エニシ −20−


 城下は戦勝に沸きかえり、酒や料理が振舞われ、まるで祭のような賑わいだ。それは王城の中にも届き、熱気ある音楽のように聞こえる。
「この度は我々のためにご尽力いただき、ありがとうございます」
 ハロルドに紹介されたサンダルフォンとヴェルサスに、サカキは深々と頭をたれた。
「なに、実際にがんばったのは、ハロルド殿と貴殿だ。私はアイディアを出したに過ぎない」
「サンダルフォン殿のアイディアを実務処理するのは、毎回とても骨が折れるのですけどね」
「ははは。いやいや、軍師殿もご苦労さまだった」
 ミシェルが「知者だが胡散臭い楽士」と評していたサンダルフォンは、華麗に笑顔を振りまいてサカキを歓迎してくれた。サカキはマルコを綺麗な顔の男だと思っていたが、サンダルフォンはもっと華のある美形だったので驚いた。
「傭兵団はひとまず、兵舎のひとつを使ってもらっています。この国に定着するまで、そこを拠点としてかまいません。それからマエストロ殿には、これから帝国との和平会議などに同席していただく可能性があります。暗殺未遂に至った謎が解けるかもしれませんが、いまだ狙われたままですから、十分ご注意ください」
「はい、ありがとうございます」
 理知的で穏やかな話し方のヴェルサスに、サカキは頷くと同時に、とても感謝した。彼がいなかったら、ダン・ソルシエール傭兵団は誕生しなかったのだ。
「ただいま、クラスター!ああ、長く留守にして悪かったな」
 長い尾を優雅に振って、黒い巨体がしゃがんだハロルドに圧し掛かっている。
「では、私はこれで」
「参謀長、ありがとう!」
「どういたしまして、ハロルドさま」
 ハロルドの部屋から退出して行くヴェルサスが、少し名残惜しそうに見えたのは気のせいだろうか。戦争は終わったが、まだ外交戦が残っている。とても忙しいのだろう。
「軍師殿はクラスターがお気に入りでね。このでかい猫を彼の職場に放り込んでやるだけで、喜んで難題を引き受けてくれるのだよ」
 クスクスと笑うサンダルフォンに、ハロルドも申し訳なさそうに苦笑する。
「わがままを言うたびに、どちらにも苦労をかけるよ」
 ハロルドに喉を撫でられて、クラスターはごろごと気持ち良さそうだ。
「シェーヌで、会ったよな?」
「うん。ああ、あの時は、ゆっくり紹介する時間が無かったね。黒豹のクラスターだよ。遠い南国からつれてこられて、いまの棲み処は、俺の部屋の、あの木の上。猛獣だけど、悪い奴以外には噛みついたりしないから」
 大丈夫大丈夫というわりには、ハロルドは爪と肉球のある大きな手足にもみくちゃにされ、鋭い牙の見える口でがぶがぶと甘噛されている。・・・痛くないのだろうか。
 サカキは持ち込んだ荷物をあさり、しゃがんだ姿勢で一本の棒切れを床に転がした。
「!」
 見た目はどこにでもありそうな、少し柔らかそうな木の枝だ。だが、のそりとハロルドの上から退いたクラスターは、ふんふんと鼻を鳴らし、木の枝とサカキを交互に、じぃっと見つめている。やがて、木の枝を咥えると、機嫌よく尻尾を振りながら、自分のテリトリーである大木のインテリアの下に寝そべり、木の枝を舐めたりかじったりしはじめた。
「なんだ・・・?」
「もしかして、マタタビか?」
 きょとんとしているハロルドとサンダルフォンに、サカキは頷いた。
「はい。ここに来れば、クラスターがいるかもと思って。ヴォロンテに来る途中で見つけたんだ。実を酒にすると美味いんだけど、枝や蔓が、猫の好物で・・・そのうち、酔っ払うよ」
「へぇ」
 手荒なおかえりの挨拶を受けて、軽い蚯蚓腫れが増えたハロルドが、サカキの差し出した手につかまって立ち上がる。
 それを見守りながら、サンダルフォンが感心したように呟いた。
「ただ知識があるのと、実際に見分けがつくのとではずいぶん違う。相当勉強されたのではないかな?」
「そんなこと・・・ほとんど、俺のお師匠に教えてもらったことだから」
「マエストロのマエストロ?」
 興味深げに目を輝かせるハロルドに、サカキは少し寂しそうに微笑んで頷いた。
「・・・つらいことを思い出させるかもしれないが、聞いてよいかな?」
「どうぞ」
 ソファに落ち着き、サンダルフォンが優雅な手つきで淹れた茶を飲みながら、サカキは頷いた。
「君の生い立ちのことだ。もう少し詳しく、聞かせて欲しい」
 サカキはハロルドの気遣わしげな視線を感じたが、心が痛くないように準備をして話し始めた。
「気がついたら孤児だったので、俺の知っていることは人から聞いた話ばかりだから、本当かどうかはわからない。・・・父親は先帝、母親は魔女の血族の一人で、俺を産んで死んだ。俺は魔女の血族の中で、あちこちの家庭で世話になった。・・・そう、いま思うと不思議なのは、持ち回りだったみたいだ」
「持ち回り?」
「うん。半年か一年で、次の家に移るんだ。だから、なんという家庭で育ったのか、ほとんど覚えていない。・・・ひどくされたところもあったけど、よくしてくれたところもあった。だけど、たしかに一年以上同じ家にいた覚えがないな」
 サカキは自分で言っていることに首をかしげた。そして、サンダルフォンとハロルドも、顔を見合わせている。
「そういう、しきたりなどがあるのかね?」
「わからない。そういうことは、お師匠から聞いたことがない。お師匠の所に行ったのは、たぶん、八つか九つか・・・それからは、ずっとお師匠の所で暮らしていたんだ」
「マエストロのお師匠って、男?」
 どんな人物を想像しているのか、興味深々なハロルドに、サカキは小さく苦笑して首を振った。
「ううん。おばあさんだった。特別優しくはなかったし、力仕事は俺がやって、修行も大変だったけど・・・でも、俺のために、一番いろいろなことを教えてくれた」
「その人は、他に何か言っていたかな?」
 サカキはさらに首をかしげ、うーんと記憶を辿った。だが、大変でも懐かしい思い出は出てくるが、出生に関わるようなことを聞いた覚えはない。
「どんな職についても、魔女の知識は役に立つからって、色々なことは教えてくれたけど・・・。俺に野心とか、父親に取り入ろうとか、そういう気が無かったからかもしれない。特別、何も言われなかった」
「そうか」
 少し残念そうなサンダルフォンには申し訳なかったが、本当に、サカキは何も知らないのだ。
「あ、逆に・・・そうだな、魔女の血族についても、一般的なこと以上には教えてくれなかったよ。これも・・・俺にその気がなかったからかもしれないけど」
「ふむ」
 サカキの師匠だった老女は、よほど用心深かったのだろうか。それとも、異端の子であるサカキに、必要以上に知識を持たせようとは思わなかったのだろうか。
 だが、サンダルフォンには、なにか引っかかるものがあるらしく、しばし思考に沈んだ。
「・・・では最後に、マエストロの両親について知っている者は、どのくらいいるだろうか?」
「え・・・」
 予想もしていなかった質問に、サカキは面食らって視線を上にあげた。
「えぇっと・・・魔女の血族の間では、そこそこ知られているんじゃないかなぁ?事件として知れたのは二十年前だろうし、もう忘れられているかもしれないけど、長老達は知っていると思う。それから、コラーゼのお母さんが、俺の母だった人の友達だったらしい。あと、騎士団では、ジャコモ大騎長やアーベ公クリストフォロ様などがご存知のはず。クリストフォロ様とは、騎士団に入る時に、直接話したことがある。それから・・・いまの帝室については、よく知らないんだ。あんまり評判よくないし」
「なるほど。参考になったよ、ありがとう」
 サンダルフォンはにっこりと微笑んだが、サカキはこんな不確かで断片的なことでよかったのかと、逆に申し訳なくなった。
「失礼します」
 入ってきたのは、律儀に敬礼するマルコだった。
「ハロルドさま、湯浴みの準備が整いました。それから、マエストロの行李は、ひとまずハロルドさまのお部屋でよろしいですね?お部屋の準備は後日に」
「うん、いいよー!」
 とても嬉しそうにハロルドが言うので、サカキは恥かしくてうつむいた。いや、嬉しくないわけではないのだが、四六時中一緒なのは、ちょっと照れる。サンダルフォンもニヤニヤしているし・・・。
 どうやって過ごせばいいのだろうと若干悩み始めたサカキの手を、ハロルドがつかんで引っ張り上げた。
「え、ちょっと・・・」
「おっふろ!おっふろ!さっぱりするぞー!!」
 長い行軍で汚れだらけなので、すでに風呂しか見えていないハロルドに、サカキはなにか言う暇も与えられず引き摺られていった。