日暮れの街へ



― いまはむかし、トランクィッスルという地名が出来たばかりの頃。

 広々と石畳が敷き詰められたその広場には、四輪馬車二台が悠々と通れる空洞を二つ備えた大きな門が建てられていた。滑らかな大理石に刻まれた精巧な文様は、まるで螺鈿細工のように虹色に輝き、門自体が柔らかな光を放っているようだ。
 巨大ではあるが瀟洒な門は、ただ広場に建っているだけで、何処にも通じていないように見えた。広場の周囲は、新品の建物と道で囲まれているが、門から伸びる道はない。何のための門なのか。
 広場にはその門を見つめる人々が佇み、薄く緊張をはらんだ低い声たちがひそひそと揺蕩っている。背広にステッキをついた者、みすぼらしいフードで全身を包んだ者、素肌が透けるような薄物の者、角を生やした者、羽根を生やした者、鋭い爪足で地に立つ者・・・・・・彼らは一様に、固唾を飲んで門を見つめていた。
「・・・・・・時間だ」
 パチリと懐中時計を手の中で閉じたのは、パラソルをさした貴婦人だった。たっぷりとスカートを膨らませた黒絹のドレスと手袋は見えたが、その貌のほとんどは、パラソルのレースの奥深くに隠れたままだ。
 人々のどよめきに、ひときわ門への注目が集まる。むしろ控えめと言っていい柔らかな光の揺らめきが消えた後、そこには一人の男が立っていた。
 偉丈夫、と言っていい。六フィート半ほどもあろうかという長身は、暮れなずむ空へ傲然とそびやかされ、少し癖のある長い黒髪がそよと風になびく。一見質素に見えるシャツとズボンに包まれた体躯は隆々と逞しく、腕も脚もがっしりと長い。黄昏の最後の残光が影を作るシャープな顔立ちが、少し辺りを見回した後、ニヤリと獰猛に微笑んだ。
「成功だ!」
 誰かの叫び声にわっと歓声が上がり、広場は小さくない喜びに包まれた。転送門の成功、それも、ほぼ耐久上限ギリギリに迫るような、過大な負荷をかけての、最終実験だった。
「ようこそ、トランクィッスルへ。親愛なる我が友よ」
 パラソルをさした貴婦人が進み出ると、転送されてきた偉丈夫は、鍛え抜かれた刀身のように美しい声を、その逞しい喉を震わせて出した。
「よう、ヴェスパー。しばらく見ないうちに、服の趣味が変わったな」
「無粋な奴め。わざわざ淑女っぽさを練習した私の努力を敬え」
 パラソルを畳んでひょいと肩に担ぎあげたのは、深い紫色の目をキラキラと輝かせた若い男だった。白い肌に血の気は少なく、かっちりと鼻筋の通った彫りの深い顔立ちで、そこだけは赤い唇は薄く引き締まっていた。十分に美しい若者であったが、一番印象的なのは、悪戯っぽい微笑みを絶やさない、黒い睫毛に縁どられたぱっちりとした目だろう。ついでに言うと、結い上げられた黒い巻き毛はウイッグだ。
「肩と胸の骨格が隠しきれていないし、顎のラインも丸見えではないか。どうやっても雌の声ではないし、個体の匂いは香水では誤魔化せん」
「クラスターの観察眼が鋭すぎて勝てる気がしない。異種族でも見破るなんてスペック高すぎるだろ。結構いけると思ったんだけどなぁ・・・・・・」
「気持ち悪いからよせ」
 クラスターは一言でヴェスパーの努力を粉砕したが、ヴェスパーはこくんと頷いた。
「伸びしろはあるということだな。頑張ろう」
「・・・・・・俺の見ないところでやれ」
 はぁー、と大きなため息をついて、クラスターは両手を腰に当てて見せた。
「それで?俺はもう用済みか?」
 門の周囲には何人もが集まってデータを収集しているようだが、ヴェスパーがいるためか、そもそもクラスターが怖いのか、二人の周りには誰も近寄ってこない。ヴェスパーはくるりとパラソルを回して、石畳にカツンとついた。
「まずは実験成功の祝いに、一杯どうだ、族長殿?」
「いいだろう、二代目」
 二人は肩を並べて、新造中の町トランクィッスルの酒場へと向かった。
「あらためて、協力に感謝する、クラスター」
 質素だが頑丈そうな丸テーブルに差し向かいで座り、ヴェスパーはクラスターに謝辞を述べた。
「かまわん。いつも面白そうなことを振ってくる貴様を、俺はけっこう気に入っている。この町もずいぶん出来てきたな。店も増えて、人型で来る甲斐もあるというものだ」
 なかなか興味深い、とクラスターはエールを飲み干した木製のジョッキをしげしげと見回す。この男の正体はドラゴンであり、現在ホルトゥス州に移住してきた龍族の中で、最も体躯(質量)の大きな個体でもある。外見を人型にしてサイズを圧縮しても、本来の質量は魔法物理的に保存されたままだ。そのために今回の実験に協力させられたわけだが、失敗したら最悪存在が消し飛ぶという危険性をあまり感じさせない度胸は見上げたものだ。
「しかし、族長自らOKするとは思わなかった。こちらとしては願ったりかなったりだったが」
「伯爵と州には世話になってるし、危険なことだからこそ、俺がやらなきゃ、誰もついてこねぇよ」
 フフンと鼻で笑うクラスターは、若くして黒竜一族の族長に就任したばかりだ。先代の族長が原因不明の病に倒れたためであったが、異例の抜擢でもあった。それだけ、クラスターを支持する同族が多いということだ。
「もっとも、飛んできた方が気が楽だがな」
「そりゃそうだ。あの門のサイズじゃ、クラスターは大きいままだと入りきらないからなぁ」
 もっと大きなものを作るには技術が予算がと頭を抱えるヴェスパーを、クラスターは二杯目のエールを片手にニヤニヤと見おろす。常日頃ふざけているヴェスパーだが、これでもトランクィッスルの初代町長であり、精力的に街造りを行う姿勢が勤勉ではないとは、誰も言えはしない。
「成体のドラゴンや巨人族のエルダーでもない限り、あの門でも十分な大きさだと思うぞ。それはそうと・・・・・・この町を人間向けの観光地にでもするのか?」
「まさか!」
 ヴェスパーは顔を上げて、きっぱりと否定した。
「しかし、人間の町はもっと雑然としているような印象だが、この町は整然として見栄えがいい。俺たちにはよくわからないが、統治や経済では旅行客を呼んで、町を潤すものではないのか?」
「その通り。だが、我々自身を人間の見世物などにするわけないだろう?それに、私たちに貨幣経済の概念が浸透しないと言い切れるか?人間にできて、私たちにはできないとでも思うか?だいたい、住む場所は汚いよりは綺麗なところの方がよかろう?せっかく新しく作るのだし」
 自分たちの国を持つ種族は別として、基本的に彼らは群れることをしない。まして、経済活動という概念もない。世界から受け取り、世界へと還すものだ。
 しかしこの地を治める伯爵はわざわざ人間と条約を取り決め、トランクィッスル及びホルトゥス州を、明確に人間以外のものが住まう場所だと認知させた。いままでいるかいないかわからないという曖昧さすら恐れになっていた化物たちが、「いる」ものだと知らしめることは、隠れ住んでいた者たちにとっては危険極まりない事だ。雉も鳴かねば撃たれまい、という、遠い国のことわざもある。
「当分の間、ホルトゥス州に人間は入れんよ。森で迷って、そのうち立ち入った最初の場所に戻る。私がそう手配した」
「貴様のやり方には反対しないか・・・・・・では、伯爵の真の狙いとはなんだ?」
「私にあの男が考えていることがわかるか。さーっぱりわからん」
「一応、親子だろう?」
「一応な」
 フン、と不快気に鼻を鳴らして、ヴェスパーは白ワインをあおった。ホルトゥス州の支配者である吸血鬼ミルド伯爵の一人息子、それがヴェスパーであった。
「たしかに、昔に比べたら我々が住める場所は減ってきた。だが、まだ十分に土地はあると思う。しかしあの男は、それでは遅いと考えたのだろう。少なくとも、情報の集積場所、種の保存場所が必要だというのは、私にも理解できる。それが今から人間の目に触れてでも作らなきゃいけないかというのは、納得できんがね」
「ふむ」
「だが、始まってしまったものはしょうがない。何百年後かに、伯爵家とこの地を、本当に私が継ぐのかどうかわからんが、私が今果たすべき責任というものがある」
 外敵の排除、町の建築、住民の福利厚生、そしてなにより、この町が進むべき未来のビジョンを示すことが、ヴェスパーの役目である。伯爵から丸投げされたと見えなくもないが、ヴェスパー自身は最初からフリーハンドでやらせてもらえるのは気分が良かった。
 人間との共存などという夢物語が実現する、などとは思っていない。だが、人間から迫害されてきた者たちが安心して暮らせる場所を提供するというのは、ノーブルとしての権利であり義務でもある。好きでミルド家に生を受けたわけでもないヴェスパーでも、それは心得ていた。
「さしあたり、住民同士で喰い争うようにならないよう、食料の供給と法令順守の浸透を徹底させていく。クラスターが手伝ってくれたように、インフラが整備されれば、物流も住民の流入も多くなるだろう。私はそれを遅滞させないよう、的確に処理をして、この町を充実させていく。この町の不満や要求は受け付けるが、それ以外の愚痴は全部父上にまわすことにしている。私よりも『伯爵に聞いてもらった』方が、愚痴る方も気が済むだろう」
 そこまで面倒見てられるか、と唇をM字にひん曲げて、眉間にしわを寄せたまま、ヴェスパーは白ワインを手酌してぐびぐびとあおる。それを眺めるクラスターが、ヴェスパーの愚痴の聞き役というところか。
「町長というのも大変だな」
「あー、疲れたぁ。スタミナが切れるぅ。生き血が飲みたいよぅ」
「また俺の血を飲むか?相変わらずチャレンジャーだな」
「それはもう懲りた!!ドラゴンの血は腹を壊す!おなかぴーぴーぎゅるぎゅるして痛くて苦しかったよ!」
「ぶははははッ!!ざまぁ!!」
 豪快に笑い飛ばしたクラスターは、涙目で頬を膨らませるヴェスパーの、ウイッグをつけたままの頭をわしわしと撫で、自分たちが住まう山岳地帯で食用動物の狩猟と飼育実験を請け負うのだった。