マリーゴールドのミニブーケ


 昼間で申し訳ないのですが、と呼び出しを大和から貰い、ダンテは夏の日差しが厳しい中、若干よろよろしつつも、名坂支部まで出掛けていった。
 UVカットのパーカーを頭からかぶり、色の濃いサングラスをかけた、背の高い外国人の男なんて怖がられそうなものだが、黒い半ズボンをサスペンダーで吊った育ちの良さそうな少年は、ぱっと笑顔になってダンテを出迎えてくれた。
「こんにちは、ダンテくん!」
「チャオ!羽黒くん。元気だった?」
「はい、元気です!」
 かがんで膝をついたダンテがサングラスを取って両手を広げると、毛先がくるんと巻いた長い黒髪を揺らして羽黒が駆けてくる。ダンテの遠慮ないハグを受けて、少し照れ臭そうに抱きしめ返す腕が細い。
 たとえ兄の大和のところに来るのだとしても、羽黒にはSPが付いている。安全と引き換えに、同じ年ごろの子供の自由さとは縁遠い羽黒が、わざわざ大和にお願いしてダンテを呼び出す理由はなんだろうか。
「夏休みが終わってしまう前に、どうしても会って渡したくて・・・・・・でも、こんな小さな物しか用意ができなくて、申し訳ない」
 はい、と白く小さな手で差し出されたのは、ビタミンカラーのミニブーケだった。
「わぁっ、マリーゴールドだね!可愛いなぁ。俺にくれるの?Grazie!!嬉しいなぁ、グラーツィェ!!」
「うむ」
 再びダンテからむぎゅぅむぎゅぅとハグされて、やっぱり照れ臭そうに、しかしどこか不満そうに羽黒は頷く。
「どうしたの?」
「だって、ダンテくんは花が好きだと聞いたから、もっと大きな花束にしたかったのだが・・・・・・」
 金はあると言っても、羽黒の話を聞いた花屋の店主が、小さい方がいいと譲らなかったらしい。本当は向日葵やカラー、トルコキキョウ、バラや蘭といった、大きくて華やかな花で作りたかったらしい。マリーゴールドも十分な大きさなのだが、羽黒にとっては庶民的というか子供っぽいというか、学校の花壇にも咲いているイメージで、イマイチだったようだ。
「うん、そうだね。たしかに大きな花束の方が華やかで、プレゼントにしたいね」
「ダンテくんもそう思うであろう?でも、マヨネーズの作り方を教えてくれるような大人が、僕くらいの子供から貰うなら、小さい方がきっと喜ぶ、って・・・・・・」
「アハハハハ!そうか、それはいい花屋だな。よくわかっている。素晴らしい仕事だ。羽黒くんは、とてもいい花屋を選んだね」
「・・・・・・そうなのか?」
「うん!それに、自分の意見を抑えてプロの意見を聞き入れる度量があるなんて、大人でもなかなかできないすごい事だよ。本当にすごい、冷静で賢明な判断だ。えらいなぁ」
 いいこいいこと頭を撫でられて、やっと羽黒の口角が上がり、頬から不満そうなふくらみが抜けた。
「では、僕の判断は正しかったのだな。でも、ダンテくんはそれでいいのか?どうして小さい方がいいのだ?」
「そんなに大きな花束じゃ、大好きな羽黒くんの顔が隠れて、見えなくなっちゃうじゃないか。花束を抱えていたら、羽黒くんを両腕で抱きしめることもできない。大きい花束も嬉しいけど、俺にとっては、このくらいが、一番ちょうどいいんだよ」
 ダンテにあっさりと即答されて、羽黒は小豆色の目を見開いた。子供らしい素直な「目からウロコが落ちた」に、ダンテもニコニコと微笑む。
「なるほど、そういうものか」
「そうだよ」
 子供だから不相応、子供だから小さい物を、という安易な理由はダンテにはない。おそらくだが、利益よりも花を貰う方の事を考える花屋も、見栄や金額といった生臭い事を、羽黒に直接言うことを避けたのに違いない。
「それで、俺はこんなに素敵なプレゼントをもらえるようなことを、何かしたかな?」
 心当たりがないのだけれど、とダンテが見上げると、羽黒はむしろ怒ったように唇を尖らせて、腰に手を当ててふんすと小さな鼻を鳴らした。
「心当たりがないのは困る!ダンテくんは僕にマヨの作り方を教えてくれた。その礼をきちんとしていないとあっては、小鳥遊の名折れだ!」
「え・・・・・・えぇ・・・・・・と、あの時、俺は羽黒くんから『ありがとう』と言われた記憶があるんだけど?」
「それはきっと、あの部屋から出られた礼だ」
 そうなのか、と納得できるような、別にどっちでもダンテは気にしてないのだけれど、礼を言いたいというのなら、受け取っておくべきだろう。
「そうか。どういたしまして」
「そそそれからっ・・・・・・えっと、お、たんじょうびも、おめでとう・・・・・・!」
 慌てたらしく若干噛んだが、白い頬を赤くした涼やかな面立ちがキリッとしている。
「え・・・・・・」
「今月だったと、さっき・・・・・・」
「ああ」
 大和が話したのだろう。いまは羽黒のために席を外しているが、扉の向こうにいる気配はある。年の離れた弟を大事に思っているというのが、よくわかる。羽黒は、大和の弟だ。
「Grazie・・・・・・ありがとう。あの、とても嬉しい・・・・・・」
「ダンテくん?」
 遠い記憶の中にある、幼い面影が重なったなんて、羽黒には言えない。
「年下からバースデーを祝われるって、とても久しぶりで、なんだか感動してしまったんだ」
「ダンテくんにも兄弟がいるのか」
「あぁ・・・・・・」
 何と答えたらいいのか、迷っているうちに、羽黒の方がなにやら察してくれたようだ。賢い子だなと感心すると同時に、早く大人になることを求められているような彼を、少し気の毒に思う。
「俺も、羽黒くんのバースデーをお祝いしていいかな?」
「もちろんだ」
 胸を張る羽黒に促され、ダンテは来年の予約を指切りで約束した。

 ダンテくんはもちもちして気持ちがいい、と羽黒が目を輝かせて言うので、大和は必死に笑いをこらえていた。うっかり同意してしまうと、なぜ知っているのかと突っ込まれた時がまずい。もちもちしていると言われたダンテはお構いなしに、華奢な羽黒をこれでもかとハグして、満足そうな羽黒が、「小鳥遊羽黒」の顔に戻って高級車に乗り込んでいくのを、大和と一緒に見送った。
「ありがとうございます。子供の相手がお上手ですね」
「いやぁ、俺の方が、エロスの矢が胸に刺さったかと思ったよ?見てよ、これ」
 スモーキーな水色の包装紙に映える、濃い緑、個性的な紅色、鮮やかな黄色、燃えるようなオレンジ、そしてその中間の、まさにゴールドに見える濃黄色の花びらの集合体を、ダンテは指差した。
「この色のマリーゴールドが、俺の誕生花。可愛いでしょ?」
 ハートにズキューンときた、などと呟きながら機嫌よく花冠に口付けたダンテの顔が、質感の異なる手に挟まれて、ぐいっと横を向かされる。そこには、拗ねたように唇をへの字にした涼やかな美貌があった。
「う?」
「浮気はダメですよ。ダンテさんは僕のですから」
「・・・・・・なぜ小学生の弟にやきもちを焼くかな、この可愛い人は」
「羽黒は僕の大事な弟です。僕が釘を刺しているのは、ダンテさんにです」
 それを聞いて、ダンテの口元がほころぶ。ダンテが年下を可愛がる兄貴分に弱いことを、大和はまだ知らない。
「もちろん。そういう意味での興味は、大人にしか湧かないからね」
「そうですか・・・・・・そういえば、ダンテさんは僕の従弟の事は嫌いなんですね」
「あぁ」
 急降下したダンテの声のトーンに、大和は小さく肩をすくめる。
「気持ちはわからなく無いのですが・・・・・・」
「権力を振りかざして、人を人と思わず、同じ命を弄ぶ人間が、一番嫌いだ」
 大和の前だから激発しないよう自重しているのだろうけれど、ダンテの言葉の底に流れる溶岩を感じて、大和は視線を転じた。
「僕も、霞くんのようになる可能性がありました。僕があんな風だったら、どうします?」
「好きになっていない。興味もないな」
 冷淡すぎるほどの即答で、大和は思わず微笑んだ。
「安心しました。ダンテさんは、僕の外見にしか魅力を感じていないかと思っていたので」
「あれ?言葉が足りてなかった?そこも褒めていい?」
「いりません。いまの確認だけで、十分です」
 むしろ霞のように歪んだ価値観を育ててしまう家の人間だと罵ってほしいと大和は思うのだが、言えば、そんな環境にいても歪まなかった大和自身を十倍の言葉で褒められてしまうので、大人しく口を噤んでおいた。大和と霞が揃ってマゾヒストなのが、先天的なものか、後天的なものなのかも、今は考えないでおく。羽黒にこの嗜好が発症しない事を、未来に願うばかりだ。
 急速に日差しが陰りはじめ、夕立が来そうな空模様の下へ、ミニブーケを大事に抱えたダンテが踏みだしていった。「Ciao!」と振られる手に振り返せば、瞬きの間に、フード姿が遠く消えていく。
 大和は園芸に関しての知識を多く持っていないが、かつて婚約者だった人から聞いたことがある中に、マリーゴールドは土壌改善の効果があるというものがあった。花壇や畑で、関連のない他の植物と一緒に植えられているのはそのためらしい、と。ダンテに何度もハグされて、無償の温もりに恥ずかしそうに頬を染めた、羽黒の子供らしい笑顔を、大和は貴重に思う。