エニシ −21−


 ハロルドがサカキを連れてきた浴場は、エストレリャ風、あるいは古レオーネ風と言おうか、広い浴槽とは別に、体を洗うタイル敷きの場所があって、サカキが想像していたグルナディエ風のシャワー室とは違った。
「知り合いに古レオーネマニアがいてさ、その人んちのお風呂に入れてもらったら感動しちゃって・・・自分ちにも作っちゃった」
 ハロルドは恥かしそうに言うが、「自分ちにも作っちゃった」スケールが違う。広々とした浴場には湯気が立ち込め、五人ぐらいは余裕で浸かれそうな埋め込み式の湯船に湛えられたのが、沸かしたての温かな湯であるという贅沢に、サカキは開いた口がふさがらなかった。
「でも、改装しておいてよかったよ。ここなら、二人でゆっくり入れるし」
 ぽいぽいと服を脱いだハロルドが浴場で振り返ったので、サカキも慌てて服を脱いだ。
「足元気をつけて」
 ハロルドに手を引かれて脱衣所から浴場に足を踏み入れたサカキは、あまり良くない自分の視界にほっとした。ハロルドの裸をはっきりと見てしまうのも、自分の全裸を見られることも恥かしくて、冷静でいられる自信がない。
「はい、ここに座る」
 小さな腰掛に座らされると、湯がざばざばと降り注いできた。
「わぷっ」
「ひぃ、しみる。クラスターのやつ、爪を切ってやらなくちゃ」
 あのクラスターの爪をどうやって切るんだろうと、サカキが疑問に思っているうちに、頭に巻かれた包帯がハロルドの手によって解かれていった。
「傷のところは、ガーゼのまま押さえておいて。えっと・・・反対側にもこぶがあるんだよね?」
「そっちはもう、ほとんど痛くないから」
「りょーかい」
 それでも、ハロルド指は用心深くサカキの頭をさぐり、泡立てたいい香りのする石けんで、丁寧に癖毛頭を洗っていく。
「あの・・・」
「なーにー?」
 わしゃわしゃと頭を洗われながら、サカキは苦労して、自分の中の疑問を言葉にした。
「普通、俺がハロルドを洗うべきなんじゃ・・・?」
「は?」
 ハロルドは高飛車なところがなく、親切で世話上手だが、一応、この国の公子と言う身分なのだが・・・。
「俺は、マエストロを召使いにした覚えはないよ」
 サカキは顔が熱くなり、胸がぎゅっと縮こまるような気がした。だが、ハロルドは怒るでもなく、穏やかに笑いを含ませながら、額の生え際や耳の後ろまでも、指先でしゃかしゃかと擦っている。
「何かの本で読んだけど、身分なんかにこだわっていたら、友達も恋人も、凄く狭い中から選ばなきゃいけなくなるでしょ?そりゃあ、庶民だって、自分の両腕が届く範囲でしか、友達とか作れないだろうけど・・・。洗い足りないところある?」
 サカキが大丈夫と答えると、たっぷりの湯で泡が流された。
「はい、おっけ。ちょっと、傷見せて」
 サカキが手を外すと、湿ったガーゼがはがされて、ハロルドがサカキの髪を掻き分けた。
「うん、ちゃんとくっついてるっぽい。お湯しみた?」
「大丈夫。強く触らなければ、痛くない」
「そっか」
 ハロルドはサカキの髪を戻し、今度は香油のような物を毛先にすり込みはじめた。やんごとない身分の方々が使うような代物に慣れないサカキは、なんだか鼻がむずむずする。
「ふぇっくしっ!」
「・・・大丈夫?」
 声をかけるハロルドが、一生懸命笑うのを堪えようとして、堪え切れていない。
「ぅ・・・大丈夫」
「寒くなっちゃった?はい、これで体洗って」
「うん」
 本当は香油の香りが強すぎてくしゃみが出たのだが、サカキは大人しくハロルドが差し出したせっけんを泡立て、ヘチマの繊維で体を擦った。長旅の垢が綺麗に取れていき、気持ちがいい。
 サカキの髪を整え終わったハロルドも、頭に泡を盛ってごしごしと洗い、豪快に湯をかぶってそれを流した。
「あぁ〜、頭さっぱりしたぁ」
 本当にすっきりした声を出すので、しばらく洗えなくてべたついた頭皮が、よほど不快だったに違いない。
 ハロルドが再びモコモコとせっけんを泡立てはじめたので、サカキはその広い背中をヘチマでこすってやった。
「わうっ、気持ちいい!」
 くすくすと笑うハロルドの後姿には、鎧が擦れてできたあざや、戦傷と思われるかすり傷、治りかけの汗疹が、汚れを落とした下から出てきた。戦いに出たことがないというのは、本当だったのだろう。
 ヴェリテでの夜戦が終わった直後の、具合の悪さを無理に誤魔化そうとした青白い顔。ウラガン城砦では、サカキを守ると、決然とアルフレドの前に立った。大公との謁見では、恥かしがったりすることなく、自分の欲しいものを言った。
「・・・・・・」
 ハロルドが欲しがったのはサカキで、本来なら傷ひとつないだろう体を汚してまで、人を殺すことなんてなかったはずの心を痛めてまで、戦場に立った。すべては、サカキを守りたいがためだ。
「ハロルド」
「なぁに?」
「あの・・・ありがとう。・・・なんて言えばいいか、よくわからないんだけど」
 ぎょっとしたようにハロルドが振り向いたが、サカキは本当に、どう言えばこの気持ちを伝えられるのか、その言葉が見つからない。
「とても、嬉しいんだ。俺たちのためにしてもらったことにも感謝しているし、俺個人に好意をもってくれたことも・・・。あの、だけど、俺・・・ちゃんと、ハロルドと同じように返せるのか、よくわからなくて・・・」
 自分で何を言っているのかだんだん混乱してきて、サカキは顔を赤くしてうつむいた。だが、泡だらけのままのハロルドが体ごと向き直り、サカキの顔をのぞきもんできた。
「どうして、そんな風に思うの?」
「だって・・・」
 こんなことを言うのは、いかにも自分の環境を利用しているようでサカキは恥かしかったのだが、言わなければ、ハロルドは納得してくれまい。
「言われたことなかったから・・・」
 ぽそぽそと小さな声で、ハロルドは聞き取れなかっただろうか。少し見上げたハロルドが困惑したように首をかしげていたので、サカキはまた顔を伏せた。
「ずっと一人で・・・面倒みて育ててくれた人はいたけど、好きだとか、愛してるとか・・・言われたの、ハロルドが初めてだったから・・・!」
 穴があったら入りたいとはこの事だろうか。サカキは泣きたいくらい顔が熱いのを自覚したが、本当にハロルドを恋人として見られるのか、それとも、ただ甘えたいだけの人にしているか、その区別がついているのか、自信がなかった。
「わぁお・・・。神様ありがとうございます。正真正銘、初物のようです。これは俺が全部、丸ごと、最初から最後まで、完璧に俺の流儀にしちゃっていいってことですね・・・!!」
 サカキは自分が情けなくて仕方がないのだが、ハロルドはどこか遠くを見ながら、なにやらぶつぶつ独り言を言っている。
「それじゃあ、本当は俺と一緒にいたくないとか、傭兵団のみんなのために俺と付き合っているとか、こっそり抜け出そうとか、そういうことは思っていないんだね?」
 どうしてハロルドがそんな風に思うのか疑問だったが、サカキは全部に首を振り、自分の両肩をつかんでいるハロルドを見上げた。
「ちがう。俺は、ハロルドといたい。・・・ハロルドが、好きだ」
 言ってしまうと、ずっと胸の奥に押し込めていた嵐の扉が開き、温かくて息が詰まるような感情が、全身隅々に行き渡っていくのを感じた。それは激しいのに、とても心地が良かった。
「ずっと、好きだと思っていたんだ。シェーヌの病院で会った時から」
「サカキ・・・」
 抱きしめられながらハロルドに名前を呼ばれ、サカキは体の芯が痺れるような震えを、もう我慢しないことにした。
「ハロルド・・・」
 間近で視線が合い、唇に柔らかな感触が押し付けられ、サカキはうっとりと目を閉じた。腕を回したハロルドの背は逞しく、泡で滑るサカキの背を、ハロルドの手のひらが撫でていく。
 胸がドキドキして、それなのにどうしたらいいのかわからなくて、サカキはハロルドにぎゅっとしがみついた。
 サカキも鍛えてはいるが、ハロルドの方が体格よく、武術に親しみがないというわりには、うらやましいほど綺麗に筋肉が浮き出ている。温かな体に抱きしめられ、目の前の人を感じたい体を撫でられ、思わず息が上がる。
「はぁっ・・・ハロ・・・っ」
「気持ちいいこと、しよ?」
 耳元で囁かれた誘惑に、サカキには否などあるはずがない。