強さを求めて


 最近どうも面白い事がないと、クラスターは少し欲求不満だった。ルーンナイトになって、ルーンの研究や異世界の冒険もやったが、やはり生身の人間との駆け引きがないと面白くない。
(Pvにもぐってくるかなぁ・・・)
 大手対人ギルドのマスターというのは忙しいはずだが、雑務のほとんどを、有能なサブマスターが手際よく片付けてしまうので、クラスターは暇をもてあましている。急いでレベル上げをしたいと申し出るメンバーも、いまのところいない。
 ぶらぶらと露店を冷やかしながら、首都の中央にある大噴水まで来ると、知った顔を見つけた。そっと後ろから近付いて、よく目立つ赤毛を真上から頭ごと鷲掴みにする。
「ユーイン」
「ぅわっ!?」
 突然頭をつかまれたハイウィザードが、びっくりして両手をばたつかせながら振り仰いできた。ドラゴンに跨っているクラスターの方が、はるかに高い場所に顔がある。
「クラスター!・・・何か用か?」
 ユーインは以前クラスターに、Bladerの溜まり場まで拉致されたこともあり、警戒するような戸惑った表情を見せた。彼はクラスターよりずっと年下だが、冒険者ギルド「エルドラド」のマスターだ。Gvに参加していることもあり、ユーインはクラスターに対して、ギルドの統率者として、ごく対等な口のきき方をしている。
「暇だ。Pvに付き合え」
「はぁっ!?俺の都合は無視?」
「俺の都合が優先だ」
「相変わらず横暴な奴だな」
 長い前髪に右半面を隠させたまま、ユーインはむすっと顔をしかめるが、クラスターは気にならない。相手のこういう反応には慣れている。ところが、ふとユーインの表情が曖昧になって視線が泳いだ。
「あ、ちょっと・・・」
「wisか?」
 誰かから呼ばれたのだろうか。だが、ユーインは首を横に振った。
「いや。・・・クラスターに、聞きたい事があるんだけど」
「ギルド内の揉め事相談なら、うちのサブマスの方が頼りになるが?」
「ちがう。その・・・騎士として、というか・・・冒険者の先輩として、というか・・・」
 なにやら込み入った事情なのか、歯切れの悪いユーインは、クラスターを一軒の酒場に誘った。

 話しにくいことならば、人目につきにくいボックス席の方がよいのだが、お互いの立場上密談ととられるのは避けたい。話の内容よりも二人の地位が、カウンター席を選ばせた。
「で?」
「観念的な話なんだが、常識論ではなく、クラスター個人としての意見が聞きたい」
 人は人生のうちで、様々な理不尽にぶつかる。ユーインは若くして熟練の冒険者ではあるが、まだ自信の持てない考えの参考に、年上のクラスターを選んだのだろう。
 クラスターが頷いて話の続きを促すと、ユーインは少し躊躇った後、簡潔に問うた。
「人を守って死ぬのは、正しいことだと思うか?」
「否だ」
 クラスターの騎士として不良と思われるような即答に、ユーインは澄んだ水色の目を丸くした。
「若干説明をつけるぞ。人を守って死ぬのが正しいのなら、俺たちは強くなる必要がない」
 それは単なる自己犠牲の美化であり、己の弱さを正当化する言い訳に過ぎないからだ。
「実際、強者に対して弱者が踏み潰されるのは仕方がない。それが現実だ。結果として死ぬこともある。だからこそ、死ぬのは嫌だから、強くなろうとする」
 クラスターはグラスを傾けながら、鋭敏な魔法使いが理解し、少しでも納得しようとするのを待った。こういうことは頭ではなく、経験や感情を伴って、精神から己の血肉とするものだからだ。
「大切な人を守って死んでも、弱いのは罪だというのか」
「そう思うのは個人の自由だ。強ければ生き残り、弱ければ死ぬ。常識だろうが。そこに第三者の評価が割り込む必要はないと思うが?」
 クラスターほど合理的かつ冷淡に片付けられないユーインの青さが、クラスターには可笑しい。クラスターは馬鹿馬鹿しいと思うが、たぶん世間一般の感覚は、ユーインに近いのだろうということも、わかっている。
「どんなに力を尽くしても、人間にはできる事とできない事がある。それを他人が批判できるとは思えん。・・・遺された者の悲しみも、守れなかった悔しさも、俺は知っているつもりだ」
 ユーインは納得したような沈痛な面持ちをしたが、ふと意外そうに小首をかしげた。
「あんたでも守れなかったものがあるのか?」
 ユーインはクラスターが強いことを、当然と思い込んでいるらしい。それは賞賛であるとともに、彼がまだ若いことを表している。
「お前が十年前は子供だったように、俺にだって子供だったときがある」
 クラスターは唇の端を歪め、クスクスと笑った。
「報われない忠誠に、死に掛けたこともある。・・・相手は母親だったがな」
 ユーインは呼吸を忘れたかのように青ざめ、やっとのことでかすれた声を吐き出した。
「母親・・・」
「身内の恥をさらすようだが、俺の母は、父の寵愛を妾に奪われた腹いせに、抵抗しない自分の息子を扇子や火掻き棒で殴り、蹴り飛ばした。仲間が助けに来てくれなかったら、俺はたぶんあそこで死んでいた」
 駆けつけた二人の仲間のうち、かつてアコライトだった男だけが、いまもクラスターと言葉を交わしている。
「母を哀れだと思い、守りたいと思った。だが子供だった俺には、正しい方法がわからなかった」
 悲しみ狂う母を癒すことができず、その後も無二の親友と思っていた女を、力及ばず罪無く刑死させてしまった。クラスターの苦い過去は、同じ友を亡くしたサンダルフォンとよく似ていた。
「守りたいものがあるなら、あらゆる意味で強く賢くなることだ。自分が死んでしまっては、元も子もない。自分を慕ってくる奴を泣かせるのは、俺の趣味じゃねぇ」
 クラスターの胸には、いまは子猫のようにちんまりとした、黒髪で青い目をしたマーチャントが微笑んでいる。彼女は決して肉体的に強くないが、クラスターに失わせたくないと思わせる、誰にも真似のできない強さを持っている。あれを泣かせるのは、例え自分でも許せないと、クラスターは思う。
「自己犠牲が悪いとは言わん。究極的に少ない選択肢の中で、それが最良という場合もあるだろう。だが、決して最善で正しい事だとは思わない。・・・それが俺の考えだ」
 母親の住まいから力ずくで救出された後、銀髪の女剣士にこれでもかと罵倒され、やせっぽちのアコに気力が尽きて倒れるまでヒールされ、やっと理解した。自分を大切にする事が、友に対する責任であると。盲目的な奉仕は、決して相手のためにならないとも。
 肩や背中の虐待痕が見えるたびに青ざめて、自分が痛そうな顔をするアコライトのために、髪を長く伸ばしたクラスターは、グラスの中で氷を転がしながら、声をたてずに笑った。今までにこんな事を他人に話した記憶がほとんどない。それだけ、このひとまわりも歳の離れた魔法使いを、気に入っているということだろうか。
 クラスターの言った事を自分なりに飲み込もうとしているのか、手の中のグラスを神妙に見つめているユーインを眺めていると、馴染みの情報屋からwisが飛んできた。居場所を伝えると、近くにいるから来るそうだ。
「もうひとつ。・・・騎士が自分を犠牲にしたとき、その人は・・・」
 身近で殉死した騎士でもいたのだろうか、顔を強張らせるユーインに、クラスターは貴族の子弟として叩き込まれた武人の精神を、躊躇うことなく伝えた。
「本望だろう。例え自分が死んでも、敵を打ち払い、誰かを生かすのが、騎士の務めだ。命をかけて力ない者を守ったならば、賞賛に値する」
 最初に言った事と矛盾するようなことを言いつつ、クラスターはニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。いまは亡き銀髪の女聖堂騎士ならば、まったく違うことを言っただろうと思ったのだ。これでもクラスターは生粋の騎士だが、彼女は純粋すぎて逆に毒が多かった。
「なにを悩んでいるのかは知らんが、自分の手が届かないならば、それはお前にとって無意味で不要なことだ。余計なものに気をとられて一番大事なものの守りが薄くなっては、本末転倒と言うものだ」
「わかってるよ」
 むっと口を尖らせた若い魔術師が、パートナーを組む生真面目な聖職者といい仲だというのは、無愛想な錬金術師から聞いている。
「クラスター」
「早かったな」
 酒場の扉をくぐってきた情報屋に、ユーインが肩を揺らしたのがわかった。クラスターは見慣れているが、この男はかなり人目を引く容貌をしている。
「臨でなくていいのか。どこに行く?」
「どこでも。旨い所は混んでいるし、臨は拘束時間が長すぎる」
 アークビショップの修練と情報屋の仕事の両立は、なかなか大変なようだ。クラスターはグラスの中身を飲み干し、席を立った。
「じゃあな、ユーイン。用事ができた」
「ああ。ありがと」
 ユーインも立ち上がったのは、また酒場の扉が開いて、今度は眼鏡をかけた白い髪のアークビショップが入ってきたからだ。
「よう」
「ぅ・・・クラスター」
 こちらもクラスターに苦手意識があるのか、壁に張り付いて固まっている。顔が少し赤くなったのは、たぶんクラスターの横に立っている男のせいだ。まったく顔と支援の腕だけはいいので、詐欺と言われてもクラスターは弁護してやる気がない。
「強くなれよ、ユーイン。また砦で会おう」
 クラスターは旧知の友と酒場を出た。
「あれがエルドラドのマスターとサブマスか」
「そうだ。・・・若いのは純粋で面白いな」
「じじくさいぞ」
 呆れる情報屋に、クラスターは鼻で笑ってみせた。
 子供の頃から、二人が強さを求める理由は変わっていない。大切な人を失うのも、自分のせいで大切な人が泣くのも嫌だから・・・。
「俺たちの方が、よっぽどガキ臭いと思うがな?」
「大人の振りをして泣き寝入りをしたくないからな」
「まったくだ」
 クラスターはギルドで暇をもてあましている、他のメンバーにも呼びかけた。サンダルフォンの支援を使わない手はない。
 二人はまた戦場に出る。もっと、強くなるために・・・。