エニシ −17−
休息の眠りから苦痛に満ちた現実に叩き出され、サカキはうめき声を上げた。体のあちこちが痛いのだが、それぞれどういう理由での苦痛なのか覚えがない。
ひどいのは頭の両側が痛いことで、どちらに寝返りを打っても痛いのだ。真っ直ぐ上を向いていなければならず、非常に寝苦しい。腰と首が痛いのはこのせいか・・・。 そして、右側を向こうとすると、頭と一緒に肩や膝がひどく痛んだ。どこかに強くぶつけたのかもしれない。 重い頭を引き摺って起き上がろうともがき、軽い眩暈はあったが、なんとか体を曲げることが出来た。とにかく、喉が渇いて、気分が悪い。 「おはよう。起き上がって大丈夫?」 穏やかな男の声がして、力強い腕が体を支えてくれた。 「きもち、わるい・・・水・・・」 思わず帝国語がでたが、水だけはなんとなく意味が通じたようだ。すぐにぱたぱたと水を汲みにいく音がして、足音が戻ってきた。 「貧血だね。はい、水」 そこで、サカキははじめて愕然とした。 「見えない・・・」 まわりが淡く明るいので、日中だというのはわかる。だが、すぐそばにいるはずの衛生兵も、差し出されているはずのコップも・・・自分の手すら、見えない。 「見えない・・・!」 「落ち着いて、大丈夫」 抱き寄せられ、背中を擦られ、馬鹿みたいに乱れた呼吸が、額に押し付けられた逞しい首元に吸い込まれていく。 「大丈夫。ひとつずつ、確認していこうね?大丈夫だよ」 ひとまず、サカキの両手にコップが握らされ、それをこわごわ口元にもっていき、なんとか冷たい水を飲むことが出来た。 衛生兵はサカキの喉や手に零れた水を拭き取りながらレィゼと名乗り、具合が悪くなったり、欲しい物があったりするときは、何でも言うようにと言った。 「いま先生を呼んでくるから、ちょっと待っててね。すぐに戻るから」 レィゼの気配が遠のいたが、言葉どおり、すぐに戻ってきた。 「ん、お前さんの担当のジョッシュ先生だ。OK?」 寂びて滑らかな声が、明るくサカキの頭を撫でた。サカキが頷くと、座ったらしく目線の高さが同じになった気配が、ぺたぺたと顔を触っていった。 「んー、眼球は飛び出てないっぽいし・・・貧血か、一時的なものだといいなぁ。灯りくれ。・・・じゃあ、強い光が見えたら、目で追って。・・・はい、そう・・・」 一時的に鎧戸がおろされる音がして、ろうそくの火らしい、ちらちらとした光が、左右上下に動くのがわかった。 「OK。反応はあるから、望みありかな。首都に戻れば、いい目薬があると思うぞ。他に、痛いところは?」 明るさの戻った室内で、サカキは痛いところを指し示した。 「おお、見事にあざになってんな。湿布しておこう。頭はどうだ?」 「両方痛い」 「ああ、こっちはこぶになってる。あと、そっち側は縫ってあるから、あんまり触るなよ」 指先で確認してみると、頭にしっかりかっちり包帯が巻かれていた。物理的に重いはずだ。 「わかった。・・・うつ伏せに寝ていい?」 「いいよ。あー、この間の補給で、なんかクッションになりそうなのなかったかな?」 「聞いてきます」 「よろ」 汗をかいた体を綺麗に拭ってもらい、体の右側各所に湿布が貼られ、やっぱり包帯でぐるぐる巻きにされながら、サカキはこうなった経緯を思い出した。 「そうだ。謁見の途中だった・・・」 「あん?そりゃ昨日のことだ。殴り合いになったご兄弟は、どっちもたいしたことなかったぜ。あんたが一番重症」 「そう・・・」 サカキは謁見があれからどうなったのか、詳しい事を知りたかったが、軍医のジョッシュは知らないだろうし、自分の部隊の様子を見にいきたくても、この目では出歩くこともままならない。 「ほい、おしまい。もうしばらくは、ここで大人しく寝てろ」 「はい」 腹は減ったが、いま何か食べると吐きそうだったので、サカキはハチ蜜だけ少しもらい、出血で失った分を取り戻すべく、がぶがぶと水を飲み干し、また横になった。 冷や汗や眩暈は治まってきたが、とうぶん動けそうもない。刺されたときよりかはマシだが、このまま視力が失われるかもしれないという恐怖があった。 (もう戦えないかもしれない・・・) それはサカキの騎士としての終わりを意味し、傭兵団を率いる資格がなくなるということだ。みんなをまとめるのはコラーゼに任せるしかないが、いざというときに自分が差し出せる肩書きがなくなるのは不安だ。 (・・・ハロルドが守ってくれる) そう思うと、おおらかで優しい笑顔が瞼に蘇り、胸の奥がほわりと温かくなった。 だが、彼に頼ってばかりいられない。実際、昨日は他の騎士たちの目前で、アルフレドから殴打された。 (俺のせいだ。なんとかしないと・・・) 両手を拳に握り締めるが、血の足りない頭ではいい考えが浮かばない。おそらく信心深いアルフレドは、サカキに流れる魔女の血族という要素を嫌っているのだろう。生まれるところからやり直すのはサカキには出来ないから、何か他の方法で信頼を得るしかない。とすると、傭兵としての力量を示すのが手っ取り早いが、現在のサカキは視力がほとんど失われたこのザマである。 困ったなぁ・・・というぼんやりとした思考が、体力を取り戻そうとする本能に従って、眠気に覆われていく。出血で冷えた体に、なにか温かいものが触れて、サカキはくすぐったさを堪えて、その心地よいぬくもりに擦り寄った。 (ハロルド・・・) あんな風に抱きしめられたことなど、今までになかった。シェーヌの野戦病院で、ヴェリテでの戦いの直後、ハロルドのテントで・・・。 サカキはまだ、「そばにいて欲しい」と言ったハロルドに、その返事をしていない。サカキは異性に興味が湧かず、この歳でも恋愛経験は皆無だったが、名前を呼ばれただけで鼓動が早くなってしまうハロルドに、そんな風に求めてもらえるのは嬉しい。でも、それに甘えてしまうのが怖かった。 自分の出身、立場、責任、戦争・・・面倒なことがぐるぐると渦巻いたが、温もりに包まれたサカキには、どれもとても些細なことに感じられた。 (ぜんぶ、片付いたら・・・) そう、すべて片がついて、平和になったら、そのときハロルドの隣にいることが許されるのならば・・・サカキは、その言葉では言い表せないほどの温かな幸運を、自分に許してやることにした。 穏やかな寝息を立てるサカキが、小さくハロルドの名前を呼んだとき、それが寝言だとわかっていても、ハロルドは返事をしないわけにはいかなかった。 「サカキ・・・」 白い包帯を巻かれた痛々しい姿に胸がつまり、手を握ったまま、青白い頬やあまり体温の感じられない肩や腕を撫でた。 生きていた、良かったと安堵する反面、極端に視力が落ちていると言うジョッシュの報告は、ハロルドに血の気を失わせるに十分な衝撃だった。 グルナディエの神々にサカキの快癒を祈りながら、ハロルドはこれからのことを一生懸命考えていた。 もちろん、視力が回復しなくても、サカキの面倒は一生みるつもりだ。それとは別に、この戦いの中で、自分がどう動くのが一番良いのか、それを模索していた。 首都のサンダルフォンから、ヴェリテの戦いで得た帝国の捕虜の処遇に関しての策が届き、アルフレドから聞いた、驚くべき情報も考慮に含め、ハロルドは苦手な戦略をコツコツと組み立てた。 「ん・・・」 昼時になった頃、サカキの瞼が動き、ぼんやりとした眼差しがハロルドのほうへ向けられた。 「サカキ?」 「だれ・・・ハロルド?」 サカキは目を擦り、一生懸命しばたいているが、やはり、ハロルドの姿がしかとは見えないようだ。 「うん、俺だよ。・・・気分は悪くない?」 「大丈夫。さっきより、だいぶいい」 思っていたよりしっかりとした受け答えに、ハロルドはほっと胸をなでおろした。 「ごめんな。俺がもっとしっかりしていれば・・・」 「ううん。ハロルドだって俺のせいで・・・。ジョッシュ先生は、そんなにひどくないって言ってたけど・・・痛くないか?」 ハロルドは自分の腫れた頬をひと撫でして、その痛みに苦笑しつつ、大丈夫と答えた。 「そんなに痛くないよ。・・・さっき、兄上とも仲直りしてきたんだ。サカキのことも傭兵団のことも、もう大丈夫だよ」 「ほんと!?」 見えない目を丸くして、嬉しそうに驚くサカキの頭を、ハロルドはくしゃくしゃと撫でた。 「ほんと。まぁ、積極的に支持してはくれないだろうけど、容認って感じかな。あの偏屈な兄上にしたら、すごい譲歩だよ」 「ありがとう、ハロルド!いつも、迷惑ばかりかけて・・・本当に、どうやって恩返ししたらいいか・・・ありがとう」 ぎゅっと握られた手を握り返しながら、ハロルドはそっとため息をついた。 サカキはハロルドの好意を拒否しなかったし、少しずつ心を開いてくれているが、まだハロルドは、サカキの中の一番にはなれていないようだ。 (こんな戦い、とっとと終わらせてやる!) 傭兵団の団長という肩書きがなくなれば、帝国に暗殺されかけたという謎が無くなれば、社会的な枠組みでしか己を認識せず、あまり自分というものを持たないサカキは、きっとハロルドの腕の中に納まってくれるはずだ。 辛抱強く待つこともやぶさかではないが、ベッドに横たわったまま、頬にうっすらと血の気を取り戻して微笑むサカキを見て疼く雄が、どうにかして治まらないものかと、ハロルドは自分自身にため息をつきたかった。 |