気持ち召しませ


 雪に閉ざされ、春まだ遠い二月。
 皇帝の侍従長から依頼され、宮廷料理長のバイルシュタインと菓子職人のリヴォフは顔を見合わせた。
「そいつは構いませんが・・・・・・」
「どういうものをご所望で?」
「まずは貴方たちの了解を得たいということです。構わないということであれば、相談の時間を作ってもらえるでしょうか」
 まだ何も決まっていないが、場所と実働するスタッフに伺いを立ててから、という遠慮に、二人は再び顔を見合わせ、二つ返事でうなずいた。
 実際、「こういうのが欲しい」と命令すれば事足りるのだ。それをしないというところが、依頼人の立場ともいえるし、気遣いともいえる。
「あ、それと。今回のことは、陛下には内緒にしてほしいそうです」
「はあ・・・・・・」
 気の抜けたような了解の意が、厳つい男たちから異口同音に漏れ出てきた。

 メイドを伴って現れた細身の青年は、バイルシュタインとリヴォフに何度も頭を下げながら、恥ずかしそうに「バレンタインのお菓子を作りたい」と言ってきた。
「でも、俺、お菓子とか作ったことないし、専門家が作った方が美味しいに決まってるし・・・・・・」
「それは・・・・・・陛下に差し上げる物、ということでよろしいのですよね?」
「うん。もちろん・・・・・・」
 そこで、青年はさらにうなだれる。皇帝の口に合うようなものを、自分が作れるとは思っていない。だが、自由に宮殿の外に出られるわけでもないし、御用達店を呼びつければ皇帝にばれる。そこで、こっそり宮廷料理人たちに頼みに来たのだ。
「俺でも作れるようなチョコレート菓子があれば、教えてほしいし・・・・・・できれば、失敗しないように一緒につくってほしいんだけど」
 正直、素人を調理場に入れたくないし、自分たち料理人が作った方が、美味しく綺麗な物ができるだろう。だが、頼みに来たのが、皇帝の寵愛を一身に受ける青年であり、彼のおかげで生命をすり減らしながら仕える絶対恐怖の対象であった皇帝が、畏怖と忠誠の対象にまで緩和されたのだから、何をおいても便宜を図ってやらねばならないだろう。
「わかりました。お力添えさせていただきます」
「チョコレートそのままの形成は難しいので、焼き菓子ならいかがでしょう?」
「そうだな。作業工程が少なくて失敗しにくい物はなんだ?」
 バイルシュタインに問われ、リヴォフは素早く脳内のレシピ帳をめくった。
「シンプルかつ格式を損なわないクラシックショコラ。食感を求めるのなら、クルミ入りのブラウニーなどいかがでしょう?あんずジャムを使ったザッハトルテなら、見た目も味もお洒落で高級感があっていいですね。チョコレートタルトやフォンダンショコラは、ちょっと難しいと思います」
 どれも美味しそうだな、などと低い呟きが青年から漏れ、しばらく逡巡したのち、クラシックショコラに決めたようだ。
「承りました。では、こちらで材料等の準備をしておきます」
「リヴォフはこの国一番のパティシエですので、きっと美味しいお菓子が焼けますよ。大船に乗った気持でいてください」
「料理長、褒めてもらえるのは光栄ですが、プレッシャーかけないでください」
 和やかな笑いのさざ波がおさまると、あらためて、青年は深々と頭を下げた。
「ご迷惑をかけますが、頑張りますので、よろしくお願いします」
 その腰の低さは、大貴族出身の姫君にはありえない。元は他国の王子に仕えていたという、同じ労働階級の人間に対し、バイルシュタインとリヴォフは、良い印象をもって請け負ったのだった。


 二月十四日は、特に娘を持つ貴族たちからの謁見申し込みが多く、その意図もわかっているために、イーヴァルはあえてパーティーを催して、面倒ごとを一挙に解決していた。
「懲りぬ奴らよな」
 女性たちの顔見せ攻勢が途切れた隙に、イーヴァルはそばにいたフォマー内務局長に思わずこぼした。
「なかなか諦めないものですなぁ・・・・・・」
 フォマーにも年頃の娘がいたが、誠実そうな軍人の青年と順調に恋愛をしているらしく、必要以上に宮廷に出入りさせてはいない。
 イーヴァルにはイグナーツという決まった伴侶がいるのだが、それが男なせいで后妃として立てられず、こうして一縷の望みをかけた貴族の娘たちからの求愛が引きも切らないというわけだ。もちろん、イーヴァルの心が動くはずがないとわかっている官僚や貴族もいるわけで、無駄なことをして皇帝の機嫌を損ねはしないかと、こういうイベントのたびに胃を痛めているらしい。
「陛下は、お戻りにならなくてよろしいのですか?」
「あれには・・・・・・昼に花を届けさせたが」
 珍しく皇帝の視線が泳いだので、自分の行動に自信がないのかもしれない。それか、ただ照れただけなのか。
 その辺の見極めはフォマーにはできなかったので、侍従長ローベルトから耳打ちされていたことを、遠回しにイーヴァルに告げた。
「臣が見たところ、陛下は彼女らに義理を果たされたと思います。連日のご公務で、お疲れでもありましょう」
「そうか。世話をかけるな」
「もったいないお言葉でございます」
 やはり、どこかほっとした様子で、イーヴァルは宮内局長の元へ足を向け、二、三言葉を交わしたとみるや、ごく自然に華やかなパーティー会場から姿を消した。それは、フォマーの瞬きする時間よりも短い、ほんの一瞬のことだった。
「・・・・・・意外とお上手なのですな」
 即位後のイーヴァルは、面倒くさいパーティーは姉に任せきりで逃げ回っていたという噂を思いだし、フォマーは苦笑いを浮かべた。今夜は幾度となく、逃げ出した皇帝を探す姫君たちをなだめなければならないだろう。

 真冬にもかかわらず、華やかに咲いた花々からは、いい香りが漂ってくる。ロサ・ルイーナが丁寧に花瓶に生けてくれたそれらが、イグナーツには蘭の一種だろうとしかわからないが、イーヴァルからのプレゼントなので、なるべく長持ちさせたいと思っている。
 今夜はパーティーがあるので遅くなる、とイーヴァルから言われて少々凹んだが、昼に届けられた一抱えもある花束に、イグナーツの頬は緩みっぱなしだ。
 リヴォフに手伝ってもらいながら作ったクラシックショコラは、ちゃんと焼きあがって、これもまたいい香りがしている。はやくイーヴァルに渡したいが、親戚や貴族の姫君たちの相手も、皇帝の仕事のひとつだと諦めていたから、イーヴァルが予想よりも早く戻ってきたのには驚いたし、嬉しかった。
「おかえり!」
 人前に出るために着飾っていた上着を脱いで侍従長に渡しながら、イーヴァルは少し目を見張った。
「いまもどった。・・・・・・ベッドに入っていなくていいのか?寒いぞ」
「寒いから暖炉の前に行こうぜ」
 分厚いガウンのせいでよたよた歩くアヒルの雛のように見えるイグナーツに手を引かれ、イーヴァルは素直についてきた。
「イーヴァ、花束ありがとう。これ・・・・・・俺からイーヴァに。料理長やリヴォフさんに手伝ってもらって作ったんだ」
 温められた談話室のテーブルに、粉砂糖をかけたこげ茶色の物体が鎮座しており、イーヴァルはしばし言葉が出ないようだった。
「お前が、作ったのか」
「う・・・・・・て、手伝ってもらいながらだけど。あ、あのなっ、確かに俺が作ったけど、リヴォフさんがちゃんと見ててくれたから、不味くは・・・・・・ないと、思うんだけど」
 尻すぼみになってしまったのは、慣れない菓子作りだったからだ。作るのは楽しかったし、手本としてリヴォフが作っていたものを試食させてもらって、とても美味しかった。だからといって、イグナーツが作ったものが、まったく同じ味と食感になっているかというと、自信がない。
「ローベルト、コーヒーを」
「はっ」
 イーヴァルに促されてイグナーツもソファに座り、甘い香りのするケーキを見つめた。実際にケーキを切り分けてみないと、粉が塊になっていたり、空気穴が開いていたりしてもわからない。生焼けはないと思うが・・・・・・安心はできない。
「早く戻ってきてよかった」
「そ、そうか」
 なんだか緊張してきたイグナーツの前で、ローベルトが二人分のコーヒーを給仕し、イーヴァルの指示でケーキにナイフを入れて皿に取り分け、ホイップされた生クリームを添えた。
「美味そうだ」
 銀のフォークがこげ茶色の塊に差し込まれ、切り崩されたものがイーヴァルの口に入っていく様を、イグナーツはじっと見つめていた。不味いと吐き出されないか心配だったが、ケーキは咀嚼され、無事に嚥下されていった。
「・・・・・・・・・・・・」
「ど、どう・・・・・・?」
 恐る恐る見上げるイグナーツに、イーヴァルはわざとらしく無表情に、フォークを操って甘い香りの塊を、イグナーツの鼻先に突き出した。
「自分で確かめてみろ」
「う・・・・・・」
 おっかなびっくりケーキの欠片を口に含んで、イグナーツはほっと胸をなでおろした。しっとりとした甘い生地に、芳醇なカカオの香りと、わずかな酒のアクセント。普通に美味しい。・・・・・・若干、リヴォフが作ったものより、舌触りが荒いようだが。
「ああ、よかった」
「イグナーツに食べられる物を作らせられた料理長たちに、褒美をとらせるとしよう」
「うん。そうしてあげて」
 イグナーツは心から同意を示してうなずくと、自分の前に取り分けられたケーキに視線を落とした。これは、一緒に食べろと言うことなのだろうか。しかし、ケーキはイーヴァルにあげたものだ。
 しばし首を傾げたのち、イグナーツもフォークを手に取り、粉砂糖とホイップクリームがかかったクラシックショコラを切り崩して、一欠片を突き刺した。
「はい。イーヴァもあーん」
「・・・・・・・・・・・・」
「おい、クリームが落ちる。早く」
 赤い唇が、ぱくっとイグナーツのフォークに喰いついたのは、一瞬のことだった。次の瞬間には、イーヴァルは何事もなかったかのように、コーヒーに手を伸ばしている。
「・・・・・・なんだ、その顔は」
「え?えへ、えへへへへっ」
 自分がだらしない笑顔をしているとわかったが、イグナーツにはその笑いを止められなかった。
「なーなー、もう一回!もう一回、あーん!」
「うるさい、大人しく食べろ!」
 騒がしくケーキを食べながら、イグナーツはしみじみと幸せもかみしめた。愛しているということを伝え合うのは、とても大事なことだと感じながら。