ギブ&テイク ―1―


 待ち合わせ場所の壁に背を預けているパーカー姿を見つけ、小鳥遊大和は小走りで横断歩道を渡った。ブーツのカツカツという音に気が付いたのか、手元のスマートフォンに向いていた視線が上がり、フードの下から淡い色のサングラスをかけた男の顔が微笑んだ。
「お待たせしました」
「こんばんは。春風のような足取りだね」
 おさげにした長い黒髪のおくれ毛をかきあげる大和を、サングラスの向こうから、青い目がまじまじと上から下まで眺める。日が落ちるとまだ肌寒い季節であり、大和はコートにロングブーツ姿で、大きなトートバッグを肩にかけている。
「・・・・・・着てないの?」
「着けていますよ?」
 なにを、と言わない質問に、なにを、とは言わない返答をすると、欧州人らしい彫りの深い顔が近づいてきて、流暢な日本語を滝のように流し込んでくる。
「まだ明るいのに、そんな恰好で歩いてきたの?お巡りさんに捕まるよ?いますぐそのコートの前を開いて、自分がどんな格好して興奮しているのか、通行人に見せたいんでしょ?大和さんの変態。すけべ。ドM。露出狂。変態変態変態変態!」
「はぁんっ、蔑みの機銃掃射っ・・・・・・ぁ、ありがとうございます・・・・・・っ」
 耳元で囁かれただけで脚がガクガクしはじめてしまい、差し出された腕に縋りつくようにして歩けば、仲の良いカップルに見えなくもない。・・・・・・二人とも、それなりの体格をした、男性なのだが。

 使い慣れたホテルの部屋に入るなり、大和は着替えの入ったバッグを放り投げ、景気よくコートとブーツを脱ぎ捨てて、相手の足元に五体投地しかけて止められた。
「何で止めるんですか」
「踏む前に、やることがある」
 右腕と左脚のメカニカルな義肢にも、白い肌に喰い込む深紅の縄にも、布一枚にしか遮られていないスリルに勃起した男性器にも、さして興味を持った様子もなく、フードとサングラスを外した男は大和を床に四つん這いにさせると、その上にどっかりと座った。
「ああっ、今日は家具プレイですか!?」
「そうだなぁ、一時間はかからないと思うよ」
 備え付けの椅子を引っ張ってきて、その上でノートパソコンを開くと、男はパチパチとリズミカルにキーを打ち始めた。
「・・・・・・あの、ダンテさん?お仕事ですか?」
「そうだよー。大和さんが急に呼び出すんだもん」
「外国語の講師だと思っていましたが、翻訳のお仕事も?」
「ははっ。・・・・・・ほら、人間椅子の大和さん!へたらないでしゃきっとする!」
「はぁいっ!」
 ぺちんっと尻を叩かれて、大和はぐっと胴に力を入れた。こっそり仕込んである肛門拡張用のプラグも締め付けてしまって、顔がだらしなくなるのは仕方がない。
(こういうタイプの放置プレイも、なかなかイイですね。うふふふっ)
 大和が、自称文学青年ダンテ・オルランディに知り合ったのは偶然だ。財布目的で絡んできたチンピラ達の拳と蹴りが気持ち良くなっていたところに、たまたまダンテが通りかかって追い払ったのがきっかけだ。
 教育的指導の名目で痴漢撃退スプレーをふりまかれ、せっかくの快楽を台無しにされた責任を取れと迫ったら、容姿を褒められて危ない事をするなと説教された上で、「俺で良ければ」と気を失うまでボコボコに蹴られた。言っていることとやっていることが矛盾しているようだが、顔には一切傷を付けなかったし、ビジネスホテルの一室で大和が目覚めた時には、手当も終わって新しい着替えが揃えて置いてあった。ダンテ本人は、すでに姿を消した後だったが。
 ダンテを優良物件認定した大和は、その後、意外と早く彼を探し出し、条件をひとつ飲むことで、気が向いた非番前夜に呼び出すようになっていた。そういえば、ダンテにサディストなのか確認したことはない。大和が自他ともに認めるマゾヒストなのは、見ればわかる。
 たっぷり三十分は、大和は背中に他人の尻を重みと一緒に受け止めていたが、その間一切の容赦はなかった。硬い床についた手のひらと膝、縄が食い込む背中、およそ成人男性一人分の重さを支え続ける肩と腰・・・・・・それらが訴える痛みと疲労が、低く長い快感となって、体の芯を疼かせる。
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・っん・・・・・・」
 キーを打つ軽快な音が続き、時折止まっては姿勢を変えるその度に、背中にかかる重心が移動して、縄がこすれる皮膚や背骨が、軋むように苦痛を訴えた。
「うーん・・・・・・」
「ッ、はっ・・・・・・ぁ、ああッはぁっ・・・・・・」
 なだめるように後頭部を撫でられ、その手はすぐに仕事に戻って、またキーを打ち始める。こちらを見向きもしていないような気配に、思わず腰が動きそうになるのを、必死でこらえる。
「くっ・・・・・・はぁっ・・・・・・」
「ん、よし。ご苦労様」
 ぱたんと端末が畳まれる音に続いて、大和の背中からふっと重みが退いていった。
「はぁっ、はぁぁ・・・・・・」
「記録、四十八分。つらかった?」
 ぺたんと座り込んだ大和にかけられる声に、首を振って否と答える。
「気持ち、よかったんですが・・・・・・もうちょっと、刺激があった方が・・・・・・」
「ああ、そうか。大和さん、激しいのが好みだからなぁ」
 難しいな、とダンテは穏やかに目尻を下げて、屈託なく笑う。そして、期待を込めて次を促す大和の視線に、青い目は表情を変えない。
「がふっ・・・・・・!」
 菱縄縛りの網目を縫って鋭く腹に刺さった爪先のせいで、大和は体を曲げて床に這いつくばった。
「ぐ、ハッ、ァ・・・・・・がはっ、ぁ、ぁあああッ!!」
 肩甲骨の間にスニーカーのかかとがめり込み、背骨から気管が圧迫されて、息が吸えない。苦しさに無理やり起き上がろうとすれば、その度に靴底が踏み下され、大和の白い肌に靴跡がスタンプされる。
「ああっ、はぁんっ、はあぁ・・・・・・あぁ、もっと・・・・・・もっと踏んでください・・・・・・っ」
「んもぉー。俺は大和さんの自動足蹴り機じゃないんだけどなぁ・・・・・・。大和さんが気持ちよさそうな顔するから、こうして、踏んで、いるんだけどっ」
「はいっ!ぁあぅ、ありが、とう・・・・・・ございますっ、がふっ!?げほっ・・・・・・!」
 それまで踏み下されていた足が、水平移動してわき腹にめり込む。大和の体は、鋼のよう、とは言わないまでも、きちんとついた筋肉に守られている。しかしそれでも、内臓への殴打はかなりハードだ。
「はぁっ、あぐっ・・・・・・!げほっげほっ・・・・・・っはぁ、はぁん・・・・・・ぁうっ!」
「緊縛の練習に人体模型貸してくれるって言ったけど、内臓落として壊したら困るからって断ったよ。だからって自分で縛ってくることないでしょ?俺に何もやらせない気なの?あと、お尻に突っ込んである物、ちゃんと気付いているからね?・・・・・・聞いてる、大和さん?」
 腹部への攻撃が一時収まり、乱暴に髪を掴まれて顔をあげさせられる。
「うっ・・・・・・はぁ・・・・・・はぁ、怒ってます・・・・・・?」
 しかし、ダンテは不思議そうに目を瞠って、少し首を傾げる。短く整えた栗色の巻き毛が、ふわんと揺れた。
「怒ってないよ。ただ、俺のレパートリーが少ないから、大和さんが自分でやっちゃうと、俺が喜ばせてあげられないなーって・・・・・・」
「え・・・・・・あ、そういう・・・・・・」
「?」
 顔が熱くなって切れ長の目が気まずそうに漂うのを、やはり青い目は不思議そうに見ている。
「セルフボンテージがいいなら、それでもいいけど・・・・・・」
「いいえ。やはり、僕が配慮不足でした」
 ダンテがいろいろ付き合ってくれるから浮かれすぎていたと謝ると、暴力行為とは無縁そうな、ほんわかとした笑顔が、白い犬歯を覗かせた。
「じゃあ、これはいらないね?」
「・・・・・・っ!?」
 大振りのカッターナイフが肌と縄の間に差し込まれ、ゆっくりと繊維を断ち切っていく。
「っ・・・・・・ふ、ぅっ・・・・・・」
「怖い?」
 ぶつん、ぶつん、と脇を這う縄がちぎれ、最後に首にかかった一本が、ぎちぎちと刃に引っ張られる。
「多少、は・・・・・・」
 ぶちんっ、と縄が切れると、ナイフはすぐに仕舞われ、代わりに手錠付きの首輪が出てきた。
「はい。今日の俺は、こっちの気分なんだ」
「はいっ・・・・・・!」
 首輪をかけてもらい、首輪から短い鎖で繋がった手錠でそれぞれの手首を拘束すれば、腕をあげることも、下肢を隠すこともできなくなる。
「はぁっ、はぁ・・・・・・っん」
「大和さん、恥ずかしい格好大好きだね」
「はいっ、大好きです!」
「じゃあ、これもどうぞ」
 すぽんとアイマスクを付けられると、視覚を奪われた体が、ぞくぞくと快感を訴えて一気に燃え上る。
「あぁっ・・・・・・」
「はい、ベッドに上がってね」
 次はどんな痛いことをしてくれるのかと期待していると、剥ぎ取られた縄の下にあった皮膚に、ザラリとした痛みが走った。
「ィッ・・・・・・!」
 自分で縛ったので、さほど複雑な結び目にはなっていなかったが、それでも粗目の縄に擦れて赤くなった場所は多い。執拗に擦過傷を舐めて、時には噛むように強く吸い付かれるのは、付き合い始める最初に受け入れた「血を舐めてもいい」という条件だ。
「はぁっ・・・・・・ぁ、うっ・・・・・・」
 ちくっとした痛みに身をすくませるが、アイマスクを取れば紫色のキスマークになっているのを確認できるだろう。約束と、物理的に両手を塞がれた拒否できない拘束感に、硬く立ち上がった先端から我慢できない先走りがにじんだ。
「そんなに、お好きなら・・・・・・噛んでも構いませんよ?」
「・・・・・・大和さんは、俺に誘惑ばかりするんだから」
 温かく湿った感触が亀頭を覆って、柔らかな舌がねっとりと裏筋を舐めていく。
「ぅ、あ・・・・・・ッ!?」
 ちろちろと鈴口を舐めていたかと思うと、唇がカリを扱いて、前歯が悪戯にかすめていく。ごりごりと上顎を擦るたびに、喉の奥へ誘い込むように舌が絡みついてくる。
「はっ、ぁあッ!だめっ・・・・・・ですッ、さ、さきっぽばっかりっ、ひっ!ぃ、あぁっ、あっ!イっちゃうっ・・・・・・でちゃい、ますからぁッ!」
「ん?」
 大和は強すぎる刺激を訴えたのだが、ダンテは先端だけでは駄目だととったのか、指を使って根元からゆるゆると扱きだした。
「ぁあっ!あっ、やだっ、イくッ・・・・・・!放して、くだ、さ・・・・・・ぁッ!も、だめっ・・・・・・で、ちゃ・・・・・・ぁァッ!!」
 じゅるっと吸われて、声にならない悲鳴を上げた大和は、ガチガチと手錠を鳴らしながら、ダンテの口の中へ吐き出した。