還らずの理想郷 ―2―


「なにか、重要なことですか?」
 赤い縁の眼鏡の向こうで、髪と同じ真っ白なまつ毛を瞬かせたクロムに、ラウルは軽くうなずいた。
「吸血鬼の中でも、真祖である俺は特殊な個体でね。これから後に、何百年も影響を及ぼす可能性があるんだ。かつて外部から働きかけて、ミルド伯爵家を興させたエインズレイ一族には、色々聞きたいことがあるんだよ」
 ラウルとクロムの視線を受け、ユーインは困ったように赤毛をかき回した。
「ユーイン・・・・・・」
「う〜ん、クロムにそんな顔されると・・・・・・わかったよ、資料か伝手を探してみるよ」
 ぱっと笑顔になったクロムに、ユーインは少々の苦笑いを浮かべた。
「助かるよ」
「あんまり期待しないでくれ」
 こちらも微笑を浮かべたラウルに、ユーインは肩をすくめてみせた。本当に、一族の中枢に縛られず、自由気ままにやっている若者なのだろう。
「ところで、バザーは楽しんでる?」
「はいっ!とても賑やかですね。面白い物がたくさんあって、とても楽しいです。ここの教会ではチャリティーも開けないので、少しでもお力になれればと思います」
 クロムは善良過ぎてぽやんぽやんとした雰囲気だが、心からバザーを楽しんでいるようだ。右を向いても左を向いても異形だらけ、人間には危険物だらけのこの町の住人としては、充分にタフな精神力を持っているようだ。
 そのクロムの笑顔が不意に強張ってしまい、ラウルはどうしたのかと赤い目の先を辿って椅子の上で振り向いた。
「・・・・・・我らの怨敵です!」
「子供たちの学び舎で、なぜこのようなことが許されるの!」
 キーッギャーッと耳に刺さるような金切り声のせいでよく聞き取れないが、神父のクロムがここにいることが気にくわないようだ。入り口で食券を売っている職員を押し退けて、ずかずかとやってきたのは、男女合わせて五名ほどの大人だった。
(ふーん。夢魔に、風のジンに・・・・・・こっちはウロコあるし、水妖か?つか、教会の敵多いなぁ)
 クロムが所属する教会は、土着の信仰や祭祀を駆逐してきた歴史的な事情があるので、仕方がないといえば仕方がないのだが、それにしても自然精霊にすら嫌われているのはドン引きだ。
 ラダファムやユーインがクロムを護るように席から立ったが、彼等は一瞬ひるんだものの、余計に怒りだしてしまった。
 異形達だけで安全なはずの学校に、人間の、しかも坊主が立ち入るなんて。人間はいつだって狡猾に侵略してくる。今度はいったい何を企んでいるのか。さっさと出ていけ、等々・・・・・・まあ、各地で迫害を受けてきた彼等の気持ちもわからなくはない、とラウルは思うが、いつになったらそれらと無関係なクロムたちを返してくれるのかとイライラしはじめた。
 ラウルは座り直して抗議者たちに向き合い、ぱんぱんと手を打つと、うんざりとテーブルに肘をついて脚を組んでみせた。
「学校に通う子供たちへの影響について心配される、あなた方のご意見も至極尤もです。しかし、もう少しまわりを観察され、想像力を駆使した方が、よろしいのではないでしょうか」
 柔らかく穏やかな調子なのに、まるで心のこもっていないラウルの声とその気配が届いた範囲で、飲食スペースや屋台の前でこちらを遠巻きにしていた人々の肩が、びくりと跳ねた。
「・・・・・・彼らは、俺の、客だ」
 文句あるかと目を眇めると、それまでヒートアップしていた男女はぺたりぺたりと、その場に座り込んでしまった。
 ラウル自身も褒められた行動ではないという自覚はあるし、あとで後悔するとわかってはいても、なにしろこの性の制御には、こまめなガス抜きが一番だという。下手にため込むと、地味なことだがまわりに置いてある物がいきなり壊れるし、我慢しきれなくて爆発した時は被害が大きくなって後始末が憂鬱すぎる、と普段から色々発散して自重しないエルヴィーラから助言を受けていた。
「・・・・・・・・・・・・」
「はいっ、ラウル先生!俺たちが!」
「実行委員会の本部に、ご案内いたします!!」
 ががっと音をたてて席を立ったレルシュとアゼルが、びしっと敬礼をした後、呼ばれたらしい警備員と一緒に闖入者たちを引きずって、屋台が並ぶ中庭から出て行った。
「・・・・・・っすぅふうぅ。いかん、父兄に凄んでしまった。いくらなんでも、やりすぎたか」
 校長に叱られる、と目元を覆ってこめかみを揉むラウルに、意外やクロムがくすくすと笑いながら大丈夫ですよと言った。
「俺は学校に招かれてきているんです。だから、俺に危害を加えられると、それは学校の不手際になります」
「学校から?」
 驚いてきょとんとしたラウルに、今度はクロムが首を傾げた。
「はい。頼まれたので、オークションに出品しているんです。それで・・・・・・えっと、学校からお話はありませんでした?」
「・・・・・・聞いてない」
 いや、もしかしたらあったのかもしれないが、ラウルが聞き逃していた可能性もある。自分が担当する屋台のことで頭がいっぱいで、オークション関係の事をしっかり聞いていなかった自覚はあった。
 再び頭を抱えたラウルに、クロムは経緯を教えてくれた。
「実は、アンフィスバエナ・ゾンビの事件以降、俺の聖水が欲しいと、色々なところから要望があったんです。俺はお譲りしてもよかったんですが、継続的だとか、量が多いとそうもいきませんし、本山から難癖をつけられる可能性もありました。だからといって教会は売買をしていないし・・・・・・そうしたら、オークションに出してみないかと提案されたんです」
「なるほど」
 トランクィッスルでのオークションに参加して高値が付けられる人物となれば、落札先はかなり絞られるだろう。そもそも、教会にとっては化物を攻撃できる聖水が人手に渡ることについて文句は言えないはずで、地方の一教会が財を貯める事が怖いのだ。
「でも、オークションで入札された金は、教会どころか人間たちの所にはいかないだろ?それはいいんだ?」
 ユーインの疑問にクロムは頷いて、悪戯っぽく微笑んだ。
「伯爵さまに抜かりはありませんよ。表向きは人間が運営している福祉組織や病院でも、その内実は・・・・・・なんて、世界中にあるそうですよ」
「そうなんだ!」
「へ〜」
「よく知ってるね」
 驚くラダファムやユーイン、感心するラウルに、クロムははにかんで自分も教えてもらったことだと明かした。
「先ほども言いましたが、トランクィッスル教会は敷地でのチャリティー活動どころか、慰霊と人間の救助以外の活動を、本山から禁止されています。オークションへの出品も微妙なところなんですが、提供するものが人間以外には脅威であることから、人間やそれに近い人が落札するとすれば、まあ言い訳は通るんじゃないかと」
 屁理屈もまかり通れば正論になると、ミルド伯をはじめ、学校関係者やサンダルフォン院長までGOサインを出したらしい。
「俺も、やっとこの町の住人になれた気がして、嬉しいです」
 クロムは白い頬を上気させて、深紅の目を潤ませるように微笑んだ。

 ラウルは店番があったので行かなかったが、大学部の講堂で行われた夕刻からのオークションでは、クロム製の聖水に対する入札がデッドヒートだったそうだ。
「八千!」
『八千』
「九千!」
『九千』
「一万!」
『一万・・・・・・一万、ありませんか?』
「一万五千!」
 一気に上がった値に、講堂には「おおっ」というどよめきで満ちた。しかし、すぐにさらに上の値が叫ばれる。
 クロムが出品したのは、ほんの三百ミリリットル程度だったのだが、その一本に対し、日本円にして百万円以上の値が付いてしまい、退魔刀鍛冶師のセンは早々にリアタイアした。しかし、ドワーフの鍛冶師組合と、クリスタルガラスの老舗ロバーツ&グリッソン社が最後まで粘りまくり、最終的には社の威信をかけたロバーツ&グリッソン社が、二万八千ユーロで競り落としたようだ。
「こ、こんなに高くなるなんて・・・・・・」
「サンダルフォン先生の言うとおりの量にしておいて、よかったね」
 ラダファムは苦笑いを浮かべたが、ポリタンク単位で量産しようとしていたクロムを、サンダルフォンと一緒に止めた時は、それは必死だった。あまりの高額に顔色を紅くしたり蒼くしたり忙しいクロムも、少しはわかってくれただろうか。
 しかしながら、高値が付く品を提供したことで、学校からはホクホク顔で礼を言われていた。これは毎年恒例になりそうだと、ラダファムとユーインは無言のまま予想するのだった。
「はあぁっ、楽しかった!」
 月影が照らす帰り道、両腕をうんと上げて伸びをするクロムに、護衛をした二人もにこにこだ。強すぎる聖性のおかげで、ずっと教会の敷地にひきこもっていたクロムが、心から楽しんでくれたことが、ラダファムとユーインの心も温かくした。
「ずっと心残りだった、ラウルさんにも謝ることができたし。とてもよかったです。ファムたんとユーインには、たくさん迷惑をかけてしまったけど・・・・・・」
 おそらく学生の父兄たちに難癖をつけられたことを言っているのだろうが、ラダファムとユーインは揃ってぶんぶんと首を横に振った。
「クロムは悪くないよ」
「そうそう。それに、やっぱラウルさんって強いんだな。あの人たちを睨んだ時、ちょっと怖いなって思っちゃった」
 ラダファムは『ちょっと怖いな』程度にしか感じなかったのだが、ユーインはクロムに掛けていた防御魔法が破られないか冷や汗ダラダラだった。魔力を帯びた攻撃なら防げるが、魔性によって引き起こされる『恐慌』や『脱力』、あるいは『絶望』『混乱』などといった心身の異常は、クロムやラダファムが身に宿している聖性でないと打ち消せないのだ。
(あれはヤバい。絶対ヤバい。伯爵が溺愛して囲ってるって噂、全然あてにならない。きっと、野放しにできない・・・・・・囲う必要があるから、囲ってるんだ)
 とユーインは推測したし、その瞬間にケープの内側が波打ったことを感じたクロムも、自分の聖性がなんの意味もなくラウルを攻撃したのではないと納得した。それだけ、ラウルという吸血鬼は存在がおかしい・・・・・・・のだ。
「・・・・・・はい?」
「えへっ」
 妙に真剣な目で互いが視線を合わせてしまい、クロムとユーインはとっさに誤魔化し笑いをした。ラダファムが気付いていないなら、まだ気付かせるべきではないのだ。
「相対してはじめてわかったけれど、ラウルさんという方は、大勢の人に慕われるタイプですね。カリスマがあるけれど、それ以上に優しい人だと感じました」
 クロムはしかし、「ただ・・・・・・」と続けた。
「主の救いを必要としない方でもあった・・・・・・」
「真祖吸血鬼だからなぁ。自分から人間を捨てるって、結構な覚悟でしょ」
 呟くユーインに、クロムは頷く。
「でも、そんな人が、この町に人間を住まわせることを、今の伯爵さまに許させたんです。人外だけの聖域を、少しずつ譲り合い、歩み寄らせる、理想郷に変えてしまったんです」
 ラウル個人の、とてつもない力を見せつけられながらも、ラウルに唯一抵抗できる力を持つ人間としての責任を、クロムはひしひしと感じ、また生涯にわたって己に課すつもりだ。
「そんな理想郷の住人に、俺もなれたんです。俺を許してくれた彼以上に、優しくつよくあらなければ」
 月と星たちが散らばる濃紺の空を見上げたクロムのケープを、夜風がそっとたなびかせていった。