隠れた牙


 まったくもって予定外なのだが、大和は片頬を少々赤くして外出する羽目になった。派手な紫色にはなっていないが、擦り傷になったらしく、少しヒリヒリする。
「どうしたの、その顔は?」
「うちの職場では稀によくあることです。何もないはずのところから砲身が旋回してきたようなものですから、気にしないでください。それより、ダンテさんの方が重症に見えますが?」
 大和の前にいる遊び相手は、いつものふわふわした巻き毛頭が見る影もなく、包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「ただのこぶだよ。近所を歩いていたら、老朽化した道路標識が倒れてきたんだ。ちょうど周りにも人がいて避けられなくてさ」
「そうでしたか・・・・・・災難でしたね」
 生き残っている人間の最低限の生活をカバーするのに精いっぱいで、行政レベルの対応が困難になってきているのだろう。普段は前線にいる大和だが、ふとしたことで銃後の荒廃を知ると、うすら寒い気持ちになるのを止められない。
「お互いにね。あぁ・・・・・・俺の大切な大和さんの顔が・・・・・・」
「そんなにこの顔がいいですか?」
「うん!とっても綺麗だからね!ずっと見ていたいな」
 ダンテは大きくうなずくが、大和にしてみれば、別に自分で努力して獲得したものでもないし、皮膚を取り払うまでもなく年を重ねれば衰えるものなので、そう手放しに褒められても困惑するばかりだ。けっして、嬉しくないわけではないのだが・・・・・・。
「他に気に入る所はないんですか?」
「俺は大和さんがお医者さんだから付き合いたいわけじゃないし、一緒に慎ましく暮らしてくれる女の子じゃないし、被虐欲求の多いド変態マゾのどこを気に入れと?」
「あぁっ、僕の中身を全否定された気がしました」
「大和さんこそ、俺の語学力や顔が目当てじゃなくて、無料でSM趣味に付き合ってくれるところだろう?」
「うぅん、そうですねえ・・・・・・知り合いにすごく僕好みの罵倒をしてくれる無自覚天然サドがいるんですけど、なかなか罵ってもらえなくて」
「そりゃあ、興味ない人にとったら、気色悪さを掲揚台に高々とはためかせているようなもんだし。むしろ近寄るなって思うだろうし」
「はぁっ、素敵です・・・・・・もっと言ってください」
「あのねぇ・・・・・・」
 頬を染めて呼吸を荒くする大和を前に、ダンテはがっくりと頭を垂れる。
「俺はサドじゃないって、大和さんも知っているでしょ?好きな人相手に、そうポンポン罵倒なんて出てこないの。そりゃあ最初に会った時は、通りすがりの俺に踏んでくださいとか言い出すから、うわこの人美人なのにヤバい変態だって、正直ドン引きで思いっきり踏みまくったけど」
 うんざりした顔と声のダンテだったが、大和を見下ろしてすぐににっこりと微笑んだ。
「でも、とても綺麗な大和さんが、そういうえっちな顔をするから、可愛いなぁって」
「ふあぁ・・・・・・っ、あの時の蹴りはとても新鮮な感覚でした。あのくらい手加減なくてもいいんですよ」
「そういう危なっかしいところが、放っておけないんだよねえ」
 ダンテはやれやれと仕方なさそうに微笑み、本日のプレイメニューと称していくつかの革ベルトが付いた鎖を取り出した。
「ねえ、大和さん。大和さんの行きつけのSMクラブって、部屋のレンタルはしてないの?」
「え?・・・・・・どうしてですか?」
 大和はいそいそとシャツを脱ぎながら、あれこれ道具を用意するダンテを見返した。
「普通のホテルだと器具が無いから、あんまり大胆な遊びができないからさ」
「ああ、そうですね。今度確認してみます。うふふ、固定台も滑車も、色々ありますよ。ああ、木馬なんてどうですか?僕、あれ好きなんです」
 三角とは言わないが、形状もサイズも色々で、上にまたがるのはもちろん、抱き枕のように抱えたり、逆に仰向けで固定されたりと、使い方は色々である。
「女王様に鞭でしばかれながら、『もっと嘶け、駄馬ァ!』とか言われているんだ・・・・・・」
「なんでわかるんですか?」
「他にどう解釈しろと?」
 大和に付けられた首と両手足の拘束は背中側の鎖に集約され、かろうじて座ることは出来ても、立ち上がることは出来ない。
「前から思っていましたけど、こういうのにあまり抵抗がないんですね?」
「ないわけないでしょ。大和さんの為に勉強したの」
「アナルセックスも?」
「ああ、それは経験があったから。どうされると痛いかぐらいは知っているよ」
「へぇ・・・・・・はぁっ!?」
 驚きすぎた大和はベッドの上で転がりかけたが、ダンテが支えてくれた。
「あぶなっ・・・・・・え?なんで?」
「いえ、あの・・・・・・彼氏さんがいたんですか」
「いないよ」
「ふぁっ!?えっ!?じゃあ、彼女さんに・・・・・・」
 それはそれで大和に匹敵しかねない変態プレイなのではと思ったが、ダンテは柔らかく笑って首を振った。
「ちがう、ちがう。強姦されたことがあるってだけ」
「え、あぁ・・・・・・あ、あの・・・・・・すみません、でした」
 混乱しすぎた大和は、それだけしか言えなかった。自分の快楽のために、相手の生傷をひっかくような真似をしたのではと青くなったが、当のダンテはあっけらかんと否定した。
「大丈夫だよ、謝らないで。ほら、俺って大きな音が苦手でしょう?昔、それを知られた相手に騙されて、のこのこついて行っちゃってさ」
 少しばかり階級が上の数人に輪姦されたのだと、ダンテは肩をすくめてみせた。ただでさえそんなところを使ったことが無いのに、無理やり聞かされる爆音で体が強張ってしまい、相手もたいして気持ちよくなかったのではないかと笑う。
「あ、病気はもらわなかったからね。大丈夫。安心してね」
「それは・・・・・・あの、そういうことではなくて、ですね・・・・・・」
 たしかにダンテが病気にならなかったのは良い事だが、気遣われるべきはそこではない、と大和はもどかしく思った。何と言えばいいのかわからないし、鎖とベルトで身動きもままならない状態では思考がまとまらない。
「あの、これ一度解いてもらえますか?」
「やだ」
 いままで一度たりとも大和の望むプレイに逆らわなかったダンテの拒絶に、大和は愕然と目を瞠った。
「僕が外せと言っているんです」
「いまはだめ。大和さんが怖い顔してるから」
 そう言うと、ダンテは大和の肩にシャツをかけて、柔らかく腕に抱き込んだ。
「もう彼らは全員死んでいる。これ以上どうにもならないよ」
 わかった?と諭すように囁かれ、頭を撫でられても、理解はしても感情の迸りが止まらない。気に入っている友人を他人に侮辱されて腹を立てるのは、至極当たり前ではないか。
「あなたは、僕に怒ることすら許さないつもりですか」
「怒りというのは、エネルギーの大きな損耗だよ。特に、意味のない憤懣は、時に自身を傷付ける。あの時、俺は充分に怒った。だから、大和さんまで怒る必要はないよ。少し落ち着いて」
 ダンテは動けない大和をベッドに転がすと、そのままころんころんと大和の体を左右に転がして遊び始めた。
「ちょっ!?ぶふっ!だ、だんてさ・・・・・・っ」
「あっははははは。ぶったり蹴ったりって、正直やりたくないんだけど、こういうのは楽しいな!」
「僕でっ、遊ば、ないでっ、うひゃあっ!?」
 エアートランポリンで遊ぶ幼児のように、ベッドのスプリングを弾ませながら転がるのに疲れて、大和は芋虫のように這いずってダンテの手から逃れた。
「はあぁーっ・・・・・・はぁぁ・・・・・・目が、回りました・・・・・・」
「はぁ、楽しかった!!あははっ」
「なんというか・・・・・・ダンテさんは、僕が知っているのとはベクトルの違うサドだったんですね」
「え?そう?ちょっと心外だなぁ」
 そういう割には、ダンテの吊り上がった唇から犬歯が覗いている。大和はもう一度、もぞもぞと這いずって、なんとかダンテの膝の上に頭を落とした。
「はぁっ、それで、何の話でしたっけ?」
「もう忘れてよ・・・・・・む、そんなに可愛く膨れられると・・・・・・」
「根掘り葉掘り聞くつもりはありませんが、せめて僕が大切な友人と思っているダンテさんを侮辱した人間が受けた罰くらい聞かせてください。スッキリしません」
 大和の膨らんだ頬をダンテの指先がつつき、仕方なさそうに肩を落とした。
「さっきも言ったでしょ、俺はちゃんと怒ったの。でも、曲がりなりにも国防を担う同僚を、自分の手にかけるなんてできないでしょう?」
 ダンテの昏い笑みに大和は内心身構えたが、すぐに穏やかな青い眼差しと柔らかな声が降ってきた。
「『尻しか役に立たない』『腰抜けにできることはない』って言われたからね。俺はなにもしないで、見ていただけだよ。そうだねぇ、いつのまにか互いに武器を取るほどいがみ合ったり、なぜか敵のど真ん中に孤立しちゃったりなんて・・・・・・」
「あっ、僕はいま、本当に聞いちゃいけない事を聞いたようなので、忘れることにします」
「うん、そうして欲しいな」
 くすくすと笑うダンテの指先が、大和の額にかかった髪を撫ではらい、首と手足の拘束を解いた。
「ね?俺だってちゃんと怒れるんだよ。それで・・・・・・ねえ、大和さん。俺も答えたんだから、聞かせてくれる?」
「なんですか?」
 大和が振り向いた先で、ダンテは目元の緩さを保ったまま、犬歯が見えるようにニタリと唇を歪めていた。
「その顔の傷、誰にやられたの?」
 ここに来るまでに予測していた問だったので、大和は用意していた答えをすんなり出した。
「職場でのことは、職務規定や守秘義務に抵触するので、言えないんですよ。心配してくれて、ありがとうございます」
「あ、そうか。ごめんね、もう聞かないよ」
 一瞬でいつもの穏やかな空気に戻ったダンテが、申し訳なさそうに頭を下げるので、大和は巻かれた包帯を崩さないように撫でた。
「ふふふ。ダンテさんの聞きわけが良いところ、素直な年下らしくて可愛らしいと思います。常識があるって、いいことですねえ」
「大和さんは歩く非常識趣味なのになぁ」
「本当ですね」
「ちゃんと肯定するんだ!?」
 当然です、と大和は頬を染めながら胸を張ると同時に、内心の冷や汗を拭った。すんなり引き下がってくれたからよかったものの、回答次第では危ないところだった。
(この人、その気になったら鎮守府にも侵攻してきそうですよ!謀略で同士討ちさせられたらたまったものじゃありません!)
 出会った頃よりもずっと無邪気な笑い方をするようになったダンテが、実のところ猟犬のような執拗さと容赦のなさを持っていたと知れたことが、もしかしたら今日一番の収穫かもしれない。
「お互い負傷中ですし、今日はもうこのままだらだらしましょう」
「それでいいの?」
「いいんですよ、たまには。あ、舐めてもいいですよ。痛いですから」
「やったー。大和さん大好き」
 頬の傷を舐められるピリリとした痛みにクスクス笑いながら、大和は抱き枕に抱き着くように、温かな体を抱きしめた。いまは大和が独り占めしている、その事実が、この手から逃げないように。