血の帰還 ―2―
ソファに深く腰掛けて、イーヴァルは考え込む。時間は深夜で、ラウルはベッドで爆睡中だ。まったく図太い。 「何者だと思う?」 「彼自身が言うように、転生者である可能性は、高いかと」 イーヴァルの向かいには、いまはジェロームが腰かけている。ニューヨークのコミュニティをまとめている彼は、ドッペルゲンガーであり、ラウルの正体を見定めるためにも、イーヴァルは期待して連れてきていた。 「しかし、我々のような存在が、人間に転生するというのも、またおとぎ話のようですな。彼も、ただの人間にしては、奇妙な魂をしております」 「ふむ・・・・・・」 「イーヴァル様には、なにか気がかりなことでも?」 企業の上役と言っても通用しそうな風貌のジェロームに見詰められ、イーヴァルは珍しいことに、歯切れ悪く首を傾げて言葉を濁した。 「奴は俺を見て、『懐かしい感じがする』と言っていた。俺は奴に対してそうは思わなかったが・・・・・・なんというか・・・・・・」 うーんとイーヴァルは唸る。あまり覚えたことのない感覚が、上手く言葉にならない。 「会ったことのない親戚に会ったような感じだ」 「 イーヴァルはそれには答えず、忌々し気に白い指先で髪をかきあげた。 「奴もトランクィッスルに連れていく。何か思い出すかもしれないし、父上なら、何か知っておられるかもしれん」 「ご随意のままに」 ジェロームに出国までの世話を頼み、イーヴァルは持てる知識を総動員してラウルの正体を当たったが、夜明け近くになっても、その答えは明確にならなかった。 翌日には職場に辞表を出したラウルは、イーヴァルと共に飛行機に乗った。小学校はいまだに事件の爪痕生々しいが、生徒たちはようやく落ち着きを取り戻してきたところで、「転地療法で留学するモーリンの要望とドクターの勧めで付きそう」という、表向きもっともらしい理由がつけられた。 ラウル本人は、夢にまで見たトランクィッスルに行けるなどと聞いて、いてもたってもいられなかった、というのが、実のところなのだが。 「楽しみだなぁ〜!」 「一度も来たことが無かったのか」 「だって、トランクィッスル市の写真って、俺の記憶にあるものとだいぶ違っていたからさ。なんていうか・・・・・・不安だったんだ」 自分の記憶が、ただの妄想だったら怖いと思ったと、ラウルは素直に白状した。 「トランクィッスルの、どのあたりに住んでいた?」 「んー・・・・・・」 ラウルは自分のタブレット端末を取り出し、タッチペンで大雑把な地図を描いてみせた。 「こういう広場があって、大きな門があった。俺が住んでいたのは、たぶんこの辺にある大きな家」 「・・・・・・・・・・・・」 「ご存じない?」 「いや・・・・・・トランクィッスルの旧市街地だと思う」 「おお!やっぱ俺生きてた!」 ガッツポーズをするラウルは、なにかと騒がしい。よくしゃべるといってもいい。 「あの子は、もうトランクィッスルに着いたかな」 モーリン・ソワーズは、ほかの種族に付き添われて、一足先にニューヨークを発っていた。まだ幼いのに両親と離れ離れになってしまうが、当人の顔には、諦めと、国外で暮らす希望の色があった。 両親のどちらか、あるいは両方の祖先に、 「トランクィッスルの学校には、寮が完備されている。自分が成すべきことを覚えれば、子供でも十分暮らしていける」 「それはいい」 「貴様はどうする?」 「着いてから考える」 「・・・・・・・・・・・・」 仕事も辞めてきてしまったラウルだが、深くは考えていないようだ。 「一ヶ月くらいかけて、トランクィッスルのあちこちを見て回る。それで気が済んで、俺自身に何も変化がなければ、ニューヨークに帰るよ。コミュニティもあるってわかったし。また教師になってもいいし、別の何かになってもいいし」 深刻に考えるのは性に合わない、とラウルは胸をそらす。 「そういえば、トランクィッスルって、人間も住めるよな?」 「住めなくはない」 イーヴァルの回答に、ラウルはにっと笑顔になる。 「じゃあ、気に入ったらそのまま住んじゃおうかな」 「・・・・・・呑気な奴だ」 心の中だけでボヤいたはずが、小さな呟きは、イーヴァルの唇から溜息と共に零れ落ちた。 はしゃぐラウルを放っておいて、イーヴァルは座り心地の良い座席に身を沈めた。いくらファーストクラスとはいえ、流れ水を苦手とする吸血鬼に、大西洋の横断は結構しんどいのだ。 トランクィッスルに帰還する道中、ラウルは明るくよくしゃべり、イーヴァルをうんざりさせた。無駄にイラっとくる言い方をしないだけ、父親である伯爵よりマシだが、どうもポジティブというか、天真爛漫というか、心身がアクティブすぎて、一緒にいると疲弊する。もうちょっと静かにして欲しい。 「えっ、じゃあ、イーヴァルって、伯爵の子供なのに自営業で探偵やってんの?それを伯爵が利用して調査させるってことは・・・・・・イーヴァルは全権大使でどこでも協力してもらえるけど、伯爵は表向き調査会社とは関係ありませんって顔ができるわけか。トラブったら責任こっち持ち?うわぁ・・・・・・人様の父君に対して言うのも何だけど、いまの伯爵って、性格悪くない?」 「奇遇だな。まったくの同意見だ」 モーリンの様子を見るためにトランクィッスルの学校を訪れると、小学校教諭という職業柄か、ラウルは興味津々であちこちを眺めながら歩く。ラウルは旅行ビザを持った人間なので、当然ながら州の通行証を首から下げているが、すれ違う子供たちの姿形に時折驚きこそすれ、怖がる様子は全くない。 校長室に向かって歩いていると、廊下の反対側から、エルフの教師に付き添われて、数人の生徒が歩いてきた。きゃいきゃいと賑やかなピクシーやハーピー達に混じって、可憐な白い花の房を頭に生やした少女が、大きな声を出して走ってきた。 「アッカーソン先生!?会いに来てくれたの?」 「もちろんだとも、ミス・ソワーズ!元気そうでよかった」 ぎゅうっと抱き着いてくるモーリンを抱きしめ、ラウルは華奢な背中を撫でさすった。最後に見た時よりは安定しているようだが、やはり彼女の姿は樹木に近く、笑み溢れる愛らしい顔にも、柔らかな人間の皮膚は四分の一を残すのみとなっていた。 「なんて可愛らしい花を咲かせるようになったんだ。うん、いい香りだよ。しかし、ご両親と離れて寂しくはないかい?不自由はないかな?」 「ありがとう、先生。みんな・・・・・・お友達なの。みんな、教室でも寮でも色々教えてくれて、外から来た私にも仲良くしてくれるわ」 「それはよかった」 「・・・・・・先生、ありがとう。私、こっちに来られてよかったわ。誰も私のことを怖がったりしないんだもの」 どんなに不気味な姿でも、怒りと恐怖と悲しみに狂って人間を殺したことも、ここではなんの障害にもならないという。監禁されて研究材料にされるよりも、両親の悲しむ顔を見ながら隠れ住むよりも、綺麗な花を咲かせられるいまの方がずっといいと、ラウルは頷く。 「あの・・・・・・私、伯爵様が会いに来てるって聞いたのだけれど、先生がそうなの?」 「え?いや、違うよ」 ラウルは首を振ってイーヴァルを見上げたが、イーヴァルはうんざりした顔で顎をしゃくった。校長室のドアが開き、頭に白い羽根を生やした校長と、深く包み込もうとする宵闇に輝くひとつ星が現れた。 「ああ、子供たちは元気があっていいね。転入生も馴染めているようで、喜ばしい限りだ。やあ、イーヴァじゃないか。おかえり」 耳に心地よい低い声は、恭しく礼をする教師や生徒たちに機嫌よく応え、実子にも相変わらずの調子だ。 「伯爵閣下におかれましては、ご機嫌麗しく・・・・・・」 「あー、やめやめ。鳥肌立っちゃうから、そういう言い方やめよう?パパと呼びなさいって、いつも言っているじゃないか」 イーヴァルは顔と態度全体で「マジ黙れクソ親父殿」と言っているのだが、にこにこと微笑むヴェスパーには効果がない。 「おや、お客さん連れかな?ああ、救援メールの差出人か」 「それが・・・・・・どうも『真祖』の可能性があり、伯爵のご判断を仰ぎたい」 「『真祖』!?それはまた珍し、い・・・・・・」 ヴェスパーが驚くのも無理はない。出産や侵食、あるいは分裂で増える前の、自然発生する最初の個体を『真祖』と呼ぶが、『真祖』が出現する件数は非常に少ない。比較的強力な基礎値と原始的な特徴を有するが、その出現には、言い伝えにあるような深刻で悲惨な状況や、長い年月が不可欠である。だが、ラウルの場合、そのような事件・時間に乏しく、転生によるイレギュラーな可能性が高いのではとイーヴァルは考えたのだ。 「・・・・・・・・・・・・」 「父上?」 「先生?」 おふざけを装ういつも笑顔が抜け落ちたヴェスパーをいぶかしむイーヴァルに、モーリンの心配そうな声がかぶる。 「似てる、よ・・・・・・そりゃ、 青い目からぽろぽろと涙が零れ落ち、ラウルがそれ拭っても拭っても、嗚咽が激しくなるばかりだ。 「うっ・・・・・・ひっく、うぅっ・・・・・・」 「まったく・・・・・・わざわざ吸血鬼に転生することないじゃないか。いや・・・・・・私のせいかな」 ヴェスパーは泣きじゃくるラウルの首筋を撫で、呆れと嬉しさを混ぜた苦笑いを浮かべた。 「ち、が・・・・・・っ、俺・・・・・・ここに、もういっかい・・・・・・」 「あの時、痛くなかったかい?あぁ、キミは、そんな顔と声をしていたんだね。・・・・・・ほら、そんなに泣いたら、見えないじゃないか」 ヴェスパーがうっすらとそばかすの散る頬の涙をぬぐうと、濡れた赤い唇から白い犬歯が覗いた。愛おしさに柔らかな頭髪を撫でて、震える肩を抱き寄せれば、背にまわされた手がぎゅうとしがみついてくる。 「ごめん、ヴェスパー・・・・・・俺っ・・・・・・俺は・・・・・・」 転生前の記憶を鮮やかに思い出したらしいラウルは、最期の願いを叶えてくれたヴェスパーに悪い事をしたと思っているのだろう。たしかにヴェスパーにとってつらい出来事だったが、恩恵もまた大きかったことは確かだ。 「さあ、もっと私の名前を呼んでくれ。お前の声が聞きたいんだ」 「ぅ、ああぁっ、ヴェスパー・・・・・・ヴェスパー・・・・・・!」 生命の節理と倫理の正道に背いて、骨まで灰になった身体をトランクィッスルの土に埋めた人間が、再び血肉を得て、同族となって戻ってきてくれるなど、町の創造者冥利に尽きる。ヴェスパーは何百年もかけて自分のもとに還ってきた義弟を抱きしめ、囁いた。 「おかえり、ダンテ」 |