エピローグ
夏の子守唄


 硬い大地と、乾いた風。
 ルーンミッドガッツ王国の空気とは違う匂いのする土地へ、リュンと流貴は飛ばされていた。
「・・・本当にベインスだ」
 急な傾斜に貼りつくように作られた街は、アカデミー時代に一度だけ訪れたことのある場所に間違いはない。
 まだ夜明けらしく、涼しい風の吹く街には人気が少ない。
「ああ・・・またサンダルフォンさんに借りを作ってしまった」
「先輩達、大丈夫かな」
「あの人達なら、俺達より上手くやるって・・・いたた」
 峻厳な渓谷を臨み、当て身をくらった鳩尾をさすっている流貴の隣で、リュンも腰を下ろした。
「大丈夫か?」
「うぅ・・・なんとか」
 あのマルコにお手本のように綺麗に決められては、さぞかし苦しかったろう。しかし、リュンを置いて行こうとした流貴が悪いのだと、少し意地の悪い微笑みがリュンに浮かぶ。
「なぁ、もう一回聞いていい?」
「何を?」
「なんで俺を追いかけたのか」
 ぎくっと、流貴の動きが止まった。
「な、なんでって・・・」
「どうして、俺のために歌いたいって思ったんだ?」
 理由はリュンにもわかっている。だからこそ、許せなかった。
 流貴は自分がリュンの弱点になることを拒み、リュンの自由を優先した。あれほど一緒に行けると喜んでいたのに、リュンをあっさりと自由という名の孤独に放り出そうとした。どうして、抱きしめたあの腕を解いてしまったのか。
「嫌じゃないから、もう一度聞かせろ」
 その一言で、はじかれたように流貴がリュンを見返した。頬が目と同じくらい赤くなっている。
「嫌じゃ・・・ない?ほんと?」
「付き合ったことはないけど、したことはあるし」
「し、しっ、したことあるって!?」
「なに言ってんだ。流貴だって男としたことあるって、マルコさん本人から聞いたぞ」
「だあぁあああぁぁああ」
 ぎゃふんと地面に突っ伏す流貴が、ひくひくと悶える。
「なんかもぉアレだ色々俺の想像超えたっていうか何でそんなことまで知ってんですかリュンさん」
「いや、なんか成り行きで聞いちゃった」
「そおですか・・・」
 恥ずかしさのあまり涙目になっている流貴の頭を、リュンは犬の頭でも撫でるようにわしわしとかき回した。
「で、ほら。俺のことが、何だって?」
「う・・・好きです。付き合ってください」
「条件がある」
「は・・・条件、ですか?」
 大きな目をしばたく流貴に、リュンは力を込めて、選んだ言葉をつむいだ。
「俺を大事に思うのと同じだけ、自分を大事にしろ。さっきみたいに、自分が捕まればいいとか、考えるな。俺を・・・一人にするな」
 ずっと一人で生きてきたと思っていた。でも、組織を離れただけで、ひどく自分が頼りなく思えた。自分を探してくれた流貴に、一緒に行きたいと言われて嬉しかった。アサシンギルドが提示した条件をアイラから聞いて、腹は立ったが、自分がギルドへ戻るべきだと思った。流貴から好きだといわれて、胸が温かくなると同時に、やっぱり離れたくないと感じた。
「俺も流貴が嫌いじゃないから、それが付き合う条件だ。できないなら、狩りの相方止まりだ」
 そんなことを言うリュンの方こそ、相方だけじゃ我慢できないだろうと自覚がある。だから、この条件はぜひとも飲んでもらわなくてはならない。
「流貴?」
「わかった。リュンさんと一緒にいられるなら・・・俺も大事にするし、リュンさんを絶対に一人にしない」
 ぴたりと寄り添った流貴が、柔らかく微笑んだ。そのまま、耳元に囁かれる。
「約束する。だから・・・もう一度、俺がリュンさから離れないように、メロメロにしてくれない?」
「え?」
 なんだそれ、と聞き返すまもなく、リュンの体は流貴の腕に絡めとられ、そのまま押し倒されてしまった。
「ちょ・・・」
「どうして、俺がリュンさんに惚れたと思う?」
「知るか!」
 腕力ならリュンのほうが上だが、さすがに密着して体重をかけられては、動きようがない。それよりも、流貴の低くて滑らかな声が耳をくすぐって、背中がゾクゾクする。
「アルベルタでのあの夜、リュンさんは俺に何をしたっけ?」
「何って・・・」
 戦い終わって、瀕死の流貴を助けようと・・・。
「あ・・・えっ、まさか、気がついてた?」
 かーっと顔が熱くなる。ほとんど忘れていたが、確かに、リュンは流貴に口移しでポーションを飲ませた。
 薬品に詳しいサカキなどならいざ知らず、知識もないままに、主に内服用のポーションをぶっかけるわけにもいかなかったからだ。
「そりゃぁもう、ばっちり。ちゅーしたの気持ちよかったよ」
「う・・・」
「リュンさんに大事にされてるんだって思わせて。そうすれば、もっと自分大事にする。だから・・・もう一回して?」
 そんな風に言われたら、リュンに断ることはできない。
 染めた髪とは違って、以前のままの、長い銀色の睫が、深い紅玉色の瞳を隠す。優しげな甘い風貌の中で、リュンを好きだと言った唇に視線がいく。
 自分以外の誰かに、奪われたくない。そんなわがままを思ったのは、きっと初めてだ。リュンは肩と首に力を込めて、目の前に覆いかぶさっている流貴に、自分の唇を重ねた。
「・・・これで、いいか?」
「理性ぶっ飛びそう」
 うっとりと開いた目が、幸せそうに潤んでいる。
 リュンを解放した流貴は、起き上がったリュンに手を貸してくれた。
「それでは、新婚逃亡者生活を始めますか」
「自由な冒険者生活って言え」
 渓谷を渡る乾いた風が、二人の冒険者の背を押した。