スウィートマックスハート


 ギルドハウスを兼ねている自宅に、わいわいきゃぁきゃぁと女性達が帰ってきて、ヴェルサスたちとカードに興じていたクラスターは、彼女達の頭の物に目をしばたいた。
「なんだそれは。赤くないのか?」
 カチューシャの上にくっついているのは、矢の刺さった黄色いハート。
「やだ、マスター。赤いのは一昨年だったじゃない」
「今年のは、これだけでチョコレートの材料が落ちるんですって」
 そういえばもうすぐバレンタインかと思い出し、クラスターはギシッと動きが止まった。
「・・・どうしました、マスター?」
 ヴェルサスが首をかしげるが、クラスターだって言えないことがある。
「なんでもない。・・・誰か代われ」
「はぁ」
 クラスターはカードを投げ出し、椅子から立ち上がって自室へ行こうとしたが、前をよく見ていなかったのか、メンバーたちの目の前で、ドアの枠に頭からぶつかった。
「きゃっ・・・」
「マスター・・・あの・・・」
「っ・・・大丈夫だッ!」
 角にぶち当てた額はずきずきと痛かったが、クラスターは人払いをしてよろよろと自室に引き上げた。

 ぱたん、とドアを閉め、こぶになった額が疼くのもかまわず、クラスターは唸った。
「まずい・・・やばいよな・・・ぅう〜っ」
 去年はどうだったか思い出す。そうだ、アルベルタでもらったのだ。だが、あの時はお菓子教室が現地にあった。
 では一昨年はどうだったか・・・。たしか、バレンタインの賛成派と反対派が争っていたはずだが、自分がどのタイミングでチョコレートをもらったのか・・・。
「だめだ、俺の記憶が一番参考にならん」
 クラスターは腕を組んだまま、うろうろと自室の中を歩き回っていたが、埒のないことに気付いて肘掛け椅子にどっかりと座った。
 クラスターの部屋は持ち主の興味のなさを反映してか、こざっぱりとして清潔感はあるものの、生活感が薄く、屋敷の主としての体裁が整っているだけだ。ただ、どこか鉄の様な匂いが染み付いている。
 おそらく、飾り棚に収まった、使い古された武器たちのせいだろう。どれも元々はクラスターの持ち物ではなかったが、どの一振りにも、そもそもの持ち主との思い出が詰まっていた。
 血と鉄と戦意に彩られたクラスターの日常だが、近年この時期になると、一年分の後悔がひしひしと押し寄せてくるようになった。
「あ〜っ、もっとかまってやるんだった・・・!」
 頭を抱えるが、どうしようもない。一年前にも、自分に言い聞かせたはずだが、いまのいままですっかり忘れていた。
「みつきぃ〜・・・すま〜ん・・・」
 クラスターがペット扱いしている、黒髪に青い目のちんまいマーチャントの笑顔が浮かび、強敵と出会ってもたじろがない胸をちくちくと刺す。
 彼女はクラスターがふらりと会いにいくと、いつでも嬉しそうに迎えてくれるが、普段あまりかまってやっていない自覚がある。みつきはクラスターのもので、その支配と献身の関係を互いに良しとしている。だから、みつきが毎年クラスターにチョコレートをくれるのは当然だ。ただ、その意味が、はたして去年と同じかどうかはわからない。
 いつか歳の近い恋人が出来て、毎年もらえていたチョコが義理になるか、あっさりもらえなくなるかもしれない・・・。
「だぁあああーっ!!それはないっ!絶対許さん!!」
 がん、と肘掛を叩いた拳がちょっと痛かった。クラスター用に頑丈に出来ている椅子なのだ。
 体の表面的に痛い場所が増えたが、だんだん胃のほうが痛くなってきた。不敵で凶悪なマスターと思われているギルドメンバーに、こんなに情けない姿を見られるわけにはいかない。
(いまから会いにいくか?)
 それではあからさまにチョコレートをせびっているように見えて、非常に嫌だ。事実その通りなのだが、そこはクラスターのプライドが許さない。
 だが、他の誰からチョコレートをもらっても、みつきからもらえないのは、絶対に嫌だ。
(だから去年、もっとみつきと遊んでやろうと自分に言ったはずなのに・・・ええい、俺の阿呆め!!)
 クラスターは解決策を求めてうんうん唸っていたが、結局出かけるために椅子から立ち上がった。

 クラスターが抜けて代わりにゆうづきが入り、ヴェルサスが柾心と真澄にもカードを配る。
「マスター、いきなりどうしたのかな?」
「どうせ都合の悪いことでも思い出したんでしょう。僕らには、あまり関係がないと思うよ」
 ポーカーフェイスを保てない真澄に、ヴェルサスは穏やかに微笑んだ。
「個人的に都合の悪いことねぇ・・・」
 首をかしげるゆうづきに、柾心も考え深げな声を出した。
「バレンタインに関して、なにかあったかな?マスターはチョコレート大丈夫だったよね?」
「大丈夫だよ。毎年たくさんもらっているじゃない」
 答えたヴェルサスの言い方が何か気になったのか、柾心の視線が動く。それを片目眼鏡越しの目が迎え撃つ。
「なにか?」
「べつに〜」
 顔は弟とよく似ているが、性格も体格も違う柾心が、ヴェルサスと同じ種類の笑顔でカードを取捨選択していく。
「チョコじゃないなら、くれる人じゃん?それか、去年のホワイトデーにお返しし忘れた人がいたんじゃね?」
「そんなことクラスターが覚えるわけないじゃない。だいたい、お返しは執事さんがきっちり用意しているじゃないのさ」
「そっかぁ」
 意見はゆうづきに却下されたが、引きが良かったのか真澄はニコニコしている。
「あぁ・・・でも、真澄くんの着眼点はいいと思うなぁ。例えば、もらいたくない相手に心当たりがあるとか」
「柾心、貴方の頭の中身をかきまわしてあげたい気分になってきました」
「あっはっは。表現がグロいよ、ヴェルサス」
「サブマスは本当にやりかねないから、まじでおっかねーよなぁ〜」
「あんたたち兄弟、普段は本当に、危ないくらい平和よね」
 呆れるゆうづきに、柾心はそれほどでもと謙遜し、真澄はよくわからずに胸を張っている。
「じゃあさ、反対にもらいたい相手がくれるかどうか心配なんだぜっ!みつきちゃんとかさ!」
「みつきぃ?あの子は毎年あげているじゃない」
 不本意ながら妹がクラスターのものになってしまったゆうづきだが、遠慮が多くのほほんとしているみつきの一途さを疑う余地がない。
「楽しいからって対人に明け暮れているから、好きな人の気持ちがいまさら心配になってきたのかな。要は普段の行いってことだよねぇ」
「素晴らしいブーメランだね、柾心」
「やだな、もう、ヴェルサス。今日はいつも以上にとげとげしいよ」
 朗らかに笑う長い黒髪の修羅はまったく動じないが、弟の方はなにか心配になってきたらしく、手元のカードが丸見えになっている。
「アル、チョコくれるかな・・・」
「あんたはアルフォレアにあげないの?」
 真澄はゆうづきの頭の上にある矢の刺さった黄色いハートを見詰め、ぎゅっと唇に力を込めて立ち上がった。
「・・・俺もチョコ作ってくるっ!!」
「あぁっ、真澄くん、そんなに走ったら転ぶよっ!待って!」
 全力ダッシュしていく小柄な弟を追いかけて、筋骨逞しい兄もカードを投げ出して走って行った。
「やれやれ。落ち着かないね」
「ヴェルサス副長はチョコ作りにいかないの?」
「・・・さぁ」
 その微笑が大変恐ろしく、ゆうづきは「聞かなかったことにして」と立ち上がり、小さなカード場はお開きになった。

 冒険者で賑わうバレンタインイベント会場では、カカオ割り道を極めたらしい達人のまわりに人だかりが出来ていた。そのなかには、目を輝かせて順番を待っているみつきもいたが、一緒にいるホワイトスミスの男と仲良さげに談笑しており、クラスターは思わず槍を振り下ろしかけた。
「わぁああっ!!ななななんですか、クラスターさんっ!?」
「なんだ、わんこか・・・」
 両手で頭をかばって怯えているホワイトスミスは、薬屋の彼氏だった。ブラックスミス時代が長かったせいか、どうも見慣れない。
「わぁっ!クラスターさん!!」
 きゅっと抱きついてきた柔らかな物体の、黒い猫耳を生やした頭を撫でてやる。
「よぉ」
「クラスターさんもチョコレート作りに来たの?」
 大きな青い目に見詰められての直球質問に、とりあえず覗きに来たクラスターはどう答えるべきかと冷や汗を感じたが、すかさずハロルドの助け舟が入った。
「やっぱりステータスアップは魅力ですもんね」
「ああ、そっか!」
 そんな特典があることをクラスターは知らなかったが、みつきは納得してくれたようなので、心の中でハロルドを褒めておいた。
「クラスターさん、材料あります?一緒に作りましょう」
 無邪気なみつきの笑顔の後ろで、『チョコレート材料各種』という看板を掲げたハロルドを逞しく思いながらも、クラスターはにまりと頬を緩めた。

 イベント会場でみつきとチョコレートを作る姿を、柾心真澄の兄弟に目撃されたものの、その後で大きな手作りチョコレートをみつきからもらい、クラスターは満足と安堵を噛み締めたのだった。
 「今年こそは、みつきとたくさん遊んでやるぞ」。その決意が一年後に果たされているかどうかは、まだわからない。