エニシ −19−
公国領土に侵入した帝国軍は撃破され、今回の司令塔であったグル城も陥落。三つの町は奪還され、大関門橋も公国軍が封鎖したので、とりあえずは大丈夫だろう。
緊急時に備え、ウラガン城砦にはまだ一万余の兵が駐留していたが、アルフレドを総大将とするグルナディエ公国軍は、首都ヴォロンテへ凱旋した。 大歓声の中くぐった城門、沿道に詰め掛けた大勢の人、初めて見るヴォロンテの街並み・・・。どれもぼんやりとしか見えないが、サカキは公国兵が手綱を取る馬車から、それらを弾むような心持で眺めた。 まさか、こんな格好でグルナディエ公国の首都へ訪れることになるだろうとは、今年の初めには思いも寄らなかったことだ。サカキはふと、この歓声が帝国語でないことに、複雑な気分を味わった。 (俺は・・・いったい、なにをしているんだ) そもそも、戦場で味方に暗殺されかからなければ、こんなことにはならなかった。いまごろはまだ、目的のはっきりしない戦争にイライラしながらも、一前線指揮官として、細かな戦闘や野営に追われていただろう。 公国万歳、アルフレド様万歳、という声に混ざって、ハロルドを称える歓声も聞こえてきた。ハロルドはサカキの乗っている馬車のそばで馬に乗っているはずで、女性たちの華やかな声が聞こえたのは、ハロルドが歓声にこたえたからに違いない。・・・半分ぐらいは、ハロルドの隣の、マルコに向けられたものかもしれないが。 そう思うと可笑しくて、サカキはつい、くすりと微笑んだ。ハロルドがいなかったら、自分の人生はとっくに終わっていただろう。こんな風に、豊かで複雑な心情に戸惑うことなど無かったはずだ。 「・・・・・・」 これから自分はどうなるのか・・・もちろん、自分を助けたハロルドの一存にかかっている。それに、自分につき合わせて亡命させてしまった部下たちのこと・・・。戦争が終われば、傭兵団は解散させられるだろう。その後の彼らの働き口に関して、よい道を探してやらねばならない。なんとか、公国に支援をもらえればよいのだが・・・。 「サカキ」 「え?」 サカキ一人では埒もないことをぐるぐると考えていて、王城に入ったことに気がつかなかった。ハロルドに手を取られ、注意深く馬車を降りると、そのまま手を引かれて歩き出した。 「あの・・・みんなは?」 「傭兵団なら、コラーゼに任せてあるよ。マエストロはこれから、兄上たちや俺と一緒に、父上に謁見」 「あ・・・」 一気に緊張して、サカキは胃がキリキリしはじめた。それが顔に出たのだろう、ハロルドはクスクスと笑っている。 「大丈夫だよ。心配しないで。あ、そこ段差あるから。気をつけて」 「うん」 まだ頭に包帯を巻いているサカキは、こちらもあちこちに絆創膏を貼り付けたハロルドと手を繋ぎ、大きな城の中をトコトコと歩いた。 大関門橋を突破するトリックと激戦、グル城の大破壊、ブリュイアン川の踏破、アシエの市民蜂起、意外と早かった無傷のロゼとラシーヌの帝国軍との決戦・・・。それらの中で、ハロルドは常にダン・ソルシエール傭兵団と共にあり、自らメイスやアックスをふるって戦っていた。傭兵団はこの戦いで、さらに人数を三分の一減らすほどの犠牲を払ったが、サカキと自分達の名誉のために、一番危険な場所で勇猛果敢に戦い、その働きを公国軍から絶賛されていた。 「ハロルド・・・」 「なぁに?」 震えた声に気付かないふりをしてくれたハロルドに、サカキは一生懸命呼吸を整え、それでも押さえ切れない感情が声を詰まらせた。 「あとで・・・聞いてほしい、こと・・・ある」 「うん、わかったよ。・・・できればいい話だって、期待してもいい?」 ハロルドの、まるで子供ががんばったご褒美を期待するかのような調子に、サカキは思わず、笑った目尻から涙を零しながら頷いた。 「ああ。・・・そうだな」 サカキの心は決まった。帝国軍と戦い、散華した部下の一人が、いまわの際に叫んだそうだ。 『マエストロに栄光を!』 サカキの部下になったばかりに、帝国を追われ、故国と戦うことになり、命を失うというのに。己の家族や故郷を守るためでなく、自分の尻も満足に面倒見られないような若造の運命に振り回されて戦わされたのに。サカキの未来に、いったいなにを期待するというのか。 サカキの代わりに部隊を率い、以前よりも頼もしくなったコラーゼは、以前と変わらない、少し困ったような苦笑いを浮かべた。 『まぁ、勝てば官軍ってやつですよ。誰もマエストロが悪いなんて思っていないですし、どうせ戦うなら、侵略者としてよりも、解放者として喜ばれる方が、気持ちいいですからね』 サカキが生まれるところからやり直せないように、この理不尽な運命も、時間を撒き戻して阻止することなどできない。 それならば、前を向いているしかないではないか。生き残った部下たちの未来を支え、死んでいった部下たちの名誉に光を当てられるよう、サカキがしっかりと陽の当たる場所で生きていかなくてはいけない。 そして結局のところ、それを適える場所は、サカキには非常に居心地がよく、最初は自分ばかりが幸せになるのではないかと怖れるほどだった。 だが、ウラガン城砦で出迎えようとしたものの、見えない上に人が多くて困惑していたサカキのところへ、ハロルドが真っ直ぐにやってきて、「ただいま、勝ったよ!」と抱きしめられたときの安堵と、戦死した部下たちを悼んで落ち込むサカキに、みんなから「我らはすでに献花されており、それ以上はいりません」と言ってもらったときの、救われた気持ちと、もっと応えたいという気持ち・・・。 いままで、勇敢さを試される機会は何度もあった。だが、こんなにも怖れ、こんなにも勇気付けられたことがあっただろうか。 (俺には、みんながいる) 公国の貴族や要職者や軍人達が、ずらりとそろった謁見広間で、サカキは震える脚を叱咤して、なんとかハロルドにすがりつかないよう、絨毯の上を真っ直ぐに歩くようがんばった。 「大公殿下に申し上げます。勅命成りましたこと、謹んでご報告いたします」 ハロルドに倣ってサカキが跪くと、先頭にいたアルフレドの声が簡潔に響いた。 「大儀であった。おぬし等の尽力により、公国の平和が戻った。アルフレド、ハロルド、それに諸侯、よくやった」 ハロルドたちの父である初老の大公は、至極満足気な様子だ。帝国に計画性が無かったのも幸いしたが、ともかく小国が大国の侵略を跳ね返したのだ。嬉しくないはずがない。 手放しで勇戦を称え、気前よく恩賞を与えていく姿は、庶民の思い描いているように、おおらかで気前の良い大公殿下だ。 「ハロルド、お前はなにが良いか?この前言っていた農民基金の増資か?」 いかにもハロルドらしい望みに、周囲から穏やかな微笑が広がったが、ハロルドはきっぱりと首を横に振った。 「俺は今回、欲しいものを、誰にも文句言われずに自分のものにするために、戦場にいきました。それ以外はいりません」 サカキは心臓がドキドキと飛び跳ね、息が苦しくなった。 「ふむ・・・お前の隣にいる、元帝国人か。先のパオロ帝の落胤らしいが・・・」 ざっと音がしそうなほど、自分の一身に視線が集まっているのを感じ、サカキはうつむいたまま、喘がないように、そろそろと息を吐き出した。 「まぁよい。ヴェルサスも問題ないというておるし、好きにせい」 「ありがとうございます!」 思いっきり明るく無邪気なハロルドの礼に、集った諸侯からどっと笑い声が上がり、大公も苦笑を漏らす。 「ときに・・・サカキとか言ったか」 「はっ」 サカキはドキドキしながら、少し顔を上げた。大公が何か仕草をしたようだが、よく見えない。 「マエストロ、おいで」 ハロルドに手を引かれ、サカキは腰が抜けそうなのを堪えて立ち上がり、ハロルドと一緒に進み出た。先頭のアルフレドも追い越し、ほとんど大公の足元まできて跪いた。 「おお、たしかに似ておるな。・・・傷の具合はどうかな?」 「ありがとうございます。おかげさまで、だいぶ良くなりました」 声が震えているのは仕方がない。無様にひっくり返らなかっただけマシだ。 福福しく貫禄のついた大公は、そうかそうかと何気なく頷く。サカキの目がよく見えないのは、アルフレドのせいだと知っているのだ。 「ハロルドより若いのに、マエストロと言うあだ名だそうだな。わしもそれに倣うとしよう。マエストロ、貴公と貴公の部下達により、わが軍は大きな恩恵を受けた。恩賞に値するゆえ、何か望みを申せ」 サカキはゴクリと唾を飲み込み、汗をかいた手を握り締めた。言い忘れたことがあってはいけない、大事なところだ。 「命がけで戦った部下たちに、十分な報酬と、公国で健全に暮らすための援助をいただきたく存じます。それから、彼らが心ならずも故郷においてきた家族と、わだかまりなく会える、平和を」 侵略された国に対し、いかにも図々しい言い草だが、公国だって帝国に仕返しできるほどの国力はない。それに、ここにはサカキ以外に傭兵団の要求を言える人間は居ないのだ。 サカキは跪いたまま、しっかりと大公を見上げた。 「・・・ふむ、よかろう。傭兵団の活躍には、十分に報いたい。それに平和と安寧は、わしらももっとも望むところだ。それで、おぬし自身の望みはなんだ?」 「私は・・・何も。ハロルドさまのおそばにいることを、お許しいただけただけで、十分でございます」 なんだか早口になってしまい、それが余計に恥かしく思う。大公の呆れたようなため息が、またサカキの顔を熱くさせる。 「ハロルドも変わった者をよう連れて来るのう・・・。それがマエストロ自身の望みか」 「はいっ!」 ずっと迷っていた。でも、それが取るべき道で、許されるのだとしたら。 「・・・よかろう。委細ハロルドに任す」 「ご厚恩、かたじけなく・・・存じます」 サカキは今度こそ、ハロルドにすがりつかなければ立てなかった。やっと終わって、これでやっと、歩き出せるのだ。 |