鬼 と 鬼
その日の仕事を終えた渋谷武蔵は、司令官室を出て食堂を覗き込んだ。果たして、目的の人物が、S部隊の萩原時雨の向かいで一緒に本を開いていた。
「邪魔するぞ」 「司令官・・・・・・」 時雨よりも先に立ち上がって敬礼をして、アルバイトの癖に律義なものだ。 (そういやぁ、陸軍出身だったな) 栗色の癖毛を短く整えた白人の青年に返礼するも、武蔵は気にするなと手を振って座らせた。 TEARSも軍事組織ではあるが、武蔵自身はさほど厳格な上下関係を求めていない。無礼が過ぎるのは困りものだが、そもそも武蔵に無礼を働こうという命知らずがいないということもある。 「・・・・・・それを読めるのか」 「え、はい」 ダンテが読みかけていた古い文庫本の表紙には、著者名の 「時雨が教えてくれますから」 「ダンテは瀬良よりも呑み込みが早い。そのうち、古典も読めるようになるな」 「言葉を覚えることだけは、昔から得意だったからね」 ダンテは柔らかく目尻を下げて、えへへと照れ笑いをする。 「そうだ、妖怪が出てくる本を知りませんか?」 「妖怪?漫画はダメか?」 有名な妖怪漫画や、日本の昔話や神話があるだろうという武蔵に、時雨は首を横に振った。漫画も児童文学も、ダンテは問題なく読破してしまったらしい。それで、こうして『怪談』を読んでいるのだ。 「あとは、落語や歌舞伎の幽霊話くらいしか思いつかなくて・・・・・・」 「じゃあ、『耳嚢』はどうだ?」 「ああ、それがあった」 なぜか痔に関する話が多い、江戸時代に書かれた雑話集だが、怪談話が入っている本といえば、武蔵もこのくらいしか知らない。現代語訳もされているだろうし、関連する怪談書籍もあるだろう。 あとは、現代になって作られた怪談や都市伝説か、やはり『今昔物語』のような古典か、地方のこまごました民話集になってしまうだろうか。 「なんだ、仲間でも探しているのか」 「そんなところです。友達になれればいいけれど、基本的にアウェーですから」 のほほんとした笑顔で答えるダンテだが、なるほどと武蔵は内心で頷いた。異形同士が味方とは限らない。武蔵からすればオカルトに分類される教養だが、役に立つかどうかは別として、情報収集に余念がないのは彼らしい。 「それで、なにか御用ですか?」 「ああ」 いるかどうかもわからない妖怪よりも、武蔵は目の前の吸血鬼に用があった。 「大和が 「あー・・・・・・」 凍えた冬の海に似た、ブルーグレイの目が泳ぐ。 「ありがたいけど、本気だったのか・・・・・・」 「そんなことだろうと思った。大和は他人に譲るのは悔しいと言うが、ルイスのやつは職員をミイラにする気かと言うんでな」 泳いでいた視線を隠すように、ダンテの手が顔を覆う。 寝言は寝てから言えと不許可にすればいいのだが、大和が自分の目の届かない所でダンテが食事をすることを嫌がるあまり、マゾ精神に任せて貢ぎかねないと思いなおした。それに、どうせ許可を出したとしても、続々と献血者が現れるとは思えない。それならば、大和の気の済むようにしておいた方が鬱陶しくな・・・・・・いや、楽だと判断した。 「俺には安全を保障する責任がある。許可するかどうかは、俺がやって決める。手首でいいんだな?」 「え?」 「は?」 ダンテだけでなく、時雨もぽかんとした顔になった。 「男女問わず成人で、前線に出ない内勤者。さらに退勤時、という制限が大和から出ている。それでいいか?」 「えー、あ、はい。問題ないです。・・・・・・えっと、失礼します」 ぺこりと頭を下げたダンテは、まだ呆けたままの時雨の前で、手袋を外して袖を引っ張り上げた武蔵の手を取った。 「いただきます」 手首の内側に吸い付いたのは、柔らかく湿った感触で、大和が言っていたように痛みはない。 「・・・・・・」 ただ、体から活力と呼べそうなものが、ずるずると啜り抜かれているのに、それを心地よく感じてしまう熱の発生も、大和が言っていた通りだった。 「ん、ふはっ。ごちそうさまでした」 「おそまつ。・・・・・・たしかに、未成年と外勤者は除外だな。退勤時である方がいいのもたしかだ」 これで腹が膨れたのかと問えば、一週間くらいは大丈夫だという返答が来た。 「あの、できればまたご馳走してもらえると嬉しいです」 「はぁ?」 目眩もなさそうだと立ち上がりかけた武蔵を、ダンテはあろうことか目を輝かせて見上げてきた。 「司令官、めちゃくちゃ美味いです!!すごく好きな味です!!」 「・・・・・・そうか。邪魔したな。俺ぁ、帰る」 「お疲れ様でした」 「お疲れ様でした!」 手袋を直して食堂から立ち去る武蔵は、背後でさらに時雨とダンテの声がしているのを聞いた。 「なんだ、そのノートは?名前と所属と・・・・・・この花丸は、量?味のことか?」 「大和さんに、献血した人を書いておけって言われたんだ。ポイントがたまったら粗品プレゼントだとか・・・・・・」 「本当に献血だな」 変なのに変なところを気に入られたなと、武蔵は胸中にぼやいた。ただ、温まった身体が仕事の疲労を排出したのか、どこかすっきりとした気分で帰路についた。 後日。 「僕よりも武蔵さんの方が美味しいですって!?どういうことですか!?」 「そうは言ってねェだろ」 せっかく許可を出したのに、どうでもいいことで面倒くさい絡まれ方をして、武蔵はうんざりと眉間の皴を深くするのだった。 |