宝物 -ほうもつ-


 ベリョーザ皇帝イーヴァルに飼われているイグナーツは、豪奢なラズーリト宮殿で日々を平和に過ごしていた。といっても、イグナーツは着飾って舞踏会に出るなどということはしないので、本を読んだり宮殿内を散策したりと、子供か年寄りかのようなことしかしていない。
 そんなある日、広い宮殿内の皇帝の私室からほど近い、いまは使われていないエリアを探検中に、イグナーツは一方の壁一面をカーテンが覆っている部屋に出くわした。
「うぅん?」
 扉をくぐり抜けてぐるりと見回してみると、他の部屋に見劣りしない、立派な内装だと確認できる。木目の壁は艶やかだが、調度品の類はほとんど置かれていなく、殺風景な雰囲気だ。
 その中で、緞帳のような厚いカーテンが引かれた壁の前に、これまた布で覆われた大きなものが置いてある。イグナーツが近づいて、その布覆いをめくってみると、年代物のソファだった。
(ずいぶんでっかいなぁ)
 イグナーツが両腕を広げたよりも長く、座面も奥行きが深い。頑丈そうな脚や背もたれ肘掛けは飴色で、クッションはしっかりと綿が詰まった天鵞絨張りだ。
(調度品って言うより、美術品レベルじゃないか?)
 さすがはラズーリト宮に置かれるだけのことはある。当のイーヴァルは、あまり使っていないようだが。
「で、こっちは何かなぁ?」
 手繰るのが難しいほどのカーテンであるから、どこかに仕掛けがあるはずだと探し、イグナーツは壁の隅に金糸の綱を見つけた。
「よいしょっと」
 くいくいと綱をひっぱると、滑車が動いてするすると大きなカーテンが開いていった。
「どれどれ?」
 ソファの前まで戻って、カーテンの向こうから現れた壁を眺め、イグナーツは思わず、ほうとため息をついた。
(肖像画か)
 壁にかかっていたのは、立派な額縁に納まった絵画。それも、家族の集合画のようで、サイズもずいぶんと大きい。
 絵画の中心には、初老の男性が威厳たっぷりに座り、その左右に幾人もの老若男女が集っている。彼らの後ろの壁には、これまた立派な、別の家族の集合画がかかっているように描かれている。
(ん?あぁ、この場所か!)
 イグナーツは数歩後ろに下がり、壁にかかった絵画の描かれた場所が、いまイグナーツが立っている場所だと確信した。
「へ〜」
 ここに飾られているということは、十中八九、皇帝の親族が描かれているのだろう。ということは、どこかにイーヴァルも描かれているのだろうか。
 イグナーツは再び壁の近くまで行き、まじまじと家族の集合画を見上げた。おおざっぱに見て、三家族か四家族ほどだろうか。誰が誰だかわからないから、描かれた立ち位置などで判断するしかないが、おそらく先帝の周囲の人々ではないだろうか。
(てことは、真ん中の偉そうな男の人が先帝で、イーヴァのお祖父さんかな?)
 そう考えると、どこかに少年が描かれていれば、それがイーヴァルだろう。絢爛豪華な女性たちのドレスの合間を、目を凝らして探すが・・・・・・。
(あれー?)
 見つけられない。青年や少女は何人か描かれているが、イーヴァルと思われる黒髪の少年がいない。
(もしかして、年代が違うのかな?)
 中心に描かれているのが先々帝だとすると、イーヴァルは描かれていないだろう。それにしては、絵の中の人たちが着ている服が、古臭くは感じないのだが。
(イーヴァに聞いてみよう)
 持ち主に聞くのが、一番手っ取り早い。イグナーツはそう納得して頷き、カーテンを元通りに閉じて、その部屋をひとまず後にした。

 昼間は公務で忙しいイーヴァルも、夜はイグナーツの相手をしてくれる。
「ああ、それはじい様の絵だ」
 カウチソファでくつろぐイーヴァルに、体をくっつけるように隣に座ったイグナーツは、いつ描かれた物なのかたずねた。
「イーヴァが描かれていなかったよ」
「当たり前だ。あの絵はじい様が即位したあたりで描かれたはず。父と母は描かれていたはずだが・・・・・・俺どころか、姉上も生まれてはおらぬ」
「そうなのか」
 言われてみれば、イーヴァルの姉、大公妃アレクサンドラと思われる少女も描かれていなかった。ようやく合点がいって、イグナーツは目を丸くしたまま頷いた。
「あそこの部屋には、代々の皇帝が即位した時に、肖像画を飾ることになっている。父の即位がなかったので、そのままになっているがな」
 自分の時は面倒くさかったんだろ、と心の中で言いつつ、イグナーツは興味深そうに続きを促した。
「ああ、お祖父さんから、直接イーヴァが帝位を継いだからなぁ」
「代が替わっているのに飾っておくのも良くないと、ああいう処置になっている。俺が即位した時も話はあったが、家族と言っても姉上だけだったし、そんなことに時間を割いているのもばかばかしかった」
 イーヴァルが即位した時はまだ十代で、確かに日々の政務を片付けるのが、今以上に忙しかっただろう。
「だいたい、自分の絵など見ても面白くない」
「ただ面倒くさがったのかと思った」
「俺は忙しいが、そうじゃないだろう人間は描かせた」
「忙しくなさそうな?誰?お姉さん?」
「お前だ」
「ふえっ!?」
 少年時代のイグナーツを描いた絵画が、たしかにイーヴァルの部屋にあったのは事実だ。イグナーツも画家がやってきて、モデルをさせられながら作業していたのは覚えている。
「そうだな、お前もいることだし、いまなら肖像画に時間を割いても良かろう」
「え、ちょ、まて・・・・・・」
 イーヴァルはクスクスと楽しそうに笑うが、イグナーツは慌てて首をかしげた。
「俺はいない人間のはずだぞ?そんなのが皇帝の正式な肖像画に入ってちゃまずいだろ」
「なぜだ?」
「いや、なぜって・・・・・・俺、公にはコリーンヌリーブルで死んだことになっているんだぜ?エクラ王国との外交に差し支えるだろ」
「見るのは俺たち帝室の者ばかりなのだから、別にかまわん」
 外国に向かって公開するわけではない、問題はない、とイーヴァルは平然としたものだ。
「そうだな、姉上達も一緒に描かせることにしよう。姉上もホムラも喜ぶだろう」
「う・・・・・・」
 それを言われるとイグナーツは弱い。イーヴァルですら頭が上がらないアレクサンドラを引っ張り込まれたら、イグナーツに拒否などできないし、アレクサンドラの息子である皇太子のホムラには、イグナーツは『叔父上のお嫁さん』と認識されている。
「これで描きあがれば、じい様やひいじい様たちへの面目もたつ。いいこと尽くめだな。イグナーツ、よく探し出した。いいきっかけになった」
「え・・・・・・あぁ・・・・・・」
 本当にそれでいいのかと、まだ首をかしげるイグナーツの頭を、イーヴァルの大きな手が愛おしそうに撫でていった。
「家族の中に入っている前提を気にしていないのが、お前のいい所だ」
「は?」
「なんでもない」
 ちゅ、と触れた唇が嬉しくて、イグナーツもイーヴァルの首に腕を回した。抱き寄せようとするイーヴァルの手を背中に感じ、もう一度唇を重ねる。
「後で恥ずかしがっても、途中で止めることはないからな」
「何言ってんの?イーヴァ、いつもそうじゃん」
「・・・・・・そうだったな」
 シャツを緩めて侵入してくる温かな感触に、イグナーツは喉を震わせるように息を吐いた。優しい愛撫に、体の芯から甘い痺れが広がっていく。
「あっ・・・・・・んっ!」
 首輪に付いた鎖をいじられ、イグナーツはますますイーヴァルにしがみついた。頬が触れ合う相手は、実に楽しそうに笑っている。
「クククッ・・・・・・いい絵を描かせよう」
「・・・・・・頼むから、普通にな。普通に」
 自分たちをモデル春画など描かれたら、描かれている板ごとぶち割ってやると、イグナーツは心に決めた。


 その後、カーテンが開かれた壁に、いくつかの絵画が入れ替わり飾られた。
 美術品のようなソファでくつろぐアレクサンドラ一家と、そのそばに並んで立ってイグナーツの腰を抱き寄せたイーヴァルと。ベリョーザ帝国の繁栄を表すように、全員が華やかな衣装に身を包んでいたが、イグナーツだけは毛色が違う。
 イグナーツの生国であるフビから届いた最上級の婚礼衣装は、もちろんイーヴァルがラダファムに言って取り寄せた物だ。イグナーツは羞恥に真っ赤になりながら喚いたが、イーヴァルは涼しい顔で受け流して推し進めた。イグナーツが抗議し疲れて、イーヴァルが強引なのはいつものことだと諦めるのは、様式美だろう。
 そして、アレクサンドラが持ち込んだ一幅の絵画を目にしただけで、イグナーツの機嫌は一変し、逆にイーヴァルが複雑そうな表情を見せた。
「ちっちゃいイーヴァだ!かぁわいいなぁ!」
 イーヴァルの亡くなった両親と、まだ少女のアレクサンドラと、よちよち歩きくらいの幼いイーヴァルが描かれた肖像画だった。
「よく見つけましたね、姉上」
「あら、わたくしの部屋にずっとあったわよ?」
「・・・・・・・・・・・・」
「アレクサンドラ様、本当にいいんですか?ここに飾っておいても?」
「かまわないわよ〜」
「ありがとうございます!!」
 目を輝かせて礼を言うイグナーツに、アレクサンドラは鷹揚に笑ってみせた。
 次にこの壁にかかった絵が入れ替わるのは、イーヴァルが引退し、ホムラが帝位についたときだろう。
「次は、寝室に飾る用に、裸のお前でも描かせるか」
「やめろぉぉおおおっ!!!」
 拳を握りしめて抗議するイグナーツを、イーヴァルは冗談だと抱きしめて、キスで黙らせた。本当は描かせたくても、他人にイグナーツの裸身を見せるのが嫌なだけだろう。
 絵画の中のイグナーツは、抱き寄せられて少し恥ずかしそうに微笑みながら、イーヴァルの横顔を見上げていた。