憎しみの矛先 ―4―
数日後。
ルイス・アリソン・ヴァリアントが欲求不満気味なのは、獲物があっさり白状してしまったからだ。 「なんてつまらないお仕事だったんでしょう」 「まるで、真実という解毒剤が効いていくようでした。それに、娘さんの保護が良かったんでしょう」 権力も財貨も伝手も持たず、暴力にも辱めにもしばらく耐えた男であったが、もっとも失いたくないものを抱えていたせいで陥落した。治療費の三分の一程度を賄える成功報酬に釣られたが、ふたを開けてみれば、憎いはずの標的から、自分の娘に最新の医療を受けさせるべく、湯水のように金を注がれた後だった。「もう治療費の心配はいらない。あの子には父親が必要だ」と告げられて、膝から力が抜けないはずがない。 片方から見れば弱みに付け込んだ買収が、片方から見れば地獄に天の救けとなることを、大和は目の当たりにして知ることができた。脅迫ではなく、恩を売ることが、世俗的な信用を得る手段のひとつだということを。 「まるで詐欺師の手口ですね〜。先買いともいえますが、今後はこちらが何も言わなくても、情報や労働力というお布施を貢いできそうです。しかも、ご褒美なしで☆」 今回も役に立ったので、ルイスは霞にご褒美をあげなければならないらしい。面倒くさそうな顔をしているので焦らしプレイに磨きがかかりそうだが、それも霞にとってはご褒美に違いない。なかなかこじらせた上級者だ。 「買収というと、接待とか、贈賄とか・・・・・・そういうものなら想像がつくんですが」 どうもお坊ちゃん育ちの自分には、そこまでの想像力が足りないようだと、大和は真っ直ぐな髪を梳くように頭をかいた。自分の命以外に何も持たないという過酷さは、大和が経験してきた重圧に耐える過酷さとは、まったく違うものであるから仕方がない。 「彼の家族の事件についても、真実を話しても、疑われるものだとばかり思っていました」 「恩のある人に対して疑いを抱くのは、一般的には難しいですからね〜」 まるで自分は一般的ではなく、すべてを疑うことができると言いたげなルイスだが、実際その通りなのだろう。 ルイスは得られた情報から黒幕を割り出していたが、制裁を加えることについては大和が首を横に振った。大和から見れば取るに足らない相手であり、「無視」が妥当であるという政治的判断だった。 「またダンテさんを盾にするおつもりですかぁ〜?」 「そうは言っていません。直接制裁をしないというだけです。・・・・・・八桁に届くかどうかという安い投資で、 社会的に叩き潰す手段などいくらでもある、と大和の厳しい眼差しが断言していた。 「ダンテさんには、僕から十分に謝罪をさせてもらいますよ。いくらすぐに治るからといって、目の前で怪我をされたくありません」 「そうですか。自分で考えて自動で守ってくれる、便利な盾だと思いますけど。大和さんにも心当たりがあるんじゃないですかぁ?問題があると解決したがる面倒見の良さとか、他人の感情まで汲んで責任を持とうとするお節介さは、下にご兄弟がいる人にありがちですよぉ☆」 その代わり年上に褒められるとコロッといきますけどね、などといらない事をルイスは続けたようだが、大和は聞いておらず目を瞬いた。 「え、ダンテさんにご兄弟はいないはずですが?」 「それは公開しても問題ない方の情報でしょう?元 サマンサとレパルスは元々ダンテと知り合いだというが、それでは公開されている情報と明らかな時間的齟齬が生じるというルイスの説明には説得力がある。 「でも・・・・・・」 「では、知っていそうな人に聞いてみましょう☆」 イイ感じにテンションが上がったルイスに引っ張られて大和もキッチンに乱入するが、レパルスはクッキーを作っており、不快な人物×2に加えて、異物混入を危惧してぎろりと睨んできた。 「は?」 「ですから、お付き合いの長いレパルスさんなら、色々と知っているかと・・・・・・」 「純粋な好奇心です。他意はありませんよ〜☆」 サマンサに食べてもらうためのクッキーに悪戯をされることに比べたら、ダンテの情報など塵芥より価値がないので、レパルスはあっさりと知っていることをしゃべった。 「兄弟ならいたはずですよ。私が知っている、人間だった時のダンテさんは、農民階級出身のテロリストでした」 さらっと飛び出した衝撃情報に、大和は「て・・・・・・」と言ったまま開いた口が塞がらず、ルイスも長い睫毛に囲まれた目をぱちぱちと瞬いた。 「・・・・・・おやおや〜☆」 「そんな、反社会的な人だったんですか!?」 「あの陽気なフジツボは、見た目ほど人畜無害ではないと、何度も申し上げているではありませんか」 何をいまさらとでも言いたげなレパルスは、ややうんざりとした面持ちで、形の良い眉をひそめた。 「私たちが知り合った時には、すでに貴族を何人か暗殺していたはずです。親兄弟を皆殺しにされたのだとか・・・・・・まあ、私もまた聞きなので、詳しい事は知りません。拷問で声と顔と、ついでに髪の毛も焼かれて失っていたので、そう長くは生きられないと思っていましたが、今はあの通りです。ええ、知りませんよ。こちらで再会するまでに何があったかなんて、私は興味ありませんので」 すっぱりきっぱり言い切るレパルスに、ルイスは皮肉気な微笑を片頬に浮かべたが、大和は少しショックを受けている様子を隠せない。 「えぇと・・・・・・一応、ご友人、ですよね?」 「違います。むこうが勝手にそう言っているだけです。馴れ馴れしいお節介が、勝手に言っているだけです!」 レパルスの語気がだんだんと強まっていき、勢いよく引っ張ったパラフィン紙を出しすぎている。 「もういいでしょう、邪魔をしないでください」 ふんと広い背が向けられ、赤いリボンに結われた長い髪が揺れる。慎重に型抜きしているのを邪魔したら、文字通り鉄拳が飛んでくるに違いない。 「なかなか面白いお話が聞けましたね〜」 「そうですね。驚きました・・・・・・でも、なんとなく腑に落ちました」 食堂を後にしながらルイスが覗きこんだ大和の顔は、静かだが、なんとも言えない哀しげな微笑を浮かべていた。 「ダンテさんが僕に言わないのは、たしかに必要がない事だからです。知らなければよかったというほどではありませんが、知って何かができるというものでもなく・・・・・・。僕には文字通り『無関係』だと、理解も納得もできただけでした」 過ぎ去った過去に、手を伸ばして変えることなどできない。霧が晴れたそこに、大和は自分とダンテの間に歴然と存在する、底が見えないほど深い谷の存在を目視した気分だった。 無言でもさもさもさもさと頭を撫で繰り回されても、ダンテは文句も言わずにされるがまま大人しくしていた。 あの襲撃事件から一日経った夕方に帰宅許可が出たが、その時には傷痕も消え、髪もすっかり生えそろっていた。武蔵の視線は厳しかったが、それが「苦々しさ」なのか「呆れ」なのか「興味」なのかは、ダンテにはわからなかった。それだけ読ませない精神力と表情筋の制御力が強いのだろうが、「快癒ご苦労」という重々しい一言には、思わず敬礼したくなった。 (回復さえすれば、それでいいって人なんだな・・・・・・わかるけど) 生かすことが医師の使命なのだろうけれど、軍医ってあんな感じだったかなぁと、自分の従軍記憶が頼りなく感じる。たぶん、武蔵は間違ったことは言っていないが、自分を含めた味方に求める強度とかが規格外なのだろう。そのぐらいでないと、TEARSの支部司令官なんて務まらないのだろうが。 武蔵から大和を護ったことを改めて礼を言われたが、その大和はいまダンテを抱きかかえて頭をもふっている。ちゃんと毛が生えてよかった。 (もうちょっと気まずい感じになるかと思ったけど、さすがは大和さんだ) 大和を襲ったテロリストに情けをかけるなど、自分らしくないと感じつつも、放っておけなかった。心のままに生きると決めたのだから、自分の感情を抑えることはできても嘘はつけない。 もさもさもさもさ、とくせ毛をかき回していた機械の指が、ため息とともに止まった。 「ダンテさん」 「なぁに?」 先日の穴埋めにと大和からの誘いだったが、ベッドの上で何をするでもなく、さっきからずっと撫でられていた。 「昔のダンテさんの事を聞きました」 「どっちから?」 「レパルスさんです」 そういえば、レパルスに聞けとはダンテが言ったことだった。 「すみません」 「いいよー。それで?」 「・・・・・・いえ」 「?」 むぎゅっと大和の胸に抱きこまれてしまい、そんなに動揺させるようなことをレパルスは言ったのかと、眉間にしわが寄る。どこまでしゃべったのかと予想してみるが、ざっくりとした概要だけでも波乱に満ちた人生だったことを思い出して自己嫌悪に陥る。ドン引きされてもおかしくない。 「あー、ごめん。俺が余計なこと言わなきゃよかった」 「いえ・・・・・・こうして、元気でここにいてくれるので、それでいいです」 「そう?」 「はい」 たとえあの時代に大和がいたとしても、ミディアムに焼かれたダンテを助けられるとは思えない。『元気でここにいてくれる』というのは、たぶん、そういうことなのだろう。大和にとって、ダンテが人間かどうかは問題ではなく、現在健やかに生きているという事が重要なのだろう。 (それは・・・・・・そう思ってもらえるのは、すごく嬉しいな) 思わずにんまりと頬が緩み、ダンテも大和の体を抱きしめた。 「僕は、元気なダンテさんに、そばにいてほしいと思います。僕を護ってくださるのはありがたいのですが、怪我をされたくありません。自分の事も、大事にしてくださいね」 「うん、わかったよ」 「・・・・・・本当でしょうか」 まったく信用できないと言いたげな大和の声に、ダンテは笑いながら信用を買うことにした。 「じゃあ、俺が苦手なものを教えてあげるから、それを俺に近付けないようにしてね」 「わかりました」 大和の声音が機嫌よくなったので、取引は成功のようだ。 「宗教的な建物や物品はダメだよ。教会と神社には、近付きたくない。試したことないけど、モスクもダメだろうな」 「お寺はいいんですか?」 「なぜかそこまで拒否されないんだけど、あそこは不意打ちで大きな鐘の音がするから」 「なるほど。・・・・・・教義のせいでしょうか。仏教に神様はいませんし」 大和は首を傾げているが、ダンテは続けた。 「聖別された物・・・・・・例えば、聖水とかお神酒とかは、正直言って硫酸よりも俺に効く。洗礼式では蕁麻疹が出ただけですんだけど、ミサで配られたワインに触ったら、指先がでろでろに溶けてびっくりしたよ。徳の高い司祭だったからかなぁ。めちゃくちゃ痛いし、治るまで隠しておくのが大変で・・・・・・」 唖然と見下してくる大和を見上げて、ダンテは肩をすくめてみせた。お祈りは出来ても、それ以外がダメだとは思っていなかったのだろう。 「だから、そういう物が俺に当たらないように、大和さんが護ってね?」 「わかりました。任せてください」 そう言って水晶をちりばめた花のような微笑をひらめかせた大和に、ダンテは口付けた。 「ダンテさんにぶっかけていいのは、僕だけですから」 「実はけっこう根に持っているでしょ、大和さん」 今後はハグする相手も慎重に選ばねばと、ダンテは小さく苦笑いを浮かべて、自分の尻に伸びてきた手に身を任せた。 |