闇を慕う月 −6−
温かなケイの腕に、さすがにやりすぎて動けなくなったマリエスは包まれていた。
ぼんやりとした頭のまま、自分達にかけてある真っ白なシーツを眺め、今日という記念日にすべてを吐き出そうと決めた。ケイがこんなにマリエスを想ってくれるのだから、自分の中途半端な思い込みにけりをつけなければ。 「・・・ケイ。・・・アルデバランの事件のあの日、私がケイの居場所を漏らしたせいで、ケイの生き方を歪めたと・・・ケイの、アサシンとしての誇りを傷つけたんだと・・・ずっと、思ってきました」 「そんなこと・・・まだ気にしてたの?マリィのおかげで、僕は助かったんだけどな?」 呆れたように、ケイの目が丸くなった。そして、どこかいつもと違う微笑を湛えたまま、マリエスの長い髪を玩んだ。 「じゃあ、なに?マリィがいままで僕についてきたのは、その償いをしたいとか、そういう風に思っていたから?」 ケイの声音はいつもと変わらないが、少しご機嫌が斜めになったのは違いない。マリエスは正直に答えた。 「ないとは言いませんが、私はケイのことが好きでそばにいたかったんです。ケイのいない生活なんて、考えられなくって・・・」 「マリィ?」 言った後で、猛烈に恥ずかしくなり、マリエスはケイの視線を逃れるように顔を背けた。 「私のパートナーは、ケイ以外にありません。・・・ケイに捨てられるまで、そばにいます」 例えそれが、一方通行な想いでも。ケイと付き合うようになり、初めて身体を預けた、数年前の今日から、マリエスには自分のすべてを捨てる覚悟があったのだ。 「・・・マリィ、こっちを向いて?」 ケイの表情からは、いつものにこやかさが姿を潜め、あの日マリエスを許してくれたときのような、哀しげな表情が浮かんでいた。 「何もない僕に付き合ってしまったばっかりに、マリィは大聖堂での、クルセイダーとしての将来を手放してしまった・・・。僕はマリィのことが好きで、マリィも僕についてくると言って、嬉しかったよ。だけど・・・僕が、マリィの、日の当たる場所での、輝かしい未来を奪った。それは、間違いない」 「ちがう!・・・私は、自分で捨てたんです」 「マリィ!そんなこと言っちゃ駄目だ!マリィにだって、家族も、友達もいるだろう!」 家族・・・と聞いて、マリエス思わず微笑んだ。 「ああ・・・ケイには、話していませんでしたか。・・・私の両親は、もういません。父親など、顔も見たことがないくらいでして」 そのマリエスの表情には、暗さも皮肉もない。 「プロンテラにいた時に、何人かと親しくなったことはありますが・・・まぁ、天涯孤独の身ですよ?」 「そう・・・あ、ごめんね」 「いいですよ?久しぶりに、母を思い出せました。・・・ねぇ、ケイ。ケイは私たちのようなマゾやネコから、なんて言われていたか、知っていましたが?」 「なぁに、それ?」 いつもの調子で微笑んだケイに、マリエスは秘密を打ち明けるように、声を低めた。 「一切の望みは捨てよ」 「え?」 きょとんとするケイに、マリエスはもう一度、地獄の入り口に掲げられているという文句を囁いた。 「一度入ったら戻れない。あなた以外では満足できなくなる、だけど、あなたは闇に生きる人だった。・・・私がケイと付き合ってみたいと漏らしたとき、その場にいた人に忠告されました。すべてを捨てる覚悟があるかと。そうでなければ、太陽に焼かれるような乾いた苦しみを味わうだろうと」 「そんな罪作りになった覚えはないんだけどなぁ・・・」 苦笑いを浮かべたケイの首元に、マリエスはそっと頬を寄せた。 「私はケイといて、なにも怖くありません。私は自分の意思で、すべてを捨てましたが、ケイがそれを気にすることはありません。・・・だからこそ、私のあったかもしれないケイのいない未来なんて、思い煩わないでください。私は、そんな未来はいらないんです」 マリエスはケイのしなやかな背に腕を回し、ぎゅっと力を込めた。掌に、頼もしい筋肉のラインを感じる。ぴたりと触れ合った胸が温かい。 ケイと一緒にいられれば、マリエスは他に何もいらない。ケイに「もういらない」と言われるのだけが怖かったが、今日の馬鹿騒ぎで、それは杞憂だと心に刻んだ。 「・・・ねぇ、マリィ。転生しなよ」 「え?」 突然何を言い出すのかと、マリエスはケイを見返した。 「今日、オーラロード突入したでしょ。おめでとう」 「あ・・・ありがとうございます」 そういえば臨時の間もケイはそばで見ていたことを、マリエスは思い出した。久しぶりに天使が翼を広げる姿を見たが、これから先も長いのだ。 「でも、転生なんて・・・」 一度転生してしまうと、またノービスからのやり直しだ。ケイとのレベル差がありすぎて、一緒に行動しにくくなる。 「やるべきだよ〜。マリィって、何でも欲張りじゃん?」 「え・・・」 身に覚えが無くて目を見張るマリエスに、ケイはくすくすと指摘した。 「守りたいし、癒したい」 「あ・・・」 クルセイダーが、その技能であるディボーションとヒールを、両方取得して使いこなすのは難しい。たいていは、どちらかを諦めて、どちらかを極めるものだ。だが、マリエスはその選択を良しとしなかった。 「マリィは、『どちらかひとつ』は嫌なんだよね。まぁ、そんな聞き分けのないあたりも、面白くて好きだけど」 あの時も、マリエスはケイの、友人を手にかけて傷付こうとしている心と、逆に手にかけられようする命の、両方を救おうとした。それが、自分がケイを傷つけることになるかもしれないと感じながらも、マリエスの聖職者としての慈愛と使命感が、なにより人命を優先させた。 その結果、ケイはいまマリエスの目の前で、「欲張り」な相方兼恋人に微笑んでいる。 「パラディンになったら、献身もヒールも、両方できるんじゃない?」 確かにできるが、その代わりパラディンとしての技能はほとんど取得できないだろう。 「そうか」 「ちょっと、簡単に納得しないの。そんな取り方したら、生き方狭まるよ?」 呆れたようにケイは言うが、その狭まった生き方にはケイ自身を含んでいるので、まったく反対らしい態度がない。 「ヴァルキリーに認められれば、死んだ後も一緒にいられるね」 いつかくるかもしれない、神々の戦いに参戦するその時も、一緒に。 「ケイ・・・」 「それに、上には上があるんだってよ?」 「え、それって・・・」 くすくすと笑いながら、ケイはさらに上位職を目指すと言い出した。となれば、マリエスが転生するのは早い方がいい。 「んー。あのね、マリィがいると、僕なんだか前向きになっちゃうんだよねー。不・思・議」 ケイはマリエスに、獣がじゃれつくように身体を摺り寄せた。そして、なめらかな夜闇を切り取った影のような男は、深い藍色の目で謳った 「マリィは、僕をじっと見つめながら追いかけてきて、暗がりばっかりの僕の周りに危険がないか、何も言わずに見守ってくれる・・・月みたいだ」 そんな照れくさいことを、麗しい真顔で言われて、赤面したまま言葉にならないマリエスの頬に、ケイの唇が吸い付いた。 「マリィが僕に光をくれるんだよ。・・・一緒に行こう?」 その誘いに、マリエスは否などあるものか。恥ずかしさに頬を染め、嬉しさに瞳を潤ませて、マリエスは答えた。 「はい、お供します。・・・私のご主人さま」 マリエスは髪を撫でていたケイの手を取り、微笑とともに口付けた。 −首都・プロンテラ。 その手紙をメールボックスから抜き取って、サカキは珍しく慌てて周囲を見回し、素早くポーチにしまいこんだ。 理由は、その封蝋に『後ろに注意しやがれ!』と刻印されていたからだ。 その刻印自体は、サカキにも見覚えがある。なにしろ、夜の街に生きる人間が用いる、ひとつの暗号なのだから。 だが、ハロルドと付き合うようになってから、そちらにずっと足が遠のいていたサカキには、ずいぶん久しぶりのことだ。 (珍しい・・・) 自室に鍵をかけ、サカキは一人落ち着いて、その手紙を取り出した。 (誰からだ?) 差出人の名前は、封筒の隅に小さく『K』と。 「うっわ、まじか。あいつ生きてたんだな」 思わず苦笑いをしながら、そんな悪態を一人呟く。あの日からずいぶん会っていないが、あのアサシンクロスは元気でやっているだろうか。 仕事の関係でやむを得ずサカキの命を狙った友人に、そもそもサカキは怒りや恨みは抱いていない。 彼はやろうと思えば、いくらでも人気のない場所でサカキを殺められたのに、わざわざ街中を選んだ。ケイにはプロとして、 サカキはペーパーナイフで封を切り、『前略・・・』と始まった手紙を読み進め・・・・・・ずっこけた。 「なっ・・・はぁっ!?」 『前略 しばらくだけど、元気にしている? こっちはなんとかやっているよ。 積もる話はさておき、ひとつ製薬の依頼をしたいんだ。 「被使用者のVitにあわせて効き目が上がる媚薬」が欲しいんだ。 サカキくん、あんまりそういうの作らなさそうだけど。 闇市の物じゃ単に強力なだけだし、危ないし・・・。 そういう繊細な感じの薬って、僕の手には余るでしょ? もちろん、マリエスに使うんだよぉう♥ そんなわけで、返事はコモド私書箱○○○に『K』宛てでヨロシク。 んじゃノシ 追伸 チンクロ目指すよ!あと、マリィもパラになるから。 ペコセット覚えてもらって、ディルドライドするんだよ!楽しみ〜! サカキくんもジェネティックになろうよ。 草々』 サカキは手紙を握り締めたまま、唸った。 「Vitにあわせて効き目が上がる?なんだそれは。ディルドライドって・・・恋人を壊す気か。相変わらずサドっ気満載な変態だな」 旧知の友からの製薬依頼ならば、喜んで引き受ける。例えそれが、人格を犯しかねないために普段は作ることを避けている媚薬であろうとも、愛する人と共に使うという条件ならば・・・。 (あ。Vitが違えば、効き目が違う、ということは・・・) 打たれ強さや基礎体力を示す値であるVitが、サカキは底辺である。そして、彼が愛してやまない隣人は、低めながらサカキよりは上だ。 「ふぅん」 かつて夜の街に名を響かせた男の口元に、微笑が浮かんだ。それは、いつもより深く、少し・・・邪悪だ。 「たまにはいいな。いいよ、ケイ、乗った」 そして、その嬉々としたクリエイターの後姿は、数冊の厚い本を書架から引っ張り出し、なにやらノートに書き写し始めると、ふと思いついたようにwisを飛ばした。 「・・・あ、クラスター?」 その後、サカキの依頼でチャンピオンを派遣したクラスターの元に試作品の一部が届き、ギルドの溜まり場であるクラスターの屋敷が、一晩、性的な意味で狂乱状態に陥って、翌日メンバーのほとんどが潰れたのは、情報屋サンダルフォンの知ることにもなるが、それはまた別の話。 数日後、ケイの元に製品が届き、所は違えどもマリエスとハロルドが「イイ声」で鳴かされたのは・・・言うまでもない。 |