ビター&クリーム


 きちんとアポイントメントを取ったラウルは、荷物を抱えてミルド伯爵の居城を訪れた。
「何用かしら?」
 メイドたちと共に出迎えてくれたのは、今日の訪問相手であるエルヴィーラ。今日は濃紺のドレスに白い毛皮のボレロを纏った冬の装いで、彼女のエレガントさと怜悧さが程よく引き立てられている。
「こんばんは、麗しいエルヴィーラ。ご機嫌いかがだろうか」
「悪くないわ。用件は手短に・・・・・・なに?」
 ラウルが手渡したのは、大きな花束だ。エルヴィーラによく似合う、華やかな蘭たちから、甘く上品な香りが広がっている。
「ハッピー・バレンタイン。何をプレゼントしたら喜んでもらえるか、わからなかったんだけど・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「あ、えっと・・・・・・花は、嫌いだった?」
 社交相手なら、いくらでも魅力的な微笑を見せるエルヴィーラだったが、ラウルに関してはほとんど身内扱いなのか、虚飾に満ちた社交辞令はない代わりに、態度自体も割とそっけない。
「いいえ。・・・・・・ありがとう」
「よかった」
 嫌なら嫌とはっきり言うエルヴィーラだったから、本当に嫌いではないのだろう。・・・・・・好きかどうかは、別として。
「それと、ファウスタさまはご起床されているかな?」
「お母様なら、お休み中よ」
「そうだと思った。誰か、これをファウスタさまのところへ届けてくれないか。お渡しするのは、ご起床後で構わないから」
 ラウルがメイドに渡した細長い紙袋には、甘いロゼワインが入っており、ピンク色のメッセージタグには、ハッピー・バレンタインと書かれた裏側に、新年パーティーでエスコートしてもらった礼などが書かれている。血液以外にも、人間の食べ物が食べられるファウスタだが、いつ起きているかもわからないので、菓子類やすぐに枯れてしまう生花はプレゼントに向かない。
「・・・・・・で、何の用か、まだ答えてもらっていないのだけど?」
「え?だから、バレンタインデーのプレゼント渡しに来たんだけど?」
「は・・・・・・?」
 花束を抱えたまま、エルヴィーラの眉間が寄り、絶世の美貌が不機嫌さを含めて眇められる。
 何か悪い事をしたかなとラウルは首を傾げたが、エルヴィーラの心の中を推しはかる前に、賑やかな男に捕まってしまった。
「ダンテ!来るなら先に連絡くらい入れなさい。今日は予定が入っていて長くは・・・・・・」
「ええい、うるさいぞヴェスパー!今日はエルヴィーラに会いに来たの!!」
「なんだと!?」
 プレゼントを渡すだけのつもりだったので、エントランスホールでやり取りしていたのが悪かったのだろうか。ラウルの気配を察知したヴェスパーの素早さには、本当にあきれるばかりだ。
「お前たち、いつの間にそんなに仲良くなったんだい?」
「仲良くっていうか、バレンタインのプレゼントを渡しに来ただけだ。エルヴィーラと、ファウスタさまに」
「私には?」
「言うと思った」
 はぁーっと特大のため息をつきながら、ラウルは最後の荷物をヴェスパーに渡す。しかし、にこにこと紙袋から箱を取り出したヴェスパーの表情が固まった。
「これ・・・・・・」
「チョコレート味の酒だけど?」
 血液か酒や茶のようなものしか味がわからないヴェスパー用に選んだつもりだったが、細い手がひょいとヴェスパーの手から箱を取り上げていった。
「お父様は、ミルクが飲めないのよ。これ、クリームリキュールでしょ?」
「えっ!?」
 知らなかったとラウルは驚くが、言われてみれば、ミルクティーを出されたことはないし、ヴェスパーがコーヒーにクリームを入れているところも見たことがない。
「ごめん、ヴェスパー・・・・・・!」
「いや、私も言ってなかったから・・・・・・」
 はははと乾いた笑いを浮かべるヴェスパーに、ラウルは泣きそうになった。
「いつもラウルを所有物扱いして独占している罰だわ、お父様。今日のラウルは、わたくしに会いに来たのよ。ラウルもそう言ったでしょ?さ、ラウル、一緒にこれを飲むわよ」
「えっ、えぇっ!?」
 花束と酒の箱を小脇にしたエルヴィーラに、ぐいっと腕を組まれ、ラウルは引きずられるように連れていかれる。
「ゆっくりしていきなさい」
 手を振るヴェスパーに見送られ、ラウルは何も言えずに、エルヴィーラのサロンで持ってきた酒を飲み交わすことになった。
 ラウルがプレゼントした花束が花瓶に飾られ、ローテーブルにはチーズを載せたクラッカーやナッツ、そして一口大のチョコレートが、つまみとして用意される。
「リサーチ不足なんて、あなたらしくないわね。次からは、お気を付けなさい」
「そうする・・・・・・ララが嫌いな物ってある?」
 オンザロックにされたミルクチョコレート色の液体を揺らしながら、エルヴィーラは鼻で笑った。
「馬鹿で不潔なガサツ男かしら?」
「う・・・・・・気を付けるよ」
 ラウルはそう反省の色を見せるが、エルヴィーラはラウルを馬鹿だとも不潔だとも思ったことはない。素直すぎるくらい真っすぐで、表裏のない好青年である。
(ちょっと鈍いのは、経験不足かしら)
 そう考えると、自分の優位性が見えた気がして、エルヴィーラの機嫌は上昇に移った。
「わたくしも、あまり物を食べないから、ケーキの差し入れは不要よ。あなたにドレスや宝石を見る目や経済力があるとは思わないから、気にしなくていいわ」
「ストレートに刺さった」
「事実を言っただけよ」
 ラウルの魅力はそこではないと、エルヴィーラはルージュを塗った唇をにんまりと吊り上げて見せた。
「わたくしの長すぎる退屈な時間に、わたくしの話し相手をなさい。それが、一番うれしいプレゼントだわ」
 エルヴィーラからの、個人としてこれ以上ない賛辞に、ラウルは穏やかに微笑んでうなずいた。
「喜んで、お相手するよ」
 エルヴィーラが置いた空のグラスに、ラウルはボトルから甘い酒を注いで満たすと、花束のように豊富な話題で荊姫を楽しませてみせるのだった。