貴方が失ったもの私が失えないもの


 荘厳であり瀟洒である転移門を潜り抜け、魔女サマンサ・フッドと使い魔のレパルスは、久しぶりに人外が集う町トランクィッスルへと足を踏み入れた。
 町の中心である転移門広場から四方八方へと伸びる道は、多くの住人と旅人たちで賑わっていた。彼らの姿は、獣のようであったり、むこうが透けていたり、不定形でたくさんだったり、大きかったり小さかったり・・・・・・ただ、誰もが活発な様子で、この町の盤石な治安と豊かな経済活動を感じさせずにはいられない。
 サマンサもこの町では、人目を気にすることなく堂々と歩けるので、足取りは軽く、表情も明るい。レパルスも人間ながら、すでにこの町を訪れたことがあるので、新たな審査を必要としなかった。
「さあ、レパルス。今日の宿を探すわよ」
「はい、サミィ」
「おやーー!サマンサじゃないか!珍しい!いぃ〜〜ところにきたねぇ!!」
 きょろきょろと見回したサマンサは、ドレスの裾を跳ね上げるように走ってきた魔女に、むぎゅぅと抱きしめられた。
「きゃぅ・・・・・・ご、ごきげんよう、ジョセアラ」
「んん〜っ、元気そうでなによりだよ!」
 妙齢の美女に怪力で撫でまわされ、サマンサは目の前を覆う柔らかな胸に圧迫されてちょっと苦しい。トランクィッスル近郊に居を構えるジョセアラは、サマンサを対等に扱ってくれる数少ない老練な魔女だ。
「ご機嫌麗しゅう、ジョセアラさま。申し訳ありませんが、そろそろサミィが窒息しそうなので、放してあげていただけませんか?」
「おぉ、わんころも元気そうじゃな。相変わらずの色男で、喰えないのが惜しいのう」
 グランド・ウィッチの遠慮ない言い方にレパルスは詰まったが、じたばたともがいていたサマンサは解放されてすーはーと深呼吸をした。
「お久しぶり。なにかあったの?」
「お前さんにも、ちょぉーっと耳に入れておきたいことがあってね?あぁ、そうだわんころ」
「は?」
 その呼び方はなんだとレパルスは文句を言いたかったが、ジョセアラは手のひらに収まる小さな包みをレパルスに押し付けた。
「女同士の秘密の話じゃ。遠慮せんか。その間、使いを頼むぞ。ダンテが町役場に住んどるのは知っておるな?これを届けておくれ。頓服薬が無くなりそうだと言っておったのでな。サマンサ、すまないがわんころを借りるぞ?」
「ジョセアラの話なら、大事なことなのね?レパルス、お使いをお願いできるかしら?」
「・・・・・・わかりました」
「安心せい。大事なお嬢ちゃんは、万来亭に送り届けておくでな」
 ジョセアラがこちらに嘘をつくとは思えないので、嫌なことはさっさと済まそうと、レパルスは足早に転移門広場から町役場通りへと向かっていった。
「サマンサ、気を付けるんじゃよ」
「え?」
トランクィッスルここなら、他人の所有物を侵すべからず、生きた人間を食すべからず、という法が、あの人間わんころを守ってくれるが・・・・・・」
 寄せられた愁眉にかかる緑がかった髪をはらい上げ、ジョセアラは最近の魔女狩りの傾向と、それに反発する魔女たちによって人間を攻撃しようとする機運が高まっていることを教えてくれた。
「レパルスが他の魔女に襲われるということ?」
「あの腕っぷしの確かなわんころが、そう易々とやられるとは思わんがな?所詮は人間じゃ。お前さんたちは、魔女からも人間からも、なかなか難しい目をされやすいからのう・・・・・・厄介なことに巻き込まれんか心配じゃよ。いいかい、サマンサ。無茶だけはするんじゃないよ。婆と約束しておくれ」
「・・・・・・わかったわ。教えてくれてありがとう、ジョセアラ。レパルスは、私がちゃんと護るわ」
 いい子だいい子だと、ジョセアラはサマンサの頭を撫でまわし、新しくできたというカフェへと連れて行った。美味しいケーキがあると言われては、サマンサに同行しない理由はなかった。

 トランクィッスル町役場は今日も盛況で、各種手続きを待つ住人や、嘆願書や計画書を手にした職員が、慌ただしく行き来していた。
 レパルスが受付に用件を伝えると、見覚えのある眼鏡をかけたノームが二つ返事で奥へと通してくれた。案内人らしい、ちらちらと浮遊する光についていくと、迷うことなくダンテの部屋の前にたどり着いた。
「ダンテさん、入りますよ」
 ダンテが口頭で返事ができない体なのを知っているレパルスであったから、ノックの後に遠慮なくドアを開けた。早くサマンサのところに帰りたいレパルスに、ドアを開けてもらえるのを待つ、という選択肢はない。
「・・・・・・ダンテさん?」
 質素な調度品が配された小さな部屋にフード姿はなく、途切れ途切れに聞こえる、かひゅぅかひゅぅというかすかな音の発生源を探すと、ベッドと腰かけの間に落ちている物体を見つけた。レパルスが持っている薬がすぐに必要かと思ったが、ベッドサイドには水差しと一緒に包み紙があった。まだ開けられていないものが、ひとつ残っている。
「大丈夫ですか?」
 痩せて骨の形がわかるような肩を掴むと、これまた骨の浮き出た醜い手が、レパルスのシャツを掴んだ。まるで溺れている人にしがみつかれたかのようで、危うくバランスを崩しかける。
「!?」
 どちらがより驚いたのかわからない。だが、焼けただれて凸凹した皮膚を晒す骸骨のような顔が、出ない声を振り絞って泣き叫んでいるというのはわかった。
「驚かさないでください。あなた、自分の容姿くらい知っているでしょう?」
 危く殴りそうになったと、レパルスは握っていた拳を開いた。
「・・・・・・・・・・・・」
「ダンテさん?」
 くったりともたれかかってきたダンテが、かすれた不規則な寝息を立てているのを確認して、レパルスは思わず天を仰いだ。このまま放っておきたいところだが、万が一のことがあっては、最後に会った自分が疑われること間違いないだろう。

 ぽかっと目を覚まし、ダンテは重い胸を喘がせながら寝返りを打った。
「おはようございます。やっと起きましたね」
「・・・・・・・・・・・・」
「ミス・ジョセアラから、薬を届けるように言われてきたんです。サミィの顔に泥を塗るわけにはいきません」
 たしかに、ベッドサイドには新しい薬の包みが増えている。
「では」
 レパルスが椅子から立ち上がって出て行こうとするので、ダンテは慌ててベッドから降りようとして、転がり落ちた。
「ッ・・・・・・」
「なにをやっているんです?」
 言いたいことは色々あるのだが、伝える手段が手元になくて、ダンテは唸り声を上げながらもがいた。
「・・・・・・世話の焼ける人ですね」
 ひょい、と体が浮いて、床からベッドに放り投げられる。ついでに、黒板と白墨も投げられた。頭がぐわんぐわんしてたまらなかったが、言わなければならない事だけでも伝えなければならない。
『ありがとう。本物か。さっきは幻覚かと思った』
「こちらこそ、悪夢に出てきそうな顔を見せられました。殴らなかっただけ感謝してください」
 相変わらずの毒舌だなと、むせるように息が弾む。笑いたいが、その元気が出てこない。
『傷付くことを言うなぁ。ついでだから、その調子で俺を罵倒していってくれ』
「は?」
 何を意味不明なことを言い出すのかとレパルスはぎゅっと目を眇めるが、ダンテは早くしろと手を振る。
「なぜ私がそんなことをしなければならないのですか。だいたい、私がなにか言っても、あなたは怒らないじゃないですか。能天気も過ぎれば馬鹿にしか見えませんよ。さあ、ベッドから起きなさい。それが人にものを頼む態度ですか、お茶の一杯も出さず。人間のくせに居候生活をさせてもらっているのですから、客人のもてなしぐらい自分でこなしたらどうです。甘えないでください」
『これが起きれるように見えるか。腹立つー』
「まだ足りなさそうですね」
 レパルスの優しさに唇を緩めながら、ダンテはベッドに括り付けられた小さなベルを指先で弾いた。
『人間用のお茶を一人分、茶器に入れて机の上に出して』
「?」
 レパルスが不思議そうな顔で書き物机の上に視線をやった時には、すでに湯気をくゆらせた木のコップが置かれていた。
『ありがとう』
「魔法ではないようですが」
『善き隣人たちだよ』
 力の弱い妖精や善良な浮遊霊たちだ。家事をこなすシルキーのようにはいかないが、人間の世話係として訓練中だ。まだ細かく指示をしなくては大変なことになりがちだが、ダンテの要望にはよく応えてくれている。
 レパルスがカップを手にして椅子に戻ったので、ダンテはうつ伏せからあおむけに転がった。まだひゅうひゅうと耳障りな呼吸音だが、だいぶ楽になっていた。
「いったい何なのですか」
『俺を生かしてくれている魔物に、怒りの感情を喰われ続けている。涸れたら、死ぬ』
「あの薬は、それを和らげるために?」
『そんなところだ。ただ、たまに効きすぎて、死にたい気分になる』
「ああ」
 まさか錯乱しているところをレパルスに見られるとは思わなかったので、ダンテは恥ずかしさにいたたまれない気分になってきた。
 復讐相手の顔を思い出させるだけでは、憎しみの高まりが足りない。ジョセアラの薬は、家族との楽しく幸せだった記憶を鮮明に思い出させてくれた。それを奪われたという過程が、爆発的な怒りを励起させるのだ。おかげで、溺死しそうな苦痛からは一時的に逃れられるが、温かな幻影が精神を切り刻む痛みに耐えねばならなかった。
 ダンテは出ない声で祈りを捧げ、十字を切った。
「そんなになっても神に祈れるとは、見上げた狂信ですね」
 レパルスにはダンテの祈る姿に呆れたが、醜く引きつったままの表情筋は緩く動き、黒板に白い文字が書き記された。
『俺は、俺の免罪符インドゥルガンツィアが欲しいわけじゃない。家族の安寧を願っているだけだ』
「殺された・・・・・・あ、すみません。あなたの義兄を名乗る人物から、少し」
 こくこくとダンテの頭は動き、気にしないと白墨を握った手が動いた。
『まだ、死ぬわけにはいかない。あと、ひとり』
「・・・・・・・・・・・・」
 レパルスは他人の妄執に自分から関わっていくタイプではないし、ダンテがどうなろうと知った事ではないと思う。ただ、友達は大切にしなさいと言ったサマンサを悲しませたくなかったか、社交辞令を口にした。
「今度は捕まらずに、上手くいくといいですね。それが果たされたら、またこの町に?」
『いや、もう未練はないな。どうせこの体がもたない。地獄の苦しみにもがく場所が、天国から正しく地獄に移るだけだ』
 この町は居心地が良すぎる、と白っぽく濁った青い目でダンテは微笑んだ。たとえ神や人間たちに、自ら罪を纏うことを恥とせず、自分の意志で荊道を歩くことを決めた人生を愚かと決めつけられたとしても、理不尽を是とせず、自分自身でいることを貫いた選択に後悔はない。それだけ、自分を愛してくれる家族や生まれ育った場所を、根こそぎ奪われた悲しみは深いものだった。
「・・・・・・ではそれまで、せいぜい魔女の薬でのたうち回りなさい」
『勘弁してくれ。レパルスが腹の立ったエピソードを話していってくれると、助かる』
「私が・・・・・・?一番腹が立ったのは、あなたと出会ったことでしょうか」
『くそーーーー!!ムカつくーーーー!!!!そういう奴だよ、レパルスは!!!!』
 ベッドの上でもぞもぞとのたうって不快感を表すダンテを見下ろし、レパルスはうっすらと唇の端に笑みを刻んだ。

 宿屋万来亭の二人部屋で、サマンサは意外と帰りが遅かったレパルスを迎えた。
「只今戻りました。すみません、サミィ。おそくなりました」
「おかえりなさい、レパルス。ダンテは元気だった?」
「ええ。まだしぶとく生きていました」
 ただ長くは生きられそうにないことを、レパルスは黙っていた。サマンサはジョセアラの薬を、ダンテの火傷痕の痛みを和らげる薬だと思っているようだ。
「サミィの方は、良いお話が聞けましたか?」
「そうね。良い報せではなかったけれど、大事なことだったわ」
 レパルスはこれまで、恐ろしい人間からも、意地悪な魔女からも、臆病なサマンサを護ってきてくれたし、きっとこれからもそうだろう。レパルスが非常識なまでに強い事は、もちろんサマンサは知っているが、それは「おおよそ人間の範疇で」という条件が付く。いくら鬼神のような強さを持っていたとしても、人間の耐久力は魔女にすら及ばないのだ。
(私のレパルス。私の大切な家族。誰にも・・・・・・)
「サミィ?」
 さらりとした金髪が流れる頬を両手で包み、不思議そうに見つめてくる青い目をサマンサはじっと見返した。
「ジョセアラに教えてもらった、新しくできたカフェのケーキが美味しかったの。明日はレパルスと一緒に食べに行くわよ」
「わかりました」
 ふわりと微笑むレパルスに、サマンサはにっこりと微笑み返すのだった。