返らない日々 −4−


 リュンは錐を取り出し、流貴をこの世に繋ぎとめている機械に、狙いを定めた。
「おやすみ、流貴」
―ありがとう、リュン。・・・ごめんね―
 泣き出しそうな微笑を直視できず、リュンは思い切って錐をつき立てた。
 バキンッ・・・!!
 金具が弾け飛び、強化ガラスのカプセルが砕け散る。脈打つ光は、弱々しく、すぐに消えた。
「流貴・・・」
 顔を上げると、そこにはもう、誰もいなかった。
「・・・・・・」
 リュンは砕けたカプセルの中に手を突っ込み、流貴の結晶を指先に感じた。硬そうだと思っていたのに、意外と柔らかく、弾力があった。ガラスの破片で傷つけないように、そっと取り出して、カプセルの中に満たされていた溶液を拭う。
「ごめん、流貴。もう、離れたくないんだ。・・・流貴がいないのに・・・こんなところ・・・」
 リュンは錐の代わりに、今度はグラディウスの鞘を払った。
「すぐに、追いつくから」
 自分で助けた流貴を自分の手で滅ぼし、流貴に助けられた命だけれど、もう意味が無い。
 リュンは、自分の胸にグラディウスを深々と突きたて、さらに思い切り引き裂いた。短剣を地面に投げ出し、迸る血潮にはまるで無頓着に、傷口に指を入れて無理やり開く。その隙間に、流貴だった柔らかな塊をねじ込んだ。
「がはっ・・・は・・・・・・流貴・・・・・・る・・・き・・・」
 異物を埋め込んだ苦しい胸をぎゅっと抱え、リュンは両膝をついた。ひどい出血に、あっという間に視界が暗転する。血を吐き出したせいで、口の中が鉄臭い。息ができない。姿勢を保てずに、地面に転がった感覚があった。
 馬鹿なことをしていると思う。だけど、最後ぐらい、馬鹿なことをしてでも、この理不尽の先に安らぎが欲しかった。
(愛している・・・)
 言葉にならなかった吐息が、満足げな微笑から漏れ、二度目は無かった。


『・・・ゅん・・・・・・リュン・・・!』
 頭の中に直接響いてくるような声に、リュンは冷静にwisだなと思った。冒険者をしていた時には、慣れた通信手段だった。
(だれ・・・?)
『リュンっ!目を開けてくれ!!』
 耳元で怒鳴られているような衝撃に、びっくりして目を開ける。
「ぁ・・・?」
 ぼんやりと靄がかかったような視界に、見覚えのある、染めた紅色が見えた。長い前髪が顔を半分隠すように揺れている。女性にもてそうな、優しげな風貌に、細い銀のフレームの、眼鏡・・・。その人が、青ざめた必死の面持ちで、リュンを覗き込んでいる。
『リュンっ!!』
 そこにいたのは、恋人であり、コンビを組んで冒険していた吟遊詩人だった。
「・・・るき?」
 いい気持ちで寝ていたのに、無理やり叩き起こされたかのような感じだ。頭の中が重くぼんやりして、上手く働かない。
「な、んで・・・」
『それはこっちの台詞!なんで、こんなこと・・・!!』
(こんなこと?)
 なにをしたっけ?と、リュンは思い出そうとするが、まだ意識が白っぽく、思考がまとまらない。
「流貴・・・そこ、に・・・いる・・・?」
 喉が渇いてひりつき、上手く舌が動かない。胸が焼けるように痛み、肺から送り出される呼気は、まるで熱風だと感じる。
『っ・・・ここ、に・・・いる』
 自分の力が入っていない手は、感覚も鈍くて冷たかったが、握ってくれた手は、とても熱かった。
「生き、てる・・・」
『死んじゃうところだったんだからな!』
「・・・死、のう・・・と、おもった・・・。流貴が・・・・・・」
 しゃべるのも億劫で、リュンは再び瞼を閉じた。全身がだるくて、動けそうも無い。
『リュン!・・・ポーション、飲める?』
 かろうじて頷くと、唇にやわらかな感触が当たり、少しずつ、液体が口の中に入ってきた。飲み込むのは大変だった。呼吸と嚥下と、どちらを優先させるべきか、体が上手く判断してくれない。
「んっ・・・は、ぁ・・・」
 やっとのことで、ポーションを一口だけ飲み込み、リュンは温かなものに包まれている感覚に、力を抜いて眠った。

 次にリュンが目覚めたとき、そこは古ぼけた埃っぽい寝室だったが、シーツだけは下ろしたてのようにきれいだった。内装の豪華さからみて、もしかしたら、ホテルロイヤルドラゴンかもしれない。
『リュン?』
 傍らに、心配そうにリュンを見つめる流貴がいた。その姿は生体Dにいたものではなく、かつて共に旅したままだが、やはり半透明だ。
「流貴・・・消えた、はずじゃ・・・?」
 流貴はリュンの額にかかった前髪を丁寧に梳き上げ、額や首筋に発熱の兆候が無いか手を当てている。
『俺も生きていた頃、無茶なことはよくやったと思うけどね、リュンのこれほどじゃなかったと思うんだ』
 流貴が指し示したのは、リュンの胸。そこには、何かが埋まっているかのように、不自然に盛り上った傷跡があった。傷はすでにふさがって、そのあたりの皮膚はひきつったようにピンク色をしている。
「なんで・・・生きているんだ?」
『こっちが聞きたいくらいなんだけど・・・』
 はぁと、呆れたようにため息をついて、流貴は苦笑いを浮かべている。
『たぶん、ユミルの心臓の影響じゃないかな。俺の結晶に、そういうものがこびりついていて、俺を再生するためにリュンを生き返らせたと』
 よくわかんないけどね、と断って、流貴はリュンの手を取って頬擦りした。
『リュンはちゃんと人間として生きているよ。心臓動いているし。リュンが死ぬまで・・・、えーと、死んでもかな?俺たち、ずっと一緒だよ』
 きゅーっとリュンに抱きつく流貴が、ほっとしたような、涙ぐんだ声を出した。
『よかった・・・リュンまで・・・もうだめかと思った』
「離れるなって言ってるだろう。約束は・・・守れ、馬鹿」
『うん、ごめん。・・・ありがと、リュン』
 二人とも死にたくなったら、トール火山の火口にでも飛び込めばいい。リュンは、不思議と温もりを取り戻した流貴を抱きしめた。
「やっと・・・取り戻せた」
 何も無くなった世界でも、他でも無いただ一人さえ、そばにいてくれるのならば。それがどんな形でも、リュンには十分だった。
「愛している・・・」
『愛している』
 魂さえ縛る、強欲な鎖だとしても。