悪夢のリフレイン
緊急招集で知らせた現場は、今まで比較的安全とされていた地域のはずれとはいえ、昼下がりのこの時間には市民も多いショッピングモールだった。
ピリピリとした空気の中で、瀬良長門と、彼とバディを組む東雲赤城は、先行する救助隊から奇妙な報告を受けていた。 「動けなくなる?」 「はい、准尉。対峙したとたんに、急に動きが鈍くなって・・・・・・すでに三人がやられています」 原因は不明だが、今回の発症者がもつ、厄介な能力の一端ということだろうか。 「まだ避難が完了していないうえに、市民も動けなくなるようで、次々と・・・・・・」 「どうする、瀬良くん?」 「どうするもなにも、やるしかないっしょ」 ホルスターから愛用の拳銃を引き抜いて歩き出す広い背を、赤城は覚悟を決めて追った。 モールの中を徘徊する発症者は、すでに人間の姿をとどめておらず、捕獲した人間を次々と体表に取り込んでいくせいで、その姿は肥大化した不格好なウニを思わせた。 「ひっ・・・・・・」 「すっげー。くっつき方が砂場に落としたガムみたいだ」 「例えが汚い!」 ショーウィンドウが破壊される音を追って、吹き抜けになった回廊を走り、真上まで追いつく。 「よっし・・・・・・ってまだ人がいるじゃねーか!」 瓦礫の下敷きになっている男の傍で、小さな男の子が泣いている。パパ、と呼ぶ声が聞こえるので、親子に違いない。助けようにも、赤城たちがいる場所からでは遠すぎるし、位置が悪ければ誤射しかねない。 舌打ちしながら長門が手すりを越えようとしたが、そこへ、栗色の髪をした男が戻ってきて、子供を抱き上げて逃げ出した。 「ナイス!・・・・・・あれ?」 走り始めたはずの男は、急に立ち止まって、男の子を抱いたままうずくまってしまった。 「あれが・・・・・・」 「動けなくなるってことね。赤城、アイツの正面に立つなよ。避難誘導よろしく」 「わかった」 今度こそ手すりを飛び越えて発症者の背後に降り立っていく長門と別れ、赤城は逃げ遅れた二人に向かって階段を駆けおりていった。 「大丈夫ですか!?」 回廊に響き渡る銃声を背に声をかけると、頭を抱えて歯を食いしばっていた男が辛そうに顔をあげた。 「あ・・・・・・」 長門のきらきらと澄んだターコイズブルーとは違う、やや灰色を帯びた青い目を見て、赤城は自分の言葉が通じるかと慌てたが、相手は赤城の腕章を見て、表情を和らげた。 「ありがとう、勇敢なお嬢さん・・・・・・くそっ、まだ耳鳴りがする」 男の顔色は悪かったが、受け答えははっきりしているし、怪我もなさそうだ。男の子も、呆然とした表情のままだが、ちゃんと立てている。 「歩けますか?」 「問題ない。それより・・・・・・」 方向転換を終えた怪物が、銃声に向かって、ランスのように鋭く長大な触手を突きさし始めた。銃声は途切れなかったが、回廊の破損が進んで、赤城が降りてきた階段が使えなくなった。 「瀬良くん・・・・・・!早く逃げてください!」 「ああ・・・・・・」 しかし、男は子供の手を引いたまま、暴れまわる発症者を凝視している。 「ちょっと・・・・・・」 「奴は一番注意を引いている相手に、強烈なトラウマをフラッシュバックさせる。幻覚や幻聴だから、目や耳を塞げばいいってもんじゃない。発信器官は・・・・・・」 その時、初めて、数秒の空白ができて、柱が崩壊する轟音が続いた。 「せ・・・・・・」 「散開!なるべく遠距離からヤツの注意を引け!」 「えっ・・・・・・」 「走れ!!」 子供を抱きかかえて走り出す男と別れ、赤城は降りてきたのとは別の階段の傍で弓を引いた。一射、二射、と当たっているはずだが相手の反応が薄いとみると、半壊した二階へと駆け上がった。 「瀬良くん!!」 見下した先には、柱が壊れたせいで姿が丸見えになっても、目を見開いたまま立ち尽くしている長門がいた。そして、発症者の薄汚い爪は、長門のすぐそばまで迫っている。 「瀬良くんッ!!!」 赤城は声の限りに叫び、危険を冒して発症者の頭頂近くで矢を放った。痛みを感じる場所に深く刺さったのか、発症者は悲鳴を上げてのたうつ。 「きゃっ・・・・・・」 赤城は飛び散る瓦礫の破片から顔をかばったが、腕や肩にいくつかの痛みが喰い込んでしゃがんだ。埃が舞い上がるなか、銃声はまだ復活しない。 「せら・・・・・・けほっ・・・・・・もうっ!しっかりしろ、瀬良長門ッ!!!」 ドンッ、と足元が突き上げられ、赤城はとっさに壁際まで床を転がった。回廊が抉れ、ついさっきまで赤城がいた場所が崩落していく。 「ひっ・・・・・・」 タイトスカートとパンプスをはいた脚と、杖が引っ掛かったままの老人の上半身と、恐怖と無念に歪んだ若い男の顔を貼り付けた塊の、おそらくは頭部と思われるものが、赤城を探して階下から湧き上がってくる。 「こいつを撃て!!」 その声に続いて、赤城が待ち望んだ銃声が、ガンガンガンッと続く。しかし、その続きは聞こえなかった。 赤城は爆風で床と壁に体を押さえつけられ、息をするのもままならない。焦げ臭いにおいに混じって、生温かい物がぼたぼたびちゃびちゃと降ってきて、その気持ち悪さに泣きそうになる。 なにかが爆発した。そう・・・・・・可燃性ガスのようなものだ。それであの感染者を吹き飛ばしたらしい。 耳鳴りの向こうで、まだ銃の音が聞こえた気がする。赤城はショックでふらつく頭を懸命に支え、這いずるように手すりから下を覗き込んだ。 まさに、長門がとどめをさすところだった。 敵が完全に動かなくなったとみると、長門はすぐに赤城を探して、二階部分へと首を巡らせた。 「赤城!」 「ここ・・・・・・ここにいる!」 か細い声と片手を挙げると、すぐに大きな体躯が駆けあがってきた。 「赤城・・・・・・!」 「大丈夫。はぁ・・・・・・びっくりした」 情けない乾いた笑い声が出たが、ひょいと背負われた温かさに、全身から力が抜けてしまいそうだった。 「怪我は?」 「無い、と思う・・・・・・なんか、頭がフラフラするだけ」 安全な階段を使って階下に降り、汚れていない綺麗なベンチに座らされた。 「・・・・・・大丈夫だから、そんな顔しないでよ」 「うん」 しょぼくれた大型犬のような長門に、赤城は少し休めばすぐに歩けると微笑んだ。 「なにを撃ったの?」 「わかんないけど、色的にゴキブリ殺すやつだと思う」 感染者の後頭部らしき部分に向かって次々と投げつけられた缶を、クレー射撃のように撃ったのだという。 「全部同じ所に飛んでくるから撃ちやすかったけど・・・・・・」 それが弱点だとは思えない、ただのシワか溝に見えたと、長門はいう。おそらく、普段は隠れていて、精神干渉をするときに、何らかの動きがあったのだろう。 「あの人は?」 二人が見回すと、日本語の上手い栗色の髪の外国人は、インテリア雑貨の店から男の子を連れ出しているところだった。なるほど、隣のドラッグストアの店先には、殺虫剤のスプレー缶が積まれている。 子供の無事を確認しているのか、男が向き合って膝をついた瞬間、少し濁った金切り声と共に生えた無数の鋭い棘が、男の体を刺し貫いた。 「ッ!!」 悲鳴も上げられない赤城の前から、狼のような素早さで長門が飛び出していく。翻った黒いタクティカルジャケットの裾と、軽くなったホルスターが跳ねる動きが、スローモーションのように倒れる男と異形と化した子供を隠していった。 がらんとした回廊に銃声がこだまして、小さな体がびちゃりと床に転がった。 「そんな・・・・・・!」 せっかく助けたのに、二人ともが目の前で死んでしまった。赤城はよろよろと立ち上がったが、長門が驚いたように銃を構えて飛び退ったので、まだ何かあるのかと身構えた。 「あぁ、いってぇ・・・・・・」 「生きてる!?」 「えっ!?」 驚きすぎて変な声が出たが、赤城だってあれは完全に即死に見えた。しかし、むくりと起き上がった男は、破れたシャツに血がにじんではいたものの、致命傷など負っていないように見える。 「いやぁ、酷い目に遭った・・・・・・」 のほほんと頭をかく男から、長門はじりじりと後じさり、赤城が後ろから抱き着くと止まった。 「へ、平気なんですか?」 長門の後ろから赤城が恐る恐るたずねると、男はこくんと頷いた。 「かすり傷だよ。キミが撃ってくれたおかげで、死なずに済んだよ。ありがとう」 「え?ぉ・・・・・・おう?」 赤城よりも「確実に死んだ」と思ったらしい長門は、まだ信じられないものを見るように男を見下ろしている。 「そんなに驚くなって。本当に・・・・・・たいして刺さってなかったんだ」 「そ、そう・・・・・・か」 「そうそう」 ズボンについた埃を叩きながら男は立ち上がり、足元の惨状に軽くため息をつくと、穏やかな雰囲気の緩い目元を、二人に向かって少し困ったように微笑ませた。 「で、どっちに逃げればいいのかな?」 こっちです、と赤城が指差し、狐につままれたような顔をした長門と一緒に、壊れたショッピングモールの出口に向かって歩いた。 その夜、ぼんやりと物思いにふける長門を食堂で見つけたが、赤城が声をかけると、珍しくなんとも言い難い表情になった。 「どうしたの?」 「いや・・・・・・」 またもごもごと言いよどみ、長門はさらりとした金髪に包まれた頭を乱暴にかいた。 「あんまりにもびっくりしすぎると、嫌なことも、なんとなくどっかに飛んでいっちまうんだな」 あれがミラクルってやつなのか?と、長門は昼間の事をまだ不思議がっていたらしい。 しかし、赤城はそれを馬鹿にはしなかった。精神攻撃を受けて立ち尽くす長門が、過去にどんなひどいものを見たのか、赤城は知らない。でも、そんなひどいものを遠くに押しやってくれたのならば、多少おかしなことでも起こっていいと思う。 「・・・・・・赤城、なんか臭くね?」 「ッ!!うるさいっ!!!」 昼間の生臭さがまだとれないのを気にしているのにと、赤城はその無神経さを拳で制裁した。 |