの男は、そのくらいは考えるはずだ。
「いい夜だね!思わず飛び出してきちゃったけど、余計なお世話だったかな?」
 がっしと肩を組まれて視界を塞ぐように前に立たれるせいで、体を密着させられているよりも退いてほしさが勝つが、彼の向こう側から、驚いた罵倒やかすれた悲鳴が上がっており、大人しくしておいた方がいいと本能が警告する。
『俺がいますぐ喰い殺すのと、捕まえてアンタが玩具にするのと、放流するのと、どれがいい?』
 目の前のふっくらとした唇が、悪戯っぽく歪んでいる。発せられていない声が聞こえたのは、英語でも理解される可能性を考慮したからだろう。
 ルイスは瞬時に判断して、決断した。いまは疲れすぎて銃を持つのすらおっくうだが、用済みになったゴミは、さっさと捨てるに限る。
「I will kill them now」
「Si」
 ルイスの囁き声に、ダンテは仕方なさそうな苦笑いでぱちりとウィンクをすると、ルイスの肩を離して、どこからか一丁のハンドガンを取り出した。
「あいつらのだから、弾は入っている分しかないよ?」
「それは残念ですねぇ☆」
 無造作に構えて引き金を引くと、ダンテに殴り飛ばされた男が左足を抱えて悲鳴を上げた。
「痛かったですかぁ?そうですよねぇ、痛いですよねぇ☆」
 パンッ
「何のために僕が触れることを許可したと思っているんです?自己評価が高すぎると思いませんかぁ?」
 パンッ
「許してくれと言われましても、あなたは僕が満足するものを出せないじゃないですかぁ☆」
 カチッ
「え?」
「あれ?」
 ルイスとダンテは同時に気の抜けた声をだし、ルイスが持っているハンドガンを覗き込んだ。
 スライドの内側で空薬きょうが挟まってジャムを起こしているわけではなく、引き金もちゃんと引ける。マガジンを取り出してみると、見事に空だった。
「・・・・・・・・・・・・」
「ぷっ・・・・・・ぶははははははッ!!!」
 現役TEARSのルイスや、元軍人のダンテには考えられない事だが、ミッションにも関わらず、クリップが補充されていなかったらしい。TEARSの支給品とは違い、携帯に適したシングルカラムのスリムタイプだが、それでもフルで七発から九発は入っているはずなのだ。
「〜〜〜〜っ、どういうことですかぁ!?ちょっと小道具さん、ダンテさんに渡す銃を間違えているじゃないですか!!」
「こ、小道具さんっ!小道具さんに熱い風評被害が・・・・・・!!ぶははははは!!」
「この僕が、まだ三発しか撃っていないんですよ!?どう考えても、間違っているとしか思えないじゃないですかぁ!!」
 可愛く地団太を踏むルイスに、ダンテは涙を浮かべて大笑いが止まらない。
「はぁーっ、はぁーっ・・・・・・わ、笑い死ぬ・・・・・・うっひっひひひ」
「気持ちの悪い笑い方をしないで下さい!もぅっ、興が削がれたなんてレベルじゃありませんよぉ」
「はぁ、ごめん、ごめん。えぇっと、代わりの銃を・・・・・・」
「もういりません!」
 ぷーっと頬を膨らませて、ルイスはかかとで地面を蹴った。いい加減疲れたので座りたかったが、ここには自らルイスの椅子になりたいと申し出る人間がいなかった。
「・・・・・・それあげます。他のもどうぞ!」
「へ?」
 腕を組んでぷいとそっぽ向いたルイスが示したのは、床で血を流しながらのたうち回る男。脛や足の甲、手のひらを、正確に撃ち抜かれている。
「すごーく痛いところを撃ち抜くあたり、さすがだなぁ」
「褒めても何も出ませんよぉ☆お腹が空いているなら、恵んであげます」
「そいつはどうも」
 ルイスには意外なことに、ダンテは地面に転がっていた男をひょいと持ち上げた。
 悲鳴はすぐに聞こえなくなった。ルイスからは、ダンテの背中の他には、じたばたともがく両腕と頭の一部しか見えないので、しかとはわからないが、おそらく、気管を傷付けられたのだろう。ごぼごぼとうがいをするような音が少し聞こえたが、それよりも、じゅるじゅるずるずるという下品極まりない啜り音の方が大きい。
「・・・・・・もうちょっと品良くお食事できませんかぁ?気持ち悪すぎて吐きそうです☆」 
「はっ、キャンプでのバーベキューに、刺繍入りのクロスや陶磁器のティーセットなんか持ち込んだら、しらけるに決まってるだろ」
 なるほど、これはジビエを丸焼きにした野営食か、なんなら立ち食いそばのようなものらしい。血液が満たされたスープ皿がテーブルに出される晩餐など、ダンテには全く似合わない。そう納得して、ルイスは乱れていた髪や上着を叩いて直した。
「片付けまで、貴方がちゃんとやるんですよぉ☆」
「言うと思った」
 ダンテの手から落ちた物体は、意外にも乾いた音をたてた。もっと重い音がすると思ったのに、嫌に軽いのだなと覗きこめば、そこにはミイラのように干乾びた死体があった。
「そんなにお腹が空いていたんですかぁ?」
「まあね。大和さんには内緒にしてよ?落ち込むか拗ねるかするに違いないんだから」
 呆れたように言うルイスの前で、ダンテもひとつ肩をすくめて、その足で干乾びた頭蓋を踏み抜いた。ぱきゃりと軽い音がして、骨も眼球も歯も、零れだした脳も、粉々になって崩れていく。・・・・・・それはちょっと自分もやってみたかったな、とルイスは思った。踏まれる方の反応には期待できないが、子供っぽい破壊衝動だ。
「スマホや財布は抜く?」
「いりませんね〜」
「了解」
 情報は充分に抜いたし、いまさら身元が分かるようなものを持っている方が危険だ。ダンテが口の中で何事か呟くと、コンクリートからツタのようなものがにょきにょきと生え、干乾びた死体を取り込むように絡みつくと、やがて血痕すら残さず、綺麗に消えていった。コンクリート床にも、傷ひとつ残っていない。
「便利ですねえ。掃除係に雇いたいくらいです」
「冗談は置いておいて、食べごろな羊や収穫時の畑があったら教えてほしいな」
 ルイスは半分くらい本気だったのだが、ダンテにはスルーされた。
「これも同じツタなんでしょうかぁ?」
「あ、ソーンには触るなよ。そいつ、生き血を啜るからな」
 ルイスはダンテに言われた通り、近付けていた顔をひっこめた。
 あの男の手下たちはみな、木のように固そうな茨に絡みつかれて、彫像のように突っ立ったまま干乾びており、よく観察してみると、すべてが串刺しになっていた。
「どれも一撃ですかぁ」
「ご飯になってくれる家畜は、慈悲深く殺してあげなきゃ・・・・・・かわいそうじゃないか」
 化物に成っても人間の感性をスライドしたように持っているダンテに、ルイスはつまらないなとゆるく首を振った。素朴なファーマーとしての性根は、冷徹な戦略家の才と相まって、獲物に無駄な苦痛を与えることを好まないようだ。
「それにしても・・・・・・」
 茨に囲まれた串刺し死体は、忘れられたハヤニエみたいだと思っていると、茨からぽつぽつとつぼみが膨らみだし、やがて真紅のバラを咲かせた。ダンテは着ていた薄蒼いコートを脱いで、血のように赤い花をせっせと摘んではコートに積み上げていく。
「なにをしているんです?」
「これ?ローズティーにすると、生臭さが抜けて美味しいんだよ」
 ルイスは実に嫌なものを聞いたとばかりに、甘い顔立ちをしかめた。これが収穫時の畑という事か。
「ね?」
 首だけ傾げるように振り向いたダンテの、獣のように引きつり上がった血濡れの唇から、大きな犬歯が覗いている。
「もぉ、ひどい嫌がらせです。好きな紅茶が飲めなくなったらどうしてくれるんです?」
「コーヒー飲めばいいんじゃないかな」
「英国人に喧嘩売っているんですかぁ?銀の弾丸で蜂の巣にされたいようですねぇ☆」
「わぁ、怖い怖い」
 バラを収穫し終わったダンテが、もう一度ゴミ処理用のツタで茨ごと死体を消し去ると、満足気に花でいっぱいになったコートを抱えてルイスに手を振った。
「じゃあね、Mr.ヴァリアント。ご馳走様!ぐんなぁい★」
 腹が満たされて機嫌が良いのか、ちょっと見たことがないほどテンション高めなダンテは、足取り軽く駐車場の出口に消えていった。
 それを、一人ぽつんと取り残されたルイスは見送っていたが、柔軟性を欠いて震える両脚をぱんぱんと叩いて、いつもの歩調を取り戻してから歩き始めた。ふと見上げると、駐車場の天井に張り付いた監視カメラすべてが、信じられないような力で握り潰されていた。
 タクシーを拾ってTEARS名坂支部と行先を告げて、やっとシートにもたれた腰と膝から、がっくりと力が抜けるのを感じる。降りるまでには立て直さないといけないが、俯けた顔が歪むのを止められない。
 よりにもよってダンテに見られ、助けられた格好になったのは、はっきり言って恥辱に値した。なぜあんな所にいたのか、その目的が皆目わからなかった。
(大和さんあたりに偵察の依頼を受けた?ありえない・・・・・・)
 大和はルイスを、その手段を推奨はしていないものの、力量を認め、信頼している。ルイスのプライドを傷つけるようなやり方はしないはずだ。
(もしかして、吸血鬼としてのトレーニング中だったとか・・・・・・?それで、たまたま僕の居場所が分かった、というのは想像が逞しすぎるような・・・・・・)
 最近、そんな噂を聞いていたし、大和ではなくサマンサを訪ねてくることも多くなって、レパルスがイライラしていた。
(う〜ん、これといった確証もありませんし、偶然ということにしておきましょう)
 それが救いではないが、いくらか気分は楽になった。あのお人好しは気を使いながら乱入してきたが、ルイスの無事はたいして気にしていなかった。ダンテに「ルイスなら大丈夫だ」という確信を持たれているのが、なんだか妙に可笑しく思う。
「ふぅ・・・・・・」
 ようやく顔を上げて窓の外を見れば、通り過ぎていく街路の光が明滅するたびに、自分のぼんやりした表情が暗い窓ガラスに映る。危機を脱したための、一時的な虚脱感というよりも、化物の生態を目の当たりにした生理的な嫌悪感をやり過ごすことに尽力しているようだ。
「・・・・・・・・・・・・」
 コードファクターに侵された化物の捕食風景など、自分に被害が及ばなければ、別にどうとも思わない。人間の形を模したコードファクターの化物も、ルイスには取るに足らない相手だ。ただの人間なんて、もっと易しい相手だ。
(でもアレは、根本的に違う)
 おそらく、大和もレパルスも、ダンテが持つ「真祖」というステータスの、本当に恐るべきところを理解していない。彼らは単に、「人間をやめて化物に成った」としか思っていないだろう。
(違うんですよ・・・・・・)
 常軌を逸した強さだとか、人間と意思疎通をできるとかが、真祖の特別さではない。
(人間がどういうものかを知っている・・・・・・優れているところも、劣っているところも、倫理も欲望も法律も狡猾さも理解しているんです。もっとも嫌らしいのは、どうすれば人間が喜んで警戒を解くか知っていることですねぇ。そういう、元人間であることが、やりにくい原因なんですよぉ☆)
 捕食対象である人間相手に、油断も隙もない。だから、化物の癖に恐ろしいのだ。
(まったく、気持ち悪いったらありませんよぉ☆)
 港が見えてくるあたりで、ルイスは今夜会っていた豚の名前を忘れた。