先達の内緒話
イグナーツがイーヴァルから受け取った連絡は、「学校にいるんだから会っておけ」というものだった。 「そんなにすごいのか?」 「すごいっていうか、珍しいっていうか・・・・・・」 「でも、若様が顔見ておけっていうんじゃ、珍しい以外にも、それなりの理由があるんじゃねーの?」 「うん・・・・・・たぶん、そういうことだと思う」 大学部の棟からかなり離れた、初等部の学舎に歩いていくと、レルシュ、イグナーツ、アゼルの三人には、全体的に小ぢんまりとした備品たちを眺めて懐かしい気持ちがよみがえってくる。十年ほど前には、自分たちが世話になっていた設備だ。滅多に現れない大学部の学生の珍しさゆえか、三人は低い位置からの視線を感じては通り過ぎていく。 渡り廊下から見下した放課後の校庭は、わーわーきゃーきゃーと、遊びまわる児童たちの声が賑やかだ。職員室に行ったら、目当ての人物は校庭にいると言われたので、その辺の児童を捕まえて聞けば、「あそこにいるよ」とドッヂボールをしている集団を指差してくれた。 まだ人間らしい姿に化けるのもおぼつかない少年少女たちに混じって、背の高い栗色の巻き毛が見える。 「元気だなー」 「ここに来る前も、初等学校の先生だったって聞いてるよ」 「いやぁでも、人間であいつらの動きについていけるって、すごくない?」 「人間じゃなくて、真祖吸血鬼だって」 しかしイーヴァルを思い出して、イグナーツは首を振った。たしかにイーヴァルは吸血鬼だが、あんな元気溌剌とした活発な動きはしない。 いくら子供とは言え、ここの生徒は並の人間よりもはるかに強靭で、はるかに素早く、また剛腕でもある。中には近づくだけで精神を侵食してくるような、危険度の高い種族もいる。年齢が低ければ低いほど、力は弱くとも加減がわからないのが若さであり、そんな生徒たちの相手ができるのは、教師の中でも多くなかった。 自分たちの胸の高さまでも身長がない様な子供たちとボールの動きをしばらく眺めていて、三人はそろって息を呑んだ。 わんぱくそうな雪男の少年が放った剛速球は、背の高い大人の脚を狙っており、避けるのも難しく、キャッチするのはもっと難しい。普通の人間に当たれば、吹っ飛ばされてタダではすみそうにない。だが、ステップを踏むように半歩引いた長い脚の内側が、ぽーんと柔らかくボールを上にはじき、次の瞬間には難なく両手に収まって、相手陣営への投てきモーションに入っていた。 「は!?」 「すごい!!いまの見た!?」 「サッカー選手かよ・・・・・・」 アゼルはぽかーんと口が開きっぱなしになり、イグナーツも大興奮だ。運動関連には強い人狼族のレルシュも、あそこまで器用に身体をコントロールするのは難しいとため息をつく。 「あれが真祖吸血鬼のフィジカルってわけ?」 「いんや。体の頑丈さは置いておいて、ありゃ単に、本人の運動神経がいいだけだろ。いくら真祖だからって、吸血鬼が練習もなしにボールの勢いを減殺するようなテクニックが使えるかよ」 「たしかに。イーヴァなら避けるか・・・・・・ボールを破壊するな」 立ち振る舞いの優雅さとアスリートの剛柔は違うのだと、イグナーツもレルシュに頷いた。 そうこうしているうちに下校時刻を報せる鐘が鳴り、児童たちは監督の教師たちにせかされて、遊び時間を惜しみながら三々五々帰路に就いていく。 「やあ、お待たせ」 牧羊犬よろしく子供たちを寮や自宅へ追い立て終わると、彼は校庭に降りてきた三人に向かって微笑んだ。三人が来るのをわかっていたようだ。 「はじめまして、アッカーソン先生」 「イーヴァルが言っていた子たちだろ?カフェテリアに行こう」 軽く息を弾ませただけで、まったく疲労を感じさせない笑顔が、おいでおいでと三人を誘った。 広々としたカフェテリアは主に大学部の生徒が利用しており、若い教師が紛れてもあまり違和感がなかった。 「ラウル・アッカーソンだ。最近、アメリカから来たんだ。人手が足りないっていうんで、いまは初等部に臨時で入っているけど、ずっと教師をしていくかは、微妙なところだな」 イグナーツたち三人から自己紹介の後、ラウルはそう言ってアイスコーヒーに口を付けた。 「というと?」 「ヴェスパーとイーヴァルの連絡係だよ。俺にしか上手くできない仕事だろ?」 きょとんとした三人を見て、ラウルはあれっと首を傾げた。 「聞いてない?俺が誰なのか」 「俺たちは、最近見つかった真祖の吸血鬼だとしか・・・・・・」 イグナーツの答えに、ラウルは天を仰いで嘆息する。 「あー・・・・・・うん。自分で言うのも恥ずかしいんだけど・・・・・・、ダンテ・オルランディ。俺の、前世の名前。大昔、この町に住んでいたんだ」 聞き覚えのある名前に、アゼルのたれ目とイグナーツの潤んだ目が大きく開いた。 「誰だ?」 「ちょっ!!」 「レルの阿呆!学校の石碑に書いてあるだろうが!!」 「前庭の?あれラテン語で書いてあるじゃんか」 ちゃんと読んだ事ないと口を尖らせるレルシュに、イグナーツは頭を抱え、アゼルはレルシュの頭を掴んでスミマセンスミマセンと頭を下げる。 「あっははは。そうだよな、かれこれ・・・・・・三、四百年くらい前だもんな。あの石碑には、『多くの種族が共存するための英知を育む学舎をここに作る。その創設に寄与したダンテ・オルランディに敬意を表する』って書いてあるんだよ」 「はー。・・・・・・え?その、ダンテさんなのか?」 「そうだよ」 「おお」 「おお、じゃねーよ!この人は最初にトランクィッスルに住んだ人間で、伯爵にたくさん助言をしたっていう偉人だ!!」 アゼルはレルシュの頭をひっぱたきそうな勢いで説教をするが、レルシュにはいまいちピンと来ていないようだ。 「人間が吸血鬼に転生したってことか?」 「うん、そうみたい。たぶん、前世の俺が、ヴェスパーに噛まれて死んだからだと思うんだ。それでも珍しいことだとは思うけど」 ラウルはそう言って、襟をくつろげて首筋を見せてくれた。たしかに吸血鬼に噛まれたような痣が見えた。生まれつきのものだそうだ。 「そうか、それでイーヴァは俺たちに、会っておけって言ったんだ」 「そうじゃないかな。イーヴァルと仕事をするときもあるだろうし。ヴェスパーは、俺にまた傍で働いて欲しいみたいだけど・・・・・・いまのヴェスパーの仕事に、俺は役に立たないよ」 ラウルは穏やかな目元を、さらに緩ませるように微笑む。本当に当代の伯爵のことを慕って、生まれ変わっても会いたいと思うほど愛しているのだろう。イグナーツは、自分もイーヴァルのことをそう思っているのだろうかと、少しこそばゆくなった。 「・・・・・・今更だけど、伯爵さまのファーストネームを気軽に呼ぶ人を初めて見ました。伯爵さますら呼び捨てなんだから、イーヴァのことだってそうですよね・・・・・・」 畏れ多いと唸るイグナーツに、ラウルはからからと明るく笑う。まわりに合わせて「若様」と呼ぼうとしたら睨まれたから仕方がない、らしい。 「よく似てるよね、あの親子」 「そうですか?」 「うん。若いころのヴェスパーそっくりだよ。特に、気に入らないことがあると、すぅぐ顔や態度に出るところ」 「あぁ・・・・・・」 覚えのあるイグナーツは目が泳ぎ、レルシュとアゼルも飲みかけのコーラとアイスティーを噴きそうになる。 「いまの伯爵さまは、あんな・・・・・・普段は、あんな感じですけど・・・・・・」 「ああ。笑顔のままでひっどいことするのは上手くなったね。昔は綺麗な顔で怒るから、そりゃあ怖かったよ。・・・・・・今とどっちが怖いかって言うと、権力握った今の方が怖いと思うけど」 ラウルは国外にある、ひとつの町の名前をあげ、知っているかと三人に訊ねた。 「知っています」 「あれだろ?トランクィッスルほどじゃないけど、人間よりも俺たちみたいなのが多い町だ」 「そういう町がいくつかあるっていうのは、中等部で習ったな」 頷き合う三人を眺め、ラウルは苦笑いを浮かべた。 「いま言った町は、その最初の町だ。元々は、俺と関わりのある町でさ。あんまりいい思い出はないんだけど、人間よりも人外が住みやすいように、ヴェスパーが手を回して支配したんだ。トランクィッスルの外に、トランクィッスル的なコミュニティやネットワークが作られるようになったのは、それがきっかけだよ」 ラウルは城で歴史資料を読み漁り、自分が死んだ後のトランクィッスルとその周辺の変遷を、ほぼ丸暗記したようだ。 「ああ見えて、ヴェスパーはけっこう辛辣なことをする。いまのイーヴァルのように、昔は粗削りだったけど、俺がいない間に、ずいぶん鋭利に相手の嫌がる所を突くようになったよ」 「いまのイーヴァでも、粗削りですか」 「そうだね。まだまだ鋭くなる余地があるよ」 将来楽しみな子だと、ラウルは深い海のように青い目を細めて笑う。ダンテ・オルランディは、ヴェスパー・ミルドから義兄弟として遇されていたという。見た目の年齢はイーヴァルとあまり変わらなくても、ラウルにとっては甥、あるいは親友の子供を見ているような感じなのだろう。 ラウルは今後、前世の自分がきっかけである人間の住民や、その周辺環境の調査研究をすることに、興味があるらしい。もちろん、トランクィッスル外で起こる人間と人外のトラブルシュートを請け負うイーヴァルの仕事も、積極的に手伝いたいという。 「そういえば、イグナーツはサマンサさんとレパルスに会ったんだって?」 カフェテリアを出て、ラウルはふとイグナーツを振り向いた。 「教会で大立ち回りしたって聞いて・・・・・・ふふっ、相変わらずだなぁ」 「え、ええ。ちょうど、一年前だったかな?」 時間を超えた来訪者に会ったイグナーツは、こくこくと頷く。あのときも何かと大変だったが、なぜ最近までアメリカにいたラウルが言い出すのかと不思議に思う。 「友達なんだ。でも・・・・・・あぁ、変な感じだな。この時代からはずっと過去の事なのに、今頃どうしてるのかな、なんて考えちゃうよ」 ラウルはくしゃりと頭を掻いて苦笑う。ラウルの思い出の中にしかいないはずの人たちに、ほんの少しの時間差で会えたかもしれない。 驚いたイグナーツは、慌てて当時を思い返す。タイムトラベラーたちを元の時代に戻そうとして、かなり難しい巨大な魔法だったが、相性がよかったのかブレもノイズも出ず、時間遡行はスムーズに達成できたようだった。 「えっ、あの・・・・・・引き留めておいた方がよかったんでしょうか?」 「いや、それはダメだね。俺が初めて会ったのは、あの人たちが元の時代に戻ってからだ。だから、さっさと無事に帰ってくれないと困る。ヴェスパーも、何も言ってこなかっただろ?」 「はい。たしかに・・・・・・」 俺がいた時代のトランクィッスルも大変で面白かったんだよ、とラウルは笑う。 「今も昔も、いいところだよ、トランクィッスルは」 帰ってきてよかったなーと両腕を振り回すラウルの背を眺め、イグナーツは左右に立つレルシュとアゼルを素早く見た。 「なんだ?」 「どうした?」 「ううん。なんでもない」 ラウルが言う“いいところ”を維持していくのが、自分たちの役目なのだろう。イグナーツはその思いに少し胸が熱くなって、足早にラウルを追いかけた。 |