ラウルの誕生日



 高原の夏は短い。
 昼間は日差しが強くとも、夜になればぐんと冷え込む。それでも、雪に閉ざされた冬よりは、ずっと過ごしやすい。
「前から不思議に思っていたんだけど、動物どころか虫の声もないのって、この辺が高山だからじゃなくて、俺がいるせい?」
「いまごろお気付きになったのですか?」
 相変わらずこの執事の言い方は辛らつだ。
「地味に環境破壊な存在だったんだな」
「都市部に住んだ方がいいのに、住宅街に住めないなんて、なんとおいたわしい……」
「憐れまないでくれる!?」
 くっとわざとらしく涙をこらえる仕草をしたサイラスに、ラウルはきぃっと言い返す。真面目な煽りと本気でキレたやりとりも、何千、何万回も重ねれば、もはや漫才と変わらない。
「ところで、ミルド家の方々より、バースデーのお祝いメッセージが届いております」
「おっ、やったね」
 今日はこの山荘にひきこもってから、何度目かのラウルの誕生日。この場所を知っているのはミルド家の人間だけなので、届くメッセージも彼等からだけだ。
「えへへ。嬉しいなぁ」
 ラウルは、ファウスタやイーヴァルからのメッセージに頬を緩ませる。意外なことに、プレゼントを一緒に送ってくれるのはエルヴィーラだけだ。
「わぁ、今年も綺麗に咲いたな」
「ハツカトウカが咲くと、いよいよ秋の気配を感じますね」
 夜に光る青い花が、花瓶に生けられる。
 それを眺めたラウルは、ハツカトウカの花畑の上をエルヴィーラと飛んだ日が、ずいぶん昔のことのように感じられた。もう何年も、トランクィッスルに行っていない。
「……」
「寂しいですか?」
「早く帰りたいとは、思っているよ」
 ラウルも努力しているのだが、ホルトゥス州を治めるヴェスパーからの許可は、なかなか下りなかった。
「エルヴィーラからは、早く帰って来いって言われるんだけどなぁ」
「旦那様がうっとうしいからでございましょう」
「うーん、すごく想像できるけど、もうちょっとオブラートに包め、サイラス」
 主人に対して遠慮のない言い方もそうだが、ラウルに防波堤としての需要しかないように聞こえる。
 ヴェスパーからもお祝いのメッセージは届いているが、そのテンションは普段の手紙のやり取り以上のものではない。いつもと変わらない、という安心感と同時に、取り繕った格好つけがあることも、ラウルは知っていた。
「ヴェスパーの奴、今年も祭壇作っているのかな」
「二次元から出てこない嫁みたいな扱いですね」
「最後には泣き出すから、エルヴィーラやファウスタさまは、俺が死んだ葬式かと思ったそうだ」
「……」
 思わず肩を震わせたサイラスに、そこは思いっきり笑っていい所だと、ラウルは頷いた。
「旦那様らしいですな」
「俺が好きだという事は伝わってくる」
 ラウルに一番会いたがっているのに、山を下りる許可を出せないジレンマが、こういう時に爆発してしまうのだろう。
「まあ、俺も少しずつ成熟している……と思うから」
「そこは否定いたしません」
「うん」
 サイラスの珍しい肯定に、ラウルもくすぐったく思いながら微笑む。
 実際、ラウルの努力でできるところは、ほぼやりつくしていた。適度な怒り感情の排出も、はじめは駄々洩れだった魔性のコントロールも、『憤怒』の眷属としての力を使いこなすことも、眷属同士の連携も、ラウルは何年もかけて自分のものにしていた。
 ただ、生まれながらの真祖吸血鬼として、その特異な生態を持つ肉体の成熟には、とても時間がかかっていた。人間の両親から生まれ、長い間、人間だと思い込んで生きてきたので、膨大な魔力の行使に耐えられる体になっていなかったのだ。いわば、子供の体が大人の体になる時間を必要としていた。
 この問題の解決には、よく食べ、よく寝て、よく運動をして、健やかに過ごすことが不可欠で、さらに文字通り、育つための時間が必要だった。
「早く大人になりたいなぁ」
「大人の言うセリフではありませんが」
 またひとつ、年を重ねることで、望む場所に届くのならば……。
「お誕生日、おめでとうございます。ラウルさま」
「ありがとう、サイラス」
 歩みは速くなくとも、彼の帰還は、確実に。