エニシ −15−
アルフレドの顔がハロルドの顔と似ているのはたしかだが、同じようによく似ている声で、自分を否定的に言われるのは、少し悲しい気分になった。だが、自分のせいでハロルドまで馬鹿にされるのは我慢ならない。
サカキは動物の糞でも見るような表情で見下ろしてくるアルフレドを、湧き上がる怒りは腹の底に押し込めて、静かに見返した。 「サカキは、コーダ帝国の先帝、パオロの子ですが、同時に、帝国領土内で古くから民に尊敬を受ける、魔女の血族の末裔でもあります」 ハロルドが謁見場にいる全員に聞こえるよう、冷静さを保ったまま、声を高めた。 「誤解のないよう付け足しますが、魔女と言っても宗教的に敵対するものではなく、薬草などの知識、土着の祭などに関する事柄を、口伝で継承しているだけです。また、魔女の血族の掟により、彼には帝位継承権がありません」 ざわめきが大きくなったが、アルフレドが鋭く見回しただけで、しんと静まり返った。 「彼が帝国内部の何者かに、どういう理由で狙われたのかは、まだはっきりしていません。ですが、彼は我々の信仰や生活習慣に敬意をはらい、同時に良き友であろうと努力しております。彼の部隊は精強で忠義に厚く、先日の戦いでも常に・・・」 「ハロルド」 「は?」 繊細な彫刻や宝石が埋められた椅子から立ち上がったアルフレドが、コツコツと足音を立てて階を下り、ハロルドに向かって歩いてくる。 「お前はまったく子供のままだな」 わがままを言う弟に呆れる兄のような穏やかさで、アルフレドはハロルドの顔面を思い切り蹴り上げた。 「ハロルド様!!」 大勢の声の中で、サカキは息を呑んだまま、声が出なかった。 サカキが見つめる目の前で、ハロルドは倒れこみはしなかったが、片手で蹴られた顔を覆っている。 鎧が擦れる音がすると思ったら、後ろでは今にも剣を抜きそうなマルコとメグを、大隊長達が必死で捕まえている。 「どういう理由で、だと?そんなこと理解する必要はない」 サカキがはっと見上げると、冷酷で感情がないと言うより、狂気じみて一色に塗りつぶされた眼差しが、サカキを見下ろしていた。 「こんな怪しげな者を持ち上げるなど、ハロルドの判断力は幼子のようだ。おおかた、魔女の母とやらも、先帝をたぶらかしたのだろうよ。気色の悪いことだ」 その瞬間、サカキの内に言い知れない憤怒が湧き上がり、かっと顔が熱くなった。自分が異国人という偏見には耐えられる。だが、ハロルドや母を侮辱されるのは我慢ならなかった。 「っ・・・」 「兄上!サカキたちが戦士として足りないと言うのならともかく、よく知らないままサカキ個人を貶めると言うのなら、俺は絶対にあんたを許さない!!」 サカキは自分の前に出された、押し止めるハロルドの手が、ハロルドが立ち上がるのにつれて上昇していくのを見つめていた。ハロルドが少ししゃべりにくそうにしているのは、顎や頬が痛むのか、それも口の中をきってしまったのか・・・。 「いまだに公私の区別もつかんのか、ばか者め!」 「それは兄上の方でしょう!?サカキは帝国でも、一士官としての身分しか持ち合わせておりません!個人としても、俺はサカキ以上に慈悲深い男を見たことがない!あんたは壊疽で死にかけている兵士を、毎日見舞えるのか?無理やり故郷から離された部下のために、自分の命を差し出すと言えるのかよ!?」 「第一公子と下賎な妾腹を一緒にするな!」 「身分の問題じゃない!人間せ・・・」 バシンと凄い音がして、ハロルドは今度こそよろめいたが、サカキの頬に手がかすると、心配しないでと言うかのように、くしゃりと癖毛を撫でていった。 「貴様は神がお与えになった神聖な役目を愚弄するか!!ハロルド、そこへなおれッ!!」 「自分の身分が神聖だと思うなら、少しは現実に生活する人間のことを考えたらどうだ、この馬鹿兄貴!!」 今にも取っ組み合いが始まりそうな言い合いだが、周囲の人間は固まったように動かない。兄弟喧嘩ですみそうなところを、下手に手を出してややこしくするのが怖いのだ。 「父上や兄上たちがなんと言おうと、俺はサカキを守るって決めたんだ!!」 サカキは目の奥が熱くなり、胸がいっぱいになるのを感じた。だから、少しだけ涙でぼやけた視界に映った光景にハロルドが反応しないのを、理解は後に体が飛び出した。 「この不届き者がッ!!」 現場の最高司令官であることを示す指揮杖は、硬い樫材で作られており、握りには石材や宝石が使われているようだ。そんなことをぼんやりと頭の隅で思いながら、サカキの意識は途切れた。 ハロルドは殴られたせいで、視界の半分近くが不明瞭だった。だから、突然突き飛ばされた理由を理解するのに、アルフレドがもう一度指揮杖を振り上げるまでの数秒を要した。 (あれで殴られるところだった・・・!) さすがに、冷や汗がどっと背に噴出した。同時に、代わりに殴られたのは誰だと理性が問い、その声を圧して、次の攻撃を避けろと本能が叫ぶ。 「ぅおおおおっ!!」 「っ・・・!!」 頭がガンガンと痛み、頬も顎も鼻も、三倍ぐらいに腫れたのではないかと思えるほど熱い。それでもハロルドはアルフレドの腕を捕らえ、思い切り顔面に平手をお見舞いした。 「ぎゃっ!」 アルフレドが大仰に腕を振り回し、指揮杖が床に落ちた。狙ったわけではないが、手のひらが鼻を押しつぶし、指先が目に触れたようだ。 力が抜けて尻餅をつくアルフレドを、駆け寄ってきた武官たちに任せ、ハロルドは耳鳴りがする頭を軽くかしげた。 「・・・トロ!・・・マエ・・・ロ!」 「う・・・な。担架・・・・・!」 顔の左半面がヒリヒリする。痛みで滲んだ涙を拭うと、ぼんやりとした狭い視界に、床にかがみこむ人だかりが見えた。 「サカキ・・・?」 床に倒れたままのサカキが、ぴくりとも動かない。どうしたんだ・・・?くすんだ絨毯が、どうしてあのまわりだけ、鮮やかな色をしているのだろう?どうして、あんなに赤いのだ・・・? 「医療班、到着しました!」 「どこですか!?どいてください!」 ばたばたと白衣を着た軍医たちが駆けつけ、人だかりが分かれていく。 「このまま、そっとだ」 白い布が張られた担架が広げられ、やや細い肢体が、同じ姿勢のまま、慎重に移される。 (赤い・・・) サカキの髪は緑のはずだ。それなのに、白い担架に赤い色が広がっている。 「いくぞ」 「はい」 慣れた滑らかな動きで担架が持ち上がり、そのまま謁見場から出て行く。 「まって・・・!」 「ハロルドさま・・・」 誰かがハロルドの肩をつかんだ。だが、そんなことにかまっていられない。サカキがどこかへ連れて行かれてしまう! 「待って、嫌だ!サカキ!サカキ・・・!!」 「ハロルドさま、落ち着いてください!大丈夫ですから!」 間近にマルコの綺麗な顔が見えて、ハロルドは少し息を呑んだ。 「こいつも医務室に連れて行け。傭兵団の連中には、私が説明してくる」 メグが走り去り、大隊長たちはこの始末をどうつけるべきか、他の上位騎士や指揮官たちとの打ち合わせに行くようだ。 「ハロルドさま、行きましょう」 ここにいても、やることはない。片付けの邪魔になるだけだ。ハロルドはマルコに腕を取られたまま、一歩一歩、歩き出した。 「マルコ・・・」 「はい」 「っ・・・サカキ、だいじょうぶ、だよね?」 「・・・きっと、大丈夫です。ちゃんと手当てしてもらっていますから」 涙が溢れて止まらなくて、ハロルドは腫れてヒリヒリと痛いのもかまわず、ごしごしと顔を拭った。それでも、まだ目と鼻から水が出てくる。 「おれ・・・まも、る・・・って・・・ひっく、言ったのに・・・。おれ・・・」 「・・・・・・」 失うかもしれない、そう思うとすごく怖いのに、どうすればいいのかわからない。 「どうしよう・・・サカキ、しん、じゃ・・・ひっく・・・」 なにがいけなかったのか、どうすればよかったのか・・・。 「・・・とにかく、ハロルドさまも手当てしましょう。そうしたら、お見舞いに行きましょう」 「っ・・・ぅんっ」 マルコに背を撫でられながら、ハロルドは上手く考えられない頭で頷いた。 |