不屈の魔術師 ―5―
クロムが先に施してくれた祝福の防御がなければ、ユーインでも二、三発はもらっていたかもしれない。それくらい急激な加速で追いかけられ、ユーインはラダファムの懐中電灯の光を追って走るので精いっぱいだった。 「どいてどいて〜〜!!」 ラダファムがわざと大声を出して走るのは、ユーインに位置を報せるためもあるが、地下墓所内に住む亡者たちを、できるだけ近寄らせないためだ。アンフィスバエナの巨体は、力強くうねるたびに左右の遺体棚を擦り、亡者たちがそれに触れれば、あっという間に引きずり込まれてしまうだろう。こちらの言葉を理解しているとは言えないが、それでも静けさを求める亡者たちには、その場を動かないでいてくれることを願うしかない。 「はぁっ、はぁっ、いま、何階だ?」 「たぶん・・・・・・あと、二階くらい下りれば、一番下!」 ラダファムの言葉を信じて、ユーインは真っ暗で広大な地下墓所をひたすら走った。後ろからは、怒り狂ったアンフィスバエナの、蛇とは思えないような叫び声が迫ってくる。途中でとどまって墓所を破壊することなく、ちゃんと追いかけてきてくれることだけは、ありがたい。 「このっ」 追いつかれそうになるたびに炎を射て牽制をするが、反対側の頭がまったく引っ張ることをしないのか、ほとんどスピードが落ちない。 「着いた!!」 暗闇の中を千メートル近く走って、ユーインとラダファムは息も絶え絶えに、最下層の祭壇と偽扉のあるホールに転がり込んだ。ラダファムの聖性に反応しているのか、うすぼんやりとしたホールは、ユーインの目にもだいたいの物の位置が見えた。 「ゴアアアアアアア!!!」 「ユーイン、こっち!」 ラダファムを追って、ユーインは時計回りに祭壇を回り込んだ。ここは半分資材置き場になっている地下二階よりも整然としているが、広さはさほど変わらない。ぐるりとまわっても、アンフィスバエナの体長の方が長い可能性がある。 「うわっ!」 「くそっ」 アンフィスバエナは暴れまわって壁などにぶつかるが、祭壇の傍には様々な経典が積まれていたはずで、それらを傷めかねない魔法を使うのははばかられる。 「ユーイン、奴の尻尾だ!」 「!?」 ついに体全部がホールに入ったらしい。だが、アンフィスバエナがずるずると引きずる後ろ半分は、無残に爛れてボロボロになっていた。 「頭はどうした!?もう一つの頭は!!」 「潰れてる!」 ラダファムが懐中電灯を向けると、たしかに片方の目が潰れた三角頭があったが、こちらに噛みつく力もなさそうだ。しかし、近付くのは危険すぎる。後ろに迫る健在な頭を避けながら、ユーインは周囲を傷付けないように、アンフィスバエナを氷点下の嵐に巻き込んだ。 「ユーイン!」 「長くは持たないぞ!」 その時、よろめきながらの足音を二人は聞いた。その不安定に揺れる大きな光の円が、地下二階の資材棚に置いてある、緊急用の懐中電灯だとラダファムにはわかった。 「はぁっ・・・・・・っはぁっ、お、お待たせ、しました・・・・・・っ!」 「クロム!!」 眩いばかりの光がホールに溢れ、わき腹を押さえたまま胸を喘がせているクロムの姿が浮き上がった。 「ギャアアアアァァアァ!!!」 天井一面にきらめくクリスタルたちがクロムの聖性に反応して、結界としての効力を最大限に発揮しているようだ。アンフィスバエナは身をよじって苦しむが、ホールに溢れる聖性は、その腐敗した巨体を逃がすことはなく雁字搦めにしている。 「ファムたん、聖水を投げてください!!」 「は、はい!」 ラダファムはクロムから渡されていた聖水瓶を取り出し、暴れる蛇頭に向けて投げつけた。 パリン、という音が、したかもしれない。ロバーツ&グリッソンのクリスタル細工は丈夫だが、攻撃手段としてその聖性を期待されたならば、意思を持つかのようにその身を砕け散らせ、くまなく脅威に張り付いた。もちろん、中に収められていた、クロムが作った聖水もろとも。 「キィィィイイイイイイッ!!!!」 アンフィスバエナの横面に当たった聖水瓶は、見る見るうちに対象を爛れさせ、腐肉はボロボロと崩れ落ちていく。 「ユーイン!」 「オーケー!」 ユーインも聖水瓶を取り出し、氷柱で包んで狙いを定めた。 「くたばれ!!」 ユーインが振る杖の示すまま、無数の氷柱はアンフィスバエナの体を串刺しにし、聖水瓶を収めたひとつは、正確にアンフィスバエナの崩れ始めた頭に突き刺さった。 「ギャアアアアァァァ、ァ、ァ・・・・・・」 断末魔と共にボロボロと腐肉が形を崩していくが、まだ胴がバタバタと動き、すでに崩壊した頭部ごとクロムに圧し掛かっていく。間に合わない、それでもユーインとラダファムは、クロムに向かって駆けた。 「主よ、この者たちを憐みたまえ」 しかしクロムの祈りは、最後まで他者への献身が揺らがない。たとえ自分が犠牲になったとしても、目の前の怪物と化した誰かの魂に寄り添うこと。それが、聖職者としての、クロムの生き方だった。 ブォオオオオオッ 「ク・・・・・・!?」 「な、に・・・・・・!?」 アンフィスバエナの体は、クロムに落ちかかる寸前で、なにかに掴まれた。そう、掴まれていた。 「・・・・・・?」 「クロム、こっちに!」 「危ないよ!!」 ユーインとラダファムに引っ張られ、クロムは引きずられるようにホールの端へと移動させられた。 「いったい、なにが・・・・・・?」 「なんだ、あれ・・・・・・?」 死の直前から引き戻されて呆然としていたクロムは、ユーインの喉に張り付いたような声に視線を上向かせた。そして、ラダファムも同じものを見て、顎を落としていた。 「そんな・・・・・・」 それは、たしかに「手」だった。ホールの奥の壁、偽扉から、うっすらと揺らめく巨大な何者かの手が伸びて、アンフィスバエナの体を鷲掴みにしていたのだ。その手はアンフィスバエナの体を握りつぶすと、まだ何かを握りしめているような様子のまま、偽扉の中へとすぅっと引っ込んで消えていった。 「・・・・・・・・・・・・」 三人は呆然としたまま、しばらくその場に座り込んだ。あたりには、アンフィスバエナだった乾燥した土塊が散らばっていたが、あのおぞましい臭いは、もうしていないように感じられた。 「 「え!?」 最近あった事件を話しながら歩く教会への帰り道。代わりに荷物を持って隣を歩いてくれているラウルが首を傾げて呟くので、ラダファムはびっくりして見上げた。 「行き止まりじゃないの?本当に先があるの?」 「伯爵の城の文献に、あの地下墓所を建てた時の事が書いてあったよ。至聖所と考えるのが妥当だけれど、誰の為なのかは書いてなかったな。もっとも、あの偽扉の先にどうやって入るのか、どのくらいの規模なのか、あるいはどこかに繋がっているのかも、書かれていなかったけどね」 空洞があるのは間違いないと、ラウルは証言した。 「ふ〜ん。なにがあるのかはわからないのか。でも、壊して入るもんじゃないしなぁ」 「死者のみが扉の向こうへ行けるのだとしたら、ラダファムくんにも、そのうちわかる時がくるんじゃないかな」 「えー。俺長生きするつもりだから、あと百年はわからないな!」 「ははっ、いい心がけだ」 ラウルはトイレットペーパーを抱えたまま肩にかけた布袋の紐を直し、唇の影から白い犬歯を覗かせて笑った。 「しかし、アンフィスバエナか。またすごい物を錬成したな」 「ラウルさんは、アンフィスバエナを知ってるの?」 ラダファムの問いに、昔から神話や叙事詩が好きだったラウルは頷き、大プリニウスの『博物誌』などに記述があるアンフィスバエナは、ギリシャ神話が発祥だと告げた。 「ユーインもそう言ってた。ペルセウスが切り落としたメドゥーサの首から出た血が、アフリカの砂漠に落ちて、たくさんの有毒な蛇や蠍が生まれた。その中に、アンフィスバエナがいたらしいって」 「そう。だから、アンフィスバエナは血が滴り落ちたリビアの砂漠や、その後ペルセウスがアンドロメダを救ったエチオピア・・・・・・現在は地理的にエリトリアにもなっているけど。そのあたりに生息していると言い伝えられているね」 「でも、どうしてゾンビからアンフィスバエナができたんだろう?その関連がよくわからないんだよな。だって、俺たちはブードゥーの呪術で作られたゾンビだって聞いていたんだ」 死体から何かを作るなんて、ラダファムやクロムにとっては想像の外過ぎて、ユーインが不思議がっていた「アンフィスバエナでなければならない」理由がわからなかった。ブードゥーの発祥は西アフリカだが、アンフィスバエナがいるとされているのは北アフリカだ。同じ大陸とはいえ、距離が離れすぎている。 しかし、ラウルには心当たりがあるのか、普段は穏やかな眼差しがすぅっと険しくなった。 「ペルセウスに首を切り落とされたメドゥーサの血は、ペルセウスが二つの瓶に満たして、女神アテーナに献上したとされている。その血は、片方は『人間を殺せる』、もう片方が『死者を蘇らせる』らしい」 のちにその血は、アテーナから名医アクスレピオスに渡されたらしいが、アクスレピオスなら有益な薬にできても、そのままでは毒にしかならないだろう。 「双頭の毒蛇アンフィスバエナがメドゥーサの血から生まれたのなら、不死性に馴染みがあってもおかしくない。つまり・・・・・・」 誰かが伝説のメドゥーサの血か、それに近いものを用いた可能性がある。邪悪で、どこまでも生命を軽んじ、生きるということと死ぬということの尊厳を踏みにじる行為だ。そしてそれを、実行した誰かが存在するというのが、最も恐ろしい。 「なんてこった。いったい、どこまで根が広がっている話なんだ」 「どうすればいいんだろう?またあんな怪物が送られてくるのかな?」 ラダファムが不安そうな顔をするのも無理はない。死闘を潜り抜けてアンフィスバエナを倒しはしたが、また同じことがあるなんて勘弁してほしいはずだ。 「大丈夫だよ。そんなこと、あのヴェスパーが許すはずがない」 ラウルは目元を緩めるように微笑み、ラダファムを安心させるように胸を張った。必ず元凶を叩き潰し、住人が安心して暮らせるようになるはずだ、と。 並んで歩くラダファムは、そんな優しいラウルを見上げ、ぽつりとつぶやいた。 「ラウルさんは真祖吸血鬼だけど、クロムの神様には嫌われてないと思うよ」 「え?そうなの?」 驚くラウルに、たぶんだけど、とラダファムは頷く。 「ラウルさん、意外と信仰心がありそうだし、クロムに対して悪いこと考えてないだろ?」 「まあ・・・・・・そうだな」 一応キリスト教徒の家で生まれ育ったし、クロムに近付かなければ特別被害もないし、とラウルはもごもごと呟く。 「でも、俺は・・・・・・」 「うちの神様は、クロムが大事だからさ。気に入らないことがあると、バンバン天罰落としてくるから。神様って意外と気が短いんだよ、うちの神様だけかもしれないけど」 吸血鬼として転生することを選んだ大罪人の烙印を押されていそうなラウルに、ラダファムは大丈夫大丈夫とハンカチが巻かれた手を振る。 道の先に鐘楼のある教会が姿を現し、簡単な門扉が見えてくると、ラウルはこの辺まででいいかな、とラダファムに荷物を渡した。あまり近付きすぎると、またクロムの聖性に攻撃されかねない。 「ありがとうございました。あ、ハンカチ・・・・・・洗って学校まで届けます」 「いいよ、あげるから。お大事にね」 ラダファムが重ねて礼を言っていると、背後の教会から、ビシャーン!と凄い音が聞こえた。 「なんだ!?」 「ああぁ・・・・・・あれが、天罰です。また、ユーインかな・・・・・・」 「タフな魔法使いもいるんだなぁ」 ラウルのちょっとズレた称賛に、ラダファムは少々うんざりしながら、ユーインにもラウルのような紳士さはないのかと思わずにいられなかった。 |