永訣の痕


 ヴェスパーが珍しく実父に面会の許可を求めた理由は、たしかに正当なものではあったが、実際には口実に過ぎなかったかもしれない。
「どうした、我が息子よ」
 いつもの書斎で息子を迎えたミルド伯爵は、いつもより静かな息子を訝しんだ。言うべきことは決まっているのに、ヴェスパーがそれを切りだすのに、数秒の空白があった。
「トランクィッスルに、人間を葬るご許可をいただきたい」
「・・・・・・ふむ、別にかまわんが?」
「・・・・・・さようか。・・・・・・ご寛容に、感謝する」
 すっと一礼して踵を返そうとするヴェスパーに、伯爵は半ば唖然として眉を顰めた。
「なんだ、そんなことをわしが許さぬと思ったのか」
「一応、トランクィッスルも、伯爵の持ち物ですから」
「人間の死体など、州の何処彼処にでも埋まっていよう。人里はなくとも、住人が勝手に持ってくるのだし。いまさら、一体二体増えたところで、なにも思わんよ」
「・・・・・・・・・・・・」
 悄然とした息子の様子に、伯爵はやれやれとため息をつく。『憤怒』に囚われた人間が死んだのだということは、ヴェスパーの様子を見ればすぐに察せられる。ずいぶん可愛がっている、という様子は伯爵も知っていたが、自分たちよりも明らかに寿命の短い人間の死を悼むなど、まるでペットを亡くした幼子のようだ。
「私が、ダンテを噛み殺しました」
「・・・・・・・・・・・・」
 それは意外なことだと伯爵は目を瞠ったが、なにか理由があっての事だろうと、驚きを胸に仕舞う。
「そうか」
「・・・・・・死体が、残らなかったのです」
「なに?」
 さすがにそれはどういうことかと伯爵は身を乗り出し、ヴェスパーに座るようソファを勧めた。
 通常、吸血鬼が人間の血を吸いつくして殺した場合、正式な手順を踏んで同族にするか、下位の眷属にするか、知性をもたない下等な化物になるままにするか、それとも死体を破壊して只の人間の死体にするか、どれかである。
「ダンテは、灰になってしまいました」
「・・・・・・滅びた、ということか。我らのように」
「はい」
 それはつまり、ヴェスパーが噛み殺した時点で、ダンテは人間でなくなっていた可能性が高いということだ。『憤怒』に囚われていたせいなのか、それともヴェスパーに時折血を提供していたからなのか、それはわからない。
「それでも、私は彼を人間だったと思いたい。確かに彼は、人間としての法を犯し、倫理に反する行為をしたかもしれない。でも、私たちには多くの善い事をもたらしてくれました」
 それは伯爵も同感で、ヴェスパーの精神的成長の著しさを見れば、ダンテの偉大さがよくわかる。
「ダンテの魂が潰えたなどと、私は思いたくない」
 人間が死後のことなど誰も知らないように、ヴェスパーたちも自分が滅びた後どうなるのかなど知らない。ただ、ヴェスパーは、ダンテには人間としての死後を往って欲しいと思っているようだ。
「彼の信仰について、くわしく話を聞いたことはないけれど、彼の神が正しい判断をすることを願うばかりです。彼は人間として死に、安息の地にいるのだと」
「神父でも招くつもりか?」
「・・・・・・どうでしょう。それはダンテが喜ばないと思います。彼はトランクィッスルの平穏を、何よりも願っていましたから」
 ふうーと長く息を吐き、ヴェスパーの震えていた肩が静かになる。自分の中にわだかまっていた物を吐き出して、落ち着いたようだ。
「お前の望むように、墓でも何でも建てるといい。トランクィッスルは、お前とともに成長する町だ。そこに埋まるものがなんであれ、お前を豊かにしたものたちであろう。・・・・・・お前の気が済むように、手厚く葬ってやりなさい」
「・・・・・・ありがとうございます」
 いつも通り、とはいかないまでも、心身の平静を取り戻したヴェスパーは、恥ずかしかったのか、ややそっけない礼をして、伯爵の書斎を辞していった。
 心が弱った一時的なものだとしても、少しは素直に父親を頼るようになった息子を見送り、伯爵は個人的に、心の中でダンテ礼を言い、冥福を祈った。
 きっとヴェスパーは、他人の痛みがわかる、よい統治者になるだろう。