放し飼いの愛猫 ―4―


 首都から帰って一ヶ月後、ラウルは呼びだされて伯爵の居城に参内していた。もちろん、誕生日を祝われるためだ。
 昼は二人きりでアフタヌーンティーを、夜はダンテ所縁の住人たちを招待してのチーズ料理ディナーだとレジナルドに説明され、いったいどこのVIPだと頭が重くなるような気がした。まあ、祝ってくれるのは嬉しいし、まだ会えていなかったあの頃の知り合いに会えるのも楽しみだ。
 午後の日差しも遮られた小ぢんまりとした室内は、素朴ながら可愛らしい装飾が印象的な調度品で整えられ、ラウルに昔過ごしたトランクィッスル町長の公邸を思い出させた。なんとなく懐かしい気分にさせるこの部屋は、空調が効いているのか、それとも元々なのか、夏の暑さを感じさせない快適な室温で、これなら温かな紅茶も飲みやすそうだ。
「よくきたね」
「伯爵閣下におかれては、早起きしてまでの歓待をいただき、光栄の至り」
「まったくだ。今夜は寝かさないよ」
「言い方。言い方」
 ヴェスパーのおしゃべりに付き合えるほど、ラウルもおしゃべりで寛容だったのは、かなり幸運だったのではないだろうか。なにしろ、ヴェスパーの実子二人は、父親の笑えないユーモアとおしゃべりにはうんざりしている。
 白いテーブルクロスの上には、花弁のように薄いティーセットと、サンドウィッチやタルトを載せたケーキスタンドが鎮座している。ラウルとヴェスパーは、差し向かいというよりも、並ぶように椅子を寄せて座った。ティーポットはヴェスパーが離さず、ラウルに淹れさせる気は毛頭ないらしい。
「ヴェスパー、俺の墓を作ってくれていたんだな。ありがとう」
「・・・・・・まさか、帰ってきてくれるとは思わなかったからね」
 ヴェスパーは自分のティーカップに視線を落とし、自嘲気味に小さく唇の端をゆがめた。
 ダンテがヴェスパーとトランクィッスルで過ごしたのは、たった二年ほどだった。その記憶は、いまでもラウルとヴェスパーの中に残っていたが、当時まだ若かったヴェスパーは、ダンテが生きていた証を残しておきたかったのだ。自分に大きな影響を与えた存在が、夢幻ではなかったと縋りつくように。
「ダンテのおかげで、トランクィッスルは伯爵家やホルトゥス州と共に栄え、時折人間とやすりをすり合わせるようなことをしつつも、平和にやってくることができた。礼を言うのは、こちらの方だ」
「俺はただのきっかけに過ぎないだろう?何百年も努力してきたのは、ヴェスパーや住人たちだ」
「それでも、私の考えをまず変えたのは、ダンテが来たからだ」
 ラウルはチーズとキュウリのサンドウィッチを齧りながら、優雅に紅茶を飲むヴェスパーを眺めた。昔はこうして、口頭で意思を伝えることもできなかった。多く、ヴェスパーが訊ね、ダンテが筆談で答えていた。あの独特の、テンポの悪いやり取りも、懐かしい。
「そういえば、『憤怒イラ』はどうしてる?あれ以来、俺は会っていないけど、この時代でも元気にやっているのかな?」
「なんで私というものが目の前にいながら、他の男の話題を持ち出すんだ」
「だから言い方。ヴェスパーがすごーく『憤怒』のことが嫌いって言うのは、その顔見て理解した」
「当たり前だ」
 ヴェスパーはふんと鼻を鳴らし、少し前に『憤怒』に会ったと、嫌そうに言った。
「実に壮健そうだったよ」
「ははっ、世界はいまだ、慈愛と寛容に包まれるには程遠いか」
 ヴェスパーが淹れてくれた赤味の強い紅茶に口をつけ、ラウルはくすくすと笑った。すっきりとした味わいに、つい次のエッグタルトに手が伸びる。
「俺はもう、怒りたくない。あんなに・・・・・・身を亡ぼすほどの怒りが湧き出る様な、そんな不幸な出来事に見舞われたくない。平和が一番だよ」
「その平和が乱されそうになった時は?」
 ヴェスパーの流し目を見返したラウルの顔は、どんなだったろうか。ヴェスパーの美貌が、嬉しそうに唇を吊り上がらせたように見えたのは、ラウルの見間違いだろうか。
「まず平和を維持することが、伯爵家の責務のはずだ」
「そのとおり。だから、ダンテにも手伝ってほしいんだよ。我が愛しの義弟よ」
「っ・・・・・・あぁ、もお。またヴェスパーに丸め込まれた」
「はははっ、まだまだだね。さ、忘れないうちに、これを渡しておこう」
「わあ!」
 リボンがかけられた小箱を受け取り、ラウルは開けていいかとたずねた。もちろん、ヴェスパーは良いと頷く。
 箱に刻印された高級時計ブランドのロゴに内心悲鳴を上げつつも、ぱかりとふたを開けてみれば、飴色を基調としたシックな腕時計が姿を現した。濃い茶色のベルトは太めだが、文字盤横に突き出た竜頭はひとつで、至ってシンプルな造りのようだ。嵩も高くなく、これなら普段使いしても目立たないし、あたら周囲にぶつけて、傷を付けてしまうことも少なそうだ。
「おお!すごい、これいいなぁ・・・・・・ん?これなんだ?」
 文字盤やその周囲にダイヤモンドが敷き詰められているということはないが、文字盤の中央、長針と短針が繋がるその軸を中心に、五枚の花弁が広がるような、洒落た模様があった。宝石が埋め込まれているように見えるが、それぞれ色や質感が違う。十二時方向を向いたキラキラした無色透明、そこから時計回りに、濃い青、やや不透明な緑、紫がかった青、濃い緑となっている。
「これ宝石か?」
「そうだよ。当ててごらん」
 ヴェスパーの声が明らかに機嫌よくなったので、ここはこだわりポイントなのだろう。宝石は全くの門外漢だが、ヴェスパーを残念がらせないよう、一般常識でなんとか当てられるだろうか。
「一番上のキラキラしているのは、ダイヤモンド?」
「あたり」
「青いのはサファイア?」
「残念。ふたつともサファイアではないよ」
「うーん、青い宝石・・・・・・アクアマリンじゃないし、ラピスラズリ?タンザナイト?」
「あたり。左下がタンザナイト。ちなみに、右上はアズライトだよ」
「わからんわ。左上はエメラルド?」
「あたり」
「右下は・・・・・・翡翠?」
「半分あたり」
 半分ってなんだ、とラウルが眉を寄せてヴェスパーを見ると、ヴェスパーは堪えきれないような笑みを浮かべて、ヒントをくれた。
硬玉ジェダイトではないよ」
「あ、軟玉ネフライトってことか」
 それで何か意味があるのかと、ラウルは首を傾げる。意味を持たせているから、ヴェスパーがこんなにワクワクして目を輝かせているのだ。よく考えなくては。
(ダイヤモンド・・・・・・次が、アズライト?で、ネフライト、タンザナイト、最後がエメラルド・・・・・・?)
 ラウルはしばらく首をひねって、その頭文字に気が付いた。
「え?あっ!?」

 D A N T E

 顔や耳どころか首まで真っ赤になっているのがわかる。不死族になったのに、心臓がバクバクいって、息が苦しい。嬉しいけど、照れくさくてたまらない。
「おっ、わかったかな」
「ひぃっ・・・・・・なんてものを作るんだ!」
「ははっ、よくできているだろう?」
 ヴェスパーは自慢気に、にこにこと笑顔が輝いている。なるほど、誕生日プレゼントだと張り切ったことがよくわかる。しかし、誕生日がわかってから、一ヶ月ほどしか期間がなかったというのに、よく作れたものだ。オーダーメイドに違いないが、これにいくらかかったのか考えない方が、ラウルの精神健康上良さそうだ。貴族趣味にもほどがある。
「ありがとう、ヴェスパー。嬉しい。大切に使うよ」
「うん。誕生日おめでとう。ダンテの誕生日を祝えて、私も嬉しい」
 ティーカップを片手に冴え冴えとした美貌を柔らかく微笑ませるヴェスパーに、ラウルは気恥ずかしさすら笑顔にして返した。
 こういうアクロスティックな遊びを含んだジュエリーは、古くから魔よけのアクセサリーとして作られた歴史があるそうだ。しかし、それを吸血鬼の自分が付けるのも、なんだかおかしな話だと、ラウルはくすぐったく思う。
 その後、ラウルの手首には、高価だがシックな雰囲気の時計が巻き付くようになった。それを見た周囲の評判も良く、ラウルも気に入っていたが、こんな会話が伯爵の居城であったことを、ラウルは知らない。
「ご機嫌だな、ヴェスパー。貴様の趣味を盛った時計は渡せたんだな」
「もちろん。ふふふっ、ダンテは喜んでくれたよ。名札まで付いた素敵な首輪だろう?」
「相変わらず悪趣味な奴だな。GPSの発信機でも埋め込んでいるんじゃないだろうな」
「あっ!今度はそうしよう」
「やめておけ。ダンテに嫌われても知らんぞ」
 不服そうに頬を膨らませるヴェスパーを眺め、クラスターはやれやれと額に手を当てるのだった。