エニシ −16−
とにかく冷やさなきゃだめだと、ハロルドは濡れたタオルを顔に押し付けられ、いくつかある療養室のベッドのひとつに寝転がっていた。
サカキのことは心配でたまらなかったが、蹴られた顎や殴られた頬の痛みが治まらず、気持ちも落ち着けなければ頭に上った血も痛みを助長するだけだ。 気分は最悪だったが、顔の骨はどこも折れておらず、口の中を少し切っただけだ。五日もすれば顔の腫れは引いて、あざも一ヶ月ほどで消えるだろうという診断だった。 「きつくないですか?」 「大丈夫」 派手な金髪だが愛嬌のあるそばかす顔の衛生兵に薬を塗ってもらい、顔の半分を包帯でぐるぐる巻きにされたが、そもそも目の周りも腫れて視界がよくないので、文句を言う気もおきない。 「おーい、ハロルドさまよ。あの人の治療終わったぜ。まだ目ぇ覚めてないけど」 「ほんと・・・!?」 ひょこっと顔を出した、硬そうなダークブラウンの髪を撫で付けた軍医が、無精ひげのはえた顎を擦りながら、ニヤニヤと笑った。 「慌てなくても、生きてるよ。しかし、公子さまとあろうお方が、ずいぶんやんちゃなお顔になったもんだねぇ」 「ジョッシュ先生・・・」 衛生兵の批難がましい視線を受け、ジョッシュはキシシと白い歯を見せて笑った。 「左側頭部に殴打傷。潰れてあんまり綺麗な傷口じゃないが、ちゃんと縫っといたから、大人しくしておけば、十日から二週間ぐらいでくっつくだろう」 「すごい・・・血が出てたけど・・・?」 「頭ってのは、傷が浅くても派手に血が出るもんだ。耳から血が出ていなければ、とりあえず大丈夫じゃね?」 なんでもないようにジョッシュは言うので、ハロルドはほっと一息ついた。 「ただ、倒れた時に反対側も打っている。こぶができているだけだったが、意識が戻ってからでないと、どういう状態かもよくわからん。まぁ、明日まで様子見だな」 「そう・・・」 まだ安心は出来ないと気分が落ち込むハロルドに、水の入ったコップを片手に、ジョッシュが近付いてきた。 「ハロルドさまも、今夜は大人しくしとけよ。ほれ、痛み止め」 「ありがと」 開けにくい口に散剤と水を流し込むと、苦い顔をするハロルドに、ハチ蜜をすくった小さなスプーンが差し出された。 「口ン中切れてんだろ?舐めとけ」 甘い傷薬をもらって口直しをしていると、急に頭がぼんやりしてきた。 「一晩、安静にしていること」 横になりながら、軍医の言葉に頷き、ハロルドは眠りに落ちた。 翌日、ハロルドはずいぶん早い時間に目が覚めた。 手当てのおかげで、顔のヒリヒリする痛みは引いたが、それでも腫れているらしく、触ると痛い。たった二発だったのに、意外と力があったんだなぁと、ハロルドは変なところで長兄に感心した。 腹も減ったことだし、ハロルドは顔に巻かれた包帯を外し、療養室のベッドを降りた。あくびをするのもぎこちなくて、むくんだ感覚の頬や顎がむずむずする。 医務室のすぐ隣の療養室には、面会謝絶を表すプレートが出ており、そこにいるだろうサカキを思い、ハロルドは悲しくなった。怪我をさせてしまったことを申し訳なく思っていることや、自分のためなんかに身を挺する必要はないのだということ、とても心配していることなどを、すぐにでも伝えたいのだが、いまはどうにもならない。 自分の不甲斐なさにしょんぼりとうなだれたまま、ハロルドは自分にあてがわれた、身分相応に上質な調度品でそろえられた部屋まで戻った。 「ハロルドさま!?」 すでにきちんと身だしなみを整えたマルコに出くわし、ハロルドは首をかしげた。 「おはよう。・・・マルコって、いつも何時から起きてるの?」 「さっき起きたばっかりですよ。あぁ・・・お顔がすごいことに・・・」 「そんなにひどい?」 「洗い水持ってきますから、ご自分で確認してください」 鏡に映った自分の顔は、確かに不細工だった。まぁ、自分でびっくりするほどの化物に見えないだけましだろう。マルコが用意してくれた洗面器でばしゃばしゃと顔を洗い、体を拭って着替えると、気分が少しすっきりした。 ハロルドはマルコと一緒に、厨房から届けられた焼きたてのパンやチーズ、ハーブ入りのソーセージをかじりながら、昨日の出来事の、その後を詳しく聞いた。 「傭兵団のみんなは、かなり動揺しています。メグとコラーゼががんばって押さえていますが、公国に対する疑念が強まっています。同じようなことが二度目なので、組織の瓦解はしていませんが、逆に反乱を起こすには、よい団結加減ですね」 最後に恐ろしいことを付け足したマルコは、相変わらず冷静な表情のまま続ける。 「アルフレドさまのお怪我は、たいしたことありませんでした。お一人で部屋に篭っておいでだそうですよ。・・・もともと、荒事にはお向きでありませんし、最近の精神的な疲れが出てしまったんでしょう。将軍たちが元気ですから、城砦内の運営に支障はありませんが・・・この先どうするのか、まだ答えが出ていません」 敵と戦う前に、自軍の大将が問題を起こしたのだ。これでは落ち着いて戦えない。 「更迭は?」 「まだ検討中です。送りかえしたって、代わりは誰がやるんです?なるべく穏便に、兄弟喧嘩として片付けたいでしょうね」 「アルフレド兄も気の毒だなぁ・・・」 「それが公人の務めです」 マルコはばっさりと切り捨てたが、弟として生まれたときから見上げてきた兄には、できれば立ち直って威厳を取り戻してもらいたい、とハロルドは思う。 (それに、サカキにも謝ってもらわないと) 思い出して、また胸がきゅんとせつなくなった。早く意識が戻ってくれるといいのだが・・・。 「兄上のところに行ってくる」 サカキを守るには、まず味方・・・兄を説き伏せなくてはならない。最初にサンダルフォンにも、そう言われていたではないか。 ハロルドはマルコに、サカキが目を覚ましたらすぐに知らせてくれるように言い、アルフレドがいるはずの、城砦で一番上等な居住室にむかった。 扉の前にいた衛兵がびっくりしたのは、たぶんハロルドの腫れたままの顔のせいだ。 仲直りにきたんだと苦笑いを浮かべると、扉の向こうへ声をかけてくれた。 「入れ」というアルフレドの声は落ち着いていたので、ハロルドはいきなり指揮杖が飛んできても驚かないように自分に言い聞かせ、扉をくぐった。 「兄貴?」 そよそよと気持ちのいい風が吹き込んでくる窓辺に座っていたアルフレドは、ハロルドを見た瞬間に顔をしかめた。 「・・・すまん、そんなにひどいことをするつもりは無かった」 「あぁ・・・俺は大丈夫だよ。まだ痛いけど」 ハロルドがアルフレドの向かいに座ると、井戸で冷やしたらしいメロンやプラムが、二人の前に出された。ハロルドは甘いメロンをスプーンですくって食べ、アルフレドは熟したプラムの皮をぼんやりと剥いている。 「なぁ、どうしたの?昨日とかさ、変な雰囲気だったし。疲れてる?」 「・・・まぁな」 ハロルドはじろりと睨まれたが、負傷させた負い目からか、アルフレドは頭ごなしに怒鳴ったりはしなかった。 「そんなに、思いつめなくていいんじゃない?実戦は、ちゃんと将軍たちがいるんだからさ。兄貴はどんと構えてればいいんだよ」 「・・・それは、私が役立たずだと言いたいのか」 不機嫌そうに顔をひきつらせるアルフレドに、ハロルドは果汁が零れた口元を拭いながら、少し首をかしげた。 「ちょっと違うな。実戦には専門家がいるけど、兄貴にしかできない立場っていうのがあるんじゃない?それには、兄貴以外の専門家はいないと思うよ」 「・・・・・・」 「父上からの期待とか、色々大変だとは思うけど」 「お前は気楽でいいな」 「俺は俺なりに。わがまま通すために、がんばってるつもりだよ?でなきゃ、こんなところまでこないよ」 アルフレドもハロルドの気性をよく知っており、その言い分に頷いた。 「そうだな。・・・あれはどうしている?」 「あれ?・・・もしかして、サカキのこと?」 「そう、それだ」 嫌そうに頷くアルフレドに、ハロルドも唇を尖らせた。 「名前か・・・せめて、傭兵団長とかマエストロとかって呼んであげてくれない?」 「ふん。・・・で?」 「・・・まだ意識もどんない。もし、このままだったら、兄貴絶対許さないよ」 涙目で睨むハロルドに、アルフレドはなにか言いかけて、諦めたようにため息をついた。 「悪かった。・・・その、傭兵団長がいなかったら、私は弟殺しになっていたかもしれん」 「ん。・・・できれば、サカキと傭兵のみんなにも謝ってもらいたいんだけど」 じぃっとハロルドに見つめられ、アルフレドは視線を逸らしながら呟いた。 「・・・善処する」 「頼むよ、次期大公殿下」 神官の説教よりも、自分の贖罪を優先させたアルフレドに、ハロルドは腫れた頬を引きつらせながらも、にっこりと微笑んだ。 アルフレドはそんなハロルドを見ながら、躊躇いがちに口を開いた。 「・・・実は、思い出したことがある。あの傭兵団長を見たとき、どこかで見たことがあるような気がしたのだ」 「え・・・?」 ハロルドはびっくりして、つかんだプラムを皿の上に落とした。 「あの者、本当に・・・いや、たぶん、本当に帝室の一員なのだろう。しかも、本人が思っているより、ずっと中心にいるはずだ。だから狙われた。・・・嫌な匂いがするな」 きゅっと目を眇めて呟くアルフレドを、ハロルドは不安な気持ちで見つめた。 |