愚者に捧げる鎮魂花 −8−
コーヒーのいい香りに、ハロルドは目を覚ました。
体中が痛い。とにかくだるい。動けない。 「・・・・・・」 「起きたか」 視線だけ動かすと、ホワイトスミスの服が見えて・・・。 「ハロ?」 額にかかった前髪をかき上げ、泣き腫らした目元や頬を撫でていく指。 すぐそばに腰掛けた人に、その人の弟の名前を言いそうになって、ハロルドは一度飲み込んだ。 「・・・チハヤさん」 かすれた声だったが、チハヤは満足げに微笑んだ。 「ふん、やっぱりお前の発音が、一番いい」 サカキ直伝なのだから、それはそうだ。 ハロルドは、動かない身体の、鉛のような重さに呻いた。バーサークポーションの負荷にはやはり耐え切れず、途中から記憶がないが、チハヤに犯されて泣きながらも、何度もイかされたように思う。 「・・・・・・」 もう涙も出てこない。 だが、肌に触れるシーツがさらりとして、ハロルドの身体も拭われている。それほど鋭い痛みがないということは、傷はヒールで治療されたのだろうか。 「・・・チハヤさん」 「なんだ?」 「シャワー浴びさせてください。できれば、そこまで連れて行ってもらえるとありがたいんですけど」 「わかった」 そう言うと、チハヤは軽々とハロルドをお姫様抱っこした。 「っ・・・!?」 「どうした?」 「・・・いや、あの・・・」 「ハロは可愛いな」 赤面するハロルドに、チハヤはサカキがしないような、あどけない笑顔を見せて、さらに戸惑わせた。 苦労して体を洗ってから、部屋着に身を包み、ベッドにぐったりと横になりながらも、ハロルドは両手で持ったマグカップから、湯気の昇るコーヒーをすすった。 豆もいいが、淹れ方も上手いようで、ブラックなのに飲みやすかった。 「ごちそうさまでした」 「ん」 空になったハロルドのカップをチハヤは取り上げ、タバコに火をつけた。 サカキは酒を飲んだが、タバコは吸わなかったので、ハロルドは不思議な気持ちで、その姿を眺めた。 すると、その視線に気付いたチハヤが、サカキと同じ琥珀色の目でハロルドを見返してきた。 「ハロルド、サカキに会いに行くか?アルデバランに」 紫煙と共にチハヤが吐き出したことを、実行するその難しさに、ハロルドは言葉が出てこなかった。 「・・・でも、そんな・・・」 「パトリック・・・俺の雇い主なら、なんとかするだろう。いまは駄目でも、そのうち行けるようになる。・・・どちらも望みがないときは、実力行使で乗り込めばいい」 なんでもないことのように、チハヤの逞しい肩がそびやかされる。 「国境を、突破するの・・・。でも、国際問題になるんじゃ・・・」 「両国間の行き来ができなくなっている時点で、すでに同盟が半分破棄されたようなものだ。俺はシュバルツバルドが嫌いだし、向こうがどうなろうと、知ったことじゃない」 チハヤはタバコを灰皿で押し潰し、自分のコーヒーカップに手を伸ばした。 「お前をサカキのところに連れて行ってやる。ただし、それまでは俺のものだ」 その交換条件に、ハロルドの表情が曇る。 「たった一人の弟が、大事にしていたイイモノだ。誰よりも、あいつの匂いが残っている。俺が飽きるまで、サカキの代わりに相手になれ」 相変わらず、ハロルドはチハヤの思考についていけなくて困惑する。どうもチハヤは、ハロルドたちが辿るような思考回路をしていないらしいということは、薄々わかってきた。 (でも・・・) ハロルドは、せめて自分が納得できる範囲での答えを得ておこうと思った。 「チハヤさんは、サカキさんのことが好きですか?」 「当たり前だ。生きているとわかったら、探しに行っていた」 チハヤは、至極当然と頷く。 「じゃあ、チハヤさんは、俺のことは、別に好きじゃないですよね?」 その問いに、チハヤは小首をかしげた。 「・・・好きじゃなくない。・・・サカキを好きだと思うのとは、違うけど。でも、キライじゃない」 「俺に・・・俺が、チハヤさんのそばにいると、良いですか?」 こくんと、チハヤはすぐに頷いた。 ハロルドはやっと、自分もサカキも、チハヤに嫌われているわけではないと了解して、小さく安堵のため息をついた。 「すまん」 「はい?」 チハヤが突然謝ったのでハロルドが見やると、サカキに良く似た面差しの男は、少し悲しげな表情をしていた。 「俺の言い方は、わかりにくいようだ。・・・パトリックは人体実験のせいだと言ってくれたが、俺にはわからない」 「ああ・・・ぇえ!?」 言い方も行動もわかりにくいのだが、それよりも「人体実験」という単語にハロルドは驚いた。 「それで、シュバルツバルドが嫌いなんですね」 「そうだ。あの国は、母を殺し、俺を作り変え、弟を独り占めしようとしている」 チハヤは、シュバルツバルド政府がアルケミストギルドに圧力をかけ、サカキの遺体を使って栽培した薬草の流通を、自国内だけにとどめようとしているらしいとハロルドに告げた。 「なんて勝手な・・・」 「だから、ハロルドがサカキに会いに行くのを、この国は止めようとしないはずだ。ただ、乗り込むには準備が要る」 チハヤの言うことを理解して、ハロルドも頷く。 ハロルドもまだ、自ら飲んだ精製麻痺薬の後遺症から抜け出せずにいる。その間、ハロルドに敵意を持たないチハヤの庇護を受けられると思えば、それほど悪い条件でもない。取引だと割り切れる。 「わかりました。サカキさんが埋められている所にたどり着くまで、チハヤさんのものになります。ただ・・・」 「ただ?」 これは余計なことだろうか、殊更チハヤを怒らせないだろうか、ハロルドは躊躇ったが、きっぱりと言った。 「俺の恋人は、サカキさんだけです」 チハヤはまた小首をかしげて、それからすぐに頷いた。 「そうだ。ハロルドは俺の恋人ではない。・・・でも、アルデバランに行くまでは、俺のものだからな」 「・・・えーと・・・うーん・・・まぁ、それでいいです」 ちっともよくないような気もするが、ハロルドはチハヤと付き合っていくには、この手の妥協は尽きないように思い、苦笑いを浮かべて諦めた。 どうもこの顔と声には、ハロルドは逆らう気力が湧いてこないのだ。 モンスターに蹂躙され、焦土と化したアルデバランの街にある、アルケミストギルドだったダンジョン。その中にある薬草園で、異世界原産の薬草の群生地に、一箇所だけぽつんと、抱かれるように小さな紫色の蘭が咲いている場所があるらしい。その蘭も薬草のひとつらしいのだが、なぜわざわざ、毒素まみれの土に囲まれた、そんな所に咲いているのか。 その不思議が、崩壊する世界に翻弄された、ひとつの愛の結末だということ・・・。 それを正確に詠うことができるのは、たった一人だけ。とある緑色の髪をしたホワイトスミスと荒野で行き逢った、眉間に刀傷のような痣を持つアサシンクロスが連れている、バードの亡霊だけだという。 |