ティータイム


 城から呼び出しがあったので、ラウルはきちんと身なりを整えて出かけた。
 ラウル自身は堅苦しい服装は苦手だし、ヴェスパーからも楽な服装でいいとは言われているのだが、実子のイーヴァルですら、実家に入る時は略礼装だというので、慣習には従うべきだと思っている。もっとも、ヴェスパーたちの普段着が、大いに格式張っているというのも否めないが。
 それは仕方がないとしても、外部の目、内部の調和、というものがある。個人的に上からいいと言われていても、それで余計な波風を立てるのもいかがなものかと思うし、何より悪目立ちするのが心理的な負担だった。これはラウルが空気を読むとかTPOを弁えるとかいうより、かつて怪しまれないよう周囲に溶け込むことを是としてきた頃の名残だ。
 ヴェスパーがあれもこれもと仕立てようとさせるのを、なんとか十分の一程度に抑えて買われたスーツの一着は、細く見えがちなラウルの体型をカバーしてくれるので気に入っており、ラウルはヴェスパーの所に行くときは、よく着ていた。
 迎えの馬車から降りて、大きな正面扉まで行くと、ギィときしむ音を立ててエントランスへの光が通る。日暮れの空気が舞う大理石床の柄に沿って並ぶ、ドアマン、メイドたちの恭しいお辞儀に出迎えられ、ラウルはピカピカに磨いた靴で静かに踏み出した。

「お早いお目覚めだな」
「楽しい行事の前日は、心が躍って眠れないものだよ」
「小学生か」
 ラウルのツッコミに、ヴェスパーはくすくすと楽し気に笑う。
 ヴェスパーがラウルをもてなす部屋は、たいてい同じで、飾り気が少なく、季節ごとに入れ替わる調度品も、素朴な風合いの可愛らしいものだった。ギラギラした権高な雰囲気を嫌うラウルであったから、そもそも権高な生まれのヴェスパーとしては苦心のしどころなのだ。ミルド伯爵の居城は、外観が古風で威圧的である上に、内装は中世さながらに荘厳か、貴族の邸宅に相応しく上品で華やかか、あるいは使用人の為に現代の機能性に溢れているかの、たいていどれかであったから、ラウルにとって居心地のいい部屋を作るのに、ヴェスパーははるか昔の記憶を掘り起こさねばならなかった。
「わあ・・・・・・」
 ウォールナット材のテーブルに敷かれた真っ白なクロスの上には、今日はケーキスタンドがなく、パイなどが載った皿が、我も我もと競うように並べられている。部屋の中は、いつもより甘くいい香りが漂っていた。
「どれもシェフの新作だ。さあ、遠慮せずにかけたまえ。すぐに紅茶を淹れよう」
 ミルド伯爵が手ずからティーポットを取る風景は、本当に珍しい事なのだが、ラウルにとってはいつもの風景になりつつある。何かこだわりがあるのかと思ったが、ヴェスパーが茶道楽だなんて、ラウルは聞いたことがなかった。酒は好きな銘柄があるようだが・・・・・・。
「・・・・・・ん?もしかして、これ全部芋のお菓子か?」
 たった今、アイスクリームを口に運んでその味に驚いたラウルは、スプーンを持ったまま首を傾げた。ミルクとサツマイモの甘味が調和した、滑らかなアイスクリーム。外はぱりぱり、中はしっとりボリューミーな、スイートポテトパイ。まるでモンブランのように、芋のクリームがうずたかく絞られたタルト。センの家に行った時にオミが作ろうと悪戦苦闘していた、四角い芋羊羹。星形の金口で絞って焼かれた、香ばしい香りを漂わせるクッキー・・・・・・。
「そうだよ。この前、たくさんもらったからね」
「ああ、あれか」
 学校の菜園を借りてラウルが趣味で作ったサツマイモが予想以上に豊作で、かなりの量を城に献上していた。城には伯爵の家族はもとより、使用人も多くいるので、みんなで食べてくれと持っていったのだが、それがこうしてお菓子になってラウルにも戻ってきたらしい。
「うまっ。ヴェスパーんところのシェフは、いつも美味いもの作るよな」
「そうでなければ、雇う意味がないからね。ラウルが褒めていたと伝えておこう」
「うんうん。ぜひ、そうしてくれ」
 ぺろりとアイスクリームを平らげてガラスの器にスプーンを放すと、ラウルはヴェスパーが淹れてくれた紅茶をゆっくりと飲んで、一人前に切り分けられたパイの皿を引き寄せた。さくりとナイフを入れ、ぱらぱらと零れそうなパイを急いで口に放り込む。サクサクなパイに包まれたポテトフィリングは、もったりとした濃厚な味のわりに舌触りが滑らかで、もっと味わいたいと思っても、あっという間に口の中から消えてしまう。
「んん〜っ、うまい!」
「そうか・・・・・・よかった」
 にこにこと微笑みながらティーカップを置いたヴェスパーの前にも、ラウルが食べているのと同じパイがあったが、そのサイズはずいぶん小さいものだった。パイの半径は同じなので、細く切り分けられている、と言えばよいのか・・・・・・。
(やっぱり小食なんだな・・・・・・)
 小食、という表現では語弊がある。なぜならば、ヴェスパーは元々、吸血鬼らしく血液が主な食糧で、人間が食べるような食物はほとんど食べないからだ。動物の血液が材料の、ブラッドソーセージのような料理は食べられるが、今テーブルにあるスイーツなどは、食物として意味をなさない。まったく消化が出来ないわけではないのだが、食べなくても困らないし、味もよくわからないので、普段食卓に上ることはないのだ。
「・・・・・・迷惑だったな」
「なにが?」
「芋を持ってきたことだよ。ヴェスパーはほとんど食べられないから・・・・・・」
 自分が育てた作物の収穫が嬉しいばかりで、思慮が足りなかったとラウルは肩を落とすが、それは大きな誤解だとヴェスパーは語気を強めた。
「私もイーヴァルのように、何でも食べられれば良かったと思う。あの子は母親に・・・・・・ファウスタに中身が似たからね。せっかくダンテが持ってきてくれたのに、満足に賞味できないのは、私の不徳というものだ」
「そんなことないだろ。そもそも、種族が・・・・・・あ」
「どうしたんだい?」
 テーブルの上を眺めまわし、ヴェスパーの端正な顔を見て、ラウルはカトラリーを置いた。
「ヴェスパー、酒なら飲めるよな?」
「え?まあ、飲料なら、大抵の物は・・・・・・」
 果汁は微妙だが、酒も茶もコーヒーも美味しく飲める、とヴェスパーが頷くと、ラウルは目を輝かせて拳を握った。
「センの家に、美味い芋焼酎があった!よしっ、来年は酒になる品種の芋を育てるぞ!えぇっと、あれは蒸留酒になるのか?手伝ってくれる蒸留所を探さないとな・・・・・・」
 うんうんと頷きながらラウルは計画を呟き、それを唖然と見ていたヴェスパーが、堪えきれないように笑いだした。
「ふははははは!あぁ、その方法があったか!あっはっは、なるほど!いや、いつもながら・・・・・・」
 笑いすぎて息が苦しいと背中を震わせるヴェスパーに、ラウルはにこりと微笑んだ。
「いい案だろ?」
「ああ。・・・・・・蒸留所の心配はいらない。材料を持ってくれば、作らせよう」
「よっし!」
 問題は解決したとばかりに、ラウルはカトラリーを手に取って、再びパイを貪り食う作業に戻った。
「・・・・・・まったく、お前のひらめきには、いつも驚かされる」
「そうか?」
 こてりとラウルが首を傾げると、ヴェスパーは大きくうなずいて、空になっていたラウルのティーカップに茶を注いだ。
「昔からだよ。私の凝り固まった観念を、易々と超えて新しい方法を提示する・・・・・・。そのひらめきに、何度助けられたことか・・・・・・」
「そうかなぁ?」
 パイを平らげ、淹れてもらったばかりの茶をすすり、自分ではよくわからないとラウルは肩をすくめた。
「俺は、出来ない事を無理に合わせようとするのが嫌なんだ。どちらかが我慢することも、どっちも不満なのは、不幸じゃないか。凸凹が合わないパズルのピースを無理やりはめようとしたって、綺麗な絵になるわけじゃない。だから、それぞれが許容できる条件を満たせる方法を探しただけだ。それが見つからないことだってある。・・・・・・今回は、たまたま見つかっただけだ」
 お前らしい、とヴェスパーは頷く。そして、ラウルが作物を持ち込むことは、決して迷惑ではないのだと繰り返した。
「こんな風に、料理人たちの鍛錬にもなる。我が城には、色々な客が来るからな。臨機応変に対応するためにも、レパートリーを増やして損はない」
「たしかに」
「それともうひとつ」
 ヴェスパーはフォークでパイを崩し、一口分だけその先に刺した。
「お前とこうして、ティータイムを共にする口実を作る為だ」
 実にヴェスパーらしい不純な理由だと微笑むラウルの前で、優雅な所作によってパイが薄い唇に消える。咀嚼に合わせて、黒く長い睫毛がしぱしぱと瞬き、意外そうに小首が傾げられた。
「・・・・・・ふむ、食感は悪くないな」
「味は?」
 これいといって特徴のない味だと、ヴェスパーはすまなそうに首を振る。ラウルにとっては、たっぷりのバターとふくよかな芋の甘味が溢れ出す逸品だったが、ヴェスパーがそう感じるのは仕方がない。
「そうか。じゃあ、次は酒にして、一緒に飲もうな」
 農作物献上も無駄がなく、新しい楽しみ方も見当が付いているので、ラウルはこの話題を以後口にしないことにした。形はどうあれ、一緒に楽しめれば、それでいいのだ。
「・・・・・・イーヴァルが言っていたことが、少しわかるようになった」
「なんて言ってた?」
 添えられた黒文字で芋羊羹を切り分けていたラウルが視線を向けると、ヴェスパーは少し自嘲気味に唇を歪めた後で、怜悧狡猾な巨魁らしからぬ、少年のような笑顔を見せた。
「『好きな人が美味しそうにものを食べている笑顔を見る為に、自分も共に食べるのだ』という意味合いの事だな」
 ただ呼び寄せるだけではなく、ラウルの笑顔を見るために、わざわざ同じテーブルについているのだと、ヴェスパーも自覚したらしい。似た者親子だな、と口には出さず、ラウルもにんまりと唇の端を吊り上げた。
「はぁーん、イグナーツの事だな。よし、イグナーツが言いそうなことを俺も言ってやる。『一緒に飯を食べると、普段表情に乏しい奴が笑っているから嬉しい』、どうだ?」
「え・・・・・・」
 意図が掴めなかったらしく、きょとんと目を見開いたヴェスパーに、ラウルの方が驚いて、開いた口に羊羹を入れる動作が止まった。
「自覚ないのかぁ?そぉかぁ・・・・・・エルヴィーラも『笑い方が違う』って言っているんだがなぁ」
 ラウルはもぐもぐと芋羊羹を頬張りながら、気付いてなかったかと苦笑いを溢した。実子にすら、絡みがウザいとか存在が喧しいとか言われるヴェスパーではあるが、訓練された表情筋と言葉巧みさで表面上そう見えるだけで、その実、内側は一定の感情幅から逸脱することは少ない。常に冷静で、わくわくするのは誰をどう虐めてやろうかと考えている時くらいではないか、などとラウルは思っている。もっとも、伯爵家の子供たちは、ラウルに関することだけは父親の感情が三倍増しになると確信しているようだが。
 そのヴェスパーはと言えば、再びしぱしぱと瞬きを繰り返すと、おもむろに視線が明後日の方向にずれていく。
「いい歳したおっさんが照れることか」
「てっ・・・・・・いや、んんっ。驚いただけだ」
 深呼吸ひとつでいつもの調子を取り戻したヴェスパーは、羊羹も平らげたラウルのくせ毛頭をくしゃりと撫でた。
「なんだよ、兄貴」
「お前といると、本当に飽きんよ。会うたびに、新しい発見が私を驚かせるのだ」
 そんなに変なことを言っているかと唇を尖らせるラウルを無視して、ヴェスパーはさらに柔らかく渦を巻く栗毛を撫でまわす。
「これからも、作物をたくさん作るといい。・・・・・・お前は不死族の癖に、生き物を育むことに長けた者なのだから」
 うん、と無邪気な笑顔を見せるラウルに、ヴェスパーは内心で気恥ずかしく思った。なにが「生き物を育むこと」か。「不死族」であるヴェスパーをも育てているじゃないか、と。
「俺、ヴェスパーのそういう寛大なところ、大好きだ」
「お前のおかげだ、といっても、納得してもらえなさそうだ・・・・・・」
 穏やかな笑い声がふわりふわりと揺蕩う温かな時は、明るい月が中天に差し掛かるまで、しばしの間続いていた。