恋のスパイス
コラーゼは寝起きの頭に響く高い声に、ベッドの中でうんざりと髪をかき回した。
『いま何時だと思ってるんだ・・・』 『え・・・?七時半じゃない。まだ寝てたの!?日曜日なのに寝坊するなんて・・・もったいわよ、お兄ちゃん』 wisの相手は、コラーゼの妹のロゼだ。朝っぱらから元気なことだと、ため息が出る。 『で、何の用?』 『今年のバレンタインも、ちゃんと時間空けといてよねって話』 「あー・・・」 思わず素で声が漏れた。いまのところ予定は入っていないが、十中八九埋まるだろうことが、元気なスナイパーの笑顔と共にコラーゼの脳内カレンダーに光っている。 『いや、今年は・・・』 『なによ、彼女なんていないでしょ?』 まったくその通りなので反論のしようもない。 『失礼な・・・』 『とにかく、もうチョコ予約したんだから、ちゃんと受け取ってよね!』 『おま・・・またチョコレートケーキをホールで五個とか持ってくるんじゃないだろうな!?』 「ホワイトデーは三倍返し」として、毎度ブランド品をねだるロゼは、律儀にもチョコレートを三分の一の値段に調整してくる。食べきれない分はギルドの寂しい男供に食べさせているのだが、それにしても多い。 『大丈夫よ。今年はシャルル=オルレアンの新作チョコレートだから』 『・・・・・・』 王城ご用達のそれが、いったいいくらで、三倍にするといくらになるのか、コラーゼは非常に気になる。 『はぁ・・・受け取るだけだぞ。その日は用事が入るかもしれないんだ』 『久しぶりに会う妹より大事な用事って何よ!?』 『ブランド品ねだられるよりは建設的なはずだな』 『なによーっ!お兄ちゃんのばかー!!』 キャンキャンとうるさいロゼの声を適当にあしらい、コラーゼはwisを切った。 「・・・・・・」 もうちょっと寝ていたかったのだが、すっかり目が覚めてしまった。 「バレンタインか・・・」 男が男にチョコレートあげるのもなぁと思うが、クリスマスにプレゼントボックスをもらっただけで、嬉しそうに照れていたレヴィーを思い出し、コラーゼは早速、レヴィーはチョコレート嫌いじゃないかななどと思いをめぐらし始めていた。 「で、勢いで来たものの・・・」 コラーゼの足元には、サルやタヌキがうろうろしている。ここは聖カピトーリナ修道院前の森の中だ。 チョコレートの材料であるカカオを、ヨーヨーから取りに来たのだが、それ以前に自分が食べられるチョコレートを作れるかが、最大の疑問だと気がついたところだ。 (作ったのが不味かったら困るしなぁ・・・) 以前レヴィーに料理を酷評され、それからはすっかりレヴィーの料理に舌が慣れてしまった。いまさら自分で「美味い物」を作れる自信はない。 (買った方がいいな) ついでに、ロゼが言っていたオルレアンの新作チョコレートの値段も見てこようと、コラーゼは蝶の羽を取り出した。 「あ、コラーゼさん!」 突然かけられた明るい声にびっくりして振り向けば、カートを牽いたWSが、ファイヤーソードメイスを片手に、にこにこと微笑んでいる。 「ハロさん・・・」 「こんにちは。コラーゼさんもカカオ集めですか?」 「こんにちは・・・え・・・っと、うん、そうなんだけど・・・」 歯切れの悪いコラーゼに、まだ転生前の年齢に追いついていない青年が、可愛らしく首をかしげる。 まったく、こんなに癒される青年を独占しているサカキを、コラーゼは非常にうらやましく思う。ハロルドがカカオを取りにきたということは、そのチョコレートは間違いなくサカキにあげる物だ。実にうらやましい。 それでも友人として笑顔を向けてくれるハロルドとの関係を壊したくないと思う。コラーゼは苦笑いを浮かべて、正直に話した。 「カカオがあっても、上手くチョコレートを作れないから、やっぱり買いにいこうと思っていたんだ」 「そうだったんですか・・・」 「ハロさんは、自分でチョコレートを作るんでしょ?」 「はい。・・・でも、これはサカキさんが売るチョコレートの材料ですよ」 「え?」 ハロルドが示したカートの中には、すでにどっさりとカカオが積まれている。 「サカキさんが、売る?」 「はい。毎年常連さんの予約限定で、サカキさん印のチョコレートが売られているんです。その・・・大人のお菓子というか」 「大人の・・・ええっ!?」 後半はここだけの話と口元に手を立てたハロルドは、驚くコラーゼを見てくすくすと笑っている。たしかに、サカキがそういう物をこっそり売っていても不思議ではないが、それを屈託なく話すハロルドも了承済みということだ。純粋なイメージだったが、意外とアンダーグラウンドな物にも、おおらかだったらしい。 「そんなの売って大丈夫なの?」 「だから、サカキさんはお客さんを厳密に選んで、全員分記録しているんですよ。それに、万が一関係ない人が食べてしまっても大丈夫なように、効果も薬そのものより穏やかなんです」 けっして悪用されないように、恋人同士や理解ある相手と楽しめるシャレのお菓子として、サカキは徹底した顧客管理の下で売っているそうだ。 「それ・・・俺でも買えるかな?」 「え・・・?」 ハロルドはコラーゼが自分に実らぬ恋をしていたことを知っているが、いまは髪色を揃えるほどの仲のスナイパーがいることも知っている。 「うーん、サカキさんに相談してみてください。俺からはなんとも・・・」 「そうか・・・。無理なこと聞いてごめんね」 「いいえ。サカキさんが売ってくれるといいですね」 売る物の正体に比べて、ハロルドの笑顔は清清しいまでに無垢だ。 コラーゼはハロルドに癒されるのを感じるが、それは誰に対しても向けられる優しさや明るさで、ハロルドの恋人に対するものとは明らかに違う量産品だ。それが理解できるし、一時は悔しいとも思っていたが、今は素直にその恩恵を享受しようと心を入れ替えた。 「ありがとう。がんばるよ」 「はい!がんばってください!」 ハロルドは鈍器を持った片手をぐっと握り、笑顔でぶんぶんと手を振ってくれる。コラーゼは手を振り返し、蝶の羽を握りつぶした。 いまはただ、子供っぽく口の悪い、青い髪を束ねたスナイパーの笑顔が見たいと、コラーゼは胸を弾ませていた。ついでにレヴィーが火照った体をもてあまして甘えてくれないかなと、下心がむくむくと湧き上がってくる。 そのためならば、おっかない薬屋に頭を下げるぐらい、なんでもないだろう。コラーゼは手土産にチョコレート以外の菓子を探しながら、首都の石畳を歩きだした。 バッグやアクセサリーの並んだブランド店の前を通りかかって、オルレアンのチョコレートとロゼのおねだりが頭の隅をかすめたが、いまのコラーゼには重要ではなかった。 イチゴのショートケーキかオレンジのパウンドケーキか、それともリンゴのタルトか・・・。その選択がレヴィーとの今後の関係を左右するかと思えば、コラーゼはショーケースの前でケーキ屋の店員に心配されるほど真剣にならざるを得なかった。 |