嫉妬の嵐


 ケーキが美味いと評判のカフェには、開店前なのに行列ができていた。ダンテは最後尾に並んだが、記憶にある声が聞こえたような気がして辺りを見回した。
 朝も早くからナンパをしているらしく、数人のチャラそうな若い男が見える。この辺りの小洒落た店に来る、若い女性をターゲットにしているのだろうか。彼らの壁の向こうに、スカーフを巻いた赤褐色の髪と、さらりとしたハニーティー色の髪の取り合わせが見えた。

「ありがとうございます、ダンテさん。助かりました」
「どういたしまして。しつこい奴らだったねー」
「あんなの初めて見たわ。大勢で来るから、本当に困っていたのよ」
「ははっ、普段はレパルスがいるからね。徒党を組まなきゃ女性に声をかけられないような小心者が、近寄ってくるはずないよ」
 同じ店のケーキが目的だった赤城とサマンサと同じテーブルについて、ダンテは機嫌よく微笑んだ。しっとり濃厚なチーズケーキが口に合って、早起きして並んだ甲斐があったというものだ。
 彼女らにいつもくっついている、気の荒い大型犬のような男たちであるが、長門は寝過ごして赤城との約束をすっぽかし、レパルスはロドニーと大掃除をしているという。それで、赤城は暇をしているサマンサを誘って、ケーキを食べに来たらしい。
「んんっ、美味しいっ!瀬良くんを放っておいても来てよかった」
「美味しいぃ!甘いのにくどくないわ。レパルスも好きそう」
「今度は長門くんやレパルスと食べに来られるといいね」
 赤城とサマンサは仲良くイチゴやチョコレートのケーキを頬張り、彼女らの幸せな時間を護ることができたダンテは、甘味摂取欲と同時にささやかな騎士道精神までも満足させられたのだった。

 スマホのメール着信音に微睡から引きずり出され、長門は寝ぼけ眼で大あくびをした。金髪をかきまわす手とは逆の手で枕元を探り、硬い感触を引き寄せる。送信者の名前は、「東雲赤城」。

 その廊下に進入禁止の看板が出ていたのは、ワックスがけをしている最中だったからで、すごい勢いで走ってきたジャージ姿の長門が、ハードルよろしく看板を飛び越えたまではいいが、着地と同時に滑って、その先にいたレパルスと衝突したのは必然の事故である。
「いってえ・・・・・・ッ!」
「・・・・・・ワックスの海へ沈む前に、言い遺すことは?」
「わるい!いま急いでるから!」
 長門はすぐに立ち上がって走りだそうとしたが、殺意を乗せてモップを構えたレパルスに襟首をつかまれ、仕方なくスマホに送られてきた写真を見せた。そして結局、レパルスも掃除を放り出して走ることになった。

 カフェでケーキを食べた後、赤城とサマンサはダンテを引き連れてショッピングへと向かった。護衛にちょうどいいというのもあるが、なにしろこの男は、文句を言わないどころか噴水のように心地よい褒め言葉をふりまきながら買い物に付き合い、荷物を持って鎮守府まで送ってくれるというのだ。
「すみません、持ってもらっちゃって・・・・・・」
「大丈夫だよ。参考書って意外と重いんだよね。赤城さんは本当に努力家だと思うな。発音はサマンサさんが教えたんでしょ?よく似てるよ」
「そうよ。赤城はとっても覚えがいいの」
「えっ・・・・・・と、そんな・・・・・・」
 赤城は照れ臭くて顔を赤くしてぱたぱたと手を振るが、サマンサとダンテに「上手だよね〜」と言われてしまう。
「あれ、お迎えかな?」
「本当だわ。レパルス〜」
「瀬良くん、遅いよ!もう帰ってきちゃったんだから・・・・・・」
 正門から飛び出してきた長門とレパルスが走ってきて、三人が「あれ?」と思う間もなく、そのままのスピードでダンテの顔面に拳とモップがめり込んだ。赤城の参考書や、サマンサの靴や服が入った紙袋が宙に舞う。
「俺の赤城となにしてんだ、ナンパ野郎!!」
「見境のない趣味をしているとは思っていましたが、サミィにまで手を出すとはいい度胸です。粗大な生ごみですが、海に捨てれば骨まで分解されるでしょう」
 ワックスまみれのモップの下で、なにか悲鳴らしきものがもごもご聞こえるが、完全に入ってしまったダメージのせいで、じたばたともがく様子も弱弱しい。
「いきなりなにするの!?」
「赤城こそ、なんで俺を置いて他の男とケーキ食べに行ってるの!?」
「瀬良くんが起きなかったからじゃない!!」
「サミィ、たしかに私は掃除の手伝いは結構ですと言いましたが、ダンテさんとケーキを食べることになった経緯の説明を求めます」
「レパルスがいないせいで困っていたのを助けてもらったからよ」
「たす・・・・・・は?」
 サマンサの涙をためて頬を膨らませた怒り顔に、レパルスの方が先に冷静な理性を取り戻した。
「・・・・・・ダンテさんに誘われたのではないのですか?」
「私は赤城に誘われたの!ダンテとはカフェの前で、他の人間に絡まれて困っていたのを助けてもらったのよ」
「・・・・・・・・・・・・それは、失礼しました」
 レパルスの謝罪は、あくまでサマンサに向けたもので、ダンテに対してはグリグリと押し付けていたモップを退けてやっただけだ。
「長門さん、事情が違うようですが?」
「え!?」
 赤城の鉄拳を顎に食らってよろめいた長門は、「だってほら!!」とスマホを操作して、赤城から送られてきた写真を見せる。そこには、三人で仲良くケーキを食べる姿や、靴屋でサマンサが指差す高い所に展示されている靴を取ってやるダンテ、赤城が使う参考書をサマンサとダンテが選んでいるところ、三人で休憩中にジュースを飲む赤城の自画撮りなどが写っていた。メッセージは『寝坊助!こっちは楽しいよ!』。
「だから?」
 赤城の冷ややかな眼差しに、長門はしどろもどろにどういうことかと聞けば、サマンサと同じ答えが赤城から返ってくる。
「これのっ、どこがっ、デートだっていうの!?あっきれた!!」
 赤城の剣幕に、気まずそうに長門の目が泳ぐが、唇は納得がいかないとばかりに尖っている。
「紛らわしいことする奴が悪いんじゃないか!」
「いいから謝って!!」
「レパルスもよ」
 叱られて渋々といった面持ちのまま、長門とレパルスは小さな声で謝ったが、むくりと起き上がったワックスまみれのダンテは、頬と鼻を腫らせ、鼻と口からダラダラと血を流している。
「ごめんですめば、警察はいらないと思わないか?」
 緩い目元はいつもと変わらないのに、全然笑っている感じがしない雰囲気と、鼻を押さえているせいで隠れている口から出る声が、ダンテの穏やかなイメージから百万歩ほど離れたところにある。
「俺が好きなセリフなのに、コイツが言うとなんかスゲー重い感じがするの何で?」
「ごめんでは済まされない目に遭ったうえに警察が役に立たなかったからといって、暴虐な権力者に対してたった一人で、不退転の意志をもって報復しに行った人ですから。有言実行という点では、脅しで済まない信頼の実績をお持ちです」
 ガチでアレなやつだ、と引き気味な長門に、たしかに見た目ほど人畜無害ではない、とレパルスも自分を棚に上げて同意する。
「おやぁ、みなさんお揃いで、どうしたんです?・・・・・・って、ダンテさん!?」
 鎮守府方面から連れだって歩いてきたらしい大和が、ひょっこりと出した顔をきゅっとしかめ、診察のためにしゃがみこんだ。長門とレパルスの表情が「ラッキー」と言っていたが誰も見ていなかった。
「やあ、大和さん。今日も綺麗だね」
「鼻血噴きながら言うセリフじゃないですよ!あぁ、座ったままで・・・・・・しかもなんですか、これ?べたべたじゃないですか!」
 とにかく洗浄と手当てを・・・・・・と言いさして、大和ははっと同行者を振り返った。左目の下に傷痕のある青年は、目の前で起こっている出来事を、まさに他人事という体で傍観している。
「アドくん、すみません。今回の『大和と行く、名坂食い倒れツアー』はキャンセルでお願いします」
 ぎょっとした顔をしたのは、言われた方ではなく、まわりで見ている方だった。
「あ・・・・・・」
「ヤマト・・・・・・」
「最悪のタイミングですね」
「俺、しらねーっと」
「え?僕なにか変なこと言いましたか?」
 それぞれ視線を逸らせた四人に驚いて、大和は目をぱちくりとしばたいた。
「・・・・・・あのね、大事な人の浮気相手だと疑われる人は、事実を確認しなくてもぶっ飛ばしていいらしいよ?」
「はい?」
 怪我のせいで少しくぐもっているが、なんだかいつもより硬いダンテの声に、大和は嫌な汗がにじむのを感じた。
「長門くんの理論を採用するなら、俺は彼を問答無用に殴り飛ばしていいことになるんだけど・・・・・・」
「どうぞ、思いっきり」
「許す。たけぞうがダメって言っても、俺が許す」
 殴られる標的がアドラーなものだから、レパルスも長門も無責任なことを言う。
「浮気って・・・・・・えっ!?あっ、違いますよ!?アドくんには、その・・・・・・将来を誓い合った方がいますしっ!僕とは、そういう関係ではなくてですね・・・・・・!!」
 大和はあわあわとしながらも懸命に説明するが、ダンテの穏やかな眼差しはいつもと変わらない。せめて、口元が見えれば・・・・・・いや、それはそれで怖いと、大和はパニックになる。
「わかった。ドクターが怪我人の救護を優先させるのは当然だ」
 自分の事が話題の要になっていることを、わかっているのかいないのか、地面に足がついている間は脳の活動が食べることに大半を割いていると噂される青年は、意外なことにあっさりと頷いた。
「昼飯は鎮守府の食堂でいい。ついでに、人道的理由で部外者が入ることを司令官に伝えておく」
「ありがとうございます」
 アドラーはくるりと踵を返してすたすたと歩いていき、必要なことだけ報告すると、自分に関係のない事は忘れた。
「よく大和さんとご飯行くの諦めましたね?」
 食堂で三皿目のカレーを食べ終わるころに赤城に話しかけられ、何のことを言われているのか思い出すのに数秒かかったほどだ。常識的に考えればアドラーの選択は当然なのだが、アドラーの大食漢ぶりを知っている赤城は、もう一言二言あって、あの場を余計にややこしくしてもおかしくないのにと不思議がったのだ。しかし、当人は少し首を傾げながら、当然とばかりに答えた。
「わがままを言ったら、来年、あのサンタからのプレゼントがもらえなくなる。今日一日の飽食も捨てがたいが、何日も使える食券の方が惜しい」
「そ、そういうこと・・・・・・」
 赤城は苦笑いを浮かべたが、納得したようだ。そして、ダンテがアドラーに危害を加えようとしたかもしれないあの状況についても、アドラーは平然と答えた。
「食券をくれるサンタが、悪い奴なはずがない。あのサンタからは、殺意を感じなかった」
 アドラーはきっぱりと断言し、そして不思議そうに首を傾げた。
「どちらかというと、冷静な・・・・・・凪いでいるように感じたな。風のない、秋晴れの空みたいだった。・・・・・・まあ、秋の天候なんて変わりやすいけどな」
 そして、四皿目のカレーを取るべく、アドラーは赤城の前から席を立っていった。

 なお、長門は民間人に怪我をさせたとして、武蔵から風呂場と全男子トイレの大掃除を命じられ、ロドニーに怒鳴られ、怒鳴り返しながら掃除したらしい。
「もお飽きたあああ!!腕疲れた!腰が痛いいい!!!!」
「口ばっかり無駄に動かしてないで、手を動かせ!!手を!!」
「なんで俺ばっかり!!レパルスは!?」
「レパルスはワックスがけのやり直しとキッチンの大掃除中だ!!俺の仕事まで増やしてんじゃねえよ、このボケナスが!!文句ばっか言ってチンタラやってんじゃねえ!!年が明けちまうだろうが!!」
「ちっくしょおおおおおおお!!!!」
 長門たちは泣き言を叫んでも肉体労働で贖うことができた分、大和がかいたリットル単位の冷や汗よりはましかもしれない。
「本当に誤解です」
「わかっているよ。俺がそのくらいでやきもち焼くはずないでしょ」
 ガキじゃあるまいし、というとてつもなく低い声での一言が、大和の可聴域すれすれにかすったような気がしなくもないが、大和は聞こえなかったことにした。ダンテの負傷は大和のせいではないが、理不尽な出来事の上に理不尽な気分を与えたのは事実だ。これを一般に、踏んだり蹴ったりという。
「ええっと・・・・・・」
「大和さんがそんなに気にすることないよ。でも、いつまでもそんな顔してもらいたくないから、ひとつわがまま言っていいかな?」
「もちろんです、どうぞ」
「大和さんが他の誰かと二人きりでご飯を食べたって、俺は怒らないよ。でもその代り、俺も、大和さんと食い倒れデートがしたいな」
 いつも通りの穏やかな声で、少し面白がっているような響きで話し、ほわりと緩やかに微笑むダンテに、大和は首がもげるような勢いで頷いた。
(いま、「も」って言いましたよね?「俺も」って!)
 胃がキリキリし始めた大和ではあったが、そう時間を開けることなく顔の絆創膏が取れたダンテに人間椅子にされて、やっと許してもらえたと実感したらしい。