力の使い方 ―3―


 旧市街地の中心から吹き上がった青白い炎に、ヴェスパーは臍を噛む思いでその場に立ち尽くした。『憤怒』の気配を感じて急いで来たが、すでに中央広場のほとんどが炎に呑まれ、その中心は杳としてうかがえない。
「おう、遅かったではないか」
「ベルフォート!!」
 ふらりと姿を現した紳士に、ヴェスパーは思わず胸倉をつかんで怒鳴った。
「貴様ッ、ダンテに何をさせた!?」
「力の使い方を教えてやっただけよ。ふははっ、やはり怒ったか。ああ、美味いなぁ」
「くっ・・・・・・!」
 にやにやと赤い目を細めて、ベルフォートは舌なめずりをする。ヴェスパーの怒りを捕食しているのは明らかで、まんまと相手の思惑に載せられているとわかっていても、こればかりは許容しかねた。
「あの子はまだ体が出来上がっていなくて、吸血鬼としても未熟だ!こんな力の使い方をしたら・・・・・・」
「壊れると思うか?まあ、さすがに燃料切れを起こすかな。ふははっ」
 ヴェスパーは話にならないと、笑い続けるベルフォートを放り出し、徐々に光が薄くなっている炎の中へ足を踏み入れた。
 自分まで焼かれないように防御を施したが、だいぶ力は弱まっているようだ。ヴェスパーが軽く払っただけで青い炎は千々に消え、地面はみるみるうちに鎮火していくが、それは同時にラウルの力が尽きたという事だ。
「ダンテ!!」
 崩れた転移門の前に立ち尽くしている後姿を見つけて駆け寄り、ひっくり返りそうになった体を抱き止めてやった。
「ダンテ、しっかりしなさい!」
「・・・・・・ぁ、ヴェスパーだ。えへへ、ただい、ま・・・・・・」
 星明りだけになった夜闇の中で、灰色がかった青い目がへにゃりと微笑むと、すぅ、と深い寝息にとってかわった。さっと調べた限りでは外傷はなく、ただ単に疲れただけのようだ。おそらく、吸血すれば回復するだろうが、いまは食欲よりも睡眠欲が勝っているようだ。
「まったく・・・・・・なんて無茶を・・・・・・」
「のう、エイナルの孫よ。ちと聞きたいのだが」
 のほほんと話しかけてくるベルフォートを睨んだヴェスパーであったが、彼の視線が下を向いているのに眉をひそめた。
「我は炎を出せと言って、ダンテは武器の力を得ながら実際に炎を出した。だが、これはどういうことだ?」
 ヴェスパーも足元を見て、その異様な状態に、強くラウルの体を抱きしめなおした。長く沼の底になっていたものの、そこには傷んだ石畳があるはずだった。
「焦げもある・・・・・・だが」
「どう見ても、抉れておるよな?炎を出せと言ったらプラズマが出てくるような奴、初めて逢うたわ」
 沼はほとんど干上がり、水草や苔の類はほぼ一掃されている。わずかな泥も残っていたが、それよりも石畳の下にあった地面があちこちで見えていた。
「次元の歪みを力ずくで壊そうとするなど、意外と脳筋だな。さすがは我が眷属だ」
「感心している場合ではない。すぐに調査チームを組ませなければ」
 領主として当然の段取りを口にするが、ヴェスパーも転移門の様子に対しては言葉が出てこなかった。
「・・・・・・・・・・・・」
「まだあちこち歪みが残っているが、とりあえず瘴気の出口を塞いだぞ。表彰ものではないか?」
 長く崩壊した時のままの姿だった転移門は、いまはもっと奇怪なオブジェとなっていた。虫食いのように無秩序な穴が開き、重力に逆らった造形のまま崩れもしない。そして、あちこちの隙間や割れ目から噴き出していた瘴気が、すっかりせき止められているようなのだ。
「・・・・・・はぁ。褒めてやるべきか、厳しく叱るべきか、悩ましいことになった」
「完全に壊すときは、また呼ぶように言っておくのだ。我も楽しみにしているからな」
「呼ぶか!!」
 笑い声だけを残してベルフォートが消え去ると、ヴェスパーはラウルを抱え直して、足早に旧市街地を後にした。


 ふかふかした寝具の中で寝返りを打ったラウルは、空腹に目を覚まして肌触りの良いシーツの上で伸びをした。
「ふわぁぁ。よく寝た」
「おはようございます、ラウルさん」
 ドアから入ってきた銀髪を載せた黒い執事服に、ラウルはもそもそとベッドから起き上がった。
「おはよう、サイラス・・・・・・ってことは、ここは城か」
 見渡せば、たしかにラウルが伯爵の城に逗留する際に使う部屋だった。
「旦那様が血気を提供されていきましたので、体調に問題はないはずだと言われていましたが、いかがでしょう?」
「うわ、また結局ヴェスパーに迷惑をかけたな。体調に問題はない。お腹は空いているけど、元気だよ」
「入浴と食事の準備が整っております。どうぞ」
「ありがとー」
 フローラルな香りの湯船につかって旧市街地で着いた埃を綺麗に洗い流し、洗濯された自分の服に着替える。
「いま何時?」
「午後三時を過ぎたところでございます。旦那様もご起床されましたので、食事はご一緒にされたいとのことです」
「んー、わかった。説教されながらご飯食べられるかなぁ・・・・・・」
「自業自得でございます」
 相変わらず、この専任執事の舌鋒は鋭い。

 城の中では小ぢんまりとしたサイズのダイニングに通され、ラウルはよろよろと席についた。起き抜けよりも体が空腹を訴えているのだ。
「おはよう、ダンテ」
「おはよ、ヴェスパー。助けてくれてありがとう」
 先制で礼を言うために立ち上がろうとしたが、座ったままでいいと手で制された。
「言いたいことも報告も色々あるのだが、とりあえず食事にしよう」
「うん、お腹空いたぁ」
 一般的な家庭で言えば、六人から八人は着席できるダイニングテーブルの上には、一人分のカトラリーと一人分のワイングラスが用意されており、そこへ粛々と料理が運び込まれてきた。
「美味しそう〜!いただきまーす!」
 あっという間に前菜のサラダを平らげ、スープを飲み干すラウルに、そばについたサイラスは表情一つ変えずに素早く給仕を続ける。
「体調は悪くなさそうで安心した。旧市街地で倒れる前の事、覚えているかね?」
 ワイングラス片手のヴェスパーに、ラウルはメインの牛ヒレを頬張りながら頷いた。
「どこから話せばいい?」
「そうだな・・・・・・。ダンテが真祖について調べていることから、近々ベルフォートに接触するかもしれない、というのは私も予測していた。ただ、せめて私に言ってくれてからの方が良かったがね」
「う・・・・・・ごめん」
「いくら私がベルフォートを嫌っているからといって、それはダンテの安全をないがしろにしてまでも貫きたい拒絶ではないよ」
 ヴェスパーの静かに諭す調子が、かえってラウルをしょげさせた。『憤怒』の影響から少しでも遠ざけようとしたが、かえって心配させてしまう結果になった。自分が半人前であることを痛感せずにはいられない。
「ところで、あの性悪と何を話したんだい?」
「俺の事と、真祖の事を聞いたんだ。どうして俺が吸血鬼としてこの時代に生まれ変わったのかは、ベルフォートも知らなかったよ。むしろ、眷属にした覚えがないとまで言われた」
「ほう」
 ダンテの遺体が残らずに灰になったのを目の当たりにしていたヴェスパーも、半分納得、半分意外そうに、その答えを聞いていた。
「それから、やっぱり『クズリ足のエイナル』を吸血鬼に成らせたのはベルフォートだった。真祖は他の吸血鬼と違って、自分の血族を作れるっていうのも教えてもらった」
「そうだなろうな。私の父も、『イラ』と聞いて、真っ先にベルフォートの事だと気付いたからなぁ」
「いま残っている吸血鬼の家系って、全部ベルフォートが関わったのかな」
「全部とは言い切れないが、ほとんどはベルフォートが作ったと言ってよかろう。たしか、妹がいるとは聞いている」
「ほえぇ。妹いるんだ」
 そういえばオミにも姉がいたなと、ラウルは鮭とほうれん草のグラタンをつつきながら軽く頷いた。
「まあ、恋人もいない俺が誰とケッコンするかは置いておいて、あとはベルフォート印の武器の使い方とかかな」
「それであのプラズマを出したのか」
「プラズマ?」
 首を傾げるラウルに、ヴェスパーは現在の旧市街地中央広場の様子を聞かせた。沼地は三分の一ほどに範囲を狭め、それも現在進行形で水が抜けているらしい。まもなくすべて干上がり、かつての状態を取り戻すだろう。
「モース・ウンゲデュームだが、手のひらサイズまで小さくなったが、死滅までには至らなかった。水と瘴気がなければ大きくならないので、脱水してビンの中に封印してある」
「マジで俺がやっつけたのか・・・・・・」
 信じられないという顔をするラウルに、ヴェスパーはもっと信じられないことをしでかしているのだと、こめかみを揉んだ。
「私が理解できるかどうかは別として、どうやって瘴気を止めたのか、聞いてもいいかな?」
「ああー・・・・・・」
 ラウルは少し首をひねりながら、ぽつぽつと話した。
「俺は、物理も量子力学もわからないし、魔法物理や魔機工学なんてもっとわからない。だけど、大昔に作られた転移門が、その動力に魔力を使っているのなら、少なくとも俺の魔力も流せると思ったんだ。だから、流れてくる瘴気を逆にたどって、むこう側の出入り口をめちゃくちゃに壊して塞いできた」
「待ちたまえ。いま、ものすごい理論と行動の飛躍を聞いた気がするのだが?」
「そうかなぁ?でも、トリッキーなことができたのは、きっとベルフォートが使っていいって貸してくれた、奇術師のステッキがあったからだと思うよ」
 他に思いつかなかったからやってみただけだし、やってみたらできちゃった、という話なのだが、グラスをテーブルに置いたヴェスパーは、テーブルに肘をついて両手で顔を覆っている。
「反作用で大爆発が起こるとか、ブラックホールができるかもしれないとか、考えなかったのかね?」
「映画じゃあるまいし、そんなのが起きたって、一秒の数万分の一の時間とか、人間には知覚できないような、そんなレベルでしょ。この町は滅びないよ」
「どこからその自信が出てくるんだい・・・・・・」
「えへっ。それに、俺という美味い餌が消し飛ぶ可能性があるなら、ベルフォートが止めるって」
 にこにことデザートのイチゴケーキを食べるラウルだが、この町トランクィッスルは滅びなくても、瘴気の元になった世界のことは、どうなろうと知った事ではない。
「旧市街地にはさ、モスフングス族がこれからも住めるように、上下水道とは別の水路をたくさん作ろうよ。噴水とか、カスケードとかさ」
「ふむ、それはいい案だな」
 新しい景観の提案にヴェスパーは耳を傾け、無自覚破壊神が誕生したかもしれない事実からは目を瞑ることにした。
「残っている転移門、どうやって壊そうかなぁ」
「まずは調査を待ちたまえ」
「はぁい」
 頭痛を堪えるヴェスパーをよそに、調査が終わるまでに、もっと魔法が使えるようになろうと気合いを入れるラウルであった。