メグ


 プロンテラ郊外。
 人気のない森の中、わずかな空き地に、光輪と盾を組み合わせたエンブレムが彫られた小さな石が、野の花に隠れるように埋められている。
 エンブレムの意匠自体はシンプルで、どこにでもありそうなものだ。
 その前に跪いて、一人の男が祈りを捧げている。
 白を基調とした法衣は、ヴァルキリーに祝福された聖職者の証。しかし、その身にまとう極めし者のオーラすら、彼には虚しいものだった。
「メグ・・・」
 それは、墓だった。
 教会の墓地に葬られることを許されず、密かに葬ったことが露見しないよう、名すら刻まれなかった・・・。
 ガラガラとカートを牽く音に、立ち上がって振り向く。
 手入れ不足のぼさぼさな緑髪の下から、相変わらず不機嫌そうな半眼がこちらを見ていた。
「サカキ」
「マルコから、ここだって聞いてな」
 手に持った花束を小さな墓石に捧げ、サカキは黙祷した。
「・・・」
「何かあったか?」
「いや。あんたに頼まれていた薬が、一応出来た。その話だけだ」
 その依頼内容を思い出し、サンダルフォンは思わず微笑んだ。
「さすが、早いな。試してみたか?」
「・・・。あんたは相変わらず、何を考えているんだか・・・」
 苦虫を噛み潰したようなサカキの様子から察し、サンダルフォンの笑みはさらに深くなる。
 二人の付き合いは転生前にまで遡るほど長かったが、サカキですら、この墓に眠っている人と、生前に言葉を交わしたことはない。ただ、事件の顛末と、絶望に打ちひしがれたサンダルフォンの姿は、サカキも知っていた。
 そして、「彼女」の死が、それまでギルドマスターとして多くのメンバーを引き連れていたサンダルフォンを、一介の情報屋にしたきっかけであるとも。
「リュンと流貴は、上手くやっているかな」
「ああ。・・・あんたの情報で助かったやつらだ。メグさんも守ってくれるだろう」
「・・・そうだな」
 かつて、退魔聖堂騎士として、剛勇の名をほしいままにしていた女騎士がいた。ただ、性格に若干難があり、相方のサンダルフォンでさえ、苦笑いを浮かべることがしばしばあった。
 だが、メグ=チェスターは、弱きを嘲笑し強きを殲滅する人間ではあったが、決して不正を働くような人間ではなかった。
 多くの無実を訴える声を背に、彼女は不名誉な処刑台へと消えた。
 当時のサンダルフォンには、彼女の冤罪を晴らすことが出来なかった。そして、今も。
 メグが謀殺されたのはわかっていた。しかし、その証拠がなく、事件のすぐ後、首謀者と思われる人間が、サンダルフォンの目の前でモンスターに食い殺された。
 立ち尽くすサンダルフォンの襟首をつかんで、引きずるようにダンジョンを脱出させたのが、ほかならぬサカキだった。
 すべてが闇に葬られ、己の無力さを痛感したサンダルフォンは、名すら刻まれることのない墓石に誓った。もう二度と、メグの悲劇を誰にも繰り返させないと・・・。
「メグ・・・」
 その呟きに応えるように、草むらが揺れた。
 このあたりのモンスターは比較的大人しい。そうでなくても、サンダルフォンとサカキならば、大概の敵は撃退できる。
 問題は、人間がこの場所をかぎつけた場合だが・・・。
「あれは・・・」
「ホムンクルスじゃないか?」
 サンダルフォンの視線に、サカキも頷く。
 透ける様に薄いワンピースを身にまとった素足の女性は、長い髪をなびかせながら、ふわふわと漂うように二人の元にやってくる。
 人間そっくりだが、真っ白な肌に葉脈が見える。アルケミストたちの間で「リーフ」と呼ばれている系統だ。
「なんでこんなところに」
 夢見るような大きな目が、サンダルフォンを見上げ、そしてサカキを見つめ、にっこりと微笑む。まるで知っている人間に会ったかのようだ。
「サカキのホムって、たしかお腐れ様だよな?」
「ああ。リーフを生んで逃がした覚えはない」
 お腐れ様というのは、「バニルミルト」という系統の亜種の別名なのだが・・・姿がそのあだ名にふさわしく、初めて見る人を驚かしかねない。サカキがクリエイターであるにもかかわらず、人の多い街中でホムンクルスを連れ歩かないのはそのせいだ。
「近くに飼い主がいるだろう。ここから離れた方がいい」
 飼い主がどんな人間にせよ、秘密の墓地を知られるのは避けたい。サカキの言うとおり、サンダルフォンはかつての相方が眠る場所を後にした。

「メグー!メグー!!」
 森の中の小道に出ると、必死に叫んでいる女の声が聞こえた。
 サンダルフォンとサカキは顔を見合わせ、ふわふわとついてくるリーフに視線を移した。
「まさか、メグという名前か?」
「・・・そうらしいな」
 声のする方へ歩いていくと、カートを牽いた後ろ姿が見えた。すぐに、リーフが飛んでいく。
「ああ、メグ!いたー!もぉ、どこ行っちゃったかと・・・」
 赤い髪のアルケミストの周りをくるくると回ると、リーフは再び男達のところに飛んでくる。
「きゃー!どこ行くのーっ!?」
 わたわたと追いかけるアルケミストは、サカキの顔を見て驚いたように微笑んだ。
「サカキさん!」
「え・・・?」
 どこかで会っただろうか、それとも客の一人だったかと、サカキが思い出そうとしている間に、女アルケミストは自分で正体を明かした。
「お久しぶりです、エリゼンタです。この子・・・メグは、サカキさんのエンブリオから生まれた子です」
「・・・ああ!あの時の・・・それ売り物かって聞いてきた、新米ケミか」
「はい!」
 にっこり笑ったエリゼンタは、すでに新米とはいえない、立派なアルケミストだ。
 彼女に売ったのはだいぶ前になるが、サカキが手がけた数少ないエンブリオのひとつが、ここに実を結んでいた。
「製作者が同じでも、こうも違うホムンクルスが生まれるものだな。あれか、卵を孵す人間の性質のちがいか」
「何が言いたい、この生臭聖職者」
 ぎろりとサカキが睨んだ先で、サンダルフォンはニヤニヤと笑っている。
「リーフって、植物系なんだろう?アレを使えるんじゃないか?」
「ばっ・・・!何考えてやがる!アレはバイオプラント用だぞ。いくらなんでも、ホムンクルスに使えるわけないだろう!」
「人間が飲んでも無害なものだろう?」
「それは・・・多分、一気にバケツ十杯分ぐらい飲まなければ大丈夫だと思うが。俺はそっちの専門家じゃないんだぞ。どんな副作用が出るか・・・」
「では、臨床試験といこうじゃないか。上手くいけば、ホムンクルスの新たな進化を見られるかもしれないぞ?」
「いや、あれをどうすれば進化とかそういう方向に持っていけるんだ?あんたの頭の中は、やっぱりどうかしているぞ、サンダルフォン!」
 ぷちキレかけているサカキをよそに、サンダルフォンはきょとんとしているエリゼンタに話を持ちかけた。
「はじめまして、私はサカキの古い友人でサンダルフォンという者です。実は、サカキが一種の栄養剤を作ってくれまして。バイオプラントではすばらしい成果を上げたそうです。そこで、エリゼンタさんのリーフにも、協力をお願いしたい」
「はあ・・・」
 握った手をぶんぶん振られて、目を白黒させているエリゼンタに、サンダルフォンは力強く宣言した。
「これはホムンクルスの将来を左右するかもしれない、重要なものでもあるのです」
「あんたは情報屋じゃなくて、詐欺師とか扇動者とか、そういうものか」
 ぼそりと呟いたサカキだが、たしかに作った薬には、生物に対して特に有毒なものは使っておらず、たとえホムンクルスが飲んだとて、悪影響があるとしても腹を壊すぐらいだろうか。
「はあ・・・。しかしなぁ・・・」
 薬を飲んで、もしも大成功してしまった場合の方が、サカキとしては心配だった。
 憂いた表情を見せるサカキが、よほど試験対象に困っていると見えたのか、エリゼンタは決意に満ちた目で頷いていた。
「わかりました。やってみます」
「ちょっ、まっ・・・」
「ああ、さすがは探究心溢れるアルケミストだ。なに、もしもホムの具合が悪くなってしまったら、すぐにサカキが対処してくれるし、万が一エリゼンタさんが怪我をするようなことがあれば、私が治療して差し上げますので」
「サンダ・・・」
「ほら、サカキもお礼を言わないと」
 満面の笑みでそのシタゴコロを隠したサンダルフォンを、サカキが止められるかといえば、今までに止められたことはない。
「・・・たしかに、害はないと思うが、拒絶反応らしきものが出たら、すぐに連絡しろ」
 淡い赤い色をした液体が入った試験管を、サカキはしぶしぶエリゼンタに手渡した。
「それと、それを作れと言ったのはサンダルフォンで、俺が作ろうと思って作ったわけじゃないからな」
 釘を挿すことも忘れない。
「後で、どんな反応になったか報告してくれる?私の家は・・・ここだから」
「はい、わかりました。・・・えと、栄養剤ってことは、いつもより元気そうに見えれば成功ってことですよね」
「そうそう」
 軽薄に頷くサンダルフォンに呆れながらも、サカキは自分の製薬に自信がある。エリゼンタがなんと報告しようか悩む姿が、容易に想像できた。
「どんな結果になっても、俺の予想から出ることはないだろう。まぁ・・・このリーフが、俺達のところに迷い込んだのが災難だと思ってくれ」
 ホムンクルスのメグは、エリゼンタの周りを舞うように飛んでいる。実に、機嫌がよさそうだ。
「では、また後日ご連絡します。失礼します」
 ぺこりと頭を下げて、エリゼンタが去っていく。もちろん、ホムンクルスのメグも一緒だ。
 その背に手を振るサンダルフォンに、サカキは複雑な視線を向けざるをえない。
「同じメグでも、ずいぶん違うな。付き合う人間の性質のせいか」
「あー、私の台詞ぱくったなー。使用料取るぞー」
「その前に、薬代払え」
「了解了解。うちで効果のほども、じっくり見させてもらいましょう」
「・・・変態め」
「人のこと言えるかよ」
「一緒にするな」
 くすくすと笑うハイプリーストと、その友人であるクリエイターは、夏の強い日差しをさえぎる木々の下を、ゆっくりと歩き出した。
 二人にメグとエリゼンタを引き合わせた、メグの眠る森を。