亡者の告白


 朝の首都に戻り立ち、サンダルフォンは家にむかって歩きだした。
 そろそろ市がにぎわいだす頃であり、何か土産でも買おうかと道を外れかけたとき、不意に声をかけられた。
「サンダルフォンさん?」
「・・・あぁ、おはようございます。奇遇ですね」
「おはようございます。お久しぶりね」
 にこにこと健康的な笑顔で会釈をしてきたのは、以前視察したことのある孤児院の施設長をしている女性で、昴という名のハイプリーストだった。子供たちの育成方針はもとより、自分に都合よく周りを合わせさせる能力に関しては目を見張るものがあり、それが彼女の性格からなるものだとしても、なかなかのやり手というイメージだ。
「ちょっとお聞きしたいのだけど、ここって、この辺りであっていますよね?」
 その彼女が苦笑いで差し出してきたメモには、おおざっぱな地図と、大まかな住所、そして、すぐそばにあるカフェの名前が書いてあった。
「あっていますよ。そこの店ですが・・・あぁ、開きましたね」
 店のドアが開き、店員らしき男が看板を出してきた。店の看板が出ていなかったので、昴にはわからなかったのだろう。
「やだ、目の前だったのね。ごめんなさい、ありがとう」
「いえ。では・・・」
「一緒にコーヒーでもいかが?私、待ちぼうけさせられているのよね」
 ぐいぐいと腕を引っ張って行かれ、サンダルフォンは苦笑いを浮かべるしかなかった。彼女は、こういう人物なのだ。
 待ち人がきたらすぐにわかるようにとテラス席に陣取り、昴はカフェオレを、サンダルフォンはブレンドをオーダーした。モーニングタイムだが、昴は済ましてきたらしく、サンダルフォンはうちに帰れば朝食が待っている。
「こんなに早く待ち合わせを?」
「むこうが早く行くって言ってきたの。だけど、孤児院の前にベタ付けされたんじゃ、子供たちが騒ぐじゃない?」
「たしかに」
 どうやら大仰な足があるらしい。ということは、待ち相手はスポンサーだろう。友人や恋人ならば、ここまで気を遣ったりしない。施設に金を出したり、便宜を図ってくれたりする人間のご機嫌取りも、施設長の務めとはいえ、実にご苦労なことだ。
「そんなことより、あなたの方に興味があるわ。あんまり外を歩くイメージじゃないんだもの。こんな風に街中で会うのはもちろんだけど、モンスターと戦っている姿なんて、想像もつかないわ」
「はは、そうかな」
「そうよ。それで、お墓参りにでも行っていたの?」
「・・・なんで、わかったんですか?」
 サンダルフォンは、思わず鼓動がスキップするほど驚いたのに、昴の方も負けずに驚いているようだった。
「え・・・?だって、そんな顔をしていたんだもの。こんなに早い時間だし、毎日の散歩コースっていう雰囲気でもなかったし・・・そんなに驚かれると、困るわ」
 女というのは、よくよく洞察力の高い生き物だ。それはわかっていたはずなのだが、こうも直球で言い当てられると、本当に心臓によろしくない。
 サンダルフォンは深く息を吐き出し、いっそう深い苦笑いを浮かべた。
「相棒の、命日でして・・・」
「まぁ・・・」
「それから、墓参りのようなもの、です。彼女には、墓を作ることすら認められませんでしたので、どうか、ご内密に」
 サンダルフォンが唇の前に指先を立てると、昴は軽く目を見張って、労りと自分の好奇心を押さえようとする半々の気持ちを、複雑に表情に乗せた。
「どういうことかしら。いえ、踏み入ったことを聞くようで、言いたくなければいいんだけど・・・」
「かまいませんよ。・・・私の相棒は、罪人として処刑されたのです。もちろん、冤罪です。でも・・・あの時も今も、私には彼女の無実を証明し、彼女の名誉を回復させることができないでいる」
「そんな・・・」
 息をのんだ昴の言おうとすることはわかっていたので、下げた視線に入ってきたコーヒーカップを手に取り、サンダルフォンは結論まで語った。
「周到に準備され、貶められたのです。そして、彼女が無実であることを立証できる、唯一の人間がいたのですが・・・残念ながら、死んでいます。・・・もう、何年も昔の話です」
「あの、ごめんなさい・・・」
 サンダルフォンの大きな傷に触れることとは思わなかったのだろう。自分が言い出したことを後悔するような表情をした昴に、サンダルフォンは微笑んでみせた。
「いいえ。昴さんのように、元気で強引で、私をどこまでも引きずっていくような女性でしたよ」
「あら・・・!でも、強引だなんて、ちょっとひどくない?」
「褒めたんですよ」
 二人でクスクスと笑い出し、まだ少し肌寒いテラス席で、温かな飲み物を口に運んだ。春とはいえ、朝はまだ冷たい空気が、サンダルフォンのまっすぐな金髪と、昴のふわりとした黒髪を揺らし、豊かなコーヒーの香りを立ち上らせた。
「そうそう、昴さんに聞きたいことがあったんだ」
「なにかしら?」
「以前お伺いした時のチャリティーコンサートで、クロムくんが着ていた法衣は、どなたにお借りしたんです?よく許可が出ましたね」
 素晴らしい歌声を披露したアークビショップの青年が着ていた法衣は、通常の聖職者が持っているはずのない純白だった。そうとう上との繋がりがなければ手に入るはずがなく、まして、あのような小さなイベントで本物にお目にかかれるものではない。それだけでサンダルフォンの警戒を呼ぶに相応しい要素だったが、昴はあっけらかんと白状した。
「ああ、よく似合っていたでしょ。あの法衣なら、コルくんの物よ。コル・・・なんだっけ?コル・・・コルグ・・・」
「まさか、コルグレヴァンス卿のことですか?」
「ああ、そうそう」
 名前長すぎて忘れちゃうのよねー、と昴は舌を出すが、ほぼ想定内とはいえ、かなりの高名に、サンダルフォンは内心で舌打ちをした。コルグレヴァンスは、大貴族の出であり、大聖堂でも重職にある青年だ。貴族も聖職者も嫌いなサンダルフォンにしてみたら、その両方を持っているコルグレヴァンスなど、顔も見たくないし名前も聞きたくない。要は、会う前から大嫌いな人間のリスト上位に名を連ねている人物だ。
 もしかしたら、あのチャリティー会場にも来ていたかもしれず、よく顔を合せなかったものだと、いまさらながらに胸をなでおろす気分だ。できれば、何の準備もなく遭遇したくない人種であり、そもそも関わりたくない相手でもある。
「そのコルくんが、今日私を呼び出して、こうして待ちぼうけさせているの!ほんとに、まだかしら?」
(今から来るのか!?)
 予定外の状況に今すぐ帰りたくなったサンダルフォンをよそに、待たされている事実を思い出して顔をしかめていた昴が、すぐにはっと表情を変えて、テーブルに両手をついて迫ってきた。
「ちょっと、いま『クロムくん』って言ったわね?まさか、知り合い?」
「え、まぁ・・・挨拶する程度かな?素直というか・・・純情そうな、いい子だね」
 挨拶代わりに額にキスをしたら、もともと赤らめていた顔が真っ赤になったクロムを思い出して、サンダルフォンは微笑ましく思ったのだが、昴の両目がキラーンと光ったようだ。
「それだわ!」
「は?」
 ぽかんとしたままのサンダルフォンをよそに、なにやら昴ひとりで盛り上がり始めた。
「あのプライド高いクロムが、上位の同職に素直になるもんですか!サンダルフォンさんは顔もいいし、きっとあの子のお気に入りなはず!!いいえ、絶対にそうよ!間違いないわ!!これはもう一回歌わせるチャンスね!!」
 確かにクロムに慕われているという自覚はサンダルフォンにもあるが、しかしそんなことは昴には関係ない。
「昴さん、ひとつ忠告しておきたいのだが」
「なにかしら?」
「私を客引きのための、さらにその餌にするならば、相応の報酬を頂くことになるが?」
「う・・・ボランティアじゃ、ダメ?」
「ダメ」
 にべもなく突っぱねると、昴はがくーっとうなだれ、実に残念そうに席に座りなおした。
「あーあ、クロムに歌わせると、実入りがいいのになぁ」
「そのハングリー精神と計算高さは尊敬しますが、私とビジネスをするには向いていないようですよ」
 昴はぶーっと頬を膨らませ、行儀悪く頬杖をついた。
「うーん、他に方法を考えなきゃいけないわね。どうやったら儲かるかしら?」
「商人に聞いてください。私を真似すると、守銭奴、ドケチ、悪魔、人でなし、と言われますからね。孤児たちの聖母には、似つかわしくない二つ名でしょう」
「・・・あなたの性格が意外と悪いことは、なんとなく気が付いているわ」
 ぼそりとつぶやいた昴に、サンダルフォンはくすくすと笑った。
「私は阿漕で意地汚い手をよく使うのでね。権力と金銭を持っている人間からは、効率よくたっぷり搾り取るので、非常に敵が多いのです」
「そのあなたに関わったから、あなたからうちへの寄付金額があんなに多かったのね。・・・単なる同情というわけではなく、リスクに対する保険料込み、といったところかしら?」
「ご明察です。いっそ、関わりも寄付金も、ない方が良かったかな?」
「いいえ。貰えるものは貰っておきましょう。私たちに必要なのは、いつかの危険よりも、今日の食事ですもの。いざその危険を回避するのは、私の仕事よ」
 逞しく言い切る昴に、サンダルフォンはうなずいて見せた。
「もし今日会う相手が、私との関係を切れと言ったら、素直に従うといいでしょう。あなたのため・・・そして、孤児たちのために」
 しばし考えるような沈黙の後、昴は指折りながら言葉に出した。
「・・・そうね、あなたからの寄付金の倍を出したら、こちらから連絡を取らない。五倍出せば、あなたからの誘いを断る。そして、二十倍出せば、寄付を含めた一切の関わりを持たない。そう言っておくわ」
「どこまでも逞しい人だ」
「だって、あなたと縁があった方が、お得そうなんですもの。今のコルくんに、圧力をかけてウチを潰そうって考えは、選択外にあると思うわ」
 サンダルフォンは、自分との関わりがコルグレヴァンスにばれると、昴の孤児院が危ういかと思ったのだが、はっきりと否定する昴を見るに、案外上手に転がしているのかもしれない。
「それにわたし、飼われるっていうのは、趣味じゃないの」
 澄ましたしぐさでカップを置き、昴はにっこりと微笑んだ。彼女の容姿は若いが、孤児院の運営経験は、サンダルフォンとは比べ物にならないほど豊富だ。陽気な外見の裏に、清濁併せて使い分ける、しなやかさとしたたかさを隠しているはずだ。
「私も幼いころ、一時期シスターにお世話になったことがあるが、あなたほど気骨のある方ではなかったと思うな。大変立派で、お弟子が多い方だったが」
「あら、大先輩と比べられるなんて恐縮だわ」
 謙遜する昴だが、堂々と胸を張って言っては、あまり意味がない。
 テラスから眺める道を行き交う人が増えはじめ、カップの底も見えてきた。サンダルフォンがそろそろ家に戻らねばと思い始めたとき、ようやく仰々しいペコ車の音が響いてきた。
「ああ、来たみたいだ」
「ほんと!?」
 二羽立てのペコ車には、百合をモチーフにした紋章が描かれており、コルグレヴァンス卿のものであると知れた。
 カフェの前で豪奢なペコ車が止まり、何事かと通行人の視線が集まる中、御者に扉を開けられ、アークビショップの青年が降り立った。サンダルフォンも金髪だが、コルグレヴァンスの長い金髪は、いっそう細くしなやかであるようだ。色白で中性的な顔立ちの中で、長く濃い睫に縁どられた目が、昴を見て、そして同席している男を見つけて強張った。
 しかし、絶句したコルグレヴァンスが動くより先に、昴の半ギレした声が響いた。
「ちょっとコルくん、おそいじゃない!!」
「え・・・いや・・・、昴こそ、なんでこんなところにいるんだ。探したじゃないか。だいたい、一緒にいるのはだ・・・」
「こんなところって、コルくんが指定したんじゃないの!」
「ここではない!招待状は届いているだろう?」
「招待状・・・?」
 サンダルフォンが昴に視線を動かすと、昴は唇を曲げながら、ごそごそと封筒を取り出した。その淡い色調の封筒を受け取って中身を確認すると、確かにサンダルフォンたちのいるカフェの名前が書かれた、装飾カードが入っていた。だが、住所は書いてない。
「あー・・・昴さん。このカードなんだが、この店のものではないよ」
「えぇ!?」
 驚く昴に、サンダルフォンは苦笑いでカードを封筒に戻し、昴に返した。
「ホテル「ディアマンディ」にある高級レストランです」
「・・・どこ、それ?」
「あー・・・」
 サンダルフォンは説明しようと言葉を探したが、どうにもこらえきれずに顔を覆い、忍び笑いを漏らした。昴がむくれる気配がしたが、このどうしようもない勘違いに、笑わずにはいられない。
「なによぉ」
「す、すみません・・・。えぇ、庶民には縁遠い場所です。カードに住所が書かれていなかったので、ご自分で調べられたんですね」
「そうよ」
 昴は同じ名前のこのカフェだと思ったのだろう。実際は、上流階級御用達で年会費を払った会員しか入れないホテルの中にあり、孤児院の一週間分の食費が一日で消えるような生活をしている人間が利用する、超高級レストランだったので・・・だいぶ違ったのだが。
「まぁ、これは仕方がないですね。呼ぶ方と呼ばれる方の、感覚の違いでしょう。とにかく、昴さんは待ち人に会いまみえたわけですし、私はこれで失礼しますよ」
「うん、付きあわせちゃって悪かったわね〜」
 サンダルフォンはボーイに伝票と現金を渡して立ち上がったが、コルグレヴァンスの不審気な視線に、ことさら意地悪く微笑んで見せた。
「ああ、ご挨拶が遅れたようで、申し訳ない。私は昴さんの友人で、サンダルフォンという者です。以後、お見知りおきを、コルグレヴァンス卿」
「サンダルフォン・・・?白い法衣の悪魔などと揶揄されている、あのサンダルフォンか?」
「私自身で、そんな大層な名を名乗った覚えはないのですがね」
「ふむ・・・本当に、ただの友人までなのだろうな」
「は?」
「ちょっとコルくん、失礼よ」
「昴!こうして探し回っていたのに、見知らぬ男と一緒にいられては、私とて動揺のひとつもする!せっかく、今日は昴に会えると思って・・・」
 なにやらサンダルフォンが予想していたような反応を、この青年貴族はしておらず、全身から力が抜けると同時に、また笑いの発作に襲われて、顔を覆って肩を震わせる羽目になった。
「くっくっく・・・意外と、面白い方だったようだ」
「どういう意味だ!?」
 カッと頬を染めるコルグレヴァンスに、サンダルフォンは慇懃に一礼すると、「ごちそうさま〜!」と手を振る昴に、愛想のよい笑顔で手を振り返し、カフェを後にした。
 思いのほか時間をとられたが、なかなか面白い情報を得ることができて、サンダルフォンは満足していた。コルグレヴァンスが予想に反してサンダルフォンを毛嫌いしていなかったどころか、からかいがいのある好青年だったので、大嫌いな人間リストからは外すことにした。
 サンダルフォンは歩きながら、次にコルグレヴァンスに会ったら、どうやってからかってやろうかと意地悪く微笑を浮かべ、そしてせつなく笑いをおさめた。
(・・・ああ。また、辛気臭いツラを見せるなと言われたんだなぁ)
 亡き人の怒った顔を思い出し、サンダルフォンは風になぶられた髪を手で押さえた。
 墓参りをすれば、泣き言を言いに来たのかと言いかねない人だ。生きている人間との忙しない攻防に目を向けていた方が笑っていられると、彼女が差し向けた偶然なのかもしれない。
『おーい、どこ歩いてんの〜?』
『もうプロに戻っている。すぐにつく』
 やや気の抜けた『あいぉ〜』という家政夫の返事に、サンダルフォンは少し胸が温かくなった。朝食を作って待っている彼を心配させるわけにはいかない。
「速度増加!」
 石畳を駆け出すと、早まる鼓動が血液を体に熱く行きわたらせ、自分はまだ生きているのだと感じさせた。
(まだ、生きている・・・)
 それがメグの望みならば・・・悲しみのまま憎悪の深淵に囚われることなく、明るい場所を歩いていくことが、彼女の望みならば。自分はあの日誓ったように、命尽き果てるまで戦い抜いていけるだろう。
『ジョッシュ、ミルクセーキが飲みたい』
『ほわぁっ!?いきなり言うんじゃねーですよ!!はいはい、作っておきますよ』
『バナナ味がいいな。よろしくー』
 たとえば、一緒に戦ったり、そばで支えてくれたりする人も、できるかもしれない。サンダルフォンが、笑っていられるように。