大事なことなので ―5―


 緊急出動命令を受けて、赤城は一人で夜の小学校を歩いていた。長門と時雨は、市街地の真ん中に出現した強力なアンセラに対応中だ。
『いま応援がむかっていますから、赤城さんは無理をせず、慎重に行動してくださいね〜』
「はいっ」
 廊下は明るくても、ひと気のない静まり返った学校と言うのは、やはりどこか不気味だ。インカムから聞こえるルイスの声が頼もしい。
 報告では、まだ人型を保っているものが一体だけ目撃されているそうなので、赤城は忙しなくなりがちな歩調を抑え、慎重に探索を続けた。
(泣き声?)
 どこからか、ああーん、ああーん、という泣き声が聞こえて、赤城は足を止めた。
(野良猫かな?こんな所に赤ちゃんがいるはずないし・・・・・・)
 校舎の外で鳴いているのだろうと思いながら歩みを進めるも、どうも進行方向からその鳴き声は聞こえてくる。
「ぁっ、あぁー」
「んまぁー。ああーん」
「本当に赤ちゃん!?」
 リノリウムの上でもぞもぞと蠢くふたつの塊は、大きな頭に短い手足をばたつかせ、たしかに赤ん坊のように見える。あわてて保護に乗り出そうとした赤城であったが、それらが服を着ていないことに気付いて足を止めた。テラテラとした黄土色の物体は、赤城にも嗅ぎ覚えのある血生臭さを放っていた。
「うっ・・・・・・!?」
 完全なホラーだった。だが、悲鳴をあげないために、かすれた声が上ずるのだけは止めようがなかった。
「ル、ルイスさん!」
『どうしました?』
「あ、あの・・・・・・あのっ!」
 どう説明していいかわからない。赤ん坊に見えたのは、“赤ん坊に見える肉塊”だった。ぶよぶよとした体に短い手足、大きな頭にはしわが寄り、その隙間から神経をひっかくような鳴き声を出している。そして、二匹いた片方がボコボコと膨らみだした。
「うそ・・・・・・」
 みるみるうちに成長した肉塊は、赤城と同じくらいの体格になり、いくぶん低くなった唸り声をあげてこちらに向かってきた。意外と速い。
「っ・・・・・・!?」
 だがその前に、そばの階段横の暗がりから、同じ大きさの影が近寄ってくるのを察知した赤城は、素早く後退してクロスボウを構え、ためらうことなく引き金を引いた。そして、ターゲットが倒れるのを確認する前に次弾を装填し、床から飛び掛かってきたものに矢を撃ち込んだ。
「ひっ・・・・・・」
 べちゃりと地面に落ちた物に、赤城は思わず目を瞑って、酸っぱくて苦いものを飲み込んだ。矢が貫通した赤ん坊っぽいものなんて、絶対に見たくない。
 だが、目を開かなくては自分に迫ってくる敵を撃てない。赤城は多大な意志を込めて瞼を上げ、今度こそ悲鳴を上げた。
「いやぁああぁっ!!」
 ついさっき成長した個体がぶるぶると震え、赤ん坊サイズの増殖体を三つ四つと、さらに続々とその体表からひりだしていた。小さな増殖体たちは鳴き声の合唱を上げながら、カエルのような勢いで赤城の脚や腰にとりつき、地面に引き倒そうとする。
「ひいいっ!いやっ!放して!」
 赤城がもがいているうちに、もう片方の初期増殖体まで成体になって近付いてきていた。狙いを付ける時間がないと焦る赤城の後ろから、駆け寄ってくる足音と共に、黒くて大きな影が飛び出していく。
「せ・・・・・・」
 タクティカルジャケットに包まれた見上げる上背と、白々とした灯りに翻る金髪に、赤城は息を呑んで瞬いた。
「レパルスさん!?」
「お待たせしました」
 落ち着いた低い声が、彼の身の丈を越えるほどの棍棒を振り回して、成体を打ちのめしたのち、増殖体も器用に叩き落としていく。
「怪我はない?すぐに剥すから、もうちょっとだけがんばって」
「え?えっ?」
 後ろから聞こえてきた声は、赤城の脚や背中をよじ登ろうとしていた塊を引きはがし、地面に叩きつけてはブーツでぶちんぶちんと踏みつぶしていく。
「はい、全部取れたよ。怖かったねぇ。もう大丈夫だよ」
「ダンテ、さん・・・・・・?なんで・・・・・・」
 赤城が振り仰げば、栗色の巻き毛頭の青年が、レパルスと同じTEARSのタクティカルジャケットを着て立っていた。ベルトポーチを多めに装備し、濃い銀灰色の金棒を担いでいた。
「なんで、バット・・・・・・?」
 どう見ても金属バットである。しかし、持ち主の方は赤城のそんな呟きはスルーして、屈託ない緩い笑顔でこの場にいる理由を述べた。
「夜間アルバイトだよ」
「アル、バイト・・・・・・ですか」
 それでいいのかと赤城は首をかしげたくなったが、ここにいるという事は、許可は出ているのだろう。
『応援は到着したようですね〜』
 応援が来るとルイスは言っていたが、それがレパルスとダンテだなんて聞いていないと、赤城は肩を震わせた。
『状況を』
「あ、赤ちゃんみたいなものが・・・・・・人間の赤ちゃんみたいな見た目のものが、うようよいます!すぐに大人サイズまで成長するみたいですけど・・・・・・大きくなると、また赤ちゃんサイズが分裂して増えるんです!」
『わぁ、それは困りましたね・・・・・・こちらではうまく捕捉できてないんですよぉ。総数や元凶個体は確認できますか?』
「いえ、全部は・・・・・・」
「赤城さんが、成体一匹と幼体一匹を倒しています。私が叩き落としたのが、成体一匹、幼体三匹、ダンテさんが潰した幼体が四匹。目視できる範囲で、まだ四匹と・・・・・・崩れかけている成体が一匹いますが、元凶と言われても・・・・・・」
『おそらく、増殖体はコアもない・・・・・・切り離されたエネルギーだけで動いている、トカゲのしっぽの様なものだと思われます。新たなエネルギーを摂取できなければ、いずれ力尽きるでしょうから、元凶を探してください』
「了解。俺が行く」
「お任せします」
 ダンテは床で蠢く増殖体たちを煩げに踏みつぶしつつ進んでいったが、赤城はレパルスに護衛されながら、そこから下がるように指示が出た。さすがに赤ん坊のような見た目のものを、未成年の女の子に始末させるわけにはいかないという司令部の判断だ。
『うわ、ぁ・・・・・・これか。見つけた。けっこうデカいなぁ。ぶくぶく増殖してるけど、あのエネルギーはいったいどこから来るんだ?』
『対処できそうですかぁ?』
『大丈夫だと思うよ。とりあえず、蛇口を閉めとこうか。そおぅれっ!』
 緊張感のない声が消えた数秒後に、赤城とレパルスは、ばぎゃぁんずしぃんと重い地響きを感じた。なにかぶつかったのかとあたりを見回したが、あの音は、いま逃げてきた方向から聞こえたようだ。
「なに・・・・・・」
『ごめん、ルイルイ。床と壁と窓が割れた。あと、目標は沈黙・・・・・・っていうか、爆ぜてバラバラになった』
『ルイルイはやめ・・・・・・』
『あ、コアみっけ。おりゃっ』
 延々と増殖体を生み出す元凶は、どうやら討伐されたようだ。
『被害者と思われる欠片を発見。なるほど、同僚を喰って増えていたわけか。ナムアミダブツ、ナムアミダブツ』
『おや、改宗されたんですかぁ?』
『そうじゃないけど、ブッディズムのお祈りだって聞いたんだ。これを唱えてあげると、誰でもジョードに行けるんだって。ジョードってparadisoみたいなもんだろ?』
『だいたい合っているんじゃないですか。まぁ、大衆的で手軽な精神安定剤を押さえておくあたり、ダンテさんらしいと思いますよぉ。爆発的に患者を増やす、とても使い勝手の良い毒ですからねぇ』
『相変わらずひねくれてるなぁ。ちゃんと死ねたんだから、彼らの流儀で見送ってあげてもいいじゃないか。・・・・・・うーん、増殖体は動きが鈍っているな。放っておいても融けそうだけど、見つけ次第潰しながら、その辺まわって戻るよ』
『了解です。続けてください』
 レパルスの隣で機械的に脚を動かし続けている赤城は、正直言ってダンテやルイスのような余裕はない。またいつ、あのぶよっとした感触が、脚や腰に飛びついてくるかと思うと、呼吸するたびに胸が苦しくなる。
 赤城は別の事を考えようと、無理やり話を振った。
「あの、さっきの地響きは、なんだったんですか?事故じゃないですよね?」
 赤城は車が建物に突っ込んだのかと思ったが、そうではないとルイスが明るい声で答えた。
『ダンテさん専用装備、タングステン合金製の超硬金属バットです。ダイヤモンドに次ぐ硬さで、全長が90cmしかないのに、重さが60kg以上もあるんですよ。パワーリフティングを嗜んでいるような人間でもない限り、振り抜くどころか、満足に持ち上げることも難しいシロモノですねえ☆』
『なんて物を作っているんですか、ルイスさん!』
 長門たちをサポートしていたはずの、大和の声が飛び込んできた。
『万が一自分にも影響があると嫌だから、対アンセラ特殊コーティングはいらないし、重さは問わないから、硬くて振り回しやすい鈍器、というご要望を叶えて差し上げたんですよぉ☆』
『それでは対アンセラ装備じゃなくて、すごく硬くて重すぎる金属バットじゃないですか!』
『ダンテさんに影響があるくらいなら、長門さんや大和さんなんて影響ありまくりだって言ったんですけどね〜。全然信じてもらえなくて・・・・・・』
『そうではなく!装甲車でも襲わせる気ですか!?』
『あ、それもいいですね・・・・・・いえ、だって、過保護な大和さんが、ダンテさんの希望を第一に、っておっしゃったんじゃないですかぁ〜』
『僕は銃のことだと思っていたんですよ!』
『射撃は苦手だそうですよ?まあ、投げれば徹甲弾みたいなものですし。ところで、そちらの状況はいかがです?』
『終了して撤収中です。長門くんも時雨さんも無事ですよ。ルイスさん、話をそらさないでください』
 インカムの向こうでオペレーター同士がやいのやいのとやりだしてしまい、赤城は痛みを訴えるこめかみを揉んだ。とりあえず、金属バットを担いだ夜間アルバイトが、見かけによらず人型重機だということだけは理解した。
 キャンプ車両まで撤退した安堵で、赤城はけっきょく座り込んでしまった。赤ん坊のような増殖体に群がられ、それを撃ち殺したのは、さすがに精神的にきた。いまさら血の気が退いて両手が震える赤城に、レパルスからイオンウォーターのボトルが差し出される。
「ありがとうございます。・・・・・・あの、ダンテさんを置いてきちゃいましたけど、大丈夫ですか?武器も、アンセラ用の物じゃないですよね?」
「大丈夫ですよ。この国には、吸血鬼に金棒、ルイスさんに馬上鞭、ということわざがあるのでしょう?」
『なにかおっしゃいましたかぁ?』
『レパルスに壊れたギロチン、も追加しろ』
 インカムから聞こえるツッコミを華麗にスルーして、レパルスは赤城に対して丁寧に続けた。
「ダンテさんは、まず目や耳を狙う戦い方をしますが、分裂増殖するような敵はどこが弱点かわからないので、とりあえず全部叩いてすり潰したのでしょう。我々よりも夜目が利きますし、赤子のような見た目を恐れる感性もありませんので問題ありません」
「・・・・・・・・・・・・」
 たぶん、正しいやり方なのだろうが、人間が一人でそれをするなら、ロケットランチャーでも持ってくるしかなさそうだ。
「あれは、あの能天気な化物が夜しか発揮できない力業です。危ないですから、赤城さんは、真似してはいけません。赤城さんが怪我をすると、サミィが悲しみます」
「は、はい・・・・・・」
 真似なんて無理!と赤城は心の中で続けたが、真面目な顔で注意してくる目の前の青年ならできるんじゃないかと思ってしまい、慌てて打ち消した。
「ただいま〜。もう、インカム越しに大和さんにお説教されて参ったよ。俺悪くないよね?」
 音もなく闇の中から歩み出てきた、返り血まみれのダンテに赤城は驚いたが、レパルスは平然と一瞥しただけだ。ルイスは60kg以上あると言っていたバットだが、ダンテはそれを片手だけで軽々と持ち運んでいる。
「俺は夜の間は不死身だし、すごく力持ちなのにさ。本当に心配性だよねぇ」
「・・・・・・サミィみたいなことを言わないでください」
「ハハッ」
 心底嫌そうに眉間を歪めるレパルスを見上げて赤城は首を傾げたが、ダンテはニヤニヤするばかりで、それ以上なにか言うことはなかった。


 新人の夜間アルバイトは、それからちょくちょく出動しているようで、赤城や長門たち学生の睡眠時間が、以前より少しは確保できるようになったと、目の下に隈を作った大和は満足気であったそうだ。しかし・・・・・・。
「ヤマト、ダンテを囲えて嬉しいのはわかるけど、あんまり無理しちゃダメよ」
「はい・・・・・・。やはり安地があるとないとでは、全然違います。ふ、ふふっ・・・・・・家建ててよかったです」
 何が全然違うのか聞く気にもなれず、腰痛に唸りながら体中につけられた蚯蚓腫れや鬱血や噛み痕を恍惚と擦る大和を、サマンサはかわいそうな生き物を見るように眺めるのだった。