男の条件−3−


 刺身の姿盛や、上品な椀、細工も鮮やかな小鉢など、目にも舌にも楽しいアマツ料理を堪能すると、今度は日が落ちて寒くなった露天ではなく、内風呂で温まり、イグサの香る部屋でのびのびと体を伸ばして、互いにマッサージなどしてみる。
 普段なら、片付けや明日の露店や狩りの準備などをして、くつろいでいてもあっという間に時間が過ぎてしまうのに、今夜は日付が変わるまでに、まだずいぶんと時間がある。
 二組用意されたふかふかの布団を、ぴったりとくっつけ、サカキは早々とハロルドの腕の中に納まっていた。
「・・・さっきから、なにか聞きたそうだな」
「え?」
「わからいでか。ハロの顔は素直すぎる」
 サカキと密着しているのに、やや意識が彷徨っているハロルドなど、どう考えてもおかしい。
「なんでもないです」
「聞きたければ聞け。答えられる範囲で答える。・・・妙なことを気にして、いつものハロが見られないほうが、俺は嫌だ」
 リラックスしていないハロルドの腕の中では収まりが悪いのか、もぞもぞと動きながらのサカキの告白に、ハロルドの胸がきゅーんとなる。
「あの・・・じゃあ、ひとつだけ」
「うむ」
「・・・サカキさんの最初の人って、どんな人でしたか?」
 ぴたっと動きが止まったサカキに、ハロルドはやっぱり聞かないほうがよかったかと、眉が下がる。
 ハロルドはいままでに、サカキのセックスフレンドに関して口を挟んだことはない。人数も多いだろうし、身近なところではマルコとだって肉体関係があったのだ。だが、ハロルドが恋人になってからは、すべて過去のことだ。
 サカキは今ハロルドと付き合っているのだから、最初の人とは当然上手くいかなかったに違いない。
 しかし、サカキは布団の上に顔を出し、深く長いため息を吐き出した。それはけっしてハロルドに呆れたのではなく、どこか懐かしむような、それでいてほの暗い陰鬱さを霧散させるためのものだった。
「・・・俺に男を教えてくれたのは、俺の師匠だ。腕のいい製薬アルケミストだった。性格は、下から数えた方が良さそうな人だったが。・・・俺がまだ、未転生のマーチャントだった時の話だ」
 サカキが商人だった頃と言うと、ハロルドはまだ幼児だったろう。そのときには、サカキはすでに家族を奪われ、一人ぼっちだったはずだ。
「俺が自分で気付くより先に、師匠は俺の性癖を見抜いた。それで、師匠が飼っていた男の一人を、俺に犯させた。・・・顔も名前も覚えていないが、そいつが、俺の最初の奴だ」
 予想だにしていなかった話に、ハロルドは目と口を開けたまま、息をするのもしばし忘れた。
「飼って・・・?」
「そうだ。あの人は人間を、実験動物代わりに、何人か飼っていた。・・・ついでに言うと、俺のバックバージンは師匠が持っていった。あの人バイだったからな」
 後ろに突っ込まれて痛かったから、セックスの技術は独学で、体で覚えたというサカキに、彼の年下の恋人は言葉もない。
 サカキは自分の額を、ハロルドの胸に押し付けた。
「・・・幻滅したか?」
 サカキはハロルドに、理想を見るな、自分は綺麗な人間じゃないと言ってあったが、実際に犯罪じみたことを聞かされることは、ハロルドの健やかな精神に大きな衝撃を与えたに違いない。
「いえ・・・ちょっと、驚いただけです」
 そういうと、ハロルドは忘れていた分を取り戻すように深く息をついて、ぎゅっとサカキを抱きしめた。抱きしめられた方は少し苦しかったが、力強い腕も厚い胸も温かく、さっきよりもずっと居心地がよくなっていた。
「せめて、転生してからの初めてが欲しかったです。俺が、もっと早く生まれていたらよかったのに」
 無茶なことを言うハロルドの背に、サカキは苦笑を吐きながら手を伸ばした。浴衣越しに触れる背筋の凹凸をなぞり、ぎゅっと抱きつく。
 サカキが話したのは、全体のほんの一部だったが、それでも嫌われなくてよかったと思う臆病な安堵に、頭の天辺からつま先まで皮膚がざわめいた。
「変なこと聞いて、すみませんでした。・・・サカキさんは、俺の彼氏なのに」
「かまわん。・・・俺の方が緊張した。俺を嫌いになって、どこかに行ってしまうかと・・・」
「そんなこと・・・」
 ハロルドはサカキが過去に何をしていても、サカキを嫌うことはないだろう。過去のすべてを渡ってこなければ、ハロルドと恋人になることはなかったかもしれないのだから。
「ずっと、こうしていたいんです。俺を置いて、どこかに行っちゃわないでくださいね」
「行かない。俺は、お前のものだ。他の誰にもやるつもりはない。・・・だから、そばにいてくれ」
「はい、サカキさん」
 互いの匂いと温もりを感じながら、静かな夜はゆっくりと更けていった。


 アマツの港は朝から賑やかだ。
 サカキとハロルドが土産に地酒や干物を物色していると、海の男特有の荒い声に呼び止められた。
「サカキか?」
「え?」
 二人がその発声源に振り向くと、魚を運んでいる漁師の一人がいた。
 歳は三十過ぎぐらいだろうか。アマツ人にしては彫りが深く、鼻筋や顎もがっちりとした、男臭い顔立ちをしている。肌寒いというのに着物をはだけた上半身も、むき出しの脚も、陽と潮に焼けた赤銅色をしており、漁師らしい分厚い筋肉に包まれていた。
「ワダツミさんとこにいたサカキだろ?懐かしいな!ほんとに久しぶりじゃねぇか」
「ぇ・・・」
 太いガラガラとした声に陽気に笑いかけられ、表面にはほとんど出ていないが、サカキが忙しく記憶を辿っているのが、ハロルドにはわかった。
「ワダツミ、神社の・・・?あ・・・」
 どうやら思い出したらしいが、とたんにサカキの様子がおかしくなった。わかりづらいが、明らかに挙動不審だ。
「ひ、さしぶりだな。元気そうで、何よりだ」
「おう。・・・ちっと痩せたか?」
 すぐそばまで歩み寄ってきた漁師は、よく見るとサカキよりも背が低かった。
「ああ。・・・そっちは、貫禄出てきたじゃないか」
「所帯持っちまってな。まぁ、おっかねぇカミさんと喧しいガキ供だがよ。そっちは・・・相変わらずみてぇだな」
 ニヤニヤと笑う漁師に、サカキは小さな声ながら、憮然と返した。
「最後の男だ」
「ほぉかほぉか。こりゃ、呼び止めて悪かったな」
 両手で桶を抱えた漁師は、朗らかに笑いながら「達者でな」とあっさり立ち去っていった。
 肺の中の空気が全部出たのではないかと思えるほど、深々とサカキがため息をつく。珍しいその後ろ姿に、ハロルドはこちらも珍しく、頭痛を堪えるようにこめかみを揉んだ。
「・・・なんとなく予想はつきますが、誰ですか?」
 サカキは自分のタイミングの悪さを呪いたくなったが、ハロルドには正直に答えた。
「・・・むかし遊んだ男の一人だ」
「だと思いました」
「すまん」
「いいですよぉ〜。ぜぇ〜んぜん気にしていませんから」
 いつもと少し雰囲気の違うにこにこ笑顔を貼り付けるハロルドに、どよんとした空気を醸し出してサカキは頭を抱える。
 ハロルドの手が、何気なくサカキの首筋のあたりを撫でていく。その襟の下には、昨日ハロルドが噛み付いた痕があるはずだ。
「今は、俺の彼氏ですから。それに、俺で最後なんでしょう?」
「うむ・・・」
 ぱっといつもの笑顔に戻ったハロルドが、サカキに抱きついた。
「じゃあ、何にも問題ないですよ。ぁ、でもちょぉっと寂しかったから、家に帰ったら・・・」
「わかった、わかった。なんでも言うこと聞く」
「絶対ですよ〜?あ、あのお酒なんかクロムさんのお土産にどうです?」
 過去に暗い嫉妬をしてサカキを困らせず、聞き分けがいいくせに甘え上手な恋人に、サカキはベッドでマウントをとれないどころか、一生頭が上がらない気がしてきた。
「お前だけだよ・・・」
「え?なんですか?」
「なんでもない」
 サカキはハロルドのふわふわした茶髪をかき回して、わうと可愛い声を出させた。