封聖のケープ


 カウチの端に座って、その膝を枕として提供しているヴェスパーは、すやすやと健やかな寝息を立てる義弟を、機嫌よく見下ろしていた。上着だけ脱いだベスト姿に、薄手のブランケットを腹にかけられ、深く呼吸を繰り返すラウルは、深夜だというのに目覚める気配がない。
「ずいぶんお疲れのようだ」
「成長期だからな。満腹になったら、夜寝くらいするさ」
 向かいから聞こえるまろやかな声に返す声も機嫌がいい。
「長の見立てならば、健康そのものと言ってよさそうだ」
「当然だ。最近はまた日差しに弱くなって、昼間に土いじりができないと嘆いているのはこの子らしいが、そもそも昼間に動き回る方が不健康なのだ。血の摂取量も順調に増えていて、実に喜ばしい限りだ。はじめのころは、真祖なのに、こんなに食が細くて大丈夫かと、ずいぶん心配したものだよ」
 ミルド伯爵ヴェスパーの、真祖ラウル・アッカーソンへの溺愛っぷりは、当初より有名だったが、相変わらず過保護に育てているようだ。
「それにしても、キミもまたすごい物を開発したようだね」
 くつくつと喉の奥で笑うヴェスパーに、正面にかけた客人・・・・・・トランクィッスル総合病院院長のサンダルフォンは、室内だというのに肩からすっぽりと覆うケープを、両腕を使って広げてみせた。光沢のある白い布地自体に、同色の糸で細かな刺繍が施されている。さらに、金と黒の糸で綴られた文様と、蒼い魔宝石を組み込んだモチーフは、わかるものが見れば強力な封呪の印と明らかだ。いったいいくらするのかと思うような、一見して非常に高価な品だ。
「私は依頼しただけで、開発したのは知り合いの錬金術師と織物工房だよ」
「サカキ・イチジョウだろう?もちろん知っているとも」
 錬金術師のサカキは、優秀ではあるが、気に入った客しか相手にしない、かなりの偏屈者という評判だ。様々な発見、発明をする、稀代の天才というわけではないが、彼に作れぬものはないと評判のアイテム士であった。しかし出来上がる品々は、依頼者しか必要としないニッチな方向性と、ピーキーと言っていいほどの尖った高性能を併せ持っているせいで、一般には理解されづらい変な物が多いのだとか。もちろん、そんな品の依頼料は、目が飛び出るほど高額だろう。いわゆる一点物を、オーダーで作ってくれる職人と言えばいいか。
「どうだろうか。これで・・・・・・周囲百メートル内は、瞬時に浄化できる威力で出しているつもりなのだが?」
「まったく問題ないな。すでにやっていることと思うが、耐久テストの結果はどうだったかね?」
「完全無制御という状態には出来ないので、八割程度が最高出力だが・・・・・・それでも多少裾が浮き上がってはためくくらいだったよ。刺繍糸が何カ所かほつれたが、魔宝石は耐えきった」
「それはもう神器級アイテムと言って差し支えないのではないかね」
「同感だ。自分で依頼しておきながら言うのも何だが、よくこんな物が作れると思うよ」
 サンダルフォンは他人事のように感心している。もちろん、ヴェスパーもお目にかかったことのない逸品である。
「これなら、ラウル君の近くにいても大丈夫そうだ」
 サンダルフォンが身を乗り出すと、長く真っ直ぐな金髪がさらりとこぼれた。すんなりと伸びた鼻梁と滑らかな白い頬は、神の手を持つ名匠が彫りあげたかのようだ。しかし、長い睫毛に縁どられた青緑色の目は、悪戯っぽくキラキラと輝き、柔らかく血の気を帯びた唇は、快活に言葉を紡いでいる。彼は、けっして美しいだけの無機物ではない。
「やれやれ。彼が到着してから、ずいぶん時間がかかってしまった」
「それで?」
 ヴェスパーの目が細められ、サンダルフォンは穏やかに苦笑いを返す。本題に入ったこともそうだが、ヴェスパーの声が硬くなるのは話題がラウルの事だからだ。子育て中の母熊でもあるまいし、そう殺気立たないでほしいところだ。
「魂は少しも欠けていない、綺麗なものだよ。よく頑張った。ただ・・・・・・やはり、影がいくらか薄いようだ」
「影が薄い?」
 ヴェスパーはカウチや自分の脚を覗き込んで、ラウルの影を探そうとする。そもそも、夜しか行動せずに薄暗い室内を好み、鏡などにも映りにくい吸血鬼は、自分の影をはっきりと見定めることが少ない。
 この談話室には、無遠慮で白々とした蛍光灯ではないが、それでも近代的な電灯のシャンデリアが下がっており、柔らかな明るさで満ちている。
「・・・・・・影はあるが、私と比べても薄いだろうか?」
「その影とは少し違うよ、伯爵。彼がこちらに来る前に、記憶が足りなかったと聞いている」
「そうだ」
 今でこそラウルは前世の記憶をはっきりと持っているが、イーヴァルに見つけられた時には、『人外が集うトランクィッスルという町に住んでいた』という記憶しかなくなっていた。サンダルフォンによると、記憶の欠落だけではなく、ラウルの名前や出生地が違ってしまったのも、影が薄いせいだという。
「転生するための座標が、少しばかりぶれてしまったようでね。まあ、ここに伯爵がいてくれたから、問題はないよ。欠けていた記憶も修復されたし、真祖としてちゃんと覚醒できただろう?」
「ふむ」
 この世界以外の事は、ミルド伯爵でも手の出しようがない。ともかく、ラウルがここにいる事実は間違いないのだから、よしとするしかないだろう。
(これにて私の特別任務は終わったわけだが・・・・・・)
 サンダルフォンは胸の内で呟くが、病院や教会の事もあることだし、まだしばらくはこの地に留まるつもりだ。時代が変わり、後任ができるまでは、この特異な聖域の監視も仕事の内だ。
(なにしろ、ここはとても面白いからね)
 面白い場所にした一因は、いまヴェスパーの膝枕で爆睡している青年にある。そう確信しているサンダルフォンは、目を細めてにこりと微笑んだ。
「そういえば、先日の人工ゾンビの件は進展があったのかね?」
「もちろん、解決済みだ」
 さらりと言ってのけたヴェスパーに、サンダルフォンは思わず「ほう」と感嘆した。
 トランクィッスル教会の地下墓所で、アンフィスバエナ・ゾンビが暴れたのは、つい三、四ヶ月前のはずだ。
「確かに規模は大きかったが、私の手に負えないというものではない。それに、イーヴァルが良く働いてくれたよ」
 ヴェスパーの称賛に、サンダルフォンはもう一度瞠目した。ヴェスパーが他人を相手に我が子を褒めるのは珍しいことだ。それだけ面倒な仕事を、彼の息子はやり遂げたのだろう。
「聞いてくれるかい?ダンテを見つけたきっかけの事件・・・・・・あぁ、合衆国での話だよ。小学校に銃を持った男たちが乱入してきて、先祖返りした樹人族の少女が大暴れした事件、あの人工ゾンビを作っていた連中の仕業だったよ」
「それはまた・・・・・・」
 人工ゾンビがどこまで人間の命令を遂行できるかという実験だったらしい。あの時点で七体も投入できていたのは驚きだが、実際には先祖返りしたモーリンがほとんど片付けてしまったので、彼らが期待したほどの成果をあげられないばかりか、当局に死体を回収されてしまっていた。武器を持った人間がほとんどいない、弱い人間ばかりが集まった場所を選んだつもりだったのだろうが、完全に裏目に出ていた。人間からすれば、あれでも大変な被害だったが、モーリンがいなかったら、あの小学校にいた人間は、完全に皆殺しにされ、実行犯にも逃げられていたはずだ。
「テロにしては、実行犯の人数が多すぎるし、目的がはっきりしないのに火力が高すぎて、ちぐはぐな印象がする、妙だと、ダンテが言っていたんだよ。よくよく調べたら、あの国は肝要なところを隠していたよ。私に介入されたくなかったんだろうね。まあ、あの時点では、樹人の少女を保護することが第一だったし、そのあとも、こちらはダンテの事しか見ていなかったけどね」
 その間に、人工ゾンビの研究は進み、一時はどこかの戦場に投入されていたらしい。ただ材料がうまく揃わず、研究もやや行き詰まっていた時に、あのアンフィスバエナの事件が起きたようだ。
 別の場所でもアンフィスバエナ・ゾンビは出現したようだが、トランクィッスル教会で錬成されたような大きさにはならず、かろうじて人間たちで隠蔽できていたようだ。
「やはり、元凶はメドゥーサの血か」
「そう。何年前だったかな・・・・・・地中海で、新しく海底遺跡が発見されたんだよ。そこからの出土だったらしいよ。十中八九類似品だろうけど、現物はすでに使い物にならなくて、復元させたそうだ。実に遺憾なことだが、その復元の研究に、隠れ住んでいたゴルゴーン族が使われた可能性が高い。しかも、こちらが把握している人物ではなかったようで、残念ながら、被害に遭ったのが誰なのかまでは確認が取れなかった。研究データは抹消済みだけど、まだどこかに秘匿されているとも限らないね」
「なるほど・・・・・・」
 脅威は去ったが、欲深な人間の興味が、いつどこで失われたはずの遺物を掘り起こすとも限らない。それこそが、人間の面白いところであり、驚嘆するところだとサンダルフォンは思うのだが、厄介な性癖であることも承知している。
「教えてくれて感謝する、伯爵」
「こちらこそ、ダンテの診断に感謝するよ。先生ヘル・ドクトル
 二人は握手を交わし、ケープを纏ったままのサンダルフォンは伯爵の城を辞していった。

 目を覚ますと同時に寝返りをうとうとして、ラウルは枕の主に頭を撫でられた。
「んあ?」
「おはよう、ダンテ」
「・・・・・・いつの間に寝てたんだ。っていうか、いつから俺の枕になっていたんだ?」
 半眼になってカウチに起き上がったラウルは、目をこすりながらぐいと背伸びをした。
「たいした時間じゃないよ。ほんの、一時間というところかな」
「んんッ、寝すぎた・・・・・・」
「よくおやすみだったよ。いい夢は見れたかな」
「あー、月の夢は見たな。オレンジタルトみたいな、デカくて丸い月だった。誰かと一緒にいたような気がするんだけど、覚えてないや」
「ほう。夢の中でも孤独でないというのは、とても良い事だ」
 ヴェスパーがメイドに紅茶を持ってこさせていると、ラウルはテーブルに置かれた布に興味を持ったようだ。
「なにこれ?」
「消火シートだよ」
「このめちゃくちゃ高そうな服が?」
 ラウルは物品の鑑定ができる知識を持ち合わせていないが、宝石をあしらった細かな刺繍を見れば、おのずと『高そう』という評価が出てくる。
 ヴェスパーは笑いながら、それが最近開発された、最高品質の『封聖のケープ』だと教えた。
「聖性を放つもの・・・・・・たとえそれが、神族や天使族だろうと、聖杯のような伝説級の品物だろうとも、それを被せて叩き潰せば、ダンテに危害が加えられることはないよ」
「なるほど、消火シートだ」
 普通の消火シートは、シートの上から燃えている鍋を叩き壊したりはしないが。そもそも、これは安易に上から叩いて、破けたり傷がついたりしても大丈夫な代物なのだろうか。見るからに高そうなので、ラウルはそこが気がかりだ。
「・・・・・・で、おいくら?」
「私が開発依頼したものではないからなぁ。これも献上品だし。・・・・・・まあ、基本的な材料代と素体縫製の人件費だけで、一着、百四十・・・・・・いや、百五十万ユーロは下らないのではないかな」
 アメリカドルにして百八十万、日本円にして一億八千万ほど。軽率にケープを手に取っていたラウルは、白目を剥きかけた。
「たっっっっっか!!!!オート・クチュールのウエディングドレスかよ!!」
「開発費や、調達人件費を含めた希少素材の材料費、特殊縫製の技術料を入れたら、天井知らずの値段だろうね。それが、たぶん三着か四着は存在しているんじゃないかな。私としては、この特殊な材料を、どうやって何着分も集めたのかの方が興味あるよ。これだけ技術のある、縫製を手掛けた工房も、知りたいところだね」
 いやぁ、感心感心、とカラカラ笑うヴェスパーに、ラウルはケープを丁寧に畳んでテーブルに戻した。国家予算並みの物を素手で掴めるほど、ラウルの神経は太くない。
「宝物庫にでも大事に仕舞っておけよ」
「え、仕舞っておいたら、いざという時に使えないじゃないか。ダンテにあげるよ」
「こんな高い物、そう簡単に持ち歩けるか!!!」
「えー」
「えー、じゃない!もう、やだこの金銭感覚が狂った大貴族・・・・・・」
「狂っているとは失敬な。多少、庶民の感覚とずれがあることは承知しているが、必要なものなんだから、持っていなさい。しかも、今回は無料タダだし。壊れても、金を出せばまた作ってくれるアテがあるんだから、遠慮せずに、ちゃんと使うように」
「ケープが壊れる前に、俺の心臓が止まりそうだ・・・・・・」
 しかし、確かに心強いアイテムなので、ラウルには必需品と言っていいだろう。結局ラウルは、涙目を堪えて、高価なケープを持ち帰ることになるのだった。